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白兎の裏日記
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パラレルワールド(夢のまた夢)
3月14日「マスコミ」
今更なにをいっているんだといわれそうですが、最近のニュースの報道がなんとなく心配です。東京都知事がテレビで憤慨していたけれども、芸能レポータが民事事件や刑事事件あげくに政局までレポートしている番組がある。別にだめだとはいわないけれど、タレントの実態報告と同じ感覚で、刑事事件や政局を報告されたのではたまらない。政治家が閉口するのもわかる気がする。質問するならある程度勉強してほしいものだ。
とくに、刑事事件の場合、被疑者を守る義務はマスコミの方にあると思う。今日の朝の番組で「容疑者とのDNAが一致しました」といって芸能レポータがそれ以外の事件への関連も示唆する報告をしていたが、なんということだろう。もう、犯人扱いしているようだ。まだ、逮捕されたわけでも裁判で有罪になったわけでもないのに。真実は私にはわからないけれど、もし、間違いだったらどうするつもりなんだろう。松本サリン事件の教訓は生かされていないのだろうか。こんなものだと思って、これもえん罪かもしれないと思ってテレビや新聞報道をみてればいいのかもしれないけれど、一般大衆はそう思いこんでしまう。松本サリン事件の河野さんの悲劇を私たちもしっかりと頭に入れていなくてはならない。さすがに、そのテレビでは同席した国際政治学者が「DNAは一致したのではなく、”ほぼ”一致したのであり、逆に言えば一致してないところもあるわけであり、事件とはかかわりがないかもしれない。それを警察が調べているんでしょう」とたしなめていた。
すべての情報は正しいと限らないわけであるから、医者を我々が選ぶように、情報も自分自身で選ばないと思わぬことになってしまう。たしか、天下のA新聞が「トルシエ監督解任、ベンゲル監督がサッカー日本代表監督へ」と大スクープ(?)をしたのは一年ほど前のことだったかな。いったい、あの記事を書いた責任者はどうしているのだろう。誤報に対する訂正はあったのだろうか。それとも、スポーツ新聞のようにしっかりと精読すれば誤報とはいえない表現がどこかに記載されていたのだろうか。
今日の内容はチェックされると削除対象になるような気もするが、これが問題になるようでは本当にこの国のシステムはあぶない。
私がいいたいことはひとつ。「松本サリン事件の報道」「トルシエ解任報道に伴う騒動」をことあるごとに思いだし、テレビや新聞からの情報は自分自身で咀嚼しなくてはならないということです。
でもそうなると、なにを信用すればいいんでしょうかね。自分自身ですかね。私の場合、自分自身が一番信用できないんですけど・・・。
3月13日「スノーボード」
卒業予定の電気の学生たちは何人かが北海道でスノーボードをやっているらしい。寒気団が未だに来ているし、コンディションは絶好でしょうね。卒業旅行でスノーボード・・・、時代も変わりつつあります。専攻科生の岩X君、帰ってきたら引っ越しがまってるよ。実験もやってもらわなくっちゃ。
3月7日「ボイスレコーダ」
いろいろ重要な会議に出席することもあり、ボイスレコーダを購入しました。3月発売のT社の最新機です。パソコンのハードディスクに保存したり、テキストファイルにおとしたり、便利な世の中になりました。マルチメディア教育棟もあり、授業も様変わりします。20年ほど前から私は黒板の無い授業をしてきたのですが、今度は学生もノートの無い授業になってしまうのでしょうか。
3月5日「ぺー子永眠す。」
我が家の一員であったぺー子が昨夜、息をひきとりました。享年2歳。我が家の居間で、様々なことを見守ってきた彼女は、御浄土へ旅立っていきました。3月はいろいろな別れの季節なのですが、さらに寂しくなります。敬虔な仏教徒の私としては、死は忌み嫌うものではなく、単に肉体と精神の分離であり、まさに、御浄土への旅立ちであると認識していますので、それほど辛いものではないですが、それでも、残されたものには寂しさが募ります。
ぺー子の冥福を祈って、合掌。
2月27日「サッカー」
ローマの中田選手も、エスパニョールの西澤選手もなかなか結果が出せなくて苦労しています。欧州ではプレミアリーグもブンデスリーグも佳境に入っており、サッカーファンにはたまらないのですが、Jリーグはやっとプレシーズンマッチが始まったところです。プロ野球にあわせていたのでは、マスコミもそちらが中心になってしまう。野球がオフの時期に公式戦をすればいいのに、欧州のタイムスケジュールとずらしているので、代表の試合もピントがぼける。2002年のワールドカップ以後に、タイムスケジュールを変えるらしいが、もう一年前倒しでやってほしかった。
2月21日「採点」
結局、解答を探すよりも、もう一度解きなおした方が早いと考えやりなおしました。3年生の電子工学をつけましたが、授業中にやっていた演習のイメージではよくできるクラスであったので、満点が続出かと思っていましたが、結局、毎年と同じような成績分布になっています。留学生は3年生も4年生も抜群にできるのですが、これは能力だけでなく、やっぱり意気込みが違うのでしょうかね。
