BestHtml 白兎の裏日記

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since Dec. 2nd 1999.


パラレルワールド(夢の裏で)


12月1日「朝まで生討論」
 実は全国大会前日の金曜日(というか実際は土曜日ですが)の夜は深夜の討論番組をずっと見ていた。田原総一郎氏が司会をしている番組で 「就職難」に関連した内容で激論をしていた。テレビでよく見るK大の教授や経済評論家などにまじって自民党の代議士も参加していた。アメリカ式に目標を立てるという話は興味深いものであった。確かに、「月へ行こう」等というのは具体的で夢のあるものである。「所得倍増論」や「日本列島改造論」というのもことの是非はともかく、具体的なスローガンである。「戦後政治の総決算」というのもあったが、「ふるさと創生論」あたりからどうもほんわかふわふわと曖昧なものになってきている。そういう意味では、リーダシップをもった政治家が大きな夢を掲げて撃ってでれば大きな政治のうねりとなるであろう。
 ところで、番組の中である経済評論家がK大学経済学部の教授に向かって
「K大の経済学部の学生は公認会計士の資格を取るために専門学校へ通っているというではないか。K大学の授業で公認会計士ぐらいとれないのか」
と言われ、それに対してその教授は、
「T大の法学部の学生だって司法試験のために専門学校に通っているではないか」
と反論(?)していた。
世の中本当にそんな風になっているのだろうか。大学の学問はそれほど実学とかけ離れてしまっているのだろうか。ことは文系とどまらず理系でも同じことになっていないだろうか。電験の試験のために電気の学生が専門学校に通うようなことがあるのだろうか。改組に向けて、今一度実践的教育と基礎学問について深く学科のカリキュラムを見直してみる必要がある。

11月30日「ロボコン大賞」
 何故、そんな表現になったのでしょうか。ここからは私の全くの想像なので、いろんな所に迷惑が行く可能性がありますので直接的には表現できないのですが、優勝チームが大賞を取らないことに起因しているのではないだろうか。抜群の性能を持っていてしかもきわめてユニークなロボットがあったとして、そのチームが優勝した。しかし、優勝と大賞を独占することを何らかの理由で取りやめたとすると(私は全部の賞を独占しても何にも問題が無いと思うのだが)、優勝しないほうが大賞を取れることになってしまう。そんな矛盾が問題になったのではないだろうか。私は、優勝チームでも大賞を与え、ロボコン大賞が最高の賞だとしっかり定義してほしいと思っている。勝ったロボットには華がある、負けたロボットには夢がある、という表現もあったが、華も夢も持っているロボットもある。審査委員長がいっていたように、夢のあるロボットを作ることを目指すべきだと思う。高専部門のロボコンの視聴率が大学にくらべて高くて人気のあるのは、勝つことだけにとらわれず、ユニークで夢のあるおもしろいロボットがたくさんでてくるからではないだろうか。各高専はパフォーマンスを見せるためにはある程度勝ち続ける必要があるから、勝負にもこだわるが、あくまでみんな目指しているのはロボコン大賞なのではないだろうか。というよりも、賞を取るためというよりも、自分たちの作ったロボットを全国の人に見てもらうために、あるいは自分のアイデンティティーの表現のためにがんばっているのではないだろうか。決して勝つことだけを目標にしていないところに、高専部門の価値があり、意義があるのではないだろうか。そして、この勝つことだけではなく夢を持つというロボコン精神こそが、これからの技術者、これからの日本、これからの世界が考えていかなければことだと思う。

11月26日「選択科目申請」
 例年のことであるが、選択科目申請の時期が来た。今年は担任なので、今日の午後五時までに出さなければ、来年度は選択科目をとらないということで、そのままだすと学生に伝えた。さて、全員出すでしょうか。一部の学生が印鑑が無いと泣きついてきたが、「今日の五時までに出さなければ終わり」と冷たく突き放した。入学願書だって遅れれば終わりなんだから。就職や進学の願書提出のことも考えると、こういうときにしっかりやっておかないと絶対に悪い習慣が付いてしまう。
 さて、結果はどうなるでしょう。

11月25日「訃報」
 八年ほど前に核融合研で一緒に研究していた知人が亡くなったというはがきを受け取った。博士課程終了後、郷里の北海道にかえり、研究所に勤めていたのだが。学会で北海道に行ったときはいろんな所を案内してもらってとても楽しい時をすごしたのだが。もうそろそろ、もう一度北海道に行く可能性があり、再会を楽しみにしていたのだが。34歳での死である。父親からの挨拶状であったが、これからというときに、断腸の思いであろう。
 合掌

11月19日「全国大会出場率」
 地区大会には10高専がでてきて、そのうち4高専が全国へ行くことができるわけだから4割の出場率であれば平均的である。岐阜は最近五年間で四回全国へ行っているから8割の出場率であるので、かなり成績がいいといえる。特に、ロボ研は前々回がベスト8、前回がベスト4であるから、今回は決勝まで行くか、あるいは何か賞をいただいてこないといけない計算になる(なにを根拠にした計算なんでしょうね)。捕らぬ狸の皮算用という諺がありますけどね。

11月17日「模様替え」
 卒研生にせかされて、ようやく部屋の片づけを始めました。高専祭の名残で、部屋にやまと積まれていた雑誌や備品をようやく整理し、ついでに若干の模様替えをしています。全国大会が終わらないとその気分にも成らないんだけど、そんなことをいっていたら年末の大掃除になってしまう。

11月16日「完全復帰」
 一日で、俗世間に戻ってしまった。書類とメールと積み残してあった仕事にどっぷりと浸かり、またしても自転車操業の毎日になってしまった。

11月15日「社会復帰」
 若い頃に研修旅行に行ったときは四泊五日だった。帰ってくると、正常な生活に戻るのに一ヶ月ぐらいかかった。毎日、ホテルや旅館のおいしいごちそうを食べ、夜は夜で飲みに出かけ(まずかったかな)、名所旧跡を見て回るという天国のような毎日でしたからね。そんな日が五日間も続いたら、学校に帰ってきてから研究モードに入るのはしばらく無理ですね。
 しかし、今年は五年生の卒研報告会を月曜日に計画しているし、四年生の配属もあるし、ロボコンの全国大会もあるし、否応なしに普通の生活に戻されてしまいました。馬刺や明太子、長崎チャンポンや豚骨ラーメンが懐かしい。もっと食っておくべきだった。

