BestHtml ロボコン’98指導(観察?)日記

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since Sep. 1st, 1998.


ロボコン’98への取り組みをクラブ顧問の立場から見て


10月分はこちらに  九月分はこちらに

まえがき
 NHKロボットコンテストの地区大会が10月に鳥羽商船高専で、全国大会が11月に両国国技館で行われます。一昨年は指導教官として初めての参加にもかかわらず、全国大会ベスト4という思いもかけない経験をさせていただきました。同じ電気工学科の先輩教授の仲先生が電気工学科の二年生を指導され、地区大会ではベスト4まで進出され、たまたま私どもの方が全国に選ばれましたが、仲先生の方が選ばれても全国で同様の活躍を示されたことと思っております。昨年度は私のわがままから休ませていただき、仲先生がロボ研の2台のマシンの指導をされ、ご迷惑をおかけしてしまいました。今年度は一昨年以上の成績を願って、指導教官として復帰しました。何かの参考になればと思い、指導(観察?)日記を書くことにしました。ロボコン以外のことを書くこともあり、私物化とのそしりを免れないかもしれませんが、うまくいかなかったときの言い訳、著者の独り言と解釈して読み飛ばして下さい。 今年の課題やルールなどについては他の記事で紹介されると思いますので、既にご存じであるという前提で話を進めていきたいと思います。
 インターネットのホームページに記事を掲載する場合には出版物と同じ慎重さを要求されますので、私の誤解によるところがあればメールなりでご指摘いただければただちに修正いたします。思わぬ方面に迷惑がかかることがあるかもしれませんがご容赦願います。また、今後も写真などができあがり次第、リンクさせていく予定です。

ロボコンに 初めて参加 やみつきに (おそまつ・・・白兎)


テーマ
 今年のテーマは「生命上陸」であり、親機から切り離された子機が、自立して判断することにより成長していくところに主旨がある。一昨年の輪投げからはじまった創造性を要求する延長線上にある。色で区別された島をさがすという課題は、光電子機械を専門とする私にとっては極めて興味あるテーマであり、色識別で島を判断する方式を取り入れる高専にとってはオプトエレクトロニクスの実際を学ぶ絶好の機会ではないだろうか。回りを含めた全体の配置をみても、出題者の配慮がよく行き届いているように思う。 電気を専門とする立場からロボコンを見ていると、電気の学生が実力を発揮できるところはせいぜいモータ制御ぐらいであったが、一昨年ぐらいから計測制御が役に立つルール展開になり、高専部門もいよいよ本格的にZ80やPICによるコンピュータ制御による自走ロボットの時代になってくると実感している。
6月2日
 学生主事より、ロボコン’98のテーマ、および本校での取り扱いなどを示される。 主題のアプローチの一つに色識別があると思われる。昨年度の稲葉研の卒研生で名古屋大学に編入学した堀君は在学時に全国ベスト8まで勝ち抜いており、彼の研究テーマが色識別に関係したものであり、干渉型フィルターを自作していたので、もう一年このテーマが早ければおもしろい対応ができたのにと残念に思う。 本校の学生や他高専の学生が色識別の観点からアプローチするのか否か、また、既存のフォトインタラプタを用いるのか、自分たちで製作するのか、光電子機械を専門とする私からは非常に興味のあるところである。  ロボ研としては2台のロボットを校内審査(6月29日)に提案することにする。
6月5日
 妻が突然入院する。学生たちと検討もしたいが、子供たちの面倒もあり学生たちに任せて家に帰宅する。
6月9日
 専攻科の入試など、専攻科委員としての仕事や学科主任としての仕事に追われ、また、妻の入院が長引くなどでロボ研の面倒を全く見ることができない。ロボ研の学生たちは優秀だし、ロボコンの趣旨からも教官が出しゃばるべきではないし、一昨年もほとんど学生に任せて全国ベスト4になったことだし、ロボ研の学生たちを信じて(自分の都合のよいように解釈して)、すべてをまかせる。
6月11日
 妻は一度退院するも再入院。入院した妻の面倒、高三を筆頭に小四までの四人の子供たちの面倒、炊事・洗濯・掃除、その他ありとあらゆる家事労働が私の背中に乗りかかってくる。学生たちに悪いと思いながら、家の生活を優先する。

梅雨入りね 妻の涙に もらい泣き (白兎)