2月18日「入試」
今日は高専の入学試験。近年にない倍率になったが、校舎改修の影響なのだろうか。そりゃ、冷暖房完備で、広い教室、学校5日制、その他、魅力あふれる学校に見えます。
2月9日「卒論発表会」
卒論発表会は2月13日に六号館(新しく建設されたマルチメディア教育棟)四階の大講義室で行われます。電気情報工学科では二年ほど前から液晶プロジェクタを導入してパワーポイントなどを用いた発表が行われ始めていたのですが、これからは、どの学科もコンピュータを用いたプレゼンテーションになると思います。私の部屋はこれまでビデオを併用していたのですが、今年からは映像もコンピュータに取り込んで一括したプレゼンテーションを行います。
今年の発表内容はホームページで外から見えるようにしたいですね。未発表のデータなど著作権の問題もあるでしょうけど、情報公開の一つとして、あるいは学校の宣伝の一つとして、電気情報工学科の発表会の内容を外部に公開することはいいことだと思うのですが。
1月30日「教室」
現在の仮住まいの部屋は四月からは電気情報工学科の三年生の教室になります。入り口はスライド式なのですがそこには教室ですので中が見えるように大きなガラス窓がついています。廊下を通る人は必ず部屋の中を覗いていきます。どんな人も必ず絵に描いたように中を見ていきます。
1月26日「本番」
明日土曜日はいよいよ引っ越しの本番です。なんとしても大物だけは明日のうちに移動させておきたい。最大の懸案はあのソファーベッドが入るかどうかです。
1月25日「若かった」
前回の引っ越しの時はまだ30代の前半でした。ところで、自分の机の中を整理していて思いがけないものを発見しました。私の妻の独身の頃の写真です。大学時代からのつきあいなのですが、思わず、そのころに、しばしタイムスリップしてしまいました。ウーン。「あのころ君は、若かった。」スパイダーズの曲でしたね。今は、どこにもその面影もなし・・・。
1月19日「白い影」
渡辺淳一の小説「無影燈」をテレビドラマ化したものですね。スマップの中井君とNHKの朝の連続テレビドラマで女性菓子職人を演じた竹内さんが医者の直江役と看護婦の倫子役を演じています。このドラマは、かなり昔に田宮二郎と山本陽子のコンビでじつはテレビ放映されています。その当時では異色のテレビドラマであり、原作を買ってきて読んだ覚えがあります。田宮二郎は、同じくテレビドラマ化された白い巨塔(山崎豊子原作)で、浪速大学医学部教授の財前五郎役を演じ、最終回で胃癌のため死ぬことになるのですが、放映の数日前に猟銃で自殺するというショッキングな事件があり、最終回の放映が異様に注目されました。ニヒルで孤独な医者にはぴったりの役柄であり、あまりにも、その印象が強烈なため、直江役の中井君とつい比べてしまうと、物足りなさを禁じ得ません。かといって、今の30代の役者で直江役をできる俳優はというとすぐに思い浮かばない。
1月18日「改修・増築」
基礎工事も終わって、いよいよ建ち始めます。並行してつなぎの部分の教室棟もできあがりつつあります。進行状況をデジカメでとって、ホームページに載せるといいのですが、忙しくてできません。2月になったらやろうと思ってます。コンテストや発表会の様子も2月には公開してもらえるのではないかと思います。
1月17日「体調不良」
第四学年の新棟は温度設定が25゜Cのため、真冬だというのに、真夏のように暑い。とても暑いので上着を脱いで授業をするのだが、それでも授業が終わるとびっしょりと汗をかいている。授業がおわって外へでると、このところの大寒気団の影響で雪が深々と降り、ぶるぶる震ってしまう。しかも、新棟から私の部屋までは非常に遠い。先ほどの汗がそのままシャツの中で冷えてしまい、気持ち悪いやら、寒いやら・・・。今朝は、頭が痛いし、寒気はするし、咳はでるし、おなかは痛くて気持ち悪くて最悪の状態です。これは典型的な風邪の症状か(単なる二日酔いだったりして)。引っ越しを控えて今寝込むのは非常にまずい。
1月12日「雪道」2
朝から雪がちらついていますが、あの日はノーマルタイヤで家に帰らざるを得なかった。おっかなびっくりでのろのろ走り、何とか金華橋の北端にたどり着きました。橋を渡り初めて、だいぶ道に慣れたこともあり少しスピードを出してしまったのです。橋の南端はT字路で、突き当たりにガードレールがあり、左右に道が分かれ、私の希望としては左に曲がりたかったのですが・・・、車はブレーキをかけてもスピードが落ちない・・・、ハンドルを切っても役に立たない・・・、迫り来るガードレール・・・。
1月11日「減量作戦」2
金魚運動は結構効いているみたいです。朝起きると、腰が痛いので、筋肉運動にはなっているようです。やりながらウィスキーを飲むのだけはやめるように妻からいわれているのですが、これだけはなかなかやめれません・・・。
1月10日「減量作戦」
年末年始に、昨年の二の舞どころか、昨年に輪をかけて(ますます)太ってしまった。昨年は長男の受験もあり、精神的にはストレスがたまっており、それほど気軽に飲んだり食ったりできなかったはずですが、今年は精神的にもゆとりがあり、冬休みは麻雀、酒、食事しかしていませんでした。(実は、次男が大学受験、長女が高校受験という昨年よりも大変な状況にあるのですが、所詮、私にできることはなにもないとばかりに、開き直っていました)