11月5日「研修旅行」
 来週は九州に研修旅行です。今年の目玉は阿蘇でパラグライダーやマウンティングボードをやることです。(私はやりません)はじめは熱気球に全員参加する案が観光会社から提示されていましたが、高さ40mもあることから、私がおそれをなして希望者だけにしました。観光会社の方は先生は参加しなくてもいいと言いますけど、事故で全員阿蘇の火口のほうに飛ばされてしまって先生だけ助かるっていう図式はさけたいですしね。結局、学生の希望者も少なくて熱気球は中止になりました。引率は福岡先生と行きますが、そういえば、前回は福岡が学生の時に引率したんだった。月日がたつのは速い。

11月4日「各地区大会の結果」
 次々と、各地区大会が終わり、結果がNHKのロボコンのホームページに載っている。どの地区でもVゴールがあり、レベルが高い。今のロボ研のロボットでは歯が立たない。今やっている?変更が間に合えば多少勝負になるかもしれないけど、それも、完成度次第だ。せめて一度でいいからフューチャーゾーンにいってほしい。

10月29日「ビルの谷間のホームレス」
 専門展の会場が建築と環境都市に囲まれてしまった。建築は中世のお城、環境都市は吊り橋で、両方ともとてつもなく大きい。実は電気は中の電子部品等にお金をかけて、配置などにはあまりお金をかけずに段ボールやベニヤ板で作ったので、本当にビルの谷間のホームレス状態になってしまっている。おまけに実習服をつるして看板代わりにしたのが、まるで、薄汚い洗濯物を干しているように見えてしまう。これでは、中に入るのもためらうね。

10月28日「疲れ」
 今日は何人かの先生に「相当お疲れのようですね」と言われてしまった。いつも疲れているんだけど特に激しいのかな。家に帰るのは十月になってからはそういえばいつも十時頃だ。寝るのは一時、起きるのは六時、学校へ来るのは七時半。これでは疲れるはずだが、体がなれてしまった。四年生もがんばってくれているし、ロボ研もがんばってくれているし、これくらいは我慢しよう。研修旅行を負担に感じずに、かわいい四年生の学生たちとワイワイガヤガヤ、旅行をおおいに楽しみたい。よーし、飲んで思い切り歌うぞ。というわけにはいかないでしょうね。

10月27日「体験!エレクトロニックワールド」
 電気工学科では小中学生のための理工系教育推進事業の一環として、表記の催しを高専祭(10月31日)に電気工学科棟2階および3階で開催します。
 120Hz対応の新型液晶プロジェクタを使った大画面の立体画像や、ホームページ製作、電子工作体験等、興味あるものとなるはずです。PR用のCDも大量に用意しています。体験コーナの対象は小中学生ですが、大人の方も入場は自由ですので是非、ご覧ください。ロボコン’99地区大会をデジタルビデオで録画した内容を編集して、NHKよりも一ヶ月早く放映しますので是非見に来てください。電気工学科3年が製作したロボットも展示します。
 肝心の専門展ですか?私(専門展の責任教官)の口からは・・・、評価は皆さんの判断にお任せします。今年は、電気展でははっきりとしたテーマを掲げています。「光と音とファンタジー」電気工学科の学生が作り出す音響空間、映像空間からファンタスチックな世界を楽しんでください。なんて、お題目だけはいいんですけどね。でも、バラバラの催し物はなにを言いたいのかわからないし、私のポリシーにも反するんで、今年は、モチーフだけはしっかりと決めました。

10月25日「卒研中間発表」
 今日は卒研の中間発表と授業と教室会議でちょっとへばりました。中間発表は少し不満足です。どの研究室もパワーポイントと液晶プロジェクタを使いこなしてずいぶんとプレゼンテーションがうまくなりましたが、内容に問題ありです。これからがんばればいいんですけど、一番いけないのは中間発表に精力を使い切ってしまって一休みしてしまうことです。中間発表などで前の日から徹夜をしている連中にこのパターンが多い。こうなったら、毎週発表させようかな。

10月23日「学校説明会」
 今日は学校説明会がある。卒研生の発表の練習を見るために学校へ来たが、ついでに北川先生の説明を見ておこうかな。とりあえずパワーポイントで説明できるように資料を用意しておいたが、うまく行くか心配である。話の内容に関してはなれておられるから大丈夫だろうけど、パワーポイントは初めてだから。グリーンレーザもお貸しした。

10月22日「曇りのち晴れ」
 暗い出来事が実はありましたが、日頃の行いがよく信頼されていたために(もちろん私ではありません)最悪の事態を回避することができた。全教官が一致して理解してくれた。とりあえず、私のことは無視して考えていただけたようで感謝している。やっぱり、実験の神様がいるように、運命の神様もいるようだ。浮かれた気分のロボ研にひとつの試練を投げかけたのだろう。これを機会に気持ちを切り替えてほしい。

10月21日「憂鬱」
 全国大会出場を決めたというのに憂鬱な気分である。部員たちは一生懸命やってくれているから何ら不満はないし、期待しているんだけれど、ロボ研を取り巻くいろいろな事柄を考えると不満がいっぱいである。

10月9日「バッテリー」
 両者引き分けの場合はじゃんけんではなく、バッテリーの容量で勝負がきまる。最悪の場合、なにもせずに、乾電池でも積んでおこう。NHKは怒るだろうね。その前に校長が黙ってないか。冗談です。

10月8日「部存続」
 今年も初戦敗退なら、廃部にしろという天の声が聞こえる。そりゃ、そうかもしれない。いくらクラブ活動といっても、構内審査ではいくつかのロボットが申請され、いくつかのロボットは日の目を見ずに、涙をのんでいるわけだから。ロボコンに参加したくても、門前払いを食わされている学生たちが何人かいるのだから、その子たちにとってみれば、どうしてロボ研ばかり優遇されるという思いもあるだろう。なによりも、学生会から多額の援助をもらっているわけだから、それなりの成果を上げる義務がある。やっぱり、連続初戦敗退では、来年度は選ばれなくても文句をいうことはできない。
 必然的にロボ研は廃部、顧問は高専から永久追放か。次の職を探しておこう。

10月7日「取材」
 地区大会の取材は地方局が担当しているが、同時に全国ネットの取材も始まっている。ロボ研の遠心力でとばすタイプは全国でも珍しいらしく、詳しく取材された。全国に行くことができれば結構注目されるような気がするが、やっぱりその前の箱の装填でしょうね。卒業生の応援が今こそ必要です。ロボ研のOBには当日よりも今来てほしいんです。

