BestHtml ロボコン’98指導(観察?)日記

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since May 31th, 1998.


ロボコン’98への取り組みをクラブ顧問の立場から見て


文章が大きくなりすぎたのでまえがきおよび八月以前はこちらに 九月分はこちらに 地区大会前々日まではこちらに

10月25日
 期待と不安が入り交じる中で二回戦の最終試合が始まった。ロボ研のロボットの初登場に場内が湧き、スタートの合図とともにあがった大歓声は数秒後には悲鳴にかわった。落胆。虚脱感。天を仰ぎ、涙がこぼれるのをみられないようにすることだけで精一杯であった。ロボ研の学生たちの青春をかけた半年、そして私の限られた日々はこの数秒間の後に終焉を迎えた。
 圧倒的な力の差をみせ、豊田高専が優勝した。ロボット研究会は初戦敗退、電気工学科4年は豊田に敗れベスト4ながらも、技術賞を受賞し、全国大会への出場を決めた。いずれ、ホームページで総括するつもりですが、ロボ研と電気工学科4年との差は、学生の技術力の差や運といったものではなかったと考えています。結論をいえば、指導教官である仲先生と私との根本的な能力の差、技術力、経験そしてなんといってもその熱意に大きな差があったと反省しています。私には、いわゆる断固たる決意が足りなかったと思っています。ロボ研の学生諸君は精一杯がんばってくれました。  優秀な学生を与えて下さったにもかかわらず、このような結果で、とくに電子制御工学科の先生方には深謝したいと思います。多大な励ましの言葉をいただいたOBの方々には何と言っていいのかわかりません。また、教職員の方々にも多大な迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。
 いずれ結果責任はとるつもりでおりますが、今しばらくは、私と私の家族に安眠の時を与えて下さいますようお願い申しあげます。蒲君を始めとした、ロボ研の学生たちの私への言葉がささえになっています。
 午後11時。感謝の声とともに解散。  (11時半。研究室にて。)

10月26日
 鳥羽からの帰路が渋滞のために時間がかかり、夜の運転で眠気との闘いで、家についてからは泥のように眠った。しかし、朝になると習慣は恐ろしいもので5時半に目覚め、妻に昨日のつらい報告をする。妻は残念がってはいたが、これで終わることでほっとしているようでもあった。
 学校で事務の方に結果をいうのがつらい。昨日のうちに結果をメールで教職員の方々にはお知らせしたが、何人かのかたがたからのねぎらいの返信を受けました。学生たちにはいい経験になり、勝つことよりもこの経験こそが財産になる、といった内容の返事が多くありました。ご迷惑をかけっぱなしだったのに、本当にありがとうございました。ロボ研の学生たちも努力がすべてすぐに結果として認められるわけではないということを実感したと思います。しかし、授業では得ることのできない貴重な経験をしたことをわかってくれると思います。
 記憶が新しいうちにこの二日間をふりかえってみたいと思います。
○10月24日(土)。高専にて。
 朝六時に学校に着。体育館にはロボ研や電気四年の学生たちがいる。昨日から徹夜で準備をした。私は鳥羽まで今日運転していくこともあり昨夜は早めにかえらせてもらった。
 結局、全部を通しての練習はできなかった。今から思えば、このことは重要であった。0点の可能性のある100点満点をめざすよりも、確実な50点をめざすべきであったように思う。実際に他高専の完成度は低く、優勝することよりもまず全国大会への切符を手にすることの方を主に考えるべきでした。一昨年に私が担当したときは地区は準優勝だったので、次は優勝をねらうのが当然と考えていたところに、私の大きな驕りがあったように思います。しっかりとした基本軸をつくること、これが重要だったと思います。この点で仲先生とは大きな経験の差がまずでていました。
 午前八時。結局予定より一時間遅れて出発する。仲先生は予定を変更し、さらに改良を加えるために数人の学生と学校に残った。このとき、私には「自分には運が味方しており、本番ではきっとうまくいく」という、今から思うととんでもない甘い考えがあったと思う。体のどこかに一昨年のことが残っていたのだと思う。この日記でも一昨年の結果は決して運ではなく、早見に作り上げて、何回も練習に練習を重ねその実力を100%だした結果であり、それをしない限り実力を当日発揮することはできないと書いていたのに。何とかなるやと思いこんでいた私が甘かったといわれても仕方がありません。

