BestHtml白兎の裏日記

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since May. 12th, 2000.


パラレルワールド(夢のまた夢)


2008年1月18日
電気の卒業生にはおなじみの話で、また、やったのかということですが、今回は趣向を変えました。世の中変わってプレゼンの時代です。パソコンの時代です。マルチメディア教育?の時代です。ということで、パワーポイントをつくりプレゼンしました。全36ページ、1時間の熱演?受けました。自己満足?何をやっているのかとしかられそうですが、授業はパワーポイントでかなりすすんでおり、やることはしっかりやっていますと弁明しておき、なおかつ、30分間で授業もやり、学修単位ですので課題もだしましたので、ご容赦願います。パワーポイントでやるとまた感じが違っていいものです。配牌が時々刻々と変わっていく様は、緊張感があってなかなかのものでした、と自画自賛しています。せっかくの作品ですので、一度も話す機会がなかった5年生にもとも考えるのですが、あそこは4Eとちがって往来の多い教室ですので・・・。
6月7日「ロボコン審査」
あっと驚くようなアイディアは今回のテーマでは出しにくい。奇想天外なロボットを作る方は大変だろう。ルール解釈も学生に同情を禁じ得ない。NHKに問い合わせているらしいが、返事がなく困っているようだ。校内審査ではルールに引っかかるという判断らしいが、他の高専がNHKから許されて、その手法を取り入れていたら、誰が責任をとってくれるんだろう。
 明日も忙しい。午前中は試験、午後は名古屋で会議、夜は岐阜大学で講義。心臓が止まりそう。歩いていても体が重い。やせたはずだがともかく重い。

6月2日「五十の手習い」
 しばらく、電子回路からは遠ざかっていましたが、必要に迫られて、自ら電子回路を作るべく勉強をし直しています。学生時代は全部自分で電子回路を作っていました。そのころ読んだ、汗と涙とにまみれた本を取りだし読み直しています。とりあえず、PIC、PWM、サーボモータ、ステッピングモータが使いこなせないと話にならない。
 ぼけてきた頭ではアセンブラは無理そうだし、いまさらCを覚えるのも大変なのでとりあえずベーシックで組むつもりです。後期からの設計実習では全員にPICをマスターさせ、何か回路を作らせようと思っています。

5月30日「岐阜新聞のコラム」
 またまた、私的なことで恐縮だが、岐阜新聞の朝刊のコラム欄に私の兄が散文をのせている。週一回ぐらいのペースで書いているようだが、他の執筆者は岐阜県内の政財界や教育界の大物が多い。芸術の分野からのコラムを期待されて依頼されているようである。一度ごらんいただければ幸いである。
 岐阜新聞社の社長から直接頼まれたようである。最近、私の方は新聞とは疎遠になっているので、そろそろ、ビッグな話題を提供したいものだ。やっぱり、稲葉プロジェクト3かな。

5月26日「跳び級」
 SCSはなかなかおもしろい話が聴けた。相づちを打つロボットは、おもしろいとは思うが、ロボットの世界ではあまりインパクトを与える仕事とは思えなかった。高専祭や中学生相手の一日見学会では手頃な催し物にはなるような気もする。せっかくのSCSだから、また、しょうこりもなく発言してしまった。専攻科まで7年もいると、相当に優秀な学生もいるので、そのような学生は跳び級で6年で修了させてもいいのではないかと言ってしまった。会場は静まり返ってしまっていた。会場にいたはずの校長先生も青ざめていたかな。また、やってしまいました。口先人間ですから、黙っていることが苦痛なんです。

5月25日「カップ麺」
 少しでも、卒研生が研究室に来やすい雰囲気を作ろうと、カップ麺を大量に買い込みました。昼休みによく食べに来ているようですが、五年生がこれを聞きつけて、毎日、入れ替わりにたべにきている。おかげで、昼休みが終わる頃(この日記を書いている頃)は、においが残って困ります。たばこと同じで部屋や服ににおいが染みつくんです。食パン一枚で昼を過ごしている(倹約ではなくダイエットのためです!)私として、このにおいはたまらなくつらい。いつまで、がまんできることやら。

5月24日「献血」3
 やっとの事で献血を終わり、体育館に戻り、献血手帳の手続きをしていた。いすに座っていたのだが、相手の言っていることがよくわからず、そのうち目がかすみはじめ、天井が見えてきた。どうやら、気を失いかけて倒れたようだ。看護婦さんや医者(白衣を着た男の人)が心配そうにのぞき込んでいるのがわかる。そのころ、献血で死んだ人のことが新聞紙上をにぎわしていたので、よけいに心配になったのであろう。体育館にしばらく横にされて休まされていたが、ようやく意識をとりもどし、なんとか立ち直ることができた。貧血に似た症状であったらしい。
 家に帰り、若い先生方とパーティを開いたが、私が献血で倒れた話で持ちきりであった。「貧血で倒れた」「血を抜かれるのをみてショックで倒れた」なんて話はまだ許せるが、「血を抜かれる前に気を失った」などと言われ、大いに憤慨した。しかも、その日の参加者の中で献血したのは私一人だった。他の独身の先生方は、この日のために英気を養っていたそうだ。
 この話はやがて忘れ去られるが、毎年、献血車が来るこの季節になると、そのころのことを覚えている方から「稲葉さん、献血に行かなきゃだめだよ」といってニタッと笑われる。そしていつしか私は「献血車に乗り込んだとたん倒れた」ことになり、さらに「献血前の血液検査で血を抜かれて倒れたことになり」、さらに、「血液検査の注射針をみて倒れた」ことになってしまっている。
 私の名誉のためにしっかりと宣言をしておかなければならない。私の財布の中には、いまも、日本赤十字社発行の献血手帳があることを。しかし、その記録には53年6月3日の献血記録以外、なにもない・・・。

5月23日「やっぱり、ゴシップ記事は・・・」
 一度書き込んではみましたが、やっぱりよしました。思い当たる若い?先生はメールでもください。今年の忘年会はこの話でもりあがるかもしれない。それまで、もつかしら・・・。
 