10月6日「予測」
 ロボ研のロボットはきっと箱を取り込めないでしょう。取り込めても子機に格納できないでしょう。格納できなきゃ、跳ばすわけにいかないからせっかく夏休みにつくってきた、跳躍の派手なパフォーマンスをみせることができないでしょう。敵の反則を待って勝ちあがるしかないという岐阜高専の名を辱める結果を放映されてしまうでしょう。卒業生からの「何をやっているんだ」という非難が集まり、ロボ研は3年連続初戦敗退という汚名を残したまま解散にいたってしまうでしょう。
 顧問の教官は責任をとって、高専から追放処分となるでしょう。
 これだけかいておけばロボ研の学生もがんばってくれるかな。私は憎まれ役でいいや。
 それにしても、壮行会にきた電気の先生の数が少なかったのはどういうことだろう。電気の3年が出るというのに。先日の私のSCS放映にだれも来なかったのと同じ意味があるのだろうか。

10月5日「携帯電話」2
 基本料金の中に90分の通話料が含まれているのだが、そんなに使うところがない。なんといっても一度もかかってきたことがない。そりゃ、まだ番号を知らせてないですからね。それでも、せっかくだから最近は帰るコールをしている。少しではあるが生活パターンが変わってくるようだ。携帯電話を飼い犬のひもにたとえた人がいたがそれも一理ある。
 しかし、台湾の大地震では携帯が役に立ったらしいから、保険のようなものだと思っていればいいのかもしれない。

10月1日「暑い」
 もう十月だというのに暑い。残暑とはいえない季節なのに。肥満で暑いのかとも思ったが、部屋の温度は30度を確かに越している。しかし、左の脇腹の上の方が時々痛いし、脂汗をかくようになったので、心臓系の方があぶないのかもしれない。なんて事をかくとまた、例の病気がはじまったといわれそう。妻にも「それは心臓だわ」と軽く一蹴されてしまった。憎まれっ子世にはばかると言うから当分は大丈夫だとは思うけど。

9月29日「前期もおわり」
 もう、今年度も半分過ぎてしまいます。卒業生から「呆けがはじまったという言葉が出るようになった時は深層心理として人生が下り坂にさしかかったことを認識したからである」という趣旨の話を聞かせてもらった。なるほど、それは確かにいえている。「よっこいしょ」とか「どっこらしょ」と言って立ったり座ったりするのと同じかもしれない。そう考えると、月日が経つのが速いと感じることも、人生が残り少なくなったという深層心理があるのかもしれない。そういえば、高専に24歳で初めて勤めたとき、まだこの先40年もあるのかと思いましたが、もうあと15年くらいしか残っていない。

9月28日「携帯電話」
 とうとう買ってしまいました。それもファミリーパックで2台も。請求書はお父さんへ、というわけです。無料通話が基本料金の中に含まれているんですけど、とりあえず、かけるところがありません。また、かかってくることもありません。家族以外知らないので、逆にかかってくると悪い知らせだと思ってしまう。なにしろ、よっぽどのことがない限り家に電話しないし、むこうからもかかってこないというこれまでの感覚からなかなか、抜け出すのは困難なんです。でも、私の家に電話さえいただければ、要件は瞬時に私の所まで伝わるようにはなったわけです。最新式の携帯はとても軽くていろんな機能があって確かに便利です。

9月27日「3人の卒業生」2
 実際、目的をもって普通高校から大学に入ってきた学生にはさすがの高専生もいろいろな点で歯が立たないであろう。おそらく、これから出くわす英語や日本語の論文作成などにおいて、国語や英語の実力の違いを痛感すると思う。そういう点では高専は語学教育に関しては高校に比べればお粗末といえる。大学受験のため高校の語学教育もかなりゆがんでいるものの、高専よりははるかに時間をかけて勉強している。そういう意味では大学院の修士や博士課程で、普通高校組がその差を取り戻すのだろう。
  9月24日「知事賞」2
 ロボ研を創造力という点で見ると、私はかなり疑問に思っている。もの作りという点でかなりの苦労をしており、技術的にもかなり高い位置にいると思うが、それはあくまでも知識ではなく実践力があるというだけの話である。確かにピックなどを使った制御系は他高専から見ればすばらしいものにみえるかもしれないが、それだけである。そんなことは世の中の技術者にとって全く当たり前のことである。創造性が見られるものがなければだれも面白いとは思わないだろうし、ロボコンの趣旨にも合わないと思う。これまで、あまりにも勝つことのみにとらわれていたのではないだろうか。そして、それ以外にも難しいことばかりに目がいっていたのではないだろうか。全く簡単な機械要素だけで簡単な技術力だけで創造性を感じさせるもの作りをする必要があると思う。
 しかし、自分の子供でさえもなかなか指導できないのに、私に学生をそんな風に指導できるわけがないですよね。

9月22日「MD」
 すっかり、MDにはまってしまった。朝晩の通勤には必ず車の中で聴いている。中日の試合があっても関係なく聴いている。学校でも仕事をしながら聴いている(校長には内緒)。寝るときもスリープモードにして聴きながら眠っている。慣れ親しんだレコードがCDになっていないために曲目は限られるが、もうずいぶんたまった。ずいぶん身の回りが変わっていく。そろそろ私も携帯電話を持つ時期に来ている。電気では所先生の年代まできており、私や佐井先生より上の年代は持っていない。最後の防波堤もくずれるか。ロボコンで金沢にいくから、そのときまでには購入するつもりだ。

9月21日「呆け」
 最近物忘れが激しくなった。頼みの綱の手帳までどこに置いたかわからなくなり、日々の業務にも支障をきたすありさまだ。昨日などはロボ研から業者への注文を頼まれ、FAXで「別紙の注文をお願いします」と送信したが、あいてからすぐに電話があり、別紙が届いていないとの事。肝心の学生が書いた注文書を流すのを忘れていた。なにか、そのうちにとんでもないことをやりそうで怖い。