6月23日
 疲れ切った毎日が続く。追い打ちをかけるように、4年間大切に育て上げた私の宝を、私の不徳から思いもかけない出来事で失うことになる。私のこれまでの過去を振り返り、神が与えた試練なのだろうか。自らの不徳を責める。

教え子の 見つめる視線 胸を刺す (おそまつ・・・白兎)

6月26日
 自分自身が情けなくて、涙を禁ずることができない。
6月29日
 校内審査終了。ロボ研からは一台が入選。もう一台はやはり今年も仲先生で、今年は電気工学科の四年生を指導される。変わらぬ熱意には頭が下がる思いである。地区大会の決勝戦で雌雄を決したい。内容については、今の段階では詳細を記すことはできない。いよいよはじまる。
6月30日
 科研費の交付決定通知書が届く。今年も基盤Cに加えて基盤Bの大きな予算が認められた。昭和59年に初めて科研費をいただいてから、最近では8年連続して毎年二種類の科研費をいただけている。いったい総額ではいくらになっているのだろうか。怖くて合計できない。論文はそこそこ書いているものの、それに見合うだけの成果を社会に還元しているのだろうか。国民の血と汗の結晶である税金を無駄にしてはいないのだろうか。この間国有特許も二つとらせていただけたが、反省する点も多い。忸怩たる思いも湧く。また、これらの研究テーマを進めるに当たり、学生への教育やクラブ活動の指導などに弊害がでてはいないか、心配はつきない。この夏に見通しを立てたいが、卒研生のがんばりに期待しよう。
7月6日
 妻の入院生活も一ヶ月になるが、退院のめどはたたない。
7月7日
 製作場所の確保にかかる。部長とともに学生課へ交渉にいく。予定していたビデオルームに7月末の公開講座があり、この間、使用不可能であった。担当の人文の吉村先生に事情をお話しし、譲ってもらうことになる。吉村先生には快く譲ってもらい、部長ともども深く感謝する。 7月15日から8月31日までの間、ビデオルームを使用することができるようになり、ロボ研の学生になりかわり、この場をかりてお礼を申し上げます。
7月10日
 NHKから出場通知が届く。
7月13日
 電気設計実習のために電気工学科の四年生が来室する。この夏のうちに、作品完成のめどを立てさせるべくアドバイスをあたえ、若干の物品を購入する。
 公開講座「中学生のための楽しい電子工作入門」の最終打ち合わせを行う。もう一つの「中学生のためのインターネット入門」は順調に応募者が集まっているのに対して、電子工作の方は今一つである。この場を借りてPRしたい。しかし、この夏をうまく今の精神状態、肉体状態で乗り切れるのだろうか。
7月14日
 卒研生たちを激励する。君たちが僕の宝であり、僕の命だ。
 電気回りを担当する学生をあつめ、学生の割り振りを行う。公私ともども忙しく、毎日つらい日々が続くが、学生たちの熱意の一部をわけてもらい、この夏をすごしたい。集まった学生は電気工学科と電子制御工学科の学生であるが、よく教育が行き届いており、立派に成長している。高専教育の成果?学科の努力?ロボット研究会の成果?いや最も重要なのは本人たちの熱意であろう。前顧問の仲先生が培われた土壌で、学生たちはのびのびと、そしてしっかりと力を身につけている。機械、電気、電子制御の垣根を越えて後輩たちにその技術そして精神は受け継がれている。教育の一つの理想がそこにあるような気がする。全国準優勝、ベスト8、そしてベスト4と岐阜高専がロボコンに参加して以来の成績は仲先生が学生たちと作り上げてきた歴史の中から生まれたものであり、それを損ねずに受け継いでいくことが私のようなものにできるのかという不安がある。電子制御工学科の松田先生と北川先生にも協力を仰ぎながらがんばりたいが、協力を期待してもいいのだろうか。岐阜高専のPR活動で最も重要で有効な方法は、入学してきた学生にしっかりとした実力を身につけさせ、立派に卒業させることだということを私は知っている。
7月15日
 ビデオルームに製作用具などを持ち込む。部員の志気が高く、比較的早く終わる。電気部の学生が教官室で予備的な実験を行う。とりあえずセンサー関係はなんとかなりそうのようである。自走機をZ80にするのか、PICにするのか、それとも・・・。まだ、はじまったばかりである。 他高専はもうかなりすすんでいるんだろうなあ。
 卒研生と電気設計実習の四年生が来る。あまり面倒を見てられなかったが、能力のある学生たちなので心配はしていない。
7月17日
 妻が昨日退院するも、まだ寝ていることが多く、家に残していくのもとても心配だ。昨日は通産省と岐阜県研究開発財団が実施している地域研究開発促進拠点支援事業(通称RSP事業スキーム)の研究会に出席した。コーディネータの熱い意見を聞く。岐阜に生まれ、岐阜に育ち、岐阜に安住の地をもとめるであろう私にとっては、ふるさとの岐阜になんとしてもなんらかの貢献をしたい気持ちが湧いてくる。岐阜県研究開発財団とも協力して、ぜひふるさとに恩返ししたい。
 四年生の電気設計実習はだいたいめどがたった。立ち上げで少し手間取ったが、よくやってくれている。特に本田君は電子回路の力が確実に付いた。
 ロボ研は電気部はゆっくりと動いているが、機械部が気がかりだ。工場でやっていると思うが、形にならないと不安でたまらない。部長の蒲君がしっかりしているので、まかせておこう。来週は公開講座の準備と卒研をみよう。
 どうも、最近指導日記ではなく、完全に個人の日記になってしまっているようだ。もうそろそろ当局の指導の手がはいるかな?まだ、来場者がゼロだからみのがしてくれているのかな・・・。 
7月21日
 三連休は子供の市大会などへの送り迎え、家事労働などであっというまに終わる。子供たちは夏休みで家にいるが、大丈夫だろうか。高専生ほど自立していないので心配である。ロボ研の電気部の学生と若干の打ち合わせを行う。修正意見を述べる。あとは学生たちの判断次第である。毎日欠かさず参加し、よくやってくれている。実践的技術が身に付く絶好の機会である。公開講座の私の分担分の準備は終了する。今日は卒研生がこなかった。まさか夏休みにはいってしまったのかな。7月は目一杯やる予定なんだけど。

