胸部X線画像に柵状陰影が!

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since June. 4th, 1999.





プロローグ
 <病は気から>という。私は健康にはほとんど気を使わない。食べたいときには食べたいだけ食べるし、飲みたいときは飲みたいだけ飲む。お酒は4分の一世紀にわたってほとんど毎日飲んでいる。そのくせ、身体の変調には敏感で、すぐ「身体がだるい」とか「頭が痛い」とか「めまいがする」と訴える。結婚当初はその都度心配してくれた妻も、最近はほとんど気にせずに、無言で体温計を渡す。私が食欲がなかったり、お酒を飲まない場合だけ、ほんの少し心配してくれる。しかし、ほとんどの場合熱はない。一晩寝れば治ってしまう。
 私はほとんど医者に行くことはない。医者は嫌いである。ちょっとやそっとの痛みはがまんして、医者へは行かない。本当に我慢できない場合、これはただごとではない、生死にかかわると思ったときだけ医者に行く。しかし、痛みどめをうたれ、薬をもらって一晩もすると治ってしまう。妻は完全に私のことを大げさな人間だと思いこんでいる。私も最近それに気がつき始めた。それでもやはり、つい、身体がだるい、熱っぽい、頭が痛いと言ってしまう。そして妻は無言で体温計を差し出す。

要精密検査

 金曜日に健康診断の結果が送付されてきた。40歳をすぎてから、毎年4月に健康診断を受けている。胸部X線、胃部X線、心電図、血液検査等を受ける。血液検査の採血では、看護婦さんに注射される時にはいつも
「痛くしないでネ」
なんて親父ギャグをとばすことにしている。これは、必ず受ける。しかし、いつも痛くされる。
 検診結果報告書にはいろいろな項目があり、それぞれにA(正常)、B(注意)、C(要精密検査)等の判定がされている。表側は血液検査などの項目で、総コレステロールや総ビリルビンがC(要精密検査)の判定であった。要するに太りすぎや、肝機能のことだから、こんなものは毎年のことで、精密検査したところでどうしようもないからと全く気にもとめなかった。
 裏面は胸部X線と胃部x線の項目があった。前々から、電気の学生のことを思うと胃がしくしく痛み、気になっていたので緊張して見た。入学試験の合否発表を見に行くときのような気分であった。C(要精密検査)の文字が眼に飛び込んできた。
 愕然とし、血の気が引いていくのがわかる。父も祖母も癌で亡くしている私としては、いつかくるものと覚悟はしていたが、目の前が真っ暗になった。死ぬこと自体はそれほど怖くはないけれど、まだ、幼い子供たち4人の行く末を案じ、わかれねばならないのかと絶望した。もう一度健診報告書を見直すと、C判定は意外にも胸部X線の方であり、左肺下部に柵状陰影と記載してあった。
 結核なら柵状にならないし、コインリージョンでもないので、すくなくとも扁平上皮癌ではないようだ。細胞癌か線癌かな等とは思ったが、仕事をする気にもなれずその日は早めに家路についた。
 家にまっすぐ帰ることが出来ず、夏野菜を作っている畑で1時間ぐらいぼんやりと作物を眺めていた。かなり、はっきりした陰影みたいだから、年齢を考えると、この夏を越すことが出来るのだろうか。作っているスイカの収穫まで生きていられるのだろうかと、ぼんやりと考えていた。

