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英文和訳・和文英訳の弊害

文法の次に重要視しているのは英文和訳と和文英訳である。極端に言えば、これら2つだけが目的[6]で、 他はどうでもよいと考えているのではないかとさえ思われる。しかし、これは最も深刻な誤りである。 理由は次の通りである。
  1. 英文を理解したかどうかを和文に訳せるか否かで判断するというのは根本的に間違っている。 和訳を行うには、まず英文を「英文」としてよく理解した上で、それに適切に対応する和文を「考える」 必要がある。したがって、和訳というのは、英語の能力というより日本語の能力と言っても過言ではない。 ここでこのことを説明するため、実例を出す。

    元の英文
    If you should tell, say, a elementary school child that refrigerators used to be made of wood and did not use electricity, they would probably not believe you. They would say without electricity they couldn't have worked.
    このような英文を用意し、これを前から直訳した場合と直訳したものをただそれっぽく並び替えたものを示す。

    和訳
    $ \times $
    もしあなたが伝えるなら、例えば、小学生に昔冷蔵庫は木でできていて、電気を使用しなかったと。 彼らは多分信じないであろう。彼らは電気なしではそれらは使えるはずがなかったと言うであろう。
    $ \triangle $
    例えば、小学生にあなたが伝えるとします。昔、冷蔵庫は木でできていて、電気を使わなかったと。 たぶん彼らはこのことを信じないでしょう。彼らは電気なしでは冷蔵庫が使えるはずがなかった と言うでしょう。

    これは今の高専生の英語力を考慮して作成した英文である。あきらかに一番上の訳は話が繋がらず 読みにくいものになっており、2番は日本語を「文法的」に編集したので少しはましである。 なぜこのような読めない訳ができてしまう のか、それは翻訳したあとの「日本語」に違和感を覚えないほど、日本語能力が低いか想像力が ないからである。また、訳文が間違っていないことだけに満足して、他人にも理解できるものを 作成する意欲が無いに等しいからであると考える。逆にある程度の日本語文章作成能力と 状況判断能力があれば、英文に完全沿わずともそれに近く、読めるものができるはずである。 ここで ``If you should tell, say, ...'' という表現と ``They would say ...'' という表現が 使われている状況を考える。最初の表現は ``refrigerators used to be ..." を今の小学生に言った場合、どのような反応が見れるかを示しており、それに対し ``They would say ...''は小学生が「反論」を述べているという場面である。これらの場面を 考えて和訳を行うと、
    和訳
    状況
    ある大人が「昔、木でできた冷蔵庫があったんだ」という。小学生は「馬鹿な」 という反論を述べる。反論の内容は「電気もないのに動くはずがない」というもの。
    $ \bigcirc $
    たとえば今の小学生あたりに、昔は電気を使わない木でできた冷蔵庫が あったんだと言っても、たぶん信じないだろう。電気も使わないで、どうして 冷えるんだと反論されてしまうに違いない。

    となる。このように英文が使われている場面を少しは考え、日本語を変更するだけでだれでも理解できる 和訳が可能となるはずである。

    日本は「翻訳天国」で、少しでも売れそうな外国語の本が出版されるとすぐ訳本が出る。 しかし、上記で示したように、訳のなかには極めて読みにくいものが多い。そして、「翻訳天国」である こと自体が、日本人の英語能力を低くしている。塾に来る大学生で、大学で専門の授業受けている 者がいる。その授業で使われる教科書は英語であるが用意された訳本を使用し、直訳に近い訳に慣れて しまっているため、何時までたっても「読める」和訳ができない。

  2.   もし和訳できるほど英語が十分理解できるのなら、和訳は必要ない[6]。もし、英文が理解できないのなら、 和訳などできるわけがない。だから、和訳を英語教育の中心に据えるのは間違っていると考える。 通訳者を毎年何万も世に送り出す必要はない。通訳の技能は通訳学校を作って少数の人に 教えれば十分である。一方、和文英訳も英語能力向上にあまり役立たないどころか、むしろ有害と さえいえる。なぜなら、和文英訳を繰り返していると、まず日本語で作文し、それを英文に翻訳する癖が ついてしまうからである。これでは、実際に自分で自分の考え方を表現しようとしても間に合わない。
  3. さらに、「英語で考える」能力が養われない。この能力養成こそが英語教育の本来の目的であるはずだ。 英語を学ぶ目的は、英語文化を理解することである。英語のネイティブ・スピーカーは、 時として日本人には理解しがたい思考なり行動をする。その理解しがたいところを理解するために英語の 学習が欠かせないのである。
  4. 英文和訳と和文英訳は、英語の能力として余りにも特殊である上、最も難しい[6]。教育は、その対象が 何であれ、まず簡単なことから少しずつ学び、難しいことほど後で教える方がよいのは当然ではないだろうか。


Deguchi Lab. 2015年3月4日