ロボコンで 己の未熟 おもいしる (おそまつ・・・白兎)

7月22日
 床材のメーカ名がわかる。試しみに金額を問い合わせると、会場を再現しようとすると、バックの薄いブルーのシートだけで製作費を超えてしまうようだ。色判定で臨む学校はどうするのだろうか。研究費を注ぎ込んで買ってやってもいいけど、後は単なるゴミの山になるような気がするので、これこそ税金の無駄づかいになるし、自分のポケットマネーも最近、医療費などに食われて苦しいし、いや、岐阜は色判定じゃないからどうでもいいんだけど他の学校はどうするのかな。そういえば、前の輪投げの時もパイロンが買えず紙で最初は作っていたっけ。まあ、うちは関係ないのでふつうの安いシートでいいや。

色センサ 金額聞いて 青くなり
  色センサ 彼女の笑みに 赤くなり (おそまつ・・・白兎)


 卒研生が全員そろう。進学も就職も決まり、それぞれのテーマをやってくれている。今年もがんばっていい成果をだしてくれるだろう。
 夏休みの生活パターンが決まってきた。朝5時半起床。朝食の準備。洗濯機を回す。子供を起こす。ラジオ体操。食事。後片づけ。洗濯物を干す。掃除。長女と三男の勉強の指示。学校へ。午後六時帰宅。途中で買い物を済ませる。洗濯物は子供たちや妻が協力して取り込んである。夕食の準備。夕食。後かたづけ。三男の夏休みの工作の手伝い。長女の勉強の面倒。妻を9時に就寝させ、午後11時戸締まり。少し自分の趣味や勉強をしたのち、12時に就寝。フー。


7月23日
 あれから、もう一ヶ月もたつのか。最近ようやく心の整理がついてきたが、それでも思い出すたびに悔しくて涙が止まらない。最近涙もろくなって困る。恨みつらみも湧き、悔しい気持ちもあるが、やっぱり自分が一番悪いんだろうなあ。

7月24日
 来場者がそろそろ増えてきた。そろそろ、あまりプライベートなことを書かない方がよさそうだ。
 金属材料などは近くの工務センターにいけばすぐ手にはいるが、機械部品、電機部品、および電子回路部品などは1週間程度からものによっては1ヶ月程度かかるものもあり、早く注文する必要があるが、高価なものは慎重に性能を決める必要もあり、難しいところだ。モータなどは今までの経験から比較的はやめに手を打てるが、新しい要素がはいると大変である。ロボ研の場合は蓄積されたものがあるので、それ程ではないが、はじめて参加するグループは大変だと思う。強い意志を持ったリーダか指導教官がいないと事実上無理だと思う。その点、ロボ研は自分たちでどんどんやってくれるし、創造力も技術力も身に付くし、理想的だ。4年生が統率し、3年生が実行部隊のリーダになり2年1年とともに制作活動をするとともに教育係にもなるという技術系クラブの模範になると思う。あとは、努力に見合うだけの成果を上げることである。一番の問題は指導教官かな?