5月18日「献血」2
 確かに書いた記憶があるんですけど、みあたりません。本当にぼけてきましたね。だぶってもいいから記録を残しておこっと。
 献血した経験がそれまで全くなかったので、血を抜かれることにたいする恐怖のため行くか行かざるか迷っていました。しかし、午後から予定しているパーティには若い(そのころ)仲間を呼んであるので、献血が怖くてできなかったなどと、妻の前で冷やかされるのもかなわないので、思い切って行くことにしました。結局12時近くに行くことになり、おなかも空いていました。どうも、これも原因のようです。体育館で血液検査をして(ここのところはきちんとおぼえておいてください)、献血車に乗り込みました。看護婦さんが針を刺そうとするので、例によって、「痛くしないでね」と親父ギャグ(そのころ青年でした)をとばしながらベッドに寝ていました。そのとき、看護婦さんが「あ、AB型ですね。この血液は貴重なので別の容器にとります。」といってビニールの袋を取り出しました。こちらは初めてのことでなにもわからず、よけいに緊張してしまったようです。採血されるままに寝ていたのですが、他の学生たちは次から次と終わっていくのに、私だけは取り残されている。「血液の出が遅いですね。若い人は早いのに・・・」と看護婦。「うるさい、年をとると遅くなるんじゃ」と言おうかと思ったが、そんな心の余裕があるわけもなく、ただ、ただ、早く終われと不安にさいなまれていた。

5月17日「献血」
 昔、ことの顛末は書いた記憶があるんだけど、もう一度古い話を思い出してみる。あれは私が今の妻と(昔も同じですけど)結婚して間もない頃でした。そのころは土曜日も授業があり、授業後には我が家で独身の先生方を集めネルトンパーティーをやる予定でした。その日は献血の日でもあり、第一体育館の前で行われていました。岐阜高専で初めて行われた献血でした。
 なんか、同じような文章を書いた記憶がある。もう一度日記を読み直そっと。

5月16日「指導教官は?」
 ロボット研究会は電制の新任教官の森先生が担当するし、電気の方は熊崎先生がどうやらやっていただけるようだし、今年は免除かな。でも、全く無関係というのも寂しいし、百害あって一利なしの長老議員にでもなるかな。今までも同じようなものですけどね。ただ、今年はちょっと別のおもしろいプロジェクト(稲葉P2の改訂版なんですけど)を計画していて、こちらの予算が付けばとてもロボコンはやってられない。
 でも、ロボ研は何とかなるだろうけど、電気の方はできるんだろうか。仲先生もいないし・・・。

5月12日「ロボット本体がとうとう木登りです」
 マシンは地上1m以上の位置までクライムグッズ(鉄棒などがセットしてある)を使って、上に上がってしか造形物をおけないんです。25キロもあるロボットを1m以上もよじ登らせねばならない。うーん。途中で落ちたらどうしましょう。またしても命がけのコンテストになった。
 どんなアイディアがでてくるか、どんなパフォーマンスがでてくるか、楽しみではあります。ところで、今年は誰がやるんでしょうか。

5月10日「バリウムをおいしくいただきました」
 例によって「痛くしないでね」と馬鹿なことを言いながら血液検査を受け、いよいよ、本日のメーンイベント「胃検査」です。朝食を抜いてきたので(ダイエットで昼はパン一枚ですので、朝食が一番豪華なんです)、かなりおなかが空いていました。丁度、空腹感がおそってきたときなので、バリウムをごくごくといただきました。何回かに分けてのみ、最後に、「全部飲み干して下さい」と言われたが、そのときは、もうコップにはなにも残っていなかった。さすがに、「お代わり下さい」とはいえず、「もうありませんが・・・」と言うしかなかった。技師は苦笑していた。
 いつものバスの中で受ける検査よりかなり念入りにとられたが、ある姿勢になったとき、胃の中でバリウムがさわり、シカッと感じるところがあった。自分でも、そこに異常があるのがわかったが、やはり、技師もそこを何度も取り直していた。こんなことは検診車ではないことである。かなりやばい予感がする。しかし、そんなことよりも今日の午後からが心配だ。バリウムを飲んだ後、下剤を飲み、車の中で朝食代わりに大きなおにぎりをほおばり、学校へ着いてから、バリウムを流すための水を大量に飲んだ。私の消化器官の中には、下から順番に、バリウム、おにぎり、水があるのだが、これに下剤をかけてある。ところで、今日の午後3時から、校長先生ご出席のもと、学科改組とネットワーク室の披露式が行われ、私は司会を担当している。しかし、未だに、バリウムはでてこない・・・。

5月9日「ロボットもあつく燃えた」
 続々と観客が詰めかけ、開演を待っている。テントに宣伝用のパンフレットをおいておいたのだが、誰もとらないので、自ら配り始めた。意外と好評で、みなさんじっくり読まれていたようだ。さて、私の簡単な紹介のあと、副部長の説明と同時にデモンストレーションを始めた。副部長も二度目の公演なので慣れてきたらしく、うまく説明していた。観客も多いし、これはいい公演になると思い、証拠の写真を取り始めた。何枚かの写真を撮り終え、カメラから離した私の眼に、あー、という叫び声とともに、もうもうたる煙が飛び込んできた。最初は誰かがたばこでも吸っているのかと思ったが、ロボットが燃えていた・・・。
 伏線は午前中にありました。子供たちに操縦体験をさせているときに親機のヒューズが飛んだのです。交換用のヒューズの容量が小さいので、ヒューズなしでダイレクトにつなぎ変えていました。午後になって、親機の操作をしている最中に、一陣の強風が舞い、電源ラインの止めてあった線が風であおられ、親機のアルミにふれました。本体アースをしてあったので、見事に短絡し、電源ラインの被服があっと言う間に燃えてしまったという結末でした。
 なんとか、子機の方の説明と操縦体験でその場をしのぎました。
 謝礼として、結構な額をいただいたのですが、少し、申し訳ない気持ちが残りました。毎年、ロボット製作費の足りない部分は部員から臨時徴収していたのですが、今年は何とかなりそうです。でも、来年からは二度と呼んでもらえないでしょうね。