9月20日「2000年インターハイ」
 来年の夏にインターハイが岐阜で行われます。強化の一環として各種目で1,2年生の大会が開かれております。次男も高校二年生でバスケットに勉強をそっちのけでのめり込んでいます。次男の学校はとてもそんなレベルではなかったのですが、たまたま、くじ運がよくまた、有望な新人が入ったことによりあれよあれよという間に県大会のベスト4までいってしまいました。県で飛び抜けた存在であるN校と準決勝で対戦することになり、こんな機会は二度とないと思い、次男に内緒でこっそり見に行きました。次男が中学時代は毎週といっていいほど練習試合があり、そのたびに私のワゴン車で送り迎えをして、試合中もずっと見ていましたので、各チームの主立った生徒の名前と顔が一致するようになりました。N校にも何人か見覚えのある子たちがレギュラーに入っていました。試合はN校が適度に決勝に備えてメンバーを入れ替えてきましたので、惨めな点差にはなりませんでしたが、次男の高校も決してくじ運だけではなく、なかなかの選手もいました。次男に見つからないようにN校側の応援席の方でたってみていたのですが、応援に来ていた母親たちが、試合が始まると総立ちになるのですが、これが皆さん背が高いのです。私よりも少なくとも高い。やっぱり、母親からして違うんだなと妙に感心していました。
 次男もバスケットにのめり込んでしまって来週には試験があるというのに、相変わらずうたた寝をしている。長男の二の舞になるのではないかと思いますが、やりたいことをやらせてあげるのが一番だと思っています。すくなくともバスケットをやってくれているうちは親と子の断絶はありませんから。

9月17日「これは悪夢か、正夢か!」
 「ロボコン’99高専部門、東海北陸地区大会一回戦。スタートの合図とともに動き出したロボットは箱置き場に向かいました。」
 「・・・高専は早くも箱を取り助走ゾーンに向かっています。」
 「岐阜高専は・・・。どうしたのでしょう。箱をとれません。」
 「・・・高専は箱を着地ゾーンに投げ込んでいます。箱を二つ着地ゾーンに入れました。」
 「岐阜高専は・・・。どうしたのでしょう。まだ箱をとれません。」
 「・・・高専はマシン本体が見事なジャンプを決めました。これはすごい!会場からも大歓声が湧いております。」

 「審判が旗をあげています。どうやら着地したときにマシンの一部が接地禁止ゾーンに入ったようです。減点1です。ルールによりこのマシンは取り除かれます。コートには岐阜のマシンがただ一台、箱と格闘しているのみです。あ−、此処で時間です。減点により、岐阜高専の一回戦突破決定です。優勝候補の一角だった・・・高専は一回戦敗退です。」
 舞台裏でのディレクターのつぶやき、
 「この試合は編集でカットだな」
 私のつぶやき
 「うん。作戦?成功だな。最も楽な勝ち方だった。楽勝、楽勝」

9月16日「変調」
 どうも最近体調が変だ。狼少年でいつもおかしいおかしいといっていたが、ちょっと笑い事ではないかもしれない。目がかすむようになってきた。ひょっとしたら、糖尿病の前兆かもしれない。考えてみればいつ死んでもおかしくない年代だ。とりあえず身辺整理だけはおいた方がよさそうだ。まずは、雑談集を完成させよう。
 
9月13日「燃え尽き症候群」
 昨日はひょっとしたらこれで死ぬのかと思った。見学会で疲れて帰ってきて、ビールを一気にがぶ飲みをして、ご飯を食べたら、目眩がするやら、吐き気がするやらで、脂汗がでて、しばらく動けない状態になった。心筋梗塞のような症状でこれはひょっとしたらこれでこの世ともおさらばかと思ったが、なんとか息を吹き返した。しかしあんなことは初めての体験だ。ちょっと疲れが溜まっているのかな。そういえば土日と学校へ行ったから、しばらく休んでいない。睡眠時間も相変わらず短いし、夏ばてが今になって出てきたのか。それとも、見学会で燃え尽きてしまったのか。
 高専祭の専門展にはわたくしの部屋の学生を中心としてサラウンドシステムをさらに強化した、新しい光と音楽の空間を実現したいと思っています。ぜひ、見に来て下さい。
 また、性懲りもなく雑談を書き始めました。別紙をご覧下さい。

9月7日「設計実習」
 PICも動いて、あとはプリアンプの制御部分だけ。さすがにアンプ・スピーカが10ch動くと壮観な音場になる。バランスをどのあたりに取るかも重要だ。ソースを何にするかも重要な要素だが、やはりアコースティックな音楽がいい。井上陽水にしよう。私の趣味なんだが、結構中学生にも受け入れられるんじゃないかな。ラルクアンドシェルや宇多田ひかるもいいんだろうけど、この音響システムではいまいちだ。と勝手に決めて、陽水で行こう。

9月3日「高専祭」
 今年の高専祭は10月31日がメインである。年々、専門展の内容が見るに耐えないようになり、一部の卒業生から非難の声があがっていたが、そういった過程を経てきた卒業生が主体になってきたので、自分たちの時のことを考えると文句も言いがたい状況になっている。この原因の根元には我々教官も関係している。高専祭は学生がやるものだからとい逃げ口上を錦の御旗にたて、何も指導をしていないところに最大の問題がある。担任にやる気がなければ学生がやる気になるわけがない。・・・
 というわけで、今年は電気の四年生全員に仕事を割り振るように組織を作らせている。何とかして、ここで過去の悪循環を断ちたいものだ。高専祭は専門展を中心にすべきで模擬店やイベントではないはずだ。
 さて、その成果は・・・。いつもと同じであれば、またやる気がなくなりますね。
 小中学校では、担任として不的確と判断された教師には、担任をはずす、配置換えをする、転職を進める(つまり首にする)というような処分が下るようになるという。独立法人化に伴って、本校もいずれそうなってくるでしょう。とりあえず、相変わらずの専門展しか開けないようなクラスの担任には、四年の担任は二度と任すことができない。きちんとできないなら、もっと若い人に任せるべきだ。
 そうなると、真っ先に私なんか首でしょうね。もっとも、若い人もどれだけできるかわかりませんけど。
 今日も気分がハイだ。金曜日になると血が騒ぐのかな。

8月31日「夏休みの総決算」
 48歳の夏はいったい私にとってどんな意味を持っていたのだろう。単なるノルマを果たすために漫然と送った日々なのだろうか。それともなにか今後に大きな意味を持ってくる夏であったのだろうか。まいた種が実を結ぶのは一年を待たなくてはならない。しかし、今年書いた論文3編はきっと大きな成果をもたらしてくれるだろうと期待している。