ロボコンが どこでどうして ロリコンに (おそまつ・・・白兎)


7月26日
 日曜日。とうとうおそれていたことが起こった。最近小四の末っ子がパソコンに興味を持ち始め、勉強になるからと自由にさせていたら、どこで発見したのか、麻雀ゲームをしていた。やり方をしきりに聞くので、最初の教え方が肝心とばかりに、懇切丁寧にわかりやすくしかも極めて正統的な王道の打ち方を教えてしまった自分が恥ずかしい。これを見ていた長男(高三)と次男(高一)もやり始め、これはいかんと思いつつも、つい右手には麻雀ケースをぶら下げている自分が情けない。早速、卓を囲むことになる。麻雀は性格がよく現れると言うが全くそのとうりである。長男は沈思黙考派で極めて慎重である。将棋もいつの間にか私と同程度(初段)にはなっており、極めて筋はいいと思う。が、長考する。麻雀も同じで、まず一度止まると1分はまたなければならない。(新聞もってこーいと叫びたくなるのをこらえる。) 次男は誰からも好かれる性格で明るい。が、軽い。何でも鳴く。清一を教えるとすぐ、がめりたがる。筋は悪いがやっていて楽しい相手になるだろう。 末っ子はかわいいとよく言うが、三男は心配の種である。今も私の対面で上半身裸で爪楊枝を口にくわえて、得意げに、プーといいながらテンパイたばこのまねをしている。次男が北を捨てると、二人で「キタロー、今、北がきたろう」なんて掛け合いをやっている。 筋は極めてよく、私の打ち方によく似ている。(フフフ)ピンフ・タンヤオ系であり、しかも降りることを知っている。あろう事か、いつの間にか私のまねをして盲牌までしている。かくして、長男のところで毎回一時停止しながらも半荘を終える。オーラスで私が次男から直撃の満貫をあがり、逆転のトップであった。  こんなことをしていていいのだろうか。長男は大学受験、次男はバスケと勉強の両立、三男は夏休みの工作、私は家事労働があるというのに。しかし、寝ていたはずの妻もいつの間にか後ろにきていた。毎年、正月や春休みにはナポレオン(オールドファンにはなつかしいトランプゲーム)や四人将棋などに興じていたが、次回からは麻雀が中心になりそうである。 沈思黙考派の長男が最高の役は何だと聞くので、それは九蓮宝燈だと答える。しかも、萬子で九面待ちでフリテンなしで他家から上がるのが正式だと力説しておく。(このあたりは自著「九蓮宝燈への道」を参照のこと)。長女(中一)とは毎週土日には卓球をすることになっており、子供の相手も忙しい。

7月27日
 電気部の進行具合を確認。センサ関係はうまくいっているようだ。電子回路部でモータのノイズに悩まされているとのこと。極めて実践的な問題なので、自分たちで調べさせようとしたが、かなり困っていたようなので、一言アドバイスする。問題は解決し、少しは私も役に立つことが学生にも初めてわかったようである。私は君たちの自主性を重んじ、創造力・実践力を養成するためにあまり口出ししないで放任(ほったらかし?)していることを忘れないでほしい(なんてね)。

雑音を ぴたりと止める コンデンサ (おそまつ・・・白兎)

 
7月28日
 そろそろメンバー登録の時期である。8月下旬が最終ではあるがロボコンを支えたみんなを登録したいが、この中から3人を決めるのは難しい問題だ。どういう形になるにせよロボ研みんなで参加するロボコンにはかわりはない。
 明日からは公開講座もはじまるが講師に予定していた先生が怪我により、計画修正を余儀なくされる。最悪の場合を考えて対処する。
 卒研生たちは毎日きてくれている。あまり面倒を見ていないが、それぞれにがんばってくれている。公開講座が一段落したら一度検討してみよう。何とかこの夏のうちにたまっている論文を幾つか書いておきたいのだが。
 帰る直前になって公開講座への参加人数が増えたことがわかる。あわてて増えた分の回路素子などの準備をする。名簿や机列表なども一から作り直しである。帰宅時間が大幅に遅れた。四匹の子ヒバリたちは口をあけて待っているだろう。いや、妻が動き出さねばいいが。こんなことをしてはいられない。
 