その結果はもろに体型に現れ、ものすごく太ってしまいました。昨年は一念発起し1月4日、5日、6日とリンゴダイエットで3キロほど減量したのですが、今年は忍耐力がなく、とても続かないと思い、そんなときに眼にしたのが、あの金魚運動(ゆらゆらユレックス)です。早速買ってきて、試していますが、15分間身を任せて下半身運動をさせていると、終わったときにはすぐには立ち上がれないくらいです。寝ながらできますし、テレビを見たり、本を読んだり、お酒を飲んだり、ぽりぽり菓子を食べたりすることができ、忙しい(?)私にはぴったりの器具です。その成果は・・・、まだわかりません。
12月25日「雪道」
今でこそ、車は4WDになり、冬タイヤを装備し、スキー場への車の運転も豊富にあるので、それほど雪道の運転も不安ではありませんが、当時はFR車でノーマルタイヤで、しかも雪道運転の経験もほとんどないという状態でした。しかし、夜も遅いし、雪はやみそうにないので、このまま帰るしかないという状況になってしまいました。
12月24日「引っ越し」
土日も工事をやっている。年末年始はどうするのだろう。21世紀は、部屋をきれいにして迎えたいのだが、引っ越しの準備で掃除どころではない。引っ越しは自分一人でできるように準備しておかないとたぶんパニックに襲われると思う。五年生はまず、卒研に打ち込んでほしい。
12月22日「アルコール」
忘年会ではビールを飲んでいたんだけれど、どれだけ飲んでも酔わなくなってしまった。まるで、コーラかポカリスウェットを飲んでいるようだった。最近、というかここ十年以上、というか結婚して以来毎日お酒を飲んでおり、唯一お酒を飲まないのが2ヶ月に一回の寮の宿直の時だけ。しかも、酒量がどんどん増え、とうとう今ではウィスキーを3日で1本というペースになってしまった。アルコール依存症になるかもしれない。もう、とっくにアル中ですって?うーん。返す言葉もない。
12月21日「ふぐ料理」
今日の忘年会はふぐ料理。まさか、当たって死ぬことはないと思うけど、やはり、すこし心配です。金曜日に全員死亡なんてことになったら、電気情報工学科はどうなってしまうんだろう。せっかく増築・改修してきれいになっても、住人はいない・・・なんてことになったら大変ですね。去年も同じことを書いていたような気がする。
12月18日「年賀状」
土日の休みを利用して、年賀状を書き上げた。書き上げたといっても、昨年のファイルを呼び出して、干支のカットを蛇に変えて裏面は出来上がり。表面は住所録がファイルになっているので喪中の所だけを削除して宛名ソフトで書いて終わり。全部を印刷し終えて、今年も年賀状は早く終わったと酒を飲みながら裏面の蛇のカットを見ていてあっと驚いた。日付が2000年元旦!裏面は全部印刷済み!!
妻や子供たちのあきれかえった顔をしりめに、私は「気づかなかったことにしよう。誰も、気がつかないさ。誰かに言われたら、アリャリャといって笑ってごまかそう」。妻や子供たちは自分の分だけは一生懸命なおしていました。私の分はそのまま。21世紀の元旦に1世紀前の日付の年賀状が届くのも、いいではあーりませんか。いよいよ、あいつはぼけてきたなと言われそう・・・。
12月14日「忘年会2」
一口ビールをのんでしまったら、もう止まりませんでした。ウィスキーのお湯割りまで注文してたっぷりと飲んでしまいました。新潟に転出していったS先生がいたころには、いつも自然に二次会に行っていたんですが、昨日はおとなしく帰りました。来週の木曜日は電気の忘年会。昨年に引き続いてふぐ料理。電気もメンバーがだいぶ入れ替わり、一時期あれだけ盛大にやっていたカラオケがすっかり影を潜めてしまった。たしかに、カラオケをやろうというのは、現在のメンバーでは勇気のいることだ。T田先生も、寂しそう。早く愛妻の待つ家に帰りたいだけのことかな。
12月13日「忘年会」
今日は学校全体の忘年会。ちょっと体調も優れないし、つきあい程度に顔をだして、飲まずに帰るつもりです。といっても、飲んでしまうんですけど。
12月7日「創成型実験」
電気情報工学科の一年の設計製図、電気工学科の第2学年および第3学年の学生実験の授業要目を見ていただければわかりますが、卒業生の皆さんの時代からするとずいぶん変わったと思います。今から思うとずいぶん大変なテーマをやっていたものだと思いますが、それはそれで教育効果はあったのでしょうが、高専生には学問的なことと同時に、技能的な実力、あふれんばかりの創造力を身につけさせることが必要だと考えています。さて、本当にそのような力はついてきているのでしょうか。ロボコンで今年の四年生が、自分たちのアイディアをだし、自分たちの力だけで立派にロボットを製作し、全国で準優勝できたのですから成果は本当にあがっていると思います。なにしろ、校内審査で差し戻しにあい、なおかつ一度はだめだといわれたんですから。そんな評価を見事に跳ね返して準優勝したわけですから、学生は大いに誇りに思っていいと思います。学生たちは謙遜して、つきまくっていたと言っていますが、決してそんなことはないと思います。運だけで勝ち抜けるほど全国は甘くありません。実験の神様がいるように、ロボコンの神様も必ず存在し、四年生の努力をじっと見ていてくれたからだと思います。
11月30日「シンポジウム」