8月27日「暑気払い」
 今日の夜は先生方と「暑気払い」(つまり宴会)だ。今日はあれるぞ。岐阜高専が教育に不熱心だということを全国に示してしまったSCS、ロボコン、主任技術者制度に深くかかわった張本人の超有名教授が自ら、認定校を放棄しても何らかまわないとはっきり言っているにもかかわらず、何にも知らずにあった方がいいといっている若手(?)の教官ども、学科名称が変わったところで何の意味もありはしない。
 今日はあれている。きっとこの日記は月曜日には削除されるだろう。フン。

8月25日「家庭サービス」
 教員研究集会の合間をぬって、犬山のモンキーパークのナイターに行って来た。長女とその友達、三男と姪の四人を引き連れていきました。この夏何もしてやれなかったので罪滅ぼしです。夏休みの前半で書いた論文と最近書き上げた解説、そしてもうすぐ仕上がる論文を提出して私の48歳の夏が終わります。
 卒業生の皆さんもあとわずかで九月です。リフレッシュしてがんばりましょう。

8月20日「サラウンドシステム」
 大学受験の頃から、深夜放送を聞きながらのながら勉強であったので、論文を書いていても音楽がなってないと気分が乗らない。四年生につくってもらったスピーカシステムを一部持ってきて私の小部屋!の両端に置いてMDを聞いています。ダンボールでつくったスピーカボックスですが結構いい音を鳴らしています。
 先日、夜中にNHKでABBAの特集をやってましたが、なかなか興味深かった。アバなんて知っている人は少ないんでしょうね。懐かしい聞き慣れたサウンドでした。設計実習もトーンコントロールを8chそれぞれ別々にしてアバ風にアレンジして聞いてもらうのもいいですね。

8月17日「夏休みもあとわずか」
大変に忙しい毎日であった。8月13日からお盆休みを取ったのだが、昼間は子供の夏休みの工作のつきあい、夜は学会から頼まれている例の解説論文を書いていた。午前2時まで仕事をして、朝5時には起きて論文を書くという、夏季休暇とは名ばかりでした。
大学院をめざしている卒業生や専攻科生も暑い夏をおくっているんでしょうね。きっと、この努力は報われるでしょう。でも、すべての努力が報われるわけではないことを私は身を持って知っていますが。

8月6日「新幹線シリーズ」できましたか
 いいところに目をつけたものだ。ところで、わたくしもそろそろ学外に自分のホームページを持った方がいいような気がする。どうも、書きたいこともどうしても学内では矛先が鈍るし。そのうちに情報処理センターか校長あたりから削除の命令がくるんではないかな。私物化だといって。
 教育の一環だと言い訳しようにも「授業中の雑談集」ではね

「新幹線」ではたいてい酔っぱらっているか寝ているのであまり覚えていることがないが、一つだけお話ししましょう。
 もう20年も前の話です。携帯電話もないので、新幹線では電話の呼び出しがよくありました。東京からもどってくる車内で静岡をすぎたあたりで車内放送がありました。
 「大沢商会の上田馬之助様お電話がかかっております。・・・」
 上田馬之助とはそのころ悪役で有名なプロレスラーの名前であった。そのときは私のいた号車でドッと笑い声があがったが、おそらく他の号車でも同様であったろう。ところで、そのとき私はトイレに行こうと思っていたのだが、しばらく席を離れるのはやめようとがまんした。

8月5日「自転車」
 昨日、156号線を自宅の方にむかって走っていました。前方に一台の自転車が走っていました。歩道があるのに、こんな自動車道の真ん中を走りやがって、と思いながらまさかひくわけにもいかず、最近の若い奴は自分勝手な奴ばかりだと、むかむかしながら、対向車もあるのでぬくこともままならず、自転車のあとについて徐行してついていきました。よっぽど、クラクションをならそうかと思いましたが、前の信号機が赤に変わりそうだし、なんか怖そうな後ろ姿だし、あきらめていました。
 歩道に入れる場所まで来たところで、その自転車は歩道に入りました。本当にしょうがない奴だと思いながら、ゆっくりと横にならび、いったいどんな顔をしているんだと思って横顔を見たら、どうも、その顔に見覚えがある。あれはどこかで見た顔だ。たしかー、あれは・・・そうだ、次男だ。うん、まちがいない。前がなかなか進まないので、いやおうなく併走することになる。そのうち、次男も何となく気がついたのか、こちらを見る。気まずいものだ。
 本人曰く、歩道を走っていたら、前から自転車がきたので、気を利かして自分の方が譲って車道にでたら、コンクリートの段差のためにはいれなくなってしまったらしい。
8月4日「電気回路の講義を受ける学生を激励にきた女性」1
 動物の中に女性を入れるのはけしからん、セクハラだとおっしゃるむきもあるかもしれないが、人間も動物なのだからご容赦を願いたい。もう少し後では国会議員まで登場する予定なので、決して女性蔑視ではない。
 犬の事件があってから一ヶ月くらいたったある日、私は前と同じように回路図を板書していた。そのとき、今度は教室の前の方の戸がガラガラと開いた。校長先生にしては前から入ってくるとはなんと大胆な行動ではないかと思いながら振り返ると、そこには一人の若い(?)女性が立っていた。左手には大きなバスケットをかかえ、こっちを見てにっこりと(ニヤッと)微笑んだ(薄笑いを浮かべた?)。

8月3日「電気回路の講義を聴きに来た犬」2
 学生の机の上に顔がくるくらいの大きな犬であった。首輪をつけていたので飼い犬なのだろう。前足二本をまっすぐに前でそろえ、耳をぴんと立て、しっぽもきちんと丸けていた。舌をべろんと出すような態度の悪いことはせず、口もしっかりつむっていた。熱心そうな犬であったので私は聴講を許可した。
 私が例によって冗談を言うと学生が大声で笑うが(そのころはまだ私も若く、冗談も通用した時代であった)、その犬にはさすがに通用しないようで、学生の声に驚いて首を左右に振って学生の顔を眺めている。しばらくすると、さすがに厭きてきたのか、口から舌がでてきて、左右の学生のノートなどをみたり、きょろきょろし始めた。「まっすぐ前を見ろ」と言いたかったが、犬語が話せないのでそのままにしておいた。
 次第に態度が悪くなり、足(手?)で耳を掻いたり、尻尾をふったり落ち着きがなくなってきた。そして、最後はごろりと寝てしまった。今思い出すと、その様子は最近の学生の有様と酷似している。私は頭に来て手に持っているチョークを投げつけてやろうかと思ったが、反撃が怖いのでやめた。
 そのかわりに、私は退場を命じたのだが、出ていく気はないようだ。そのころ私はよく学生に退場を命じていたが、みんな喜んで出ていったものだが、この犬はよっぽど、私の授業が聞きたかったらしい。それなら眠らなきゃいいのにとも思ったが、いくら出て行けといっても犬語ではないから通じない。やむなく、事務の人にきてもらい首輪をかけて二人係で強制退去させたが、両足を踏ん張ってかなり抵抗した。最後まで聞かせてあげるべきであったのかもしれない。もしも、そのままにしておけば授業の終わりの「起立。礼」ではきちんと立って(?)学生と一緒に挨拶したのであろうか。私のあとの授業もつづけてきいたのであろうか。興味はつきない。