 5月2日「ゴールデンウィーク」
 メーンイベントが養老ランドというのは寂しい限りです。電気情報工学科のPR用に半導体レーザ三色(青色半導体レーザを70万だして買ってしまいました)をつかって光合成し、それをデジカメで撮影しました。オリンパスの最新式の300万画素のCCDなんですけど、文章中への張り付けなどには容量が大きすぎて、とても使えません。何のためにこんな高解像度のものを買ったんだろうか。
 連休には長男が久しぶりに帰ってくる。将棋でもやって過ごそう。農耕作業、ロボ件、長女のバスケットの送り迎え、三男のサッカー、桃太郎電鉄・・・今年のGWもあっと言う間に終わってしまう。

4月28日「アイボ」
 九月の高専見学会には二匹のアイボが中学生相手に愛嬌を振りまいてくれるでしょう。誘拐されてしまったりして。
 私の部屋は音響システムを少し改良します。福岡先生の立体画像を液晶プロジェクタで大画面でみながら、立体音響を楽しむような部屋ができたらいいと思うのですが。
 もう一つは、少し変わったロボットを作る予定です。結構おおきなプロジェクトを作って、予算もビッグな金額を別に獲得するつもりです。捕らぬ狸の皮算用ですけれども。
 バブルのうちにもらうものはできるだけもらっておこっと。

4月25日「歓迎会」
 山田先生の歓迎会が昨日「乙姫」で開かれました。校長先生もご出席いたたいたのですが、忘年会といい謝恩会といい、すっかり溶け込んでしまわれた。料理もなかなかの味で久しぶりに堪能しました。残念ながら火曜日の一限に授業があるので二次会に繰り出すことはできませんでしたが、その分家でしっかりと飲み直しました。ちょっと、アル中気味です。

4月24日「国道41号線」
 先日、久しぶりに41号を名古屋から岐阜に向かってはしりましたが、驚きました。高速がかなりできているではありませんか。前は新川中橋の楠ジャンクションまででした。小牧空港ぐらいまでかなとおもっていたら、いけどもいけども、上を高速が走っている。すっかり景色も変わってしまっていたが、名神の小牧インターチェンジの直前までできていた。

4月20日「就職業務」
 本校では、担任は4,5年が持ち上がりになり就職進学などの世話をすることになっている。豊田高専では、3,4,5年と一人の教官が持ち上がり、進学関係は担任、就職関係は主任が担当しているそうだ。
 3年間同じ先生というのは学生も先生もつらいかもしれない。

4月18日「ドナー」
 骨髄移植の話ではありません。電子工学の授業でn形半導体の不純物元素の事です。シリコンの四個の価電子に対して、X族の元素を入れると、電子がとれやすいという説明で、麻雀荘に四人で行くとバラバラにはなりにくいが、五人で行くと一人余ってしまって、ついつい他の卓をのぞいたり、知人の卓のメンバーがあいたりすると5人目はすぐにそこにはいってしまう。四人の絆は強いが五人ではバラバラになるという話をしたら、よくわかったみたい。

4月14日「ボケ」
 酒宴の席でK崎先生から「お酒を毎日飲んでいる人はだんだんぼけてくるものなんだが、先生は例外ですな」などと皮肉ともお世辞ともとれることをいわれてしまい、とてもコンビニの話はできないムードだった。
 今日は寮直、2ヶ月に一度の唯一の休肝日だ。月曜にはバリウムを飲むから、ちょうどいいかもしれない。しかし、土日にきっとリバウンドで飲むから、血液検査は最悪かなあ。ダイエットの効果で体重だけは落ちたんだけど。

4月13日「腹痛」
 猛烈におなかが痛くなり朝の5時頃に目が覚めた。二日酔いも重なり、これは病院行きかと思ったが、なんとか治まった。
 長男の入学式には、義父母と一緒に妻も行っていたのだが、整理券なしでもどさくさに紛れて武道館の中にはいれたそうだ。やっぱりいけばよかった。

4月11日「携帯電話」
 昨年の9月に二台購入し、今年の3月に、また、二台買ってしまいました。料金は父親へというファミリーパックです。やっと最近使い方がわかってきました。卒研生に使い方を教えたもらっているのですが、考えてみれば、電子工学を教えている先生が、最先端の電子機器の使い方を学生から教えてもらっているというのも変ですね。
 4月7日「入学式」
 私がいけそうもないということで、妻の両親が行くことになった。老い先短いし(?)、孫の晴れ姿を冥土のみやげに見させてほしいなんて頼まれ(冗談ですけど)、快くお願いした。おまえたちには子供が四人もいるんだから、また、機会はあるよなんていわれても、まず、あり得ないことは想像がつく。義父と義母は前日からホテルに泊まり、二日目は熱海の超高級旅館で一泊して命の洗濯をしてくるそうだ。ウーン。私も、こっそり行って来るかな。でも、主任が教室会議を入れるようなことを言っていたし・・・。

4月6日「二番差込」
 次男の勉強を見るつもりが、将棋の相手をしている。家人が寝静まってから、二人でこっそり毎日一番ずつさしている。二番差込といって、二番続けて負けると、駒落ち将棋になっていくんです。香落ちで二連勝したので、今日からは角落ちです。受験生なのに、こんな事をしていていいわけないですね。

