序論

人間の脳は多数のニューロンが互いに接続し, ネットワークを構成することで成り立っている。 一つ一つの細胞が行う作用は比較的単純なものでありながら, それが集まり, システムとなるだけで優れた記憶能力や学習能力, 思考能力といったものを実現している。[1]

このニューロンによるネットワークを模倣し, モデル化したものがニューラルネットワークである。 ニューラルネットワークは1943年にアメリカの神経学者であるMcCullochと数学者のPittsが ニューロンを単純化して考案した, ニューロンモデルから始まったとされている。[2] 1949年にはカナダの心理学者Hebbがヘッブ則を提唱し, ニューラルネットワークにおける学習の基礎を築き,[2] 1958年にはアメリカの心理学者Rosenblattがニューロンモデルとヘッブ則を基に パーセプトロンを開発してニューラルネットワークのブームが始まった。[3] それ以降, ニューラルネットワークの研究は活発に行われ, ホップフィールド型ニューラルネットワークや誤差逆伝播法, そしてカオスニューラルネットワークといった技術が開発されてきた。

本研究で用いるカオスニューラルネットワークは, リカレント型ニューラルネットワークにカオス要素を取り入れたモデルである。 これは, 実際の脳神経系が, 「カオスダイナミクスを有したカオスデバイス」で構成された システムとしてとらえられるという考えに基づいて作成された。[4]

本研究の目標は, 従来は1層で使用していたカオスニューラルネットワークを 複数連結させてネットワークを構築し, 従来のものに比べて人間の脳により近い ニューラルネットワークを作成することである。今回は, その第一歩として, 後述するH.M.の臨床例において見られた脳の挙動を カオスニューラルネットワークの多層化によって再現した。

人間の脳は部位によって働きが違うことが知られている。[5] その最たる例が, H.M.の臨床例で示された, 脳の海馬と呼ばれる部位を切除すると, 過去数年までの記憶のみを失うというものである。[6] ニューラルネットワークは人間の脳を模倣して作成されたものであることから, この脳の部位による差異も考慮して, 異なる特性を持つニューラルネットワークを 接続して一つのニューラルネットワークを作成することでより 人間の脳に近いものが作成できると予想される。

本研究では, 海馬に蓄えられるとされる中期記憶と, H.M.の臨床例で発生した前向性健忘を 再現することに重点を置き, カオスニューラルネットワークで構成されたネットワークの改良と, 改良効果について実験と考察を行った。



Deguchi Lab. 2017年3月6日