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2.2 神経回路網研究の経緯

1943年、McCullochとPittsは、脳の基本構成素子である神経細胞(ニューロン)の単純なモデルを作った。 この神経細胞のモデルについては、後に述べることにする。 1949年、Hebbは神経細胞が興奮すると、入力部のシナプス結合のうち、刺激を伝えたものは結合強度が増加し、 さらに刺激が伝えやすくなるという説を唱え、これが神経回路に``可塑性''をもたらし、認識や、記憶のもとになっていると主張した。 この説は、生理学的にはいまだに実証されていないが、ヘッブのシナプス強化則とよばれ、 現在までの大部分の神経回路モデルが学習則としてこの法則を用いている。 また、Rosenblattのパーセプトロンにより、学習する人工システムの具体的な設計指針が与えられた。 ヘッブのシナプス強化則ではシナプス結合が強化されるほうしか主張していないが、 パーセプトロンでは、出力細胞が興奮すべきでない入力パターンに対して興奮してしまったとき、 興奮してはいけないという教師入力を受けてシナプス結合を弱める働きも組み入れられている。 このように、1940年から1960年にかけて、脳に学ぶコンピュータ研究が盛んに行なわれ始めた。 [3]

このような神経回路による情報処理の研究と時を同じくして、脳の生理学的研究も進み、解剖学または心理学的にしか 扱えなかった脳のメカニズムも少しずつ明らかにされるようになった。 代表的な例としてHubelとWieselの研究がある。 彼らは、1950年代後半からマイクロ電極でネコの脳内の細胞を刺し、網膜面に光刺激を与えることによって、 大脳視覚野の細胞の役割を調べる研究を続けた。その結果は次のようなものである。

視覚野の細胞は網膜面上の受持ち範囲ともいうべき``受容野''をもち、ある細胞は受容野に特定の傾きをもった線が提示されると興奮するが、 傾きの角度が変わると興奮が止み、別の傾きに対しては別の細胞が興奮する。 そのほか、ある傾斜角の直線を境に白黒に分けられたエッジに反応する細胞、 直線がある速度で動いた時に興奮する細胞、 両眼の特定の位置に光刺激が与えられたときに興奮する細胞などがある。

また、BlakemoreとCooperはこれらの神経細胞の機能が生後の視覚体験で育つことを主張した。 その主張は、生後間もないネコを、内部に縦じまが描かれた円筒の中で育てると、 脳の視覚野に横しまに感じる細胞ができないという実験結果に基づいている。 このように細胞の電気的活動を観察することによって脳の機能を調べる研究を電気生理学と呼び、 その後の研究者たちはサルやチンパンジーを用いて、膨張するもの、回転するもの、 特定の行動、手や顔などにそれぞれ特異的に反応する細胞を発見したと発表している。

さて、パーセプトロン以後アメリカでは、神経回路網モデルによる知的情報処理の研究は陰をひそめ、人工知能の研究に移行してしまった。 しかし、日本では1969年に中野が神経回路網構造の連想記憶モデル、アソシアトロンを提案した。 アソシアトロンにおいては、記憶事項を神経回路網上の神経細胞の興奮 のパターンで表し、 ヘッブの法則を``同時に興奮した細胞間のシナプス結合は強まる''というふうに少し修正した強化法則を用いて記銘する。 そして、いくつもの興奮パターンを記銘した後、ある興奮パターンの一部からその興奮パターンの全体を再現する。 1つの興奮パターンがいくつもの記憶事項の組合わせで構成されていれば、関連をたどって想起する連想記憶装置となる。 この記憶装置は数学的には記憶事項をベクトルと考えるとき、その自己相関行列を用いた記憶であると説明される。

人間の2つの目の網膜に映る像の間には差があるが、これが奥行き知覚を行なうための1つの手がかりになっていることは、 心理学的実験によって明らかにされている。 このとき、連続する奥行きを表現するような細胞間には、互いに興奮を強め合う協調作用が働き、 互いに矛盾する答えを出す細胞間には相互に抑制が働いて競合が起こるような神経回路網を構成すると、 この2つの相互作用の結果、勝ち残った部分が奥行き知覚の答えとなる。 このように競合と協調の原理は、両眼立体視のみならず、生物の意思決定の際に重要な働きをするものと考えられている。

1960年代に、前述の Hubel、Wiesel らは、ネコやサルの視覚野に特定の傾きの線図形に反応する細胞があるだけでなく、 それらがコラム構造を作って大脳皮質の表面に配列していることを発見した。 しかも、続く他の研究によって、それらの細胞の性質が少なくとも部分的には生後の学習によって形成されることも明らかになった。 Malsburgは1973年にそのような細胞と細胞群の構造が学習によって獲得される仕組みを、 ヘッブ学習を導入した神経回路モデルで、数式とシミュレーションを用いて示した。

さらに、Malsburgは1976年にWillshawとともに、トポグラフィック・マップの自己形成に関するモデルを提案した。 トポグラフィック・マップとは、信号のトポロジーを保存するような神経線維の結合のことである。 例えば、網膜上の視細胞の並びと、それぞれの視細胞が興奮させる大脳視覚野の細胞の並びとが一致している構造はその代表的な例である。 このような構造は脳のさまざまな部位で観察され、生体が環境の構造を内部に取り込みそれを保持する機構として考えられている。



Deguchi Toshinori
1996年10月29日 (火) 11時21分05秒 JST