8月2日「電気回路の講義を聴きに来た犬」1
 15年くらい前のことだった。その時の校長先生が教官の授業を時折見学に行くと宣言していた。その目的は・・・であったろうが、ここには書きづらい。そのころ私は電気工学科の第三学年の電気回路の授業を担当していた。いまとちがって、電気の3年生の教室は現在の2D、つまり一号館の学生昇降口の一階の最初の部屋だった。そのとき私は黒板にむかって回路図を書いていた。(OHPを使って授業をやるようになったのはかなり後のことである。)教室の後ろの方でざわめきが聞こえた。さては、校長がはいってきたな。よし。私のすばらしい講義をみせてやろうと思った。黒板に回路を書きながら、熱をいれて大きな声で説明し、わかったなと学生の方を振り返ったとき、私の視界の中に見慣れないものが入ってきた。南の窓際の後ろから2番目の席の隣の通路に一匹の犬がきちんと正座(?)していた。

7月29日 「動物たちの高専見学会」
 岐阜高専には中学生を含めてさまざまな人たちが見学に訪れる。中学生にはできるだけ本校のいいところを見てもらうことになる。25年も努めていると、中には、全く予期しない動物たちの突然の訪問を受けることもある。思い出に残っている訪問客を振り返ってみる。
 ところで、今日は成瀬君だけが卒研にきた。児玉君と、渡邉君は来なかった。山之腰君はここんところずっとずっと顔を見ていない。そうだ。毎日ここに書いて出席簿がわりにしようかな。

7月28日 「卒研」
 卒研生が月曜日に来たきりでこなくなってしまった。やっぱり基本的には卒研をやりたくないんだろうな。がっかり。

7月27日 「お酒」4
 十年ほど前の忘年会のことであった。事務職員と教員との全校合同の忘年会が岐山会館(現在のグランウェーレ岐山)で行われた。車をホテルに預けて明くる日の早朝に車を取りに行くつもりでお酒を飲んだ。ビールをしこたま飲んだあと、柳ヶ瀬へと繰り出した。いつもは二次会でおわるところを三次会、四次会とつきあいしかもウィスキーばかりしこたま飲んでしまった。家までどのようにたどり着いたのか、明くる朝は全く記憶になかった。ただ、ただ、二日酔いで頭が痛かった。しかし、食欲だけはあり、しっかりと朝食をとった。あとから思うとこれが拙かった。
 車を取りに行くために、妻の車で岐山会館まで載せていってもらうことにしていた。妻の車は買ったばかりであり、新車特有の接着剤の臭いがしていた。
 柳ヶ瀬までは朝の渋滞に巻き込まれ、ちょっと進んでは止まり、車酔いには最高のシュチエーションであった。若宮町通りにさしかかった頃は、二日酔いなのか車酔いなのかわからない状態で、一刻も早く岐山会館に着いてくれることを願っていた。そして、車が会館の駐車場に入り私がほっとした気のゆるみと、車が最後に止まる振動で、一気に気持ちが悪くなり、ドアを開けるまもなくとうとう吐いてしまった。新車のシートはべとべとになり、妻は唖然としていた。昨日の酒と今日の朝食に胃液がミックスされた臭いはえもいわれぬものであり、いくら洗っても消えるものではなかった。二年ほど前に妻の車を買い換えたが、まだ、そのときもかすかに臭いは残っていたような気がする。妻はしばらく口をきいてくれなかった。
 お酒の話は別紙にエピローグつきでまとめました。

7月26日 「卒研・設計実習」
 設計実習は一人を除いて順調である。伊藤君は電子回路の力が本当についたと思う。勉強はよくできたのだが、実践的な電子回路技術は全くと言っていいほどわからなかったのが、今では本当によくできるようになった。なんといっても、中津川から毎日学校へ来ようとする意欲がすごい。始めはあんなに意欲的でなかったのに、面白くなってきたんでしょうね。やっぱり高専生は学問的なことより実践的なことをやらせた方がよく伸びる。
 卒研生もみんなそろってやりはじめた。楽しみだ。蟻とキリギリスじゃないけど、努力しないものは報われないという当たり前のことにいつ気がつくかで、大きく将来がかわる。それはそのまま我々教官にもあてはまることである。独立法人化され、自己点検評価されたとき、岐阜高専が大きく動くときに私は泣きたくない。

7月22日 「お酒」3
 あっと言う間に、その集団に取り囲まれてしまいました。結構指定席は空いているのに、何で私の周りだけいっぱいになるんだろう。ほとんど酔いが廻っている私をみて、幼稚園児は最初物珍しそうにしていましたが、そのうちに私の存在は忘れてくれたようです。それに対して、若い母親たちは時々こちらを見ては「朝っぱらからウィスキーを飲んで!」と言うような非難の眼差しを向けてきます。私は、開き直って無視して飲みつづける!といった度胸もなく、視線に耐えられず、目をつむって眠ったふりをするしかありませんでした。岐阜駅に着いたときにはすっかり酔いもさめてしまい、苦い思い出になってしまいました。

7月21日 「お酒」2
 ポツンと二人だけが並んで座っている様は、ちょっと異様でした。よっぽど別の席に動こうかと思いましたが、窓際だからそれもしにくいし、いかにも失礼だし。隣のお嬢さんがどこかへ動いてくれればいいんだけど、そうされればされたで何となく気分が悪いし。結局金沢までこの車両には誰も乗ってくるひとはなく、ウィスキーも一滴も飲めませんでした。トホホ。
 学会は金沢大学で開かれ、翌朝の一番始めに発表しました。学会へ出ても他の講演を聴くことはあまりありません。金沢大学はお城跡にあり、有名な兼六公園もすぐそばにあるのですが、まっすぐ駅に向かいました。まだ、午前中で特急電車も空いており、私は早々にウィスキーを取り出し、つまみをぱくつき、ひとりで宴会ムードに浸っていました。電車の振動と、車窓からみえる田園風景を肴に気分良くできあがっていたと思います。どこの駅かもう忘れてしまいましたが、空いていた車両に突然春休みの旅行と思われる幼稚園児とその保護者(若いお母さん)がどっと乗り込んできたんです。

