2005-2006年度報告
4年前の河瀬・林らの加入により岐阜高専の団体復活を期待したのであるが、結果は一度も優勝できず、2006年度は鈴鹿の男女ほぼ完全優勝(鈴鹿以 外は女子シングルスの鳥羽・久保さんのみ)という結果となった。エースを一人欠けばたとえ鈴鹿といえど優勝できないことは2005年度の鳥羽の優勝が物 語っていた。万全を持して望んだ鈴鹿に対して、エースの卒業した前年度覇者鳥羽、今年こそとの思いもエースを半分欠いた岐阜ではやはり、個人のタイトルさ え獲得することはできなかった。
全国大会での雪辱に燃える鈴鹿と、東海地区での優勝をあわよくばと考える岐阜には、点数に現れた見た目以上 の大きな差が生まれつつある。鈴鹿の団体を勝つための五年間を見据えた組織作りと、個人の自主性にゆだねる岐阜のバドミントンでは団体で勝つという意味の 理解度がまるで違うことを痛感した。顧問として口を酸っぱくして言ってきたつもりではあるが・・・。やはり、OB・OGの夢や希望が一昨年の高専オープン でとぎれてしまったことが残念である。
岐阜高専のソフトテニス部は15年間の団体優勝へ向けた挫折と屈辱と葛藤の後、20年目からの東海地 区10連覇の偉業を成し遂げた。所が顧問を去った後も、今年も男女団体優勝を成し遂げたようである。20年前の毎日の学生の努力が今も実りを与えること に、改めて組織作り・人作りの偉大さを感じ入っている。
岐阜高専のバド部は部員数ではたぶん東海地区No.1で、楽しいクラブである。学生 も礼儀正しく、まじめで、成績も優秀な者が多く、それなりの成果を上げている。でも、負けることへの悔しさや、勝つことの難しさ、困難にみんなで打ち勝っ たときの喜びをあまり知らない。全国で優勝する者たちには、やはり、こだわりとプライドがある。最近のサッカーに関する色々な情報は一つのヒントであろ う。これといったタレント性はなくともまじめに練習し、他人の言うことに耳を傾けた先輩が、岐阜高専を何度も優勝に導いてくれたことは下記の歴史が物語っ ている。
また、一歩からの出直しである。ただ、現役にもOB・OGにも、いくつかの芽は育っている。岐阜・豊田・鳥羽・沼津、そして鈴鹿が切磋琢磨できるとき、東 海地区は全国大会で活躍することになる。ソフトテニスで対外試合をするといつも相手校の学生がアドバイスを求めに来ていた。相手を育てると岐阜がもっと強くなり、全国大会での活躍があった。今度はバドミントン部の番である。20年目は2008年度に迫っている。
写真は白熱した男子個人戦決勝の一場面。鈴鹿高専と塚田君の完全制覇が成し遂げられた。
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