高専を訪れた珍客たち

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since July 30th, 1999.





プロローグ
 岐阜高専には中学生を含めてさまざまな人たちが見学に訪れる。中学生にはできるだけ本校のいいところを見てもらうことになる。25年も努めていると、中には、全く予期しない動物たちの突然の訪問を受けることもある。思い出に残っている訪問客を振り返ってみる。

第一話「電気回路の講義を聴きに来た犬」
 15年くらい前のことだった。その時の校長先生が教官の授業を時折見学に行くと宣言していた。その目的は・・・であったろうが、ここには書きづらい。そのころ私は電気工学科の第三学年の電気回路の授業を担当していた。いまとちがって、電気の3年生の教室は現在の2D、つまり一号館の学生昇降口の一階の最初の部屋だった。そのとき私は黒板にむかって回路図を書いていた。(OHPを使って授業をやるようになったのはかなり後のことである。)教室の後ろの方でざわめきが聞こえた。さては、校長がはいってきたな。よし。私のすばらしい講義をみせてやろうと思った。黒板に回路を書きながら、熱をいれて大きな声で説明し、わかったなと学生の方を振り返ったとき、私の視界の中に見慣れないものが入ってきた。南の窓際の後ろから2番目の席の隣の通路に一匹の犬がきちんと正座(?)していた。
 学生の机の上に顔がくるくらいの大きな犬であった。首輪をつけていたので飼い犬なのだろう。前足二本をまっすぐに前でそろえ、耳をぴんと立て、しっぽもきちんと丸けていた。舌をべろんと出すような態度の悪いことはせず、口もしっかりつむっていた。熱心そうな犬であったので私は聴講を許可した。
 私が例によって冗談を言うと学生が大声で笑うが(そのころはまだ私も若く、冗談も通用した時代であった)、その犬にはさすがに通用しないようで、学生の声に驚いて首を左右に振って学生の顔を眺めている。しばらくすると、さすがに厭きてきたのか、口から舌がでてきて、左右の学生のノートなどをみたり、きょろきょろし始めた。「まっすぐ前を見ろ」と言いたかったが、犬語が話せないのでそのままにしておいた。
 次第に態度が悪くなり、足(手?)で耳を掻いたり、尻尾をふったり落ち着きがなくなってきた。そして、最後はごろりと寝てしまった。今思い出すと、その様子は最近の学生の有様と酷似している。私は頭に来て手に持っているチョークを投げつけてやろうかと思ったが、反撃が怖いのでやめた。
 そのかわりに、私は退場を命じたのだが、出ていく気はないようだ。そのころ私はよく学生に退場を命じていたが、みんな喜んで出ていったものだが、この犬はよっぽど、私の授業が聞きたかったらしい。それなら眠らなきゃいいのにとも思ったが、いくら出て行けといっても犬語ではないから通じない。やむなく、事務の人にきてもらい首輪をかけて二人係で強制退去させたが、両足を踏ん張ってかなり抵抗した。最後まで聞かせてあげるべきであったのかもしれない。もしも、そのままにしておけば授業の終わりの「起立。礼」ではきちんと立って(?)学生と一緒に挨拶したのであろうか。私のあとの授業もつづけてきいたのであろうか。興味はつきない。

第二話「電気回路の講義を受ける学生を激励にきた女性」
 動物の中に女性を入れるのはけしからん、セクハラだとおっしゃるむきもあるかもしれないが、人間も動物なのだからご容赦を願いたい。もう少し後では国会議員まで登場する予定なので、決して女性蔑視ではない。
 犬の事件があってから一ヶ月くらいたったある日、私は前と同じように回路図を板書していた。そのとき、今度は教室の前の方の戸がガラガラと開いた。校長先生にしては前から入ってくるとはなんと大胆な行動ではないかと思いながら振り返ると、そこには一人の若い(?)女性が立っていた。左手には大きなバスケットをかかえ、こっちを見てにっこりと(ニヤッと)微笑んだ(薄笑いを浮かべた?)。
 「#$%&=”!’(%」
 その女性は私に向かって何か叫んだ。私にはその言葉がこの地球に存在する言語とは思えなかった。しかし、そのあと、その女性が学生に向かって言った言葉は確かに日本語だった。
 「がんばって下さい」
 女性は手にしたバスケットの中からチョコレートを出して一人一人に配り始めたのだ。
 呆気にとられる私をしり目に、北側の列から順番に  「がんばって下さい」  と言いながら配り始めた。学生もどう対処していいかわからない。中には
 「ありがとうございます。がんばります」
 等と調子を合わせているものもいる。
 ようやく私もこの状況から立ち直り、やめさせようと思ったが、うら若い女性だし、
 「なにすんのよ。すけべ!」
 等と言われたらかなわないと思い、犬の時と同じように自らの手を汚さないことを決め込み、事務の人を呼びに行かせた。事務員が来たときには最後の列まで配ろうとしていた。事務員が手を握り(いいなあ!)教室の外にひっぱってつれていこうとするがいやがって抵抗する。事務員が肩をだいて(!いいなあ)抱きかかえる体勢でつれていこうとするが、懸命にその手から逃れようとする。何も、知らない人がこの光景をみたら、スキャンダルものの異常なシチュエーションである。女性は事務員の力に負けてとうとう教室から外に出されたが、それでも必死にチョコレートを学生に渡し、最後の方は放り投げていた。結局全員に配っていったのには執念を感じた。しかし、私にはくれなかった。あのあと学生たちはあのチョコレートを食べたのだろうか。
 
