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2.3 神経回路網研究の現状

1980年代から神経回路網研究は、大きく発展した。 1982年、アメリカの物理学者であるHopfieldは神経回路網のダイナミクスを研究し、いわゆるホップフィールドのモデルを提案した。 それは、神経細胞の発火のアルゴリズムと結合係数の組が決められた神経回路網に、 適当に与えられた興奮パターンが安定には存在しえず変化していくとき、 それにつれて必ず減少していくエネルギー関数が定義でき、 その関数の極小値に達するときパターンは安定になるという神経回路網のダイナミクスを示した。 この極小値に対応するパターンを記憶パターンとすれば、このシステムは適当な刺激パターンから、 記憶パターンを想起する連想記憶装置となる道理である。 連想記憶装置として動作させるとき、このシステムはアソシアトロンにきわめて近いものとなる。 [2]

1985年、HopfieldとTankは上記のモデルを巡回セールスマン問題に適用した。 巡回セールスマン問題というのは複数個の町があって各町の間の距離が与えられているとき、 セールスマンが最短距離で全部の町を通るにはどうすればよいのかという問題である。 神経細胞の興奮で解を表現できるような割当てを考えた後、距離を組み入れて、 最小値が与えられた巡回セールスマン問題の解になるようにエネルギー関数を作る。 これに対応する神経回路網の係数の組を求めて、その神経回路網に適当な興奮パターンを印加し、 エネルギー最小のパターンに収束すれば、そのパターンが解を示しているというものである。

1983年、FarmannとHintonはボルツマンマシンを提案した。 神経細胞モデルとして確率的に動作する素子を使ったもので、神経細胞の出力関数をある形に定めると統計力学との対応がつき、 ここで絶対温度に当たるパラメータを高くとると興奮パターンは熱運動するごとく激しく変動し、 低くする神経細胞が興奮するかどうかは決定論的になってくる。

バックプロパゲーションは、1986年にRumelhartとHintonによって提案されたもので、 フィードバックのない層状回路で、与えられた入出力関数を満たすように神経回路を組織化させる1つの手法である。 出力細胞において実際の出力が教師入力が与える正解と異なったとき、各層間の結合係数を修正すると、 最終的に与えられた入出力関数を満たす神経回路網になるというものである。

上記の3つのモデルを中心とし、これらの研究の目指すものがニューロコンピュータと名付けられた。 最近の研究状況をみると、平井の連想記憶モデル(1985)、 福島のネオ・コグニトロンや選択的注意のモデル(1986)、 中野のアソシアトロン関係の学習認識、思考、行動形成への応用(1988)などがある。 神経回路網による運動制御については、川人、鈴木、銅谷、吉沢らをはじめとしていくつかの研究がある。 バックプロパゲーションの応用の試みは実用化をめざして各社で行なわれているようであるし、ニューロチップの試作なども始まっている。



Deguchi Toshinori
1996年10月29日 (火) 11時21分05秒 JST