カナダ・ウインザー大学研修報告

所 哲郎(岐阜工業高等専門学校)

A Report of Study in University of Windsor, Canada
Tetsuro Tokoro ( Gifu National College of Technology )

Abstract

This paper reports a 10-month study in foreign country. The study was done from May 1995 to March 1996 under the guidance of professor Reuben Hackam in University of Windsor, Canada. The theme of the research was "Effect of multi aging stress to the hydrophobicity of polymeric insulating materials". This research was supported by the Ministry of Education, Science and Culture of Japan and by the Natural Science and Engineering Research Council of Canada.

キーワード:海外研修,カナダ,文部省
( foreign study, Canada, the Ministry of Education )

1. はじめに

1995年5月末より1996年3月末までの10ケ月間,文部省の長期在外研究を利用して訪れた,カナダ国ウインザー大学での長期外地研修の報告[1]をする。

2. 渡航準備

文部省の在外研究について簡単に述べる。工業高等専門学校も大学と同じく短期と長期の在外研究が申請可能で,学内選考の後,後期始めに1名の教官を申請する。高専では隔年程度で申請が受理されるようであるが,連続して受理されることもある。学内の優先順位が1位となった後,受け入れ先への折衝を行い,年度末に文部省の許可が下りれば,最終的な受け入れ先等との折衝を完了することとなる。従って前期から渡航しようとする場合,校務や授業など,渡航の可否の両者の場合に対して並行して準備を行っておく必要があり,この点に関して改善の余地がある。
渡航先へのビザ申請等は2月末の文部省の決定後で十分間に合った。オンタリオ州のウインザーはカナダの最南端にあり,米国のデトロイト市とデトロイトリバーを挟んで向かい合っている。在外研究の渡航は本来,渡航先の国の最寄りの国際空港まで航空機を利用するのだが,本件ではデトロイト国際空港の方が近いので,そちらを航空券の目的地とすることを文部省にお願いした。より低料金になることもあって許可された。従って,パスポートにはアメリカ入出国とカナダ入出国の印を押されることとなった。
渡航に際して,FAXモデムを有するノートパソコンを持っていったが,入国審査などで特に問題は無かった。カナダの電圧は130V程度なので,電圧変換器を用意する必要があった。ビザは米国は通過のみなので必要なく,カナダは大使館に連絡して許可書をもらう必要があった。この許可書をカナダ入国時に審査官に見せると,Fig.1のような証明書を発行してもらえた。出入国に対しては,米国へ入るのは比較的自由で,カナダへ入る方はいろいろと検査されるようであった。このためか,カナダでの治安に関して特に問題を感じたことは無かった。