7月29日
 昨日はやはり妻が用意してくれていた。朝は少しつらそうにしていたからやはり負担だったのだと思うとすまない気持ちでいっぱいだ。

梅雨空を 見上げる妻の 眼に涙 (白兎)

 今日は公開講座「中学生のための電子工作入門」の初日である。仲先生の経験豊富なわかりやすい講義の後、実習にはいる。やはり中学生では何から手を着けていいのか全くわからない状態であったが、個別に指導して音声アンプをつくりあげる。自分の音声がオシロスコープに描かれるのを見て興味深そうであった。電子工作の楽しさをわかってもらい是非とも岐阜高専の電気工学科や電子制御工学科に入学を希望してくれれば望外の喜びである。今日はロボコンの進行状況を見ることが全くできなかった。仲先生と情報交換した後、用度に物品関係の確認をとる。明日にはかなりのものが入荷してくるとのこと。公開講座が終わらないとなかなか動けない。

 
7月30日
 公開講座の二日目が終了する。北川先生の論理回路入門も手慣れた講義であった。明日は私の担当の電子工作だ。 
 ロボ研部員と首を長くして待っていた電子部品は結局来なかった。部員たちに申し訳ないことをした。明日納入されなければ、何らかの手段をとらなければならない。こんなことなら研究費でかってやるなんて言わずに、ロボ研の部費で直接通販で買った方がよかったみたいだ。
 私の部屋から貸し出しているZ80のロムライターが不調のようだ。これも注文するとまた2週間以上かかる可能性があるので、電気工学科・電子制御工学科・機械工学科・専門基礎の先生方にメールでロボ研への貸し出しを依頼したが、無理かもしれないなあ。(稲葉研ではだめでも、ロボ研なら貸してくれないかなあ)
 ロンリウムベースは定尺はとても買えないので端切れを注文したが、これは二日で届いた。
 最近、自分の心境が大波に浮かぶ小舟のように大きく揺れ動いているのがわかる。この日記を読み返してみても、それがよくわかる。もうそろそろ、削除することを考える時期にきているのかもしない。

 
7月31日
 公開講座が終了した。メロディーICを用いた電子回路であったが、はんだごてを初めて使う生徒もおり、進み具合にかなり差が出たが、最終的には無事終了した。岐阜高専の特に機械・電気・電子制御工学科のPRを行い解散する。関係の先生方ご苦労様でした。
来週からはインターネット関係の公開講座がはじまる。午後少し時間ができたのと、待ちこがれていた電子部品が届いたので、ロボ研を久しぶりに見にゆく。この部品が役に立つには相当苦労すると思うが、うまくいけば結構話題になると思うし、なにより勉強になるとおもう。
 電気部の報告を聞く。いろんな問題があるが、幾つかのアドバイスをする。電気部の方はしばらく直接の監視下においたほうがいいのかもしれない。家のことや公開講座で時間がなかったので申し訳ないと思うが、来週からはもう少し時間がさける(かな?)。
 名古屋大学に編入学したOBの堀君と名古屋工業大学に編入学した岩田君が製作現場に来る。Z80のライターが故障したと聞いて代わりを持ってきてくれた。近くの・・・より遠くのOBってところかな。結局高専で反応があったのは機械の橋浦先生と電気の先生方だけであった。冷たいのか、私の人徳のなさなのかよくわからない。ついでに、後輩たちにいろいろアドバイスをしていってくれる。さすがに私を含めた外野がこれだけいると仕事もはかどるようだ(?)。もう一学年上の青山君たちもくる。堀君と岩田君としばらく歓談する。やはり大学でも高専生の方が実力が遥かに上だと認識する。来月も公開講座とロボコンで忙しいと思うが、月が変われば家の状態も変わり、新しい展開が開けるかもしれない。土日の仕事を幾つか持って帰るつもりだが、どこまでできることやら。炊事・洗濯・掃除・買い出し・三男の夏休みの工作の面倒・勉強のつきあい・娘のパソコン指導・卓球の相手・麻雀の相手・夏野菜の収穫などで、どうなることやら。
 