7月16日 「お酒」
 10年以上前のことです。金沢大学で電気学会が開かれました。私は発表のために前日に岐阜から特急白鷺に乗って行くことにしました。一泊二日の旅行でしたが私は楽しみにしていました。列車の中でじっくりと酒が飲めることを。発表は次の日の午前なので、あんな失敗はしなくてすむ。ビールでは物足りないし、持っていくのが重たいので家の近くの酒屋でウィスキー(リザーブ)とつまみをしこたま買い込んで岐阜駅に向かいました。岐阜駅のホームには人が少なく、私が乗る予定の車両のもう一つの乗降口に女性が一人いるだけでした。若くて楚々としてとってもきれいなお嬢さんでした。列車がホームに入ってきました。名古屋が始発なのですが、私が乗る車両には誰も乗っていませんでした。ラッキー、これでじっくりと静かにウィスキーが飲める。景色でも眺めながらゆっくり愉しんでいこう。私はるんるん気分でした。私は切符の指定席を確認して座りました。窓側の席でした。がら空きなんだからどこでもいいんですけどね。前の入り口から乗った先ほどのきれいな女性がやはり番号を見ながら歩いてきました。どこへ座るんだろうと思って見ていると、だんだんとこちらの方に近づいてくるではありませんか。そして、そして、私のところで立ち止まり、私の隣に座るではあーりませんか。えー本当!ラッキー!!JRのコンピュータもなかなか気が利くんではないかい。などと、にこにこしていました。でも、この広い車両にたった二人で座っているところを誰かに見られたら、これは完璧に邪推されても仕方がないな、等と思ってはみても、やはり、頬はゆるみます。大垣をすぎるあたりまでは、私も満足でした。しかし、私はあることに気がつきました。このシュチエーションではウィスキーなんて飲めないじゃないか。ウィスキーはビールと違って結構臭いが漂うんです。ましてや、こんな午前中からウィスキーなんて完全にアル中だと思われてしまう。先ほどまでの楽しさはうってかわって苦痛になってしまいました。

7月15日 「学級懇談会」
 いやー、久しぶりに楽しく過ごさせていただきました。こんな懇談会なら楽しくていいですね。久しぶりに私の親父ギャグがわかってもらえました。なんといっても年代が近いですからね。なんだか、最近の学生さんとは冗談が通じなくなってしまったと嘆き悲しんでおりましたが、やっぱりネタが古いのとジェネレーションギャップが主な原因のようだ。
 もちろん、まじめに話はさせていただきました。皆さん気分良く帰っていただけましたし、私も久しぶりにしゃべれるだけしゃべっていいストレス解消(?)になりました。今日は気分よく寝られます。実は昨日、妻の父親が心臓と肺の同時執刀という10時間におよぶ大手術をして、家族一同このところ安眠できなかったのですが、無事終わりほっとしています。今日は飲むぞ!梅酒を・・・

7月14日 「校長講話、主事訓話」
 全校の学生を集めて校長先生と主事の話があった。きいていてとてもいい話なんだけど、残念ながらだれも聞いてない。あの暑さとこれからはじまる夏休みの開放感の前では集中して聞くのはなかなか困難です。とりあえず四年電気(担任なんです)の学生だけは私語をしないようににらみつけていたのですが、あれだけのいい話は時間がかかりすぎて逆効果みたいでした。学生主事の訓話が一番受けていたようです(短かったから)。
 来年からは少しやり方を変えた方がいいかもしれない。私が言ってもしょうがないけど。

  7月13日 「退官旅行」3
 最近は8人乗りの車が利用できるので2台で行くことが多いのですが、いつの間にか私と・・・先生は同じ車に割り当てられるようになってしまいました。私も、・・・先生もお酒が大好きなので、旅行の時はいつも出発直後に飲み始めます。どちらもビールやウイスキーとつまみをたくさん用意しており、出発と同時に車の中で宴会開始です。私と・・・先生はそんな理由で酒飲み用の車の方にまわされ、他の酒好きの先生も混じって大変です。運転手も後で考えれば大変な環境で運転していることになりますね。旅行から帰ってきて車を掃除すると、ピーナッツや裂きイカがあちこちに散らかっているようです。
 一泊二日の行程のすべての場面でいつもお酒が入っているんです。さすがに永平寺ではビールを持っては入らなかったが、お腹の中には既にたっぷりとお酒が入っていたような気が・・・。

7月12日 「退官旅行」2
 麻雀は私の大敗でした。その理由は別紙に示しておきます。私が負けたショックのあまり、布団に潜り込んですぐ寝てしまったとか、枕が涙で濡れていたとか、布団がひくひくと上下に揺れていたとかT冨先生はおっしゃってましたが、何をいわれても返す言葉がありません。かくして、一日が終わり明くる日は古代明日香のロマンの旅に出かけました。

7月 9日 「退官旅行」
 電気工学科では退官される先生がいる年は、三月の終わりに一泊旅行をしています。今から八年くらい前に、越川先生が退官される折りには、私が幹事になって奈良の飛鳥地方へ一泊旅行を計画しました。東名阪経由でいきましたので、室生寺や長谷寺に寄りました。自分で計画したのですが、何でこんな所を見に行くんだろうと思う気持ちもありました。しかし、なかなかのものでした。永平寺よりは印象深かったように記憶しています。今でも、もう一度行ってみたい気がするのは年を取ったからでしょうね。T田先生はもうとっくに行ったそうです。
 天理市から南に下っていき、藤原宮跡(田圃の中に囲まれた畑)らしきものをみたあと、雨の香具山に行きました。どうも裏側の方から入ったみたいで、畑のあぜ道を2台の車でどうにかこう二か走り、山の麓に着きましたが、畑で耕していたおじいさんが「あれま−、こんなとこに」と驚いていました。裏側からでも上れるというので、どうしようかと迷いましたが、何でも興味津々なのが電気の特徴で、登ってみようということになりました。笹の葉をかき分け道らしき道を頼りに登っていきました。今から思うと水が山土を削って流れていましたので、その跡をたどっていただけかもしれません。まだ私も30代で体力も若干あったので何とか頂上に着きましたが、得体の知れない社みたいなのがあるだけでした。一同顔を見合わせて「何じゃこりゃ」という雰囲気でしたが、早々に立ち去りました。くだりの道は皆さん黙々と降りていきました。
 橿原神宮の正面にあるホテルで宴会を開き、どんちゃん騒ぎをしたあと、各自の部屋に入り、そして、私たちはあの思いでの麻雀を始めたのです。