 いつもより早い帰宅に家族のものは驚いたが、何事もないようにふるまった。いつものようにビールを飲みながら食事をしたが、子供たちのいろいろな話も上の空であった。明日は土曜日。精密検査をどこで受けよう。柵状陰影の可能性としてはなにがあるんだろう。保険はいくらだったか。いろいろなことが頭に浮かび、食事も味気ないものであった。
 いつものように振る舞ってはいたが、心此処にあらず。全く別の世界にいるようである。食事後に左の肋骨のあたりをさわるとやはり痛い。そういえば、確かに食事後に座っている姿勢によって、そのあたりに鈍痛があった。あばら骨が太ったおなかを圧迫しているのだと思っていたのだが。
 「家庭の医学」というかなり厚い本を必死になって読み、胸部X線画像の柵状陰影について調べてみたが、はっきりしたことはわからない。やはり、病院で直接撮影してもらうしかないだろう。こそこそと本を読んでいる私を不審に思った妻に問いつめられ、健診結果報告書を見せた。
 妻は、かつて私が体の不調を感じて体温をはかったら39度の熱があることがわかり、そのまま布団でうんうんうなっていたが、別の体温計で測り直したら、前のが壊れていて、37度の間違いであることが判明してからは、ちょっとやそっと私が不調を訴えても取り合わないようになってしまった。確かに私は生まれてこの方入院など一度もしたことがない身体であるのに対して、妻は四度の出産と、いろいろな手術の経験があり、ちょっとやそっとの痛さでは動じないところがある。それ以来、私は身体に関しては大げさに振る舞うと思いこんでいる。
 いつも、私がおなかが痛いといっても、あまり真剣に取り合わなかったが、今回はきちんとX線画像に証拠が残っているんだ。どうだ、このお墨付きが目に入らぬか、まいったかと言いたかったが。とても、そんな心の余裕がない。むしろ、なんかの間違いだとか、慰めの言葉を期待している。癌にかかって告知をされない患者が疑心暗鬼になり、何気ない言葉に敏感になるのがわかる。自分では癌だと覚悟はしていても、家族が癌じゃないからと言ってくれることに期待をする気持ちがあるのは確かに実感する。私の場合、告知された方がいいとは思っていたが、実際にこのような状況におかれるとその考えも揺らぐ。
 すぐに医者にいって検査して、悪ければ手術してもらえと、妻ははっきりという。このあたりがうじうじしているAB型の私とO型の妻の違いのようだ。おまえは手術の経験があるだろうが、こっちは初めてのことなんだぞと言いたかったが、そんな元気もない。しょんぼり。でてくるのは、何で私がというため息ばかり。もっと、私よりほかにとりつくべき人間がいっぱいいるだろうにという自己中心的考えばかり。

 翌朝、相変わらず左の脇腹のあたりに鈍痛が走る気がする。健診結果報告書には肺の図があり、スケッチがしてあった。かなり大きな陰影が書いてあったが、あれは実寸大なのだろうか。もしそうなら、おそらくかなり進行しているだろう。どこの病院にしようか。大きな病院は土曜日だからやっていないし。我が家は症状によって医者を選んでいる。とりあえず、直接撮影をするだけなら、いつもいっている近くの町医者で充分なのだが。結局、迷った末、健診結果を送付してきた総合病院に行くことにする。
 土曜・日曜と悶々として過ごす。野球をみたり、農耕作業をしていても、つい左手は、左の脇腹を押さえている。去年まではなんともなかったのに。どうして急に・・・。

病院にて

 月曜日の午前中に、学校を休んで病院に行った。地方の病院ではあるが、周辺では唯一の総合病院であり、月曜日ということもあってかなり込んでいた。内科は二階にあったが、患者はほとんど年寄りばかりであった。私だけが場違いのように浮いていた。ネクタイをしているのはそういえば私だけだ。内科の受付に行くとみんな一斉にこちらをみる。「若いのにかわいそう」という哀れみの眼や、「どんな病気かしら」という好奇の眼にさらされているような気がした。受付で健診結果報告書をだし、精密検査にきた旨を話す。呼び出しがあるまで待っているように言われ、ソファーに掛けようと思ったが、根ほり葉ほり老人たちに聞かれそうなので、ちょっと離れた柱の陰に寄り添い、いかにも誰かの付き添いで待っているというようなそぶりをしていた。時間が経つにつれ、私は病院内の風景の中にとけ込み、違和感はなくなった。
 待つこと、一時間。受付に呼ばれていくと、紙を渡され「これを持って、一階に行きX線を取ってきて下さい。」という。「そんなことなら、一時間も待たせず、すぐに撮影に行くようにしてくれればいいのに。」と言いたかったが、じっと我慢をして、運命の階段を降りた。