4月4日「脳梗塞」
 首相が入院している。官房長官の記者会見がテレビに映っていたが、ある記者が官房長官に向かって「医者でも無いあなたが、どうしてそんなことを断定できる云々」という発言をしていた。何という口の聞き方なんだろう。声の感じからしてまだ、若い記者のように思えたが、少なくとも一国の内閣のスポークスマンである官房長官をあなた呼ばわりはないと思うのだが。最近、官僚、警察、医者、公務員、政治家等が頻繁にマスコミにたたかれているが、マスコミ自身も自己点検・自己批判をすべきだと思う。とくに、ニュースキャスターの発言は鵜呑みにせず、いつも逆の立場になって考えている。もっとも、一番自己批判をして反省しなくてはいけないのは私なんだけど・・・。あちらこちらで恨まれているからなあ・・・。

4月3日「テーマ変更」
 科学研究費などの関連でこれまでのテーマを残す必要もありますが、すこし研究の方向を変えてみようと思っています。研究者としてはあと15年ぐらいありますからもう一仕事大きな事ができると思っています。狙いは福祉、環境にあります。
 最近、次男と将棋を始めました。次男より長男の方が筋がいいと思っていましたが、ちょっとやらないうちにずいぶんと腕をあげ、筋もよくなっていました。次男が今度は受験の年なので少し見るつもりです。もちろん勉強をです。

3月28日「年度末」
 学会もおわって本年度はすべて終了しました。就職の求人で面会が飛び込んできてなかなか時間がとれません。
 長男の引っ越しもおわりました。自炊を始めたのですが、熱中してしまって勉強なんて茅の外のようです。4月12日に武道館で入学式があるのですが、新入生一人につき父兄用に二枚の入場券が割り当てられています。もう二度とこんな機会はないので、ぜひいきたいのですが、学校の予定が急に変更され教官会議と歓送迎会が入ってしまいました。ウーン。

3月27日「私事」
 私的にも忙しい日々を送りました。3月13日と14日は妻が三男を連れて日本橋の三越へ例の表彰式に出かけてきました。三男が皇族の方々に説明している写真もしっかりと撮ってきました。我が家にとってこのようなことはもう二度と無いと思えるので、貴重な写真になります。毎日新聞には結構大きく掲載されたそうです。
 長男は無事、希望の大学に合格することができました。11日の中日新聞と朝日新聞の朝刊に顔写真が載ったようです。私の子供とはとても思えないそうです。15日には私と妻と長男と何故か次男も一緒に東京に行き、長男の下宿探しをしました。東京に下宿すると本当に大変ですね。都区内からでれば、少しやすくなるんですけど、定期代もばかにならないし。幸いにも学校で紹介しているアパートに掘り出し物があり、運良く、駒場から歩いて10分のところにリーズナブルな価格のアパートを見つけることができました。
 理科1類ですので、2年の秋の進振りまでどの学科に行くかわかりません。入学後の成績によって決まるので、そんなに遊んで暮らすわけにもいかないと思うが、どうも、最近の様子を見ると、さすがにのんびりしている。入学までにキーボードのプラインドタイピングをマスターするようにソフトで練習させているのですが・・・。

3月10日「肩の荷がおりる」
 肩がこってこって仕方がありませんでしたが、ようやく重い荷物がひとつおりました。今日は、家に早く帰ってみんなで寿司でも食べに行くつもりです。浴びるほどビールが飲みたい。また、太るでしょうね。

3月8日「表彰式」
 電気の話ではありません。私的なことですが、我が家の三男が夏休みに作っていた工作「カエルの合唱」が全国で特別賞に選ばれました。3月14日に日本橋の三越本店で行われる表彰式に出るため前日から東京に行くことになりました。保護者の宿泊費と旅費も出るのですが、私は進級判定の教室会議と教官会議があるために同伴することができないので、妻が行くことになりました。(会議をさぼっていこうかとも思いましたが、さすがに担任ですし、そこまではできません)。妻は一人で東京に行った事は全くなく、不安ながらも楽しみにしているようであり、すべて任せることにしました。子供と二人で無事に帰ってこれるでしょうか。当日は皇族(実名はおそれ多くて書くことができない)の方々に御説明申し上げることになっている。わたくしでも、これまでただの一度も(おそらく今後も)直接あったり、ましてやお話をする機会などなかったのに。本人はたいして気にもとめていないようである。失礼の無いように、言葉使いを教えておかなくっちゃ。

2月29日「G賞」
 先日、ある祝賀パーティーに出席し、そこで名古屋大学のG研究室の助教授に会った。当日は四年生の卒研の発表会があり、その中で、最も優れた発表者にG賞(教授の名前)を授与しているという。今年はH君に栄冠は輝いたのだが、彼は私の部屋の卒研生であった。助教授曰く、「自分よりもずっとうまい」。研究態度もよく、将来に非常に期待をしているとのこと。彼はもうすでに高専の時に、電気学会の全国大会にデビューしているのだから、それもあたりまえのことである。まいた種があちらこちらで開花してくれれば、非常にうれしい。

2月28日「麻雀」
 困ったものだ。昨日は家に帰れば家族麻雀が始まっていた。長男(まだ、一生を左右するような後期試験があるかもしれないというのに!)、次男(来週には後期の期末試験があるというのに)、三男、祖父の四人でやっていた。「実験の神様は気まぐれであり、微笑んだかのように見えても、そのとき安心して、実験を明日にまわすと、とたんにそっぽをむいてしまう」という話をしておくべきであった。そう思いながらも、つい面子に入ろうとする自分が情けない。あーあ、今年もだめかな。

2月25日「いよいよです」
 なにがいよいよかほとんどの人はわからないでしょうが、現在の私の最大関心事です。のしかかる暗雲を振り払うことができるか、この半月(一ヶ月?)ですべてが終わります。どうなることやら。