昨日、三菱電機名古屋製作所で光造形法に関連したシンポジウムが開かれました。日本の光造形の研究者が一堂に会するもので、おそらく、光造形に関しては日本の最先端をいくシンポジウムだと思います。紫外線硬化樹脂を企業からおわけしていただいている関係もあって、研究発表を依頼されていました。卒研生の岩崎君に25分間の発表をしてもらったのですが、初めての舞台だというのに、実に堂々としていました。パワーポイントとビデオを使ったプレゼンテーションも見事でした。五年生での発表は、年度末に学会で話させたことはありますが、この時期に、しかもシンポジウムで話させたことは初めてです。おそらく全国の高専でもそれほど例はないと思います。さて、次は・・・。
11月22日「山口良治氏」
昨日、NHKで「つっぱり生徒と泣き虫先生」という題材で京都伏見工業高校ラグビー部の生徒と監督の山口良治氏が紹介されていた。荒廃していた学校をラグビーを通じて更生し、全国大会の優勝にまで導くという成果を上げた。その話は「スクールウォーズ」というタイトルでテレビドラマ化され、主題歌は朝倉未希が唄って大ヒットになった。その後、日本代表の中心となった大八木選手や平尾プロジェクトで有名な現日本代表監督平尾誠治を育て上げている。
昭和50年代はじめの頃の話であり、丁度そのころ、私も高専に赴任し、こともあろうにラグビー部の顧問を一人で任せられ、高専地区大会出場停止などの似たような様々な問題、事件に巻き込まれ悪戦苦闘していた時期であり、ラグビー関係者からいろんな情報を得ることができ、このドラマを興味深く見、そして、いろんな影響を受けたことを思い出す。ラグビーには全くの素人であったが、岐阜県ラグビー協会の助けを得て、いつも一回戦で大敗していたラグビー部が、五年計画で力を付け、地区大会を勝ち抜き、初めて全国大会に出場できたときのことが蘇ってきます。現在、ラグビーの試合では試合中のけが人を手当するために、ゲームを続行したまま手当をすることになっています。これはメディカルサポーターといって日本ラグビー協会から認定されるのですが、私も講習会に参加し、この認定証を持っています。
就任一年目に、ものすごい事件が起きたり、番長連合の番長が入部してきたり、大変な時代でしたが、思い出深いものでした。山口良治氏は「自分が生徒になにもしてやっていないことに気がついた。生徒が私の助けを待っていることに気がついた。そのときから、変わった。」と述べられていた。その言葉は本当に重みがある。
11月21日「稲葉P3」
四年生のメンバーの内、2名がヨット計画、1名が盲人用の杖、1名が楽器をピックで作ることになりました。そういえばもう一人いたはずだが?
11月18日「稲葉P2」
二年もブランクがあると学生も誰も稲葉Pなんて知らない。稲葉ピーナッツのことだと思っているんじゃないでしょうね。復活させようとホームページのファイルを探しているんだけど見あたりません。削除してしまったのかな?
11月17日「稲葉P復活」
あの悪名高い稲葉Pをいよいよ復活させます。といっても、稲葉P2の方です。太平洋無人ヨット横断計画。少し自信がついてきたのと、四年生に期待して、もう一度挑戦して見るつもりです。専攻科生まで巻き込んで、五年計画ぐらいでやって見るつもりです。とりあえずは、やっぱり高専プールの横断です。
11月13日「ノートパソコン」
長男にそろそろパソコンをつかわせるようにしようと思い、11月のはじめに
市内の電気屋さん巡りをしました。折しも、K電機が開店したときでもあり、Y電機やG社、など近隣にいろんなパソコン屋や電気店があったので、じっくりとまわりました。チラシの10%引きまではしてくれるので、過当競争は歓迎です。何しろ
10%といっても2万円ぐらいの差になるわけですから、K電機が開店してくれたのは大きい。どこが一番安かったかは営業妨害になるので書けませんが、結局シャープのメビウスを買いました。安いプリンターをつけて、東京におくったのですが、長男にはもったいない性能です。
10月14日「留学生」
電気工学科の3年の留学生は抜群にできる。どうしても、最初の方はわかりやすく授業をするために進度が遅くなるので、彼女にとっては物足りないかもしれない。
3年の電子工学はこれまでの学年よりよくわかるようだ。前期の授業だったのを、今年だけ後期にしたのだけれども、微積や応物の授業が進んでいるのでよくわかるのだろう。半年の差は大きい。
とてもいいクラスだ。いまのところ・・・。
10月13日「裏日記」
電気工学科の3年生にも簡単に発見されてしまいました。今年の3年生はなんかまじめそうだ。もっとまじめに授業をやれと言われそう・・・。親父ギャグは煙たがられるものだが、私の場合はギャグではなく雑談なのでもっと始末に悪いのかもしれない。
いつ、校長先生のおしかりをこうむることか。しかし、初代校長からこれで5人の校長に接してきたが、一番波長が合っているような気がします。ひょっとしたら私と同じ人種なのかもしれない。ちょっと失礼な表現でしたね。
10月6日「授業」
体調が悪いときは別だけど、授業をする事を苦痛に感じることはほとんどありません。むしろ、楽しみにしています。辛いと思うと、よけい大変だし、学生にもその思いが伝搬し、重苦しい授業になってしまいます。適度に(いつも?)へらへら雑談をしながら、適度に(適当に?)授業をする。そんなことだから、電気の学生の力が伸びないのだと言われそう。