7月 8日 「雑談」
 柵状陰影の話は4年生にした。始めの方は迫真の演技もあり、担任ということもあり、みんな一様に私のことを心配して(?)、真剣に聞いていた。
 まだ、ガスコンロの話と、水難事故の話と、扇風機に手をつっこむ話と、猫の話と、犬の話と、変なおばさんの話と・・・。確か、ちょんぼタケトミの話は済んでいたな。
 白兎の雑談集なんて、趣味のコーナに書いておくのもいいかもしれない。しかし、この姿はカリキュラム検討専門委員長として真剣に高専教育を考えているのととても同一人物とは思えない。ほとんどばかですね。

7月 7日 「研究費」2
 校長裁定の研究費の配分が決まった。よかった。これで借金を踏み倒されずにすみそうだ。研究費がかえってくることを期待して待っていよう。
 今年の夏休みには、学会から頼まれている解説を一つと論文を二つ絶対に書くぞ。学生もノルマを果たすまで絶対に夏休みにしない。覚悟してもらいましょう。

7月 6日 「減量」
 最近ちょっと気になっていたので、体重を量ってみたらびっくりした。とうとう80キロをこえてしまっていた。このまえまで減肥茶で地道に72キロまで減らしたのにあっという間にリバウンドで増えてしまった。
 リンゴダイエット、鉄アレイ、減肥茶、指にくるくる巻くやつ、腹筋を鍛える器具など色々やってきたが、またちょっと考えないといけない。どうも私の経験ではリンゴが一番手っ取り早い気がする。

7月 5日 「スピーカ」
 設計実習のためにスピーカの本を買ってきたが、本当に奥が深い。音響工学をもう一度勉強し直す必要があるが、そんな時間もない。とりあえず、自分の耳を頼りに場当たりにやってみるしかない。誰かスピーカに詳しい人はいないですかね。
 缶ビールをいれたダンボール箱をつかってとりあえずつくってみようなんて怖ろしいことを考えています。マニアの人が聞いたら怒るでしょうね。

7月 1日 「一年は早い」
 もう一年も半分が過ぎてしまった。本当に年を取ってからは一年が早く感じる。きっと、夏休みもあっと言う間に終わって、ぼけっとしていたら正月で、気がついたら3月になっているんだろう。そこの兄さん、ぼけっとしていたら、あっと言う間に爺だよ。あんときやっておきゃよかったっておもうよ。私もやっておきゃよかった。何をって?それがわからない。

  6月30日 「研究費」
 はぶ日記によれば羽渕研は研究費がないようだ。そういえば、すっかり忘れていたが、昨年度は羽渕研に研究費を貸したような記憶がある。ん?借りたんだっけ。昔は金の貸し借りはよく覚えていたが、最近はバブルのおかげで金銭感覚がなくなってよく覚えていない。よく調べてこよう。踏み倒されるかな。
 私の部屋は昨年に続き科研費が継続で2件当たっているので当面の心配はない。相変わらずうちだけはバブル景気がつづいている。いずれ反動はくるだろうが・・・。
 どうも最近この日記もきれを欠いている。思いきったことが書けない。守りにはいっているのかな。S先生曰く、「駆逐艦のように突進していくのが稲葉先生の特長なのに」とおだて?られて敵艦隊に突入していき振り返ってみれば、味方艦隊は撤収の最中だったりして。それどころか、こちらに向かって発砲している輩もいたりして。稲葉隊あえなく憤死。

6月29日 「柳沢事件」
 サッカーの五輪代表の柳沢選手が一次予選日本ラウンド中に試合を翌日に控えた夜に、門限を破って深夜まで女性タレントと食事(?)をしていたことで、規律違反として一次予選のメンバーからはずされた。早朝のTBSの報道では元日本代表のT氏の談話が紹介され、「もっと柳沢は慎重に行動すべきだ。自分の場合は一度も見つかったことがない」と語っていたそうだ。T氏はルール違反の常習者であるようだが、そんなことはどうでもいいが、それを聞いていたニュースキャスター(?)の女の子のひとりがばか笑いをしていた。また、もう一人の女性キャスターは憮然としていた。昼のワイドショーや、夜の時間帯のニュースの中には遊び的なニュース解説や批評があっても民放なのだからしょうがないけど(いやだったらこちらがみなきゃいいのだから)、朝の時間帯はもう少しまともな報道をしてほしいし、そのようなことができるキャスターを選んでほしいものだ。報道のTBSというくらいなのだから。
 規則を破って深夜に食事に出かけるとは、しかし、どこかでよく聞く話ではある。

6月25日 「定員削減と独立法人化」
 行政改革によって国家公務員の削減が始まる。独立法人化と定員削減によって実現されるわけだが、さっさと独立法人の方に動いてしまえば定員削減にならなくてすむという考え方もできる。あるいは定員削減をのむ変わりに、学生の入学定員も減らすと言うことも考えられる。何しろこの30年間で中学生の人数はものすごく減少し、高校の定員も軒並み減っている中で、高専は相も変わらずずっと40人のままである。これでも教育水準をずっと維持してきたのは奇跡に近い。いや、努力のたまものと言ってほしい。

6月23日 「私小説」
 柳美里氏の小説がプライバシーを侵害したとして裁判所の判決が下った。前々からこの裁判には興味があったが、判決は重いと見なくてはならない。ここに綴ってきた話はフィクションであると断りを入れてあるが、そして、心当たりのある人は誰もいないはずだから、何も問題はないと思うけど、鬼の首を取ったように、だからあいつはだめなんだという輩が出てきそうだから、これまでの日記は削除してしまいました。
 また、気分を新たにして別の話を書きたいと思います。しかし、こんなことになってくると朝の連続ドラマや大河ドラマまで、歴史上の人物を歪曲したとかプライバシーを侵害したと言われるんじゃないかな。推理小説なんて危なくてかけない。

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