2月22日「入学試験問題」
 高専の問題ではありません。今年の早稲田の入試の物理の問題に光ピンセットが出題されていました。そういえば一昨年は名大の編入試験に光トラップが出題された。まさか、入試までにでるとはね。そういえば今年の慶応の入試には光ドップラーの問題が出ていたが、あれも電気の五年で昨年説明したのと全く同じだった。
 我が家の長男も次男もどうも将来は電気電子系に進む希望を持っているようだ。私の仕事の話は一切したことがないのに、血は争えないものか。それとも、よっぽど私が楽をしているように見えるのか。どうせ、電気系にすすむのなら、高専にすれば受験でこんなに苦しむことはなかったのにと思うが、逆に言えば、こうなったら、高専から大学というコースでは得難い人物になってほしい。高専から大学への編入学者は大変に優秀であることは私はいちばんよくわかっているのだが、その致命的な?欠点もわかっているつもりです。我が家の子供たちが無事大学に合格できたら、大学にいるうちにやらせたいことがいっぱいあります。中学や高校ではあまりアドバイスをすることはなかったんだけれど、大学ではいろんな事をしっかりと教えておきたい。

2月21日「学会」
 三月の終わりには電気学会や応物学会がある。最近は時々、卒業生の発表に出くわしたり、こちらの発表日にあわせて会いに来てくれたりする。再会を楽しみにしています。年度末に学会に出かける卒業生がいたら、是非、ご連絡ください。

2月19日「営業活動」
 養老ランドからロボ研へ、5月の連休中での出演依頼が舞い込みました。小学生を対象としたイベントを毎年開いており、今年は高専のロボットに登場してもらいたいとのこと。高専の絶好のPRの機会であり、快くお受けした。若干の謝礼は来年度のロボット制作に使わせていただくつもりだ。今年は高専見学会や一日入学、テレビや新聞紙上で高専のPR活動に貢献させてもらった。学校からはNHKからのロボット制作費以外に金銭的な補助を受けていることもあり、ロボ研としても当然協力すべきであると考えている。部員も中学生の前で説明したり、テレビや新聞に出ることに喜びを感じてくれていると思う。

2月17日「授業アンケート」
 私の授業科目もすべて修了し、授業アンケートを実施したが、割と評価はよかったようだ。雑談ばかりしていて心配していたが、かえってそれがよかったのですかね。以外と電気磁気学に興味をもった学生が多く、理解もしているようだ。電気磁気学は電気系の教科のなかでは物性と並んで難解なものなので心配していたが安心した。
 教育熱心な・・・・先生は、授業アンケートの結果がよくなかったので憤慨されていた。教育熱心な先生は一生懸命やるので学生には煙たがられ、私のような馬鹿話ばかりしている先生は歓迎されるのかもしれない。
 しかしながら、アンケートをしっかり把握している分には、まだ救いが残るんでしょうね。さっさと封をして、なにも読まずに提出してしまうようになったら終わりですね。独立法人化されれば、そういった先生は学校から駆逐されることになるでしょう。第一号は私だったりして。

2月8日「・・会」
 どうしてフグ料理なんかいまごろ食べる機会があるかって?まだ、ここに書いてはいけなかったっけ。H渕先生の結婚祝いではないようですね。

2月7日「風邪」
 木曜日に朗報が届き、浮かれて飲み過ぎてしまったら、風邪をひいたようだ。熱がないのでインフルエンザではないと思っていたが今日は寒気もする。いいことばかりでもなさそうだ。

2月2日「リバウンド」
 バスケットの話ではありません。毎日、お昼はパン一枚とゆで卵ひとつという生活をつづけており、体重も5キロ減った。先週末に町内で葬式があり、そのお手伝いをした。お昼に出された精進料理がとてもおいしくて、たっぷりと食べ、さらに夕食に刺身などのごちそうとお酒があったので、たらふく食べてしまった。おかげで酒の量が今週になって増え始め、酔うと理性が効かなくなって、つまみをぽりぽりと食べ始めてしまう。無性に間食がしたくなってくる。いよいよ、リバウンドがきたようです。体重計に乗るのが怖い。

2月1日「教育改革の裏側」
 全国の大学で教育改革が叫ばれ、授業内容などの見直しが始まっている。21世紀に向けた日本の教育の在り方が問われている。何故だろう。現在の60歳前後の年代はいわゆる60年安保世代であり、各大学の学長や学部長の年代である。50代前後は70年安保世代であり、現在の少壮教授の年代である。
 有り体に言えば、ゲバ棒を振り回していた(その結果まともな授業を受けていない)世代と、厭世観が漂っていた(その結果、授業が無くなると麻雀やボーリング、パチンコなどに夢中になっていた)世代が教育改革を声高々に叫んでいるわけである。二つの世代は大学で実際にどのようなことを学んだのか、そして、その後どのような教育が行われていたかを身を持って体験しているわけであり、自分たちが経験してきた甘い体質では国が滅びると実感して、教育改革を叫んでいるような気がする。確かに、私もまともに勉強をしていたとはとても言えない。卒業生もよく、あのころもっと勉強しておけばよかったといいますね。でも、現実は授業は絶対におもしろくない。学問があって、それを教える授業があって、授業を理解するために実験がある。この発想を逆にするところから始める必要があるでしょう。ひとつのテーマがある。それを解決するために試行錯誤で実験をしてみる。装置を使いたいが英語だから辞書を引く。一緒に仕事をするのが外国人だから英語の勉強をする。勉強をしないとわからないことがあるから、電磁気や量子力学の勉強をする。実際に、私たちがやってきた研究というのはまさに、この手法だったわけですから。

1月31日「岐阜発の教育改革」
 若い先生方から、斬新なアイディアがいくつか出てくる。昔から、いろいろなことを計画してきた私としては、積極的に賛成して、実施したい。ただ、変な方にいってしまったりする事がないように全体のバランスをとるようにしていくことが年長者のつとめかもしれない。岐阜発の高専改革、教育改革を広めたい。

1月28日「シーズ調査」
 岐阜県研究開発財団から研究シーズ調査を委嘱されている。産業界のニーズに答えることができるようなシーズを学校関係の研究者のテーマから選んで調査をし、コーディネートするものだが、結構大きな研究費をもらえる。3月までに各研究者と会い内容を聞くことになるのだが、、なかなか忙しくて時間がさけない。
 今日は昼から、豊橋技科大の副学長の講演会がある。FDに関して興味ある話を聴くことができるだろう。
 ところで、話は突然変わってしまうが、私の博士論文の仕事を直接指導していただいたN大学のG教授が工学研究科長に四月からなられる。そういえば副査だったM教授も後に工学部長になられ、そのごM大学の学長までなられた。大変に偉い方々から指導を受けたにもかかわらず、不肖の弟子で本当に申し訳なく思います。若干38歳でT大の教授に引き抜かれたH教授とは雲泥のちがいですね。トホホ。