しかし、研究室に閉じこもっていると、なかなか、人と話すことができないし、元来が、話好きの私としては、授業は楽しいものです。そう思わないと、人生辛く感じます。好きでこの仕事をやっているんですから。自分の仕事なんだから。
10月3日「ユーロ2000」
ソフトピアで開催されている国際会議に岐阜高専のPR用のブースがおかれ、ロボコン関係の写真などもポスター用に提出しました。昼から休みを取って見てこようと思っています。
明日は中学生の一日入学でロボットの実演がおこなわれます。今回から電制の森先生に仕切ってもらうようにお願いして、私は一歩(二歩、三歩?)さがって見ております(見てないのと同じ?)。一ヶ月間の成果を見せてほしいものです。
9月29日「科学研究費を獲得するために」
科研費に対する考え方は、大学か高専かという組織による違い、専門分野による違い、年齢層による違い、および立場による違いなどによって異なるが、高専教官としての私の個人的な意見を述べたい。
きちんとした日本語で書くこと、わかりやすい表現にすること、そしてなによりも、熱意をもって書くこと等、科研費を獲得するためのテクニックに関しては、微妙な部分で差があるものの、ほとんど意見は同じであろう。また、最も重要なことはテーマの選定およびその内容であることも、当たり前のことであり、私もこのことに最も多くの時間をかけている。しかしながら、その最も重要なテーマ設定に対する考え方は、申請者によって大きく異なる。
科研費の内容に「夢」を書いてはいけないと主張する方がいる。また、ある程度、進んでいる研究を進展させるような内容にすべきであると言う研究者もいる。それはその先生方がその手法で採択されてきたことであり、専門分野も、年代層も違っているので、それなりにその意見は尊重するが、私のいる分野ではとてもそんなことを実践する気にはなれない。夢が描かれていない研究ばかりが科研費に申請され、quantum jump を期待できないようなテーマばかりが採択されていたのでは、日本の将来は暗いと言わざるをえない。
学位取得後もアクティブに研究活動をしている高専の先生方の多くは、大学とコンタクトを持ちながらも、大学の研究室とはすこしはなれたところで、かなり自由度の高い研究をされていると思う。高専の先生方の中には、大学の教官と比較しても、遜色のない実績をあげておられる方がかなりいることを私は知っている。テーマの選定が大学と異なりかなり自由であること、また、拙速な業績を要求されないことが、高専における研究の唯一の長所であると考えている。残念ながら、そのことがぬるま湯的な体質を生むこともあるのは事実であるが。しかし、我が岐阜高専はこれまでに科研費採択率が40%を越えるというすばらしい成果をあげているではないか。私の経験ばかりではなく、身近なところでも、「当たってほしくないようなテーマが当たってしまってこれからが大変だ」という声を時々聞く。軌道に乗っているテーマが当たれば、報告書を簡単に書くことができるが、夢のようなことを書いたために、一から始めなくてはいけないので大変だという意味である。大学に比べて高い採択率を高専が得ているのは、思い切った提案が、斬新なアイディアが高専の方が出しやすいからではないだろうか。
私は、出身も現在の所属も電気系である。学会活動も電気や応物が中心である。しかし、私が申請している分野は機械工学であり、機械系の教授で私が知っている先生は一人もいない。私の申請が全くなじみのない専門分野で、たまたま運良く認められているのは、できそうもない夢のようなことを書いているからではないかと思っている。いつも、科研費が採択されたときには喜びと同時に、実際の研究に対する一抹の不安とおっくうさ、そして、国民の血税を無駄にできないと言う重荷を感じる。成果が出るのだろうかという心配もする。軌道に乗っている研究はそのような心配があまりないので、精神的なゆとりはできると思う。しかし、そのような研究は通常の研究費でまかなったほうがいいと思う。研究を飛躍的に発展させる場合は科研費を申請するのが、高専ではあっているように思う。岐阜高専の他の先生方の申請書を読んだことはないが、採択されているテーマを見る限りは、皆さん面白そうな研究をなされている。大学で見られるような、堅苦しいテーマではないような気がする。
これまでに高い採択率を上げられてきた先生方が、様々な意見を聞き、方針を変えられるのか、それとも、ご自分のポリシーを貫かれるかどちらかはわからない。私自身は、夢を書きたいと思っている。夢を書いて採択されなくなったときは、研究者とは認められなくなったときであると認識している。
15年以上も前になるが、ある若い先生がなかなか科研費がとれないので、私の申請書を見せてくれと申し入れられたことがあった。その後、その先生はずっと欠かすことなく科研費をとり続けておられる。他の研究者の申請書を参考にする謙虚さを持つことは非常に重要であると思うが、おそらく、彼は私の申請書の書き方をみて、書き方が大事なことではないと認識して、それを悪い見本として、新たに見つめ直したことで、科研費がとれるようになったのではないかと思う。最も大事なことは、あらゆる手を尽くして、自分の分野にもっとも適した方法を模索する姿勢ではないだろうか。
