豊橋の近代建築

豊橋はどんな街

豊橋市は愛知県の東端にあって静岡県と接しています。南は太平洋の荒波が打ち寄せ、 街の中央を豊川が東西に貫流して三河湾に注いでいます。

古くは「穂の国」と呼ばれ、江戸時代には譜代大名が在城する吉田城の城下町として、 また東海道の要衝として発展しました。戦前は軍都・蚕都として栄え、東三河の中心都市 となりました。しかし、昭和20年6月の空襲で市街地の大半が廃墟と化しました。 戦後の復興事業により戦前をしのぐ都市づくりに成功し、現在は愛知県下で2番目の都市 となっています。平成11年には中核市に移行し、「住みよいまち」と評価されています。

温暖な気候と豊かな自然環境に恵まれ農業が盛んで、農業粗生産高は30年以上全国一を 誇っています。また、国際貿易港三河港は外国車の輸入基地として知られています。

豊橋に残る主な近代建築
豊橋市公会堂
豊橋ハリストス正教会聖堂
愛知大学(旧陸軍第15師団)
下条取水場ポンプ室
  豊橋市下条西町字三ノ下60 昭和4年(1929) 設計:豊橋市臨時水道部
  インディアンの顔の飾りが付いている
小鷹野浄水場ポンプ室
  豊橋市東小鷹野2丁目9−3 昭和4年(1929) 設計:豊橋市臨時水道部
  アールデコ風ポンプ室
新川小学校校舎
  豊橋市吉田町156  昭和6年(1931)
  愛知県下に残る数少ない戦前RC造校舎の一つ 平成12年度解体予定
青陵中学校校舎
  豊橋市牛川町字洗嶋108-1 昭和5年(1930)
  奉安殿が残る 近々解体予定
中部住宅販売(株)豊橋支社社屋(旧中部瓦斯ビル)
  豊橋市白河町100  昭和5年(1930)
  外壁全面にスクラッチタイルを貼る 市内に残る古いRC造商業建築として貴重
大林製糸土蔵
  豊橋市花中町93  大正6年(1917)
  4階建て繭倉庫 市内でほとんど唯一残る製糸関連の建物
JR東海道本線二川駅駅舎
  豊橋市大岩町字南元屋敷66−2  明治28年(1895)
  現役駅舎としては全国で2番目に古い 今年には解体される
豊橋鉄道渥美線柳生橋駅駅舎
  豊橋市南松山町154  大正末年


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