1月27日「3年電気工学科」
 卒研生のw君が窓をあけて3年電気の教室を見ていたら、授業をしている担任のT先生と目があったという。「手をふってやったら」と私がいったら、本当にW君が手を振り、T先生もも手を振り替えしてきたという。三年電気の学生も一斉にこちらを向いているらしい。授業のじゃまをさせてしまってまずかったかな。3年生はだいぶ落ち着いてきた。だんだん電気の学生らしくなってきている。今の2年生は新しい実験テーマを前倒しで実施しているが、この学年も来年度は実験を変えてみるのもいいかもしれない。いいことはどんどん取り入れるべきだ。新しいコンピュータ室も三月にはできあがることだし、思い切って入学予定者にも出入りを許して春休み中から使用させるのもいいかもしれない。それはそうと、この2,3年のうちに電気工学科の周りは、全く変わったものになってしまうかもしれない。ここにきてもう、25年になろうとしているが、最大の変革が起きようとしている。本当に、世界に誇れる教育システム、教育カリキュラム、教育環境を作れるような気がしてきた。後は実績を残すのみですね。それが一番問題なんだけど。

1月26日「授業アンケート」
 授業はまじめにやらなくてはならない。雑談などはもってのほかである。況や、何の役にも立たないヨタ話などとんでもないことだ。なんてことをいわれると私は困ってしまう。感電の話や、事故の話は多少電気に関連した話だからお許し願えるとは思うが、私が話したいのはアノ話だ。今まで、どの年度の卒業生にも欠かさず必ず話してきたアノ話だ。電気の卒業生は(3年で方向転換した学生も含めて)みんな覚えているアノ話がとうとうできなくなってしまう。いつも、3年生の授業で1月になると話していたのに、とうとう伝統も終わりか。あきらめていたのだが、年が明けて1月になってから、ウズウズしてきて困った。どうしようか迷っていたが、今年を最後として話そうと決めた。授業アンケートが怖いが、話したいという欲望に負けてしまった。
 話しました。昨日の電気磁気学の時間にアノ話を。しかも1時間もかけて(一応30分はちゃんと授業しました)、九蓮・・・とチョンボT・・・の話まで。これが最後と思うと力も入り、身振り手振りよろしく熱演しました。おかげで冬だというのに体は火照り、終わったときにはどっと疲れました。しかし、久しぶりに充実した時間でした。
 満足して部屋に帰り、昼飯を食べようとして気がつきました。そうだ。今日はT富先生に工学教育プログラムの講演会を聴きに行ってくれと頼まれていたんだった。ちょっと疲れたし、これから名古屋に行くのも疲れるし、サボっちまうか。授業で遅れることはわかっているので、あらかじめ遅刻することは連絡してあるし。などと、とんでもないことを考えもしたが、すでに出張手続きは済んでおり、行かなければまずいと思い直して出かけました。
 30分ほど遅刻して会場受付をし、中に入ろうと思いましたが、確かそこは前方からのドアだと思い直し、会場の後ろの方の入り口へ回ろうとしたら、受付の女性が「暗いからだいじょうぶですよ」といって、ドアを開けてしまった。
 何のことはない、会場はまばゆいばかりの明るさで満員の聴講者の視線がこちらに来る。ドアはさっさと閉められてしまった。開き直って、そそくさと後ろの方へ回ろうとしたら、前の方で手招きをする人が・・・。教務主事(T富先生)だった・・・、しかもその横には校長先生まで・・・。あら、来てたのね(お見えになっていたんですね)、危ない危ない、さぼったら、エライことになるところだった。
 休憩時間に「ご苦労さんでした」とか、「稲葉さんのことだからめいっぱい授業をやってくるから遅れてくるのはわかってました」などと、いわれても苦笑するしかない。チョンボT富の話をしていたなんて、とても言えない・・・。

1月24日「国会」
 衆議院の比例代表の定員削減問題で審議が止まってしまっている。年度内に予算が決まらないと、見込み発車になってしまう。
 電子実験室の備品を基礎実験室に移し始めているが、一気に基礎実験室が狭くなったように感じる。この際、あの木の実験台も変えた方がいいと思うのだが、机というのは結構高いんです。でも、あれでは、ちょっと台をうごかすのも大変だ。

1月21日「授業評価」
 本校でも授業アンケートがはじまる。いよいよ、馬鹿話はできなくなってしまう。九蓮宝燈の話も、今年の三年生以下にはできなくなってしまう・・・。これを楽しみに、一年間授業をしてきたのに・・・(冗談です)。

1月20日「募集要項」
 中学校には訂正版を送ったのだから、ホームページ上で公表してもなにも問題は無いと思うが・・・。教務に訂正を申し込んでおいたが、はたして、いつ訂正されるでしょうか。毎日、チェックしてみよう。確かに、募集要項が送られない塾の関係者はホームページをみるケースが多いでしょうね。しかも、受験関係者はやっぱり、オフィシャルな募集要項をみて判断するでしょうから。

1月19日「推薦入学」3
 これまで経験したことのない人数の生徒が希望してきた。とてもありがたいことではあるが、一時的なものにしないためにも、これから必要なことは、がっかりさせないだけの教育カリキュラム、教育システム、教育設備、教育環境、および教官陣容だろう。カリキュラムはだいたい終わったので、次は教育システムである。岐阜高専としてのシステムは崩すことができないが、他学科に影響を及ぼさない電気情報独自の教育システムをいくつか提案している。