8月3日
 今日は私の誕生日である。もう47才になってしまった。四十にして迷わずというが、まだ迷ってばかりの人生である。まあ、平均寿命が延び、幼児化も進んでいることだし、こんな所かもしれない。それにしても幼いという人もあるかもしれないなあ。
 今日から中学生を対象にしたインターネット入門に関する公開講座がはじまった。圧倒的に女子が多い。主任になってから幾つかの公開講座を計画したが今一度考えてみなければならない。
 ロボコンの電気部の方は何となく方向性が見えてきたような気がする。幾つかのラインが走っているが、いくつかのシナリオを描いて、出来上がり次第どんどん高級なものに入れ替えていくようだ。問題はどの時点で入れ替えを判断するかであろう。とりあえず、最低ラインはクリアしていると思う。
 学校長からカリキュラム検討に関する世話役を依頼された(未だ、教官会議で発表されてないからまずかったかな)。次回のカリキュラム改訂はこれまでにない大きな変革を伴うもので、各高専の独自性が認められる(要求される?)ものとなろう。学校全体の方向性についてコンセンサスを得てから動き出す必要があり、私には手に余るものがある。
 そろそろ、ページも増えて重くなってきたようだ。フレーム版にした方がよさそうだ。でも、またやり方をおぼえないといけないなあ(メモ帳でHTMLで作っているんです)。いけるところまでいってみよう。
 
8月4日
 公開講座の二日目が終了した。電子メール関係の講座を羽渕先生にお願いした。さすがに二時間も続けての実習は生徒もこちらも疲れる。あと一日がんばろう。
 卒研生たちは八月になってもきてくれる。公開講座が終わったら本格的に検討したい。
 教務主事が実施している中学校の教職員を対象としたネットワークパソコン研修会の資料をいただく。中学校にかなりパソコンが導入されているが、ネットワークを使いこなすために必要な研修を岐阜高専が広報活動あるいは地域への奉仕活動の一環として開いているようだ。なかなかできないことであり、こういったところからの地道な広報活動も重要であると認識する。ご苦労様です。
 ロボコンではPICが何とかいけそうなムードになってきた。チャタリングなどの問題をクリアすればかなりいけそうである。障害物のところにまだ若干の問題が残っているが、なんとか夏休み中にクリアしておきたい。島のシートは最低単位で昨日発注した。オムロン社のフォトマイクロセンサはセンサ(?)萬別であり、非常に高価なものもある。安価なもので間に合うところは既製品で済ませ、高価なものは自作すべきであろう。各校の対応に注目したい。
 校長先生と学生課から激励をしていただく。一同、感激してなおいっそうの努力を誓う。
 妻が病院にMRI検診の結果を聞きにいっているはずである。どうなったのだろう。退院はしても、病状は変化していない。原因もはっきりわからず、心配はつきない。天はこれ以上の試練をも私に与えようとしているのだろうか。この程度のことは試練とは呼ばないのかもしれない。

 
8月5日
 公開講座終了。関係の先生方ご苦労様。
 ロボコンの電気部と打ち合わせ。完全にコンピュータ化へ。


蝉時雨 最後の時を 感じとり (白兎)

 
8月6日
 メンバー登録。改名。


夏祭り 母子寄り添い 何思う (白兎)

8月13日
 脱力感。この先どうなるのだろう。


秋の夜 母の添い寝に 吾子悟る (白兎)
  
8月14日
 昨日から学生はお盆休み。他人の論文の査読ばかりで、自分の論文を書く時間がない。気力も湧かないが、締め切りだけはやってくる。


墓参り あわせる手にも 力なく (白兎)
  
8月17日
 鍵井君。終日一人でがんばる。藍より青し。
 

夕立や 胸のつかえを はらいのけ (白兎)
  
8月19日
 昨日は昨年の卒研生で東北大学へ編入学した大野君、三重大学に編入学した中平君、名古屋大学に編入学した堀君が研究室に訪ねてきた。今年の卒研生で名工大へ編入する谷川君と豊橋技科大へ編入する和仁君もいれていろいろな情報交換をする。実際の必要単位などは大学によってまちまちであり、非常に参考になる。編入試験などに関する微妙な情報も手に入れることができた。こうしたことの蓄積が電気工学科の財産になり伝統になっていく。彼らと話していると心がやすらぐ。
 電気部の方は遅れ気味ですこし心配なところもあるが、見通しはたちはじめた。コンピュータ搭載で微妙なモータ制御が可能でありオプトエレクトロニクスの粋を集めた自走ロボットで勝負!
 今朝、妻は寝たきりの状態であった。長女は昨日から熱を出していたが、朝には下がっていた。こともたちに朝食を食べさせ、洗濯物を干して出勤してきたが、とても心配だ。何かあれば電話が入ると思うが。最近夜も眠れないことが多く、倦怠感が体に重くのしかかっている。子供たちのためにも私がしっかりしていないといけないのだが、蓄積された睡眠不足と疲労で、車を運転していてもぼーとしていることが多い。せめて文章を書くことでつらさを紛らわせているような気もする。とりあえず、夏休みの間は研究に、(ちょっとだけロボコンに)うちこもう。卒研生たちは今日もきてくれているんだ。