私の意見も含めて、いろいろな考え方を謙虚に聞くのは大切なことではあるが、そのすべてが有効であるかどうかは、自分で判断するべきだと思う。それが第一歩だと思う。
稲葉の私見であることを最後におことわりしておく。
9月28日「PIC」
むつかしいですかねえ。私のようなロートルでもものにできたのだから、若い先生方ならすぐにできるとおもいます。三年前にロボ研の連中が使い始め、すごいなあと感心すると同時に、いつかものにしたい技術だと思っていました。昨年、四年生の設計実習で岩・・君がなんとか使っているのを見て、彼にできるのなら私にできないはずがないと思い、なんとか使えるようになりました。今年の四年生の設計実習は、私がPICを担当しましたが、後期の設計実習では、各自がPICを使った面白い工作をやらせるつもりです。「電気おもちゃ」等というタイトルで毎年、面白い工作をつくらせたい。いい創成型実験になると思っています。
9月25日「レーザプリンタ」
故あって320枚のカラー印刷をしていますが無事全部印刷できるでしょうか。本当に役に立っています。高い買い物でしたからね。維持費が大変ですが、理工系教育推進経費で十年分ぐらいトナーを買っておいた方がいいだろうか。
9月22日「試験監督」
四年の電気磁気学の試験中にたまたま、掲示物を見ていたら、実に面白い記事を発見した。T先生の記者会見の一部なのだが「・・・しているから、xxxても
えーやんか」には思わず吹き出してしまった。一部の学生に見られたが、なぜ笑ったのかわかっているようであった。
9月21日「エッ」
五時になったら、さっさと引き上げようかと思っていましたが、少し我慢すれば良さそうだったので、最後まで出席していました(当たり前ですね)。おかげで、ビッグ(ビックリ)ニュースを聞くことになった。本当にビックリ。
9月20日「専攻科」
専攻科2年のU君は名古屋大学の大学院に合格したそうだ。S君も豊橋技科大の大学院に進学がきまった。二人とも秋にはオーストリアとアメリカの国際会議で発表するという。大学四年生で国際会議で発表するなんて、まず一般大学ではあり得ないでしょうね。高専から大学の3年に編入した学生たちは一生懸命勉強をしているのだろうけれども、その環境は専攻科よりいいとは思えない。u君などは電子情報通信学会から学会賞を受け表彰されているが、これはドクター課程の学生でもなかなかもらえないものだ。すごい成果が専攻科ではあがっている。どこの高専にも専攻科が認められ始めているが、これからは、専攻科を充実させている高専が生き残れるんでしょうね。独立行政法人化されれば、これが大きな指標になることは間違いないところでしょう。電気のS先生やT先生も彼らの活躍で、優れた論文を発表できるわけだし、一石三丁にも四丁にもなる。私の部屋にも昔、S女史が専攻科生でいたが、たくさんの成果をあげてくれた。専攻科の学生を戦力に加え、久しぶりに大きな研究をしようと思っています。
9月19日「実践技術単位」
いよいよ実施することになりました。成果はあるでしょうか。マイナスになることはないと思いますが。学生には、どれくらいの刺激になっているのか知りたいところです。
9月13日「写真集」
どうしてかなと思っているうちに、いつの間にか映り始めており、ホームページに載るのが文章よりも写真が遅れるのかななどど、今から思うと馬鹿なことを考えていました。もう一度、「体験!コンピュータワールド」の写真集のリストを見たら、いつの間にか.JPGになっていました。私は入れた覚えが全くないのです。F先生が気を利かせてなおしてくれたのでしょうか。いつも、すみませんね。
今回は写真ごとにコメント(チャチャ?)を入れましたので、ファイルを写真ごとに別にして、43個のファイルを作りました。すべてを訂正したのですが、昨日、これを作るのに2時間、今日直すのに30分、いかにも疲れました。無知というのは辛いですね。
9月10日「ロボット実演」
毎年、立ち見が出るほどたくさん見に来ていただけるのに・・・。
昨年よりはかなり充実した実演ができたと思います。私の役目もこれで一段落という事で、早く言えば引退と言うところですかネ。
9月1日「大改修」
いよいよ始まります。すでに機械工学科の5年のCRは改装されています。昨日、部屋に入らせてもらいました。広いですね−。ガスエアコンまでついているではありませんか。来年からは快適な授業を受けることができます。とりあえず、機械と建築の教室の改装は夏休みに終わりましたが、かわいそうなのは我が電気工学科第五学年・・・。
8月28日「ロボコン」
四年生も最後の追い込みでがんばっているようです。丁度、私の部屋の真上で作業をしており、鋸の音がよく聞こえてきます。今年は地区大会がいつもより遅いので、余裕を持って臨めるのではないでしょうか。今年は、仲先生もお見えにならないし、電気情報工学科としては試練の年だと思いますが、結果は如何に。
8月24日「夏の総括」
終わりよければすべてよし。忙しい夏であったが、この夏を振り返ってみると、このことわざにつきる。終わりが悪ければすべてが台無しという事です。水曜日の朝、車庫から車を出すときに、柱にあててボディーがへこんでしまった。しかも、ゆっくり出して、擦ったのに気がついたのに、ハンドル操作を誤って、さらに追い打ちをかけてボコンとへこましてしまった。見積もりでは7万円かかるとのこと。あまりの音に、しかもその音が何回も何回もすることに驚き、妻や息子たちにしっかりと見られてしまった。トホホ。