1月18日「推薦入学」2
 昨日の午後にどっと出てきた。仏滅も大安もないのでしょうね。とりあえず、ゼロではないのでほっとしています。私はもともと、胃が痛むような緊張感とともに入学試験を経験した方が将来のためになると思っているので、それほど推薦入学志願者の人数にこだわりは無いのですが、まあ、多いに越したことはないでしょうからね。

1月17日「推薦入学」
 いよいよ今日から受付が始まる。新聞でも改組が紹介されたし、なんとか、去年より多く来てくれないかなあ。逐次ホームページで経過が紹介されているが、まだゼロである。今日は仏滅で明日が大安だから、明日くるんでしょうね。このままゼロのままだったらショックです。

1月14日「最近の学生は・・・」
 最近の学生は勉強しないだの、学力低下しているだの、いろいろいわれています。京都大学名誉教授の森毅氏は「今の学生に限ったことではなく、昔からいわれていたことであり、不景気になったりするとその声が大きくなるだけだ」と述べておられるが、確かにその通りである。いわゆる第一次ベビーブームの頃の大学生が大学でなにをやっていたかというと、ゲバ棒を振り回してのであり、授業を妨害したり、実験装置を壊したりした分だけいまよりたちが悪い。そのころの学生がとても真摯に勉強していたとは思えない。実際、私も授業を半年間まじめに聞いた記憶は全くない。もって生まれた資質は別として、最近の学生が勉強しなくなったというのは当たっていない。昔からずっと勉強していなかった、というべきであろう。もちろん、一生懸命に勉強していたものがすこしはいたであろうことを否定するわけではない。
 考えてみれば、昔は出席をしっかりとっていたわけでもなく、単位もかなりいい加減なものであったろうから、ある意味では今の学生の方がひょっとしたら勉強している時間は多いかもしれない。しかしながら、少子化とともに中学生の人数が減り、定員は同じなわけであるから、入学生の資質が下がってくるのは当たり前の話で、入学者の学力が無いことをなげくのは筋違いというものだろう。やっぱり、一年生から実践的な実験・実習を入れることが一番かな。

1月13日「目がかすむ」
 ダイエットのリバウンドをさけるための食事にもなれてきましたが、最近、目が霞始めました。昔、糖尿病になった人が食事制限をされ、その結果、栄養失調で死んでしまったという笑えない話がありましたが・・・。

1月12日「情報」
 ビッグニュースがあるんですけど、ここでは言えない。つらい。口先人間の私としてはいってしまいたい。でも、遠慮しておこう。
 皆さん、とっくに知っていたりして。

1月11日「減量」
 減りました。三日間で3キログラムやせました。よく、リンゴだけで我慢ができたと思います。一番苦しかったのはアルコールを三日も飲めなかったことです。でも、これでなんとか動くことができるようになりました。ダイエット終了後もリバウンドを警戒して、あまり、食べないようにしています。肉なんて正月以来口にしていません。トーストとゆで卵とグレープフルーツが主食です。アルコールも減らしました。お酒を2合で止めることにしています。

1月5日「リンゴダイエット」
 8年ぶりにリンゴダイエットを始めました。今日で二日目です。目の回るような忙しさから解放され、年末年始に酒浸りの生活に運動不足が重なり、あっというまに体重が80キロを越してしまいました。普通に生活するのもかなり苦しい状況になってきたことと、アル中になるのを防ぐために、久しぶりにリンゴダイエットをする事にしました。鉄アレイ、減肥茶、テープ、器具などいろいろな減量法を試してきましたが、私にとって一番効果が現れたのはリンゴでした。とりあえず、3日間やって、階段の上がり降りができる程度には減量しないと、生きていくことができない。
 2週間で食事のメニューを決めて減量する方法もあるようですが、7日目のメニューに焼き鳥が入っているのを見て断念しました。

12月29日「予算編成」
 ずいぶんと思い切った予算を組んだものだ。景気浮揚のために、すこしバブルを起こす刺激策を採ったようだ。先日、岐阜県研究開発財団で、通産省のRSP事業のコンピューター技術利用部会に出席したが、ここでも補正で2000万円が回ってきていた。いずれ、バブルの反動はくるのだろうが、それなら、もらえるうちにもらっておいたほうがといいような気がする。前にも書いたが、独立法人化はおそらくさけようもないのだろうから、積極的に対応しておいた方がいいように思える。その前に、私にはやらねばならないことが山ほど残っている。
 宿題を抱えて、年を越します。それでは、よいお年を。

12月22日「ネットワークコンピュータ」
 ネットワークコンピュータの方も仕様策定が大詰めをむかえた。3階の電子実験室に入れる予定だが、そのため、2階の基礎実験室に3階の物品を入れることになる。入るんでしょうか。移動の時はしばらく休みを取った方がいいかもしれない。

12月21日「予算編成」
 いよいよ、本格化してきましたね。もうそろそろ、文部省からの内示もあるんではないでしょうか。カリキュラムも内示がないといまいち、力が入らない。

12月18日「卒研生」
 土曜日。誰もこない。やっぱり。そういえば金曜日もさっさと帰ってしまった。だめだこりゃ。月曜日にどんな報告をするつもりでいるんだろう。最後に泣くのは彼らだから別にいいんだけど。こっちも開き直るさ。せっかく、神様が微笑みかけて、いい装置を買ってもらえそうなのに。四年生にやらせるしかないか。

12月17日「懇談」
 電気工学科の第四学年の学生と個人懇談を始めた。まだ、編入学か就職かを決めかねているものもいる。前回の担任の頃と比べて、就職協定が撤廃されたために、もう、四月から入社試験が始まるところがある。少し早いと思うが、年内に個人懇談を済ませるべく、殺人的スケジュールで消化している。
 そういえば、学会の締め切りが迫っていたんだったっけ。