 X線室の前の廊下には、内科以外にも、整形外科や耳鼻咽喉科などの患者が待っていた。受付を済ませ、ソファーに座っていても落ち着かない。まるで死刑執行を受けるような気分である。撮影後の患者が呼ばれ、厚い封筒に入れられたX線フィルムを受け取っている。さすがに、生のままフィルムを手渡すことはしないようだ。ちょっと知識のある人だと、自分の肺に変なものが映っていたらショックだろうからなあ、と変なことに感心していた。
 私の名前が呼ばれ、写真乾板の前に立った。左肺の下部を集中して取るというので、正面や側面を併せて3枚撮影した。
 撮影後、30分ぐらい廊下で待っていると、再度、私の名前が呼ばれ、フィルムを3枚渡された。封筒に入れずにむきだしであった!!! えー、何という配慮の無さ。これでは見てくれと言わんばかりだ。内科へ行くために再び運命の階段を上る途中で、私は意を決してフィルムを見た。

 震える手つきでフィルムを見た。それらしいものは確認できなかった。とりあえず、私の目にもわかるような大きなものではないようだ。いちるの望みがでてきた。
 受付でフィルムを渡し、再度名前が呼ばれるまで待つことになる。なかなか呼ばれない。ほとんどの人が診察を終わり、閑散とした待合室でいろいろなことを考えて待っていた。午前中だけの年休を出してあったが、この分では昼からになりそうなので、学校に連絡して昼からの年休も頼んだ。2時間後、ようやく私の名前が呼ばれた。
 診察室に入ると、医師は私に背を向けたまま、シャーカステンにセットしたX線フィルムを凝視している。丸椅子にすわり、私も医師の背中越しにフィルムを改めて覗く。医師は私の方に向き直り、そのあと、机の上にあった健診結果報告書に眼を通しはじめた。
 医師が初めて口をひらいた。
 「稲葉さん、ビリルビンが多いですね。」
 「そんなことはわかってます。そんなことはどうでもいいんです。そんなことより、X線の柵状陰影は???」と言いたかったが、自分を抑え「そうですね。」と相槌を打った。
 「稲葉さん、コレステロールが多いですね。」と再び医師の声。
 「そんなことはわかってます。ここ数年といわず、ずっと多いんです。そんなことはどうでもいいんです。そんなことできやしません。今日きたのは柵状陰影なんです。」と言いたかったが、またしても自分を抑え「そうですね、このところずっとC(要精密検査)評価です。」と答えた。
 しばしの沈黙が流れる。耐えられなくなり、意を決して聞く。
 「先生、あの−、X線の柵状陰影の方は?」
 医師は私の声に報告書から視線をはずし、改めてシャーカステンの方を向き、運命の言葉をつぶやいた。

 「ウーン」
 医師はため息とも、うめき声ともとれる音を発した。
 私の心臓は早鐘の様に鳴る。
 医師はさらにつぶやいた。
 「おかしいな」
 おかしい?なんのことだろう。どきどき!
 「たしかに、このあたりにあったんですけどね」
 相変わらず、こちらを見ないで医師は話している。
 なんだって?あのときはあった?それじゃ、今はないのか?単なる間違いだったのか?
 先ほどまで重くのしかかっていた暗雲が一気に解き放たれた。よかった!これで当分死ななくてもすむ。昨日までの私の苦しみをどうしてくれるんだ。あれは何だったんだ。こいつ、殴ってやろうか等という思いも一瞬浮かんだが、すべてはほっとした安心感でキャンセルされてしまった。
 「大丈夫ですね。それにしても、どうしてかな」
 医師はこちらを振り向いてそう告げた。
 こっちが聞きたいわい、という言葉をのみこんで、
 「いや、よかったです。もうどうなることかと思っていました。ありがとうございます」
 と、紳士的に、へりくだって話す。よかった、よかった。
 医師がさらに続ける。
 「ところで、稲葉さん。ビリルビンが多いのが気になります。肝臓の超音波検査をしましょう」
   「へ?!」