やっぱり、私の毎月の小遣いからひかれるんだろうなあ。
8月18日「高専見学会」
今年もロボコン参加ロボットの実演を行います。例年になく順調に制作活動が進んでいるので、中学生にも見応えのある催し物になりそうです。昨年も3回実演しましたが、毎回、200人以上の生徒が集まっていました。本番並の緊張感があるから、学生にもいい経験になります。
8月11日「パフォーマンス」
ミレニアムメッセージをなににするかで、全国大会への出場が決まってしまいます。いいアイディアがあるんですが、学生たちが取り入れてくれるかどうか。こっそり自分で作っておいて売り込んでみようかな。
8月9日「夏季休暇」
残念ながら、残した仕事がいくつかあって、時々、出校してこなければならない。休日出勤というのはあるが、休暇出勤というのはないでしょうね。
8月3日「誕生日2」
本当は今日は休暇を取って家族と過ごしたかったのですが、四年生が電気設計実習を昼からやりたいと言ってきたので、出校してきました。私用よりも公用を優先するのは教官として当然のことですから。別に、祝うほどのものでもないし、学校にいた方が仕事がはかどります。私も、蟻とキリギリスではないですけど、この夏休みの内に仕事を進めておきたい。
8月2日「誕生日」
明日は私の誕生日です。49歳になります。21世紀を50歳で迎える事になります。人生50年といいますが、あと一年で、私はなにを残せるのでしょうか。
8月1日「理工系推進事業2」
さすがに疲れました。イベントを計画し文部省に予算申請したのが、校内締め切りもすぎてしまっていた3月末。昨年も認められていたので、二年連続は無理だろうと思っていましたところ、思いもかけない認定の通知。またしても、科研費並の大きな予算をいただけることになりました。科研費で鍛え上げた申請書作成能力の成果だと自画自賛していましたが、一番、決定的なことは、科研費でも同じですが、内容そのものです。
昨年と同じように高専祭に並行して開催しようと考えていましたが、六月の中旬に公開講座の代わりにやろうと急に思いつきました。前々から公開講座はずっとやってきたのですが、中学生に3000円から5000円もの受講料をいただくのに抵抗があり、ボランティアでできないものかと考えていた矢先でもあり、急遽7月末に実施することを教室会議で決めました。ポスターと案内を急いでカラーレーザプリンターで作り、岐阜地区の中学校宛に送付しました。結果的には、一宮からも応募者があり、もう少し配布先を広げておけば、もっと、たくさんの中学生が来たのではないかと思います。配布後、続々の申し込みがつづき、予定定員よりも大幅に増えたらどうしようかと思っていましたが、単なる杞憂でした。その後、ぱったりと申し込みは途絶え、今度は定員切れを心配していました。最悪の場合は、こちらから人集めをしなければならないかなと考えていましたが、幸いにも締め切り寸前(締め切り後も)急に申し込みが増え、なんとか予定していた人数までは達することができました。
企画については私が全部の責任を負いましたが、今回は企画だけに徹しました。公開講座ですでに経験のある「電子回路」および「ホームページ製作」に電気情報工学科に新たに導入されたネットワークコンピュータを用いた「コンピュータ体験」を加えた3種類の体験コースを用意しました。内容・講師は若手の先生にお任せしました。また、見学コースにはいくつかの出し物を用意しましたが、どれも、好評でした。あれだけ好評なら、体験コースのクラス分けのまま、見学ルートを定めて、説明を一通りすませて、それから希望の所に自由見学にいかせればよかったのかもしれない。
当日は、私は受付と概要説明をしたあとは写真屋をやっていましたが、大成功だったとうぬぼれています。何にもまして電気情報工学科全体で取り組めたことがよかったのではないかと思います。当初の予定では高専祭に実施する予定でしたが、どうしましょうかね。大改修などもあるし、そんなことをやっていられないかもしれない。今年のこのノウハウがあれば来年もたとえ予算がこなくても比較的楽に、しかも、もっと効果的に、効率的にできるのではないかと思います。
できることならこれを定着させ、中学校の先生には毎年の事として認知していただけるようになれば、所期の目的も達成することができます。理工系ばなれに歯止めをかけるためには、予算のあるなしに関わらず継続的に、このようなイベントを繰り返すことがもっとも重要な事だと思います。公開講座と違って、先生に対する手当はなく、全くのボランティアになるわけですが、来年も是非続けて実施したいと思っています。 アシスタントの学生たちも全くのボランティアですが、それなりにいろんな経験・勉強になったのではないかと思います。電気工学科の五年生全員と四年生の一部の学生は快く協力してくれました。みんなそれなりに満足感があったのではないかと思います。サイエンスボランティア。高専生によく似合う言葉だと思います。
7月31日「理工系推進事業」
体験学習、ロボコン、立体画像、レゴ、アイボ、名刺どれも大盛況!