寝返りに ほっと一息 今朝の秋 (白兎)
  
8月20日
 今朝も妻は起きることができなかった。朝食を作り、長女を部活動に送り出す。長男次男三男は家にいるので後をたくす。 
 昨日からとりあえず前から気になっていた論文を書き始める。論文を書くときはすべてを忘れることができる。一番幸せな時かもしれない。
 ホトダイオードについて助言。照明用の光などが影響しそうならフィルター付きのフォトダイオードが必要となる。とりあえず部品を調べて企業に問い合わせる。光学的フィルターだけでなく電気的フィルターをつける必要があるかもしれない。
 ロボ研のホームページ改訂のために岐阜高専のロボコンにおけるこれまでの成果を学生課で集めてもらった。これまで岐阜からは3回全国大会に出場しているが、準優勝、ベスト8、ベスト4とすべていい成績を収めている。しかもそのときの指導教官はすべて電気工学科の先生だ。前回のベスト4は私はほとんど指導らしい指導をしておらず、学生たちだけで勝ち進んだ。私なんかで大丈夫だろうか。プレッシャーを感じる。


見上げれば パソコン越しに 鰯雲 (白兎)

8月21日
 ホトダイオードは値段は高くないものの、納期が10月中旬とのこと。学生と相談してとても間に合わないので断念する。通常のホトダイオードを使うことにする。もしもノイズが多ければ、私の部屋にあるフィルターを貸してあげることにしよう。でもこれはかなり高価なものだし、こういうのは製作費に含まれないのかな。貸すだけだし問題はないと思うが、それにしても割れたらどうしよう。考えてみれば、Z−80やPICのライターその他諸々の電子部品などずいぶん投資してしまった。すぐに返ってくるものは何もないと思うが、学生の力が付けばそれでいいや。電子制御2年の鍵井君は独学で電子回路を使いこなしている。あの子は将来いい環境に入ればすごくのびていくだろう。ソフトウエアをやりたくて電制へ入ったといっていたが、電気へ転科してこないかな。人工知能や医用画像処理をやりたければ電気へ来い、なんて言ったりして・・・冗談。 
 昼休みに久しぶりに高校野球(横浜対明徳義塾)を見る。劇的な展開。敗者の涙、そしてそれをいたわる勝者の涙。泣き崩れる寺本君をホームベースで挨拶のために迎える松坂君をテレビはアップで写しだしていたがその目には涙が光っていたような気がした。現実はドラマより深い感激を与えてくれる。最近高校生の暗いニュースがあったが、まんざら今の若い人たちも捨てたものではない気がする。テレビなどで最近の若い人たちの生活習慣を批判する人たちやそれに関連した番組をよく見かける。それは若者たちだけの責任であろうか。現在のバブル以後の日本の状態を含めて、かなりの部分が40代以上の世代の責任によるところが大きいような気がする。戦後の日本のかなりの部分を団塊の世代と呼ばれる私たちの年代が担ってきたことは事実であり、高度成長の日のあたる部分も、バブル崩壊や環境破壊などのくらい面もすべてを我々の責任と考える必要があると思う。ましてや、我々の借金を子供たちに残すなんてことは、莫大な財産を食いつぶした二代目の当主のやることである。今こそ私たちは猛省すべきであり、自分が社会に対して何をなしてきたか、そしてこれから何をすべきかを考えなくてはならない。禅寺で見た言葉「おまえが悪いと指さすうちの3本は自分を向いている」を思い出す。私は何もやっていないし、これからも何もできないような気がする。私のようなものこそ、若い人たちに道を譲って退くべきなのかもしれない。


甲子園 泣き崩れても 秋の空 (白兎)