 「肝臓がおかしいんですか?」
 またしても、新たな不安がむくむくと湧いてきた。私の問いかけに医師は説明を始めた。
 「ビリルビンは肝臓からでている血管が詰まったり、何かに抑えられると多くなることがあるんですよ」
 「何かって、何?」
 聞き返したかったが、それを口に出すことは出来なかった。何か=腫瘍、腫瘍=肝臓癌、肝臓癌=父親の最終的な死因、肝臓癌=治療の余地無し、肝臓癌=死。私の頭の中では瞬時にこれだけの等式が浮かんだ。
 「検査の日を予約しておきますが、いつがよろしいですか?」
 冗談じゃない、また、不安な日々を過ごさねばならないではないか。
 「先生、今日これから超音波検査をやってもらえませんか?昼からも休みを取っていますので」
 私は必死に頼んだ。が、
 「今日はもうちょっと時間が・・・。うーん、まだいいけど。あ!そうだ。こうしましょう。もう一度血液検査をしましょう。その結果がでるのに二日ほどかかりますので、明後日にもう一度きてもらって、そのとき超音波検査をしてもらえるように予約しておきましょう。明後日は休めますか。あ、いいですか。それじゃ、そういうことで、そこで採血してもらって下さい」
 あっというまに、日にちまで決まってしまって、私は採血するための処置室に追いやられてしまった。なんてこったい、また、明後日まで悩み多き日々を過ごさねばならないのか、とがっくりして、看護婦に採血のために手を差し出した。
 「あ!痛くしないでね!!」
 例によって、例の親父ギャグをとばすことだけは忘れなかった。

再び病院にて

 悶々とした日々を過ごした。肝臓か。確かに一番ありそうなところだ。親父は喉頭癌から肺癌、大腸癌、肝臓癌と転移していった。たぶん、私も遺伝的には胃癌よりも大腸癌や肝臓癌になりやすいのだろうと漠然と想像していた。そういえば酒がからんだ逸話には事欠かないからな。
 二日後に超音波検査をするために再び病院を訪れた。相変わらず、内科は込んでいた。予約していたので、先に一階の検査室に向かった。肝臓のあたりのお腹にワセリンを塗りながら技師が色々話しかけてくる。たわいのない話をしながら検査にはいる。
 順番になぞってみていく。一渡りなぞり終えたところで、技師が問いかけてきた。
「稲葉さん、どっか悪いところがあるんですか?」
それを確かめにきたんじゃないか、といいたかったが、
「健診でビリルビンが多かったので検査するように言われたんです」
と告げた。
「実は、元々は胸部X線画像で精密検査になって・・・」
私はことの顛末を不満げに話した。
「まあ稲葉さん。そういわずに。この前も、交通事故で入院した患者のX線写真から、たまたま癌が見つかった例もあるますしね」
むむ、何か見えたのかな、と不安になる。取り終わったあと、フィルムができあがるまで待ち、そのフィルムを持って内科に向かった。今回はしっかり封筒に入れられてあった。
 またしても、長時間待たされてから、診察室に呼ばれた。
 診察室では再び、医師がシャーカステンをじっと診ている。肝臓の画像はあまり鮮明ではなく、私にはさっぱりわからない。医師がまたもやため息をついている。何のため息だろう。しばらくしてから、医師が私の方を振り返り、そして、告げた。
「稲葉さん、健康そのものですね」
何じゃこりゃ、この数日の苦しみは何だったんだ。悩み、苦しみ、酒も食ものどを通らず、長いこと待たされ、検査検査で、おまけに血まで抜かれ、それでもしっかり医療費をとられるなんて。腹が立ってしかたがありませんでしたが、健康ですねと言われて怒るわけにもいかず、もともと健康診断なんだからとあきらめました。
「稲葉さん、コレステロールが多いですから、これを読んで食事に気をつけて下さい。」
医師はよくある食生活用のパンフレットを差し出した。ありがたく受け取って帰ってきたが、結局あの柵状陰影は何だったんだろう。番号がずれていたら、陰のある本人はかなり危ないことになるんではないだろうか。この話を聞いた電気の旧教間のK先生は、確率的に時々そうなるようにソフトウェアが組んであるんですよ、なんていってみえたが、冗談でしょうか。
 この話は、今から5年ほど前に起こった事実です。それ以後、4回健診を受けましたが一度も陰がでたことはありません。また、私の身近で肺が原因でなくなった方もおられません。


エピローグ
 私は健康診断が嫌いである。血液検査が要精密検査の判定でも、絶対に精密検査などしない。X検査で異常がでても、もう二度と精密検査などはしない、と言いたいが、やっぱりいくだろう。でも、絶対に悩まない、と言いたいが、やっぱり悩むだろう。でも、検査の時には絶対にこれだけはしないように気をつけよう。
 左手に時計をはめたまま、X線を取ることだけは。腕を背中にまわして組むのでX線がそこに当たると・・・。また、余分な事件がおきるから・・・。



   電気のホームページ 稲葉研のメニュー