10月27日
 昨日は、電気工学科3年の授業、四年の設計実習、教室会議と仕事があり、日記も中途半端になってしまいました。7時半頃から、3Dの柏木君、山本さん、2Dの鍵井君とロボコンのこと、ロボ研のこと、高専のこと、電気や電制のこと、稲葉Pのことなどいろいろ話し込んでしまって、9時過ぎまで研究室に呼び止めてしまった。申し訳ない。いろいろ聞いてみると教官と学生の間にいろんな誤解があるようだ。なかなか他の学科の学生さんと話し込む機会がなかったので、とても参考になりました。すばらしい学生たちが目白押しで、電制の前途は洋々としていると思います。私もがんばって電気の学生を鍛えねば。
 今日は午後から中学生に主任による学科紹介を行った。午前中にロボコンなどの写真を入れてパワーポイントでプレゼンテーションを作製した。理解してくれたかな。
 私的なことだが、岐阜新聞に私の兄が日展の特選に選ばれた記事があることを事務の方に教えていただいた。兄は洋画の絵描きで二度目の特選であり、絵のことを知っている方ならご存じだと思うが、これはかなりすごいことである。これで日展の審査員になることができ、岐阜県では生存している方で二度特選に入っているのはいないはずだ。どうも神様は才能のほとんどを兄の方に与えてしまい、私には出がらししか残さなかったのだろうか。それとも、何か私には隠された才能が未だ眠っているだけなのだろうか。なんといっても神様に特に選ばれたと自負しているのだから(九蓮宝燈への道参照のこと)。才能を発揮するのがロボコンの指導教官としてでないことだけは正しいようだ。やっぱり研究かな。そういえば昔はノーベル賞を取るつもりでがんばっていた時期があったけ。いつしか賞を取るために研究をしているのではないと偉そうに悟りか妥協かわからない結論をだしてしまっていた。もうひとがんばりしましょう。
 昨日は中途半端に終わったので、ロボコンの続きをとりあえず書きたい。
  ○鳥羽着。
 午前十時半、学生たちが泥のように眠っていたので、途中休憩をすることなく一気に鳥羽市民体育館に着く。他高専もかなりきて、ロボットの調整に入っている。選手集合がかかり、岐阜は一番先に並んだ。実は電気四年は一人岐阜で種子を作っているので、来ていないのだが一番最初だったのではっきりそれを告げておいた。時間になっても来ない高専があり、司会の方もかなり機嫌が悪くなり、マイクで高専名を告げたり、3人全員そろってないところはかなり厳しくチェックし3人そろうまでやらないといって待っていた。岐阜は機嫌の未だよいときでチェックされずによかった。その後ロボットの計量に入る。ルールについて解釈の怪しいことがあれば、計量の時か、テストランの時に聞くようにいわれる。これまでとかなりちがうようだ。同時に種子を見せることを要求される。仲先生のグループは種子をすべて学校に置いてきたのであわてて電話を入れできあがっている種子だけとりあえず届けるように手をうつ。
 ロボ研はすんなりと種子も認められテストランに入る。テストランはマシンを切り離しても種子が動かず、大問題が発生していた。とりあえず種子だけ別に起動して動かしたが、不満が残るもののまあまあであった。レーザ光軸をあわせるために古田君が障害物の前までいって紙をおいていたが、ふと気になり、セッティング時間に接地禁止ゾーンの近くまで行ってもいいかどうか確認するように柏木君に指示をした。判定員は最初拒否したそうだ。柏木君はルールに抵触していないことを説明して粘り、夜の教官会議で審議する段階までもっていってくれた。私の責任は重大なものになった。レーザの光軸調整ができないとなると、これは死活問題である。その後、別の審判員からクレームがついた。それは搭載についてであった。搭載の定義について、収納や格納を含む広義の意味に解釈してよいという連絡があり、我々はそれを連結していればよいと解釈していた。このままでは搭載と認められないという指摘であった。これは痛かった。この場に及んで搭載することは無理なので、カーテンなどで取り囲む収納にするなどの意見がでたが、いろいろ審判員と話し合って、したにボール紙を引いてその上にすべてのものが搭載され、マシーンはそこから降りて種子がそこに残ることで解決がついた。しかし、あとで思うと、結果的にはこのことがこのロボットの悲劇の運命を決めていたのだった。その後のマシンと種子の切り離しの問題箇所をなおしたり、いろんな作業で、ボール紙一枚載せた状態でレーザ軸を使った練習を本番まで全くしていなかったことが最も大きな原因であろう。実はこの厚さ1mmの段差が影響することは当日の明け方に布団の中で気付き、学生たちに告げてはいたが。思えばその前にレーザを三本縦に並べて使うということもいっており、実際にその加工はすんでいたのだが、一本で十分な動作をしていたので妥協してしまった。あー、おそらくこのことが運命の分かれ道であったのだ。もっと、私が毅然とした態度で3本いれさせるべきだった。どこか学生に遠慮したところがあったのかもしれない。後で述べるが、すべては昨年私が指導教官をさぼってやらなかったところに帰着すると思う。仲先生との大きな違い、かわらぬ熱意という点がすべての根元であった。
 夜の教官会議では、別のことでかなりもめ時間を費やしており、会議の雰囲気もかなり険悪なものになっていた。2番目の議題でレーザの話がでたが、NHK側も他の高専もレーザをこんな風に制御に使うことは全く考えておらず、びっくりしていた。ルールには記載されておらず、違反ではないから認めたい方向をNHK側は提案していた。ほっと一安心していたら、他高専からセッティング前にかなり岐阜だけ有利な状況になるのはおかしいのではないか等のクレームがつきはじめた。これはやばい。一つここは私のなめらかな弁舌で説得せねばと思っていた矢先、ある先生が「どこの高専も今までやったことのないこんなすばらしいことが本当にできるのなら、私は是非みてみたい。」とおっしゃられ、急転直下、無条件で逆に期待されてしまって認められた。学生にはその旨を伝え、プレッシャーを与えた。この時点でも私は学校での校長先生への披露の時の完璧な動作が頭にあった。
 仲先生のグループは種子が一つだけやっと届き、合格がでた。テストランは当日の朝に行うことになる。電気四年の他の学生は結局、土曜日も学校で種子の改良につとめ、当日の朝仲先生や、熊崎先生と一緒に車で来ることになった。今から思うと、本当にぎりぎりまで可能性を追求する姿勢が重要であったのだ。私といえば、このところ続いた疲れを癒やすためこっそりビールなどを寝る前に飲んでくつろいでいたことが敗因だったのだ。
 金沢高専の女の子が部屋に遊びに来たので、話し込んでいたが、金沢と鳥羽の勝者とロボ研が2回戦(ロボ研は1回戦はパス)であうが、金沢は全然動かないので鳥羽に負けるといっていた。あー、このことも今から思うと惨敗の伏線であった。
 時間がなくなりましたので、当日の様子は日を改めて書きたいと思います。