8月24日
 種子のサブキャラはなんとか見通しがついたが、メインキャラに大きな問題が残っている。夏休み中には解決は難しいような気がする。
 下級生たちは夏休み明けに試験があるので、8月27日以降を夏休みにする。ビデオルームから第一講義室への引っ越しを8月26日にするために、学生課で部屋の予約を行う。
 いよいよ夏休みも終わりだ。やり残したことがいっぱいあるがとりあえず論文だけは完成させよう。


あとわずか ため息一つ 夏休み (白兎)

8月25日
 モータのPWM制御の正逆ドライブ回路の分担が決まっていなかったので、鍵井君に依頼する。PWM制御しなくてもいいという意見もあったが、微妙な速度調整が必要な場面が必ずあると思う。
 ホトダイオードは予定していた素子がとても高いのでシリコン系ですますことに決定する。
 電気部の学生たちの性格がやっとわかってきた。


雷鳴に 我が家を思い 胸騒ぎ (白兎)

8月26日
 午前中、春日井地区の中学校訪問をする。この地域は豊田高専の領域であり、説明にも苦慮する。昨年は西枇杷島、一昨年は南濃と豊田や鈴鹿の境界領域ばかりを回っているが、あまりこういう他高専の領域を侵すやり方は私の性に合わない。岐阜地区の交通不便地ならどこでもいくが。岐阜高専のPRよりも高専制度そのものの宣伝をする。春日井地区は初めてで土地勘もなく、岐阜と違ってかなり入り組んだ所に中学があり、車では身の危険を感じる。午後からロボ研の引っ越しがあるので春日井インターから名神高速で羽島インター経由で急いで岐阜高専まで帰ったが、とても疲れた。
 NHK名古屋の真藤ディレクターから取材のアポがあった。現在の状況では撮影に値するものはないが、骨格等は話せると思う。今年のロボ研の売りはなんと言っても・・・ですね。
 一昨年の時よりかなり遅れているが、今年のテーマはそのときよりもかなり難しいし、ロボ研がやろうとしていることはこれまでやったことがないことばかりなので仕方がないと思う。
 「たとえどんなに苦しいことが他であっても、自分の仕事をきっちりこなすのがプロだ」うららはとてもいいことを言っていたが、私にはなかなかできない。やっぱり教育や研究のプロではないと自覚する。


この夏も 二度と戻らぬ 思い出に (白兎)

8月27日
 いよいよ夏休みも終わる。この夏を振り返ると、私にとっては妻の病状が一番堪えた。今まで何の気もなく食べていたみそ汁や漬け物も、着替えやゴミ箱もこの夏を境に見方がかわった。来年の夏は我が家はどういう形で迎えることになるのだろう。いや、9月からの毎日がどうなるのだろう。
 6月23日の出来事は今でも思い出すと腹が立ち、涙もでる。ことの顛末は自分へのメールとして私のメールボックスに残しておく。
 ロボコンについては、結局電気部は夏休みに何をやったのだろうと思うと、形に残るものがあまりないので、不安になるが、一つ一つは見込みがあるので大丈夫な気もする。
 論文は結局一つしか書けなかった。やはり気力の問題だろう。


二人来て これが最後と 惜しむ夏  (白兎)

8月28日
 卒研生たちは今日も来てくれている。よくがんばってくれた。
 ロボ研は5日だけの最後の夏休みをとっている。いないと淋しいものだ。毎年技術力が上がっていることだし思い切って 稲葉プロジェクトU(太平洋無人ヨット横断計画)への参加を依頼しようかな。電気工学科だけではヨットなどのメカ部分に無理があり、機械系の学生の協力が不可欠だ。ロボコンが終わったら話してみよう。
 私の夏休みは結局3日だけだった。中一と小四の子供を犬山のモンキーセンターに一回だけつれていったが、末っ子の三男には淋しい思いをさせてしまったと思う。今の状況ではそれ以上のことは無理だということは幼くてもわかっていると思うが。

8月31日
 今日から長男と次男は高校の実力試験。妻は朝からはりきって久しぶりの弁当を作っていた。昼過ぎに病院へ行く予約があるといっていた。私は学校へ来ていたが、ふと胸騒ぎがして午後から年休を取り家へ帰ると、妻の車がある。長女は遊びに行き三男だけが留守番をしており、妻は気分が悪く、車は運転できないので、近くの妹に頼んで病院まで乗せていってもらったとのこと。急いでこちらも病院に向かう。昼からの病院は閑散としており、妻だけがポツンとひとり待っていた。診察後二人で帰宅する。やはり無理はできないようだ。


向日葵も 今年ばかりは 下を向く  (白兎)



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