3. 留学生活

米国とカナダとの交通の要所にあるウインザー大学は学生数1万5千名程度の総合大学であり,工学部のほか,政治・経済・法律・教育・ドラマ・体育・看護など多くの学部から成り立っている。ウインザーには日本人はほとんどいなくて,韓国系の教会で知り合った日系の人たちと日本語を話すのが楽しみであった。私は1996-97年度のIEEE,DEIS(誘電体・絶縁)部門会長であるハッカム (R. Hackam)教授のもとで,塩水・熱などの複合劣化要因下における電気絶縁材料の撥水性の低下とその室温大気中での回復過程に関する研究を行った。ハッカム教授とは,1993年の電気絶縁材料シンポジウムへ招待講演に来日されたおり,全国誘電・絶縁性物質の若手セミナーへも招待講演いただいたときの世話役を仰せつかっていた関係である。教授のお人柄のせいか,ウインザー大学には長崎大学の糸山教授など,日本人研究者の訪問も時折あった。
ウインザーに着くとすぐに宿の手配と銀行口座の開設,電話の申請を行った。また大学でも,客員研究員としての受け入れの申請や医療関係の強制保険への加入,図書館とネットワーク(インターネット)のアカウント申請などを即日交付で行ってくれた。どこにでも情報端末があり,オンライン化されているのには感心した。
大学は9月初めまでは休講期間であり,その間大学に残っているのは大学院生や教授陣の一部など,研究主体のスタッフのみであった。研究費を集めることのできない教授は夏休み(無給)をとるようであった。逆に研究費の多くある教授は自分自身に人件費を払って,夏の休講期間も給料をもらいながら研究することができるようであった。
私のまわりには,ハッカム教授からの援助をもとにドクターを目指していた中国人研究者のデン君や大学院に入っている中国人など,中国やインド系の研究者が多くいた。今考えれば,香港やインドなどを含めて英国系の人々が多くいたのだと分かった。カナダには世界中から人々が集まってきていたが,最近は東欧系と中国系の人が多いようであった。特に中国系に関しては,大陸系・台湾系・香港系・その他東南アジア系で,それぞれ独立した中国人会を形成しているのが印象的であった。一部の大陸系や台湾系の研究者はまじめに研究して学位を取り,北米に市民権を取り定住するのが目標のようであった。デン君なども土日や昼夜の別無く測定と論文作成を行っていた。
オンタリオ州の政府やカナダの政府が財政再建を進めており,15から30%もの財政支出のカットが実施されようとしていた。大学関係も例外ではなく,15%程度のカットということであった。末端のサービス部門がどんどんカットされているようであった。日本と比べると実に大胆でダイナミックな変革だと感心していたが,最近の日本の情勢をみると,カナダは財政優等国へと急速に改善しつつあり,気が付けば先進国の中では日本が最悪の債務国になってしまった様である。思い切った財政再建が必要であり,同一賃金で人員をカットするか,雇用を確保して賃金をカットするかの必要があろう。カナダでは毎日の新聞・ニュースがデモなどのニュースとともにグラフ化した財政再建などのビジョンを明確に示していたのが印象的であった。
商品購入時にかかる消費税のような税金は15%であったが,1カナダドル=60円台では圧倒的にカナダの物価の方が安いと感じた。特に普通の生活をするだけならば,基本的な食料品には消費税がかからないこともあり,1万円程度で一月の食費は十分まかなえると政府が福祉関係の年金のカットをするときに報告していたのが印象的であった。(現在では1カナダドル=90円台なので,一般の消費物の価格にそんなに大きな開きはないと思われる。)
モーテル・ホテル(一泊25から100ドル程度)など,旅行や映画(昼間は4.25ドル)などの娯楽関係,ガソリン・郵便(共に日本の半額程度)・高速道路(無料)・電話などの情報を含めた輸送関係を代表として,普通の生活をする環境は大変低コストであった。このことは失業中もわずかの手当で生きていけることを意味している。財政再建するためには,大胆な規制緩和を実施して日本の生活基盤の低コスト化を促すことが必要であると思えた。一方,カナダの方が高いと感じたのは大学近辺の下宿の部屋代(一月200から1000カナダドル程度)や車の保険代であるが,日本の大都市部と比べれば相応かといった情勢であった。
ハッカム先生の研究テーマは多岐にわたっているが,RTVシリコンゴムコーティングやフォグチェンバを用いた実験などアイデアやマンパワーに重きを置いたテーマや,設備の構築・調整に熟練を要するようなテーマが多かった。ほとんどの測定は人間が行うか,初期のアップルコンピュータに接続された8ビットのA/Dボードなどが用いられていた。先述のデン君が中国にはこんな古いコンピュータは無いといっていたのが印象的であった。
生活面での物のリサイクルを含めて,物を最後まで使い切るのが英国流のスマートさであったのだと最近分かってきた。家などの不動産の価格も筑後何年立っても余り変化しないようであった。

4. あとがき

今回の海外生活でもっとも強く感じたことは,北米はボーダレスであり,物と情報の流通コストがきわめて安いこと。いろいろな人種が混在して普通に生活していること。安い物は安いがそれを多くの人が普通に利用していること。逆に一部の物は非常に高いことであった。最近では,日本でも一部の電化製品などはカナダよりも安いと感じることもある。全ての物に高品質を必要とする,日本の均一的な社会とは異なった,見かけ上も格差の激しい世界があることが分かった。
ハッカム先生はじめ,多くの外国の人と接することにより,Give and Takeの奉仕の精神が学習できたことが大きな収穫である。この海外研修の機会を与えていただいた関係各位に感謝し,今後の人生の節目とすることをここに記して研修報告とする。

参考文献

[1] 所,海外駐在記事,電学論B,116巻12号,1605(平成8年)

(http://www.gifu-nct.ac.jp,電気工学科)