第三話「廊下で出会う品のよい猫」
 この話はそれ程古い話ではないので、記憶に残っている卒業生もいるであろう。
 朝、私が出勤してくると向こうからとても人相(猫だから猫相か?)のいい猫がこちらに歩いてくる。おそらく生まれも育ちも私と違って上流階級なのだろう。ニャーといって私にすり寄ってくる人なつっかしさ、その毛並みの良さは、おそらく名のある血統書付きの猫であろう。どこかの家から迷い込んできたのであろうか。私にとことこついてこようとする。本当に人柄(猫だから猫柄か?)もよさそうな猫である。さすがに部屋の中に入れるわけにはいかないので、冷たくドアを閉じたが、ドアを少しだけ開けると、その隙間からこちらを見上げ再び、ニャーとなく。それは決して私を非難しているわけでもなく、恨みに思っているわけでもなく、何かを欲しているわけでもなく、本当に純粋無垢な鳴き声だった。胸を締め付けられる思いでドアをしっかり閉めた。
 学生たちが教室に現れる頃にはあちらこちらで人気者になっていたようだ。学生たちがミルクなどを与えていたのだろう。2、3日たっても学校におり、私も時折見かけていた。相変わらずの品の良さを漂わせていた。何の苦労もその仕草からは感じられなかった。その後、その猫を見かけることがなくなり、自分の家にでも帰っていったのかと思っていた。
 しばらくぶりに、早朝にその猫に再会した。しかし、あの品の良さはどこにもかんじることができなかった。眉間にしわが寄り、まゆげはそりあがり(?)、その仕草はいかにもあらゆることに対する不信感でいっぱいのようであった。再会するまでの間に、いったいこの猫に何が起こっていたのだろうか。想像に難くない。生きていく上でのあらゆる人生の(猫生?の)辛酸が彼に襲いかかったのであろう。その変貌ぶりはまるで本校に入学してきた純朴な少年がいつのまにか、すっかり変貌を遂げてしまう有様と酷似している。
 そして、今はその猫を見かけることもない。

第四話「握手握手の国会議員」
 やっぱり、国会議員まで動物扱いでは問題かもしれないのでタイトルを変更する。
 10年ほど前だが、岐阜県選出で当時文部政務次官を務めていた衆議院議員が私の研究室を見学するために岐阜高専に来た。別に私の部屋を見ることが目的ではなく、ついでに私の部屋に寄ってみたといった方がいいのかもしれないが。ともかく私の部屋に来た。入るなり握手握手であった。研究の説明をしたあとは興味深げに実験装置を見ていたものの、卒研生を見つけると年を聞き、20歳とわかるとまたまた、握手握手。でも、彼は知らないのだろう。卒研生はみんな愛知県の学生であることを。
 しかし、握手というのは不思議なもので、それだけで親近感を覚えてしまう。野田聖子さんとも握手がしたいな・・・。

エピローグ
 20年も務めているといろいろな訪問客がある。とくに、門の守衛室に人がいなくなり、東門ができたあたりから、銀行の勧誘、生保の勧誘が活発になった。キャッチセールスやオームの勧誘がないだけまだましかもしれない。私より古い世代の人たちはきっとあの訪問者を一番にあげるだろう。
 我が校にヘリコプターが不時着したことを。

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