12月16日「青山祐子さん」
 ニュース11の女性アナウンサーですね。久保純子さんのあとをつとめているんですが、ロボコンの全国大会で司会を担当していました。前日に取材に東の支度部屋の方に入ってきましたが、いつも見ているので、他人のような気がせず、ぺこりとお辞儀をしたら、にっこり笑ってあいさつを返してくれた。おもわず、「やー、いつもどうもどうも」なんていいかけて、あわてて止めた。でもにっこりと微笑んでくれた。取材の時にはふんわりと何ともいえない香りがただよってきて、久しぶりに若い子のエキスをもらったような気がした。
 完全にオヤジですね。

12月15日「編入学試験合格者報告会」
 でもね−・・・。昨日、編入学試験合格者報告会が開かれたが、3年生は誰一人として来ていなかった。一体、PRはしたんだろうか。それよりも、参加した教官が、主任と私と第五学年の担任だけとはどういう意味だろう。他の人は自分が四年の担任になったときどうするのだろう。五年生の学生たちからは非常に参考になる話が聞けたのに。
 自己研鑽が必要なのは学生だけではないと思うが。

12月13日「これは夢かまぼろしか」
 金曜日の夜中(正確には土曜日)の1時過ぎ、カリキュラムの仕事を一段落させ、酒を飲みながらテレビをつけると、なんと全国大会でお目にかかった広島商船のロボットが出ている。ロボコンの放送だ。一瞬、パラレルワールドに放り込まれたのかと思った。タイムマシンで未来へ来てしまったのかと思った。確か全国大会の放映は12月29日のはず、BSも来週のはずだ。しかしこれはなんなんだ。あ!大賞を取った徳山高専のロボットもいる。えー!松村邦彦(だったっけ?掛布のまねをする太ったタレント)が司会やってる。確か、全国はすてきな青山祐子さんだったはず。そういえば、何となく会場もローカルっぽい。そうでした。中国地区大会の放映をこちらでやっているのでした。さすがに、徳山はこの地区では図抜けていた。確かに広島もおもしろいロボットをつくっていた。しかし、こんなところがと思うようなレベルの低い学校もあった。でも、昨年のロボ研のロボットも当日だけ見れば、一体あの学校はなにをやっていたのだ。金返せ、といわれてもしかたのない状況でしたけれどね。土曜日は近畿地区の放送があるというので録画をしようと思っていたが、サッカーに熱中していて、すっかり忘れてしまっていた。どなたか、録画してないですかね。

12月10日「カリキュラム」2
 電気情報工学科の実験実習では、学科の理念にそって、第四学年の前期までにどちらのコースでも、ピック、Z−80、パソコンによる計測制御(アナログ/ディジタル)ができるようにしておいてほしいものだ。もちろん、オシロスコープは自由自在に操れ、ブレッドボードで電子回路を自由自在に組み立てることができるようにね。基礎実験室と電子工学実験室を一緒にする計画だから、オシロスコープもブレッドボードもかなりの台数になる。各学年でテーマを与えていろんなコンテストをやるのもいいですね。結構他の高専ではやってるみたいだから。
 夢はどれだけでも見ることができるんだけれども、現実はどうかと言えば、やっぱり人の問題でしょうね。

12月9日「カリキュラム」
 電気情報工学科のカリキュラムを考えていて、結局昨日は忘年会に参加することができなかった。全教職員が参加した忘年会であり、事務の方々ともいろいろな話がしたかったが、カリキュラム作成が差し迫っており、結局参加できなかった。おかげで、カリキュラムの骨子が固まってきました。斬新なアイディアです。あまりにも斬新すぎて公開をためらってしまいます。全国の高専から批判の雨が降ってくるのが目に見えるようです。やっぱり、ちょっとトーンダウンして妥協しようかな。

12月7日「バブル」
 かなり前に研究費のバブル化について記したが、学校施設についても同じような現象が起きている。理工系の学科の建物や設備があまりにも貧困であることや、それまで土木建築関係にまわっていたゼネコンの予算が文教関係に回ってきているともいえる。情報ネットワーク構想も関連し、21世紀を見据えた国策が諮られ始めたと解釈すべきか、あるいは独立法人化への手切れ金か。いずれにしても、もらえるときにもらった方がいいともいえるわけだが。
 本当は今日はロボコンの地区大会の代休で休みだったんだけど、仕事がたまっており学校に出てこざるをえない。研修だといって大学へ行っている(?)連中は、わたくしたちの苦労をわかっているのだろうか。私は定期研修などここに来てから20余年いちども使ったことなど無い。定期研修に行くならばそれなりの成果をきちんと見せてほしいものだ。独立法人化したときには、絶対にこのことを要求する。そういえばボーナスは査定されているはずだから、教官一人一人で差があるはずだから、すでに、実施されているかもしれない。そりゃそうですよね。一週間に一度大学に行っている人が一度も大学に行かない人より論文数が少ないんでは月給泥棒、税金泥棒といわれたって仕方がない。独立法人になったらそんなことが許されるはずがない。
 今日はテンションが高い。たまった仕事でいらいらしているのかもしれない。これで息抜きにして、午後の仕事をしよう。

12月6日「改組」
 いよいよ電気工学科の改組も大詰めにさしかかってきた。電気電子・情報工学科として改組を望んだのであるが、電気情報工学科になってしまった。ことここに至るまでの経緯について、悪しき前例にならなければいいが。

12月3日「師走」
 日頃のんびりしている先生もさすがに忙しく走り出すという師走になったが、ようやく残務整理ができ、自分の時間がもてるようになった。とりあえず7月頃から借りっぱなしになっていた図書館の本を返さねばならない。夏休みに書いた解説が雑誌に掲載され、原稿料をもらった。論文を書くと投稿料をこちらが払わなければならないのだから、ありがたいことではある。
 学会の締め切りが1月にあるので、これに間に合わせるべく研究を中心にした生活に戻すつもりである。

12月2日「講演会」
 いくつかの講演会がこれから開かれる。講師が来ているのに遅れてくる学生。居眠りしている学生。聞きたくなければこなけりゃいいのに。怒鳴り飛ばしてやろうかと思ったけど、いろいろあるんで、それもできない。

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