80人弱でしたが、どこも人の山。中学生の明るい笑顔、興味深そうな眼。岐阜地区だけに限定してしまったが、とても、有意義な事業でした。日本の将来に少しでもお役にたてたのなら幸いです。
デジカメに撮りましたので、近日中に公開したいと思います。
7月28日「充実」
やっぱり、だめなものはいくら言ったところでだめ。長年培った性格はちょっとやそっとではなおらない。こちらもそんなに影響力をもった教官ではない。
7月26日「夏休み3」
夏休みになったとたんに、急にいろんな事がでてきました。理工系教育推進事業、実践技術単位、改修・新築・・・。会議も長くなります。ほとんど私の責任なんですけど。しかし、今しっかり時間をかけて話し合わずにいつやろうというのか。しっかりしたビジョンをうちだす責任が私たちにはかせられている。
7月19日「夏休み2」
いろいろ忙しくて、研究モードに入れない。自分でいろんなものを背負い込んでいるからだめなんですけど、人徳がないから、誰も・・・してくれない。
7月18日「夏休み」
いよいよ始まりました。五年生も、四年生も来ています。今年は期待できるかな。
電気情報工学科で作っているロボットは、とりあえず木登りはできるようです。
7月14日「原点」
最近、老化のためか眼が曇っていた。しかし、やっとそれも晴れた。私は再び原点に戻るべきだった。高専に来た頃、そして、三十代半ばの論文を書きまくっていた頃に。いつの間にか・・・先生と同じ穴の狢になってしまうところだった。
7月13日「前門の虎、後門の?」
日曜日のクイズ番組で大学生がこの問題に答えられないのを見て驚いた。受験生の次男も知らない。妻も知らないという。長女はどうしたわけか知っていた。
「信賞必罰」努力をして成果を上げた者にはそれなりの評価を、怠惰な者にはそれ相応の不利益を与えるような制度を電気情報工学科に導入しようと画策しています。お楽しみに。
「前門のK先生、後門の?先生」といえばすぐ答えはでるでしょうか。
7月11日「損して得とれ」
債権放棄でもめてますが、たとえ損をしても守るべき事は守らないととんでもないことになると思う。目先の損失だけにこだわっている場合ではないと思うが・・・。これは削除対象かな。
7月6日「ロボコン」
ロボ研はなんとか作るだろうが、電気の方は本当にできるのだろうか。作る本人たちが、できるだろうかと不安になっている。
先日、テレビで「最近の若い人は根拠のない自信をもっている」という話がでていた。「小子化で親が子供の面倒を見る時間が長くなり、学校や塾への送り迎えなど、助けてもらえることが多く、どんなに事が切迫していても最後には何とかなる、何とかしていただけると思いこんでいる。そのための努力はほとんどしない。」といった内容だった。
そんな風にしてしまったのは、我々の年代の責任なんですけどね。そのかわり、我々の面倒は若い人に見てもらうという恐ろしい構図になりつつあることを若い人は気づいて、それをとがめる努力をするべきなのだが、それすらできないように教育されてしまっている。
7月4日「猛暑」
暑い。梅雨はどうなってしまったのだろう。暑い。毎年、7月の暑い授業を一回やれば、夏休みだったのに。まだ、2週間も残っている。他の休みを削ってもいいから、早く補習・補講期間にしてほしい。
6月30日「先生を尊敬する生徒」
漫画やテレビの影響じゃないかな。学園ものの漫画は正義感に燃える一人のスーパーマン的教師と悪玉教頭とそのグループ、その他大勢の日和見教師、そして善良なあるいは謎の校長というパターンばかりですからね。
実際は、どこの中学や高校でもみんな一生懸命がんばっておられます。私の義理の弟が岐阜市の中学校で教頭をしていますが、朝7時に家を出て、夜11時に帰ってくる生活を続けています。若い先生方はほとんどその時間まで残っているそうです。
NHKの中学生日記はその点では評価できる作品ばかりですね。残念ながら、視聴率は上がらないので民放ではなかなかああいった作品は作れないでしょうし、漫画では絶対に売れない。
6月28日「非常勤講師」
岐阜大学から「電磁気学応用」の授業を急遽依頼されて引き受けることになってしまった。まったく、外から頼まれると断りきれない性格の弱さが恨めしい(内から頼まれたことはたとえ校長といえど、いやなことは、きっぱりと断るんですけどね・・・)。
科研費の研究を2テーマ抱え、岐阜県研究開発財団の仕事、中部原子力懇談会の委員、ものづくり事業、理工系教育推進事業、ロボット研究会等次から次へと抱え込んでしまっている。(もちろん学校の校務、そういえばカリキュラム検討専門委員会もあったっけ。今年はまだなにもしていないなあ)。なんか発狂しそう。やっぱり引き受けるべきじゃなかったかな。でも、礼を尽くして頼まれると断りきれない。非常勤は昔からよく頼まれていたが、頑として断っていたのだけれども、ある時、主任の時にこちらがお願いしていた手前、断りきれなくなってしまった。その後も別の科目をよく頼まれたが専門が違うとか何とか言って断っていたのだけれども、さすがに、電磁気では断る理由がない。
先日来、新しいテーマでグッドアイディアが出そうな気がするのだが、なかなかじっくり考える時間がなく、ものにならない。はやく夏休みにならないかなあ。今年は7月17日まで平常授業がある。夏休みが待ち遠しいのは学生ばかりではないんです。
6月27日「ピック」
すっかりはまってしまった。本当にいろいろなことができて面白い。技術屋さんになってしまった。高専の教官は研究者であると同時に技術者としての能力を要求される。
高専の教官には高専卒がぴったりかもしれない。全部卒業生で固めてしまうのも一つの選択肢だ。
6月22日「カラーレーザプリンタ」
特価で11万8千円で売っている。安い!とは思うが、衝動買いすると後の維持費に困るからなあ。150万円ぐらいで買ったのに・・・。
6月16日「サラウンドシステム」
サラウンドシステム用のICを手に入れました。高専見学会では本格的なサラウンドシステムに立体画像を組み込んだ音響映像空間を実現しましょう。
6月14日「ワンチップマイコン」
やっとピックが使いこなせるようになりました。サーボモータもステッピングモータもいけそうです。今は駆動用のICにピックまでつけたキットが売っていますので、ピックに信号を送るだけでいけるから、とっても楽ですね。
四年生でもできそうだから、ちょっと教えてやらせてみるかな。卒研生と専攻科の学生もいるんですけど・・・。
6月12日「裏日記」
裏日記も四つ目のファイルになってしまった。裏が裏でなくなってしまったようで、キーボードをたたく手つきにもいまいち力が入っていない。すっかり、守りに入ってしまったのかなあ。
今年の夏の目玉は理工系教育推進事業。予算もいただいていることだし、中学生を集めて、体験事業をやってみたい。毎年来てもいいように、いろいろなものを買い込んでおいた方がいいだろう。
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