10月28日
 今日は午後から電気工学科による大学受験報告会を実施した。80名を超す学生が集まり、五年生のとても参考になる報告が聞け盛況に終わることができました。授業でやったのと同じ問題がでたとか、授業の演習問題をやっておけば充分というような、教師冥利につきるとてもうれしい話をしてくれました。下級生もこれで授業を真剣に聞いてくれるんではないでしょうか。
 ○地区大会当日
 昨日から、どこかで見かけた覚えのある人がいると思っていたが、突然その人が現れ、岐阜の形状記憶合金について聞きたいという。ありゃりゃ、大熊先生じゃないですか(名古屋大学教授で冨田先生の御師匠さん、羽根君が名古屋大学の助教授だった講座の教授)。「先生、こんなとこで何やってんですか」と私。「あれ、稲葉君、君が指導教官をしているのか。」

10月29日
 昨日のつづき
 大熊先生はゲスト解説だとのこと。これは審査員に影響するから思い切り宣伝しておこうと、この形状記憶合金がすばらしいんです、ゆっくりと花が開いていく様は芸術的ですからしっかり強調して下さいよ、と頼んでおいた。私の方のロボットはオプトエレクトロニクスの粋をあつめたハイテクマシンで、レーザセンシング、マイコン制御、PWM制御、オムニホイールがキーワードだからうまくいったらこちらも宣伝して下さいよ、と思い切り宣伝をしておいた。
 少し、セッティングの練習をしたが、なかなかうまくいかず、一抹の不安を抱えたままで大会が始まった。豊田高専のAチームのロボットはなかなか手強く、これに勝てるのは最も早く得点できるロボ研のロボットだけだろうと思っていた。電気4年のロボットはこれまでまともに動いたのを見たことがなかったが、本番では10点ゾーンでぴたりととまり、仲先生の勝負強さを感じた。ロボ研は1回戦は不戦勝で、鳥羽と金沢の勝者と戦う予定であった。この対戦は二台ともスタートからぴくりとも動かずただひたすら3分間がたつだけで、これはどちらが勝ってもうちの勝利は間違いないなと思っていました。ホームタウンディシジョンで鳥羽が勝つかなと思っていましたが、金沢の勝利でした。どちらでもよい判定でしたので、このとき鳥羽が勝っていたら運命は変わっていました。
 二回戦の最終試合がロボ研でした。それまで、技術的にインパクトのある高専はなかったので、ロボ研のハイテクマシーンの性能をみんなに見せつけてくれと思っていました。まー、負けることはまずないから、とたかをくくってみていました。しかし、セッティングに手間取り、スタート直前に種子がスタートしかけたのはびっくりしました。あわてて元に戻していましたが、レーザが動かないかと心配していました。
 セッティング終了。スタートの合図とともに、大歓声の中を種子が進んでいく。障害物に引っかかり種子が止まったとき、歓声は悲鳴に変わった。しかし、まだ種子2がある。1点でも取ればこちらの勝ちであろうからと思ったが、そちらもでない。あー、いったいこの半年間何をやっていたのだろう。こんなことならあんな複雑な観覧車にせず、直接でる構造にしておけばよかった。確実に1点でも取れるようにしておくべきであったのだ。しかし、金沢は全く動いていないから、いまのままでもこちらは種子がでているから判定勝ちできると期待していたが、思いもかけず金沢の種子がでて、ひょこひょこと歩き出してしまった。
 終了の合図。微妙な判定で金沢の勝利。あー。自爆装置をやっぱりつけておくべきであった。レーザがうまく行かなかった頃、最悪の場合を考え、3分前に生命が切り離されていなければ自動的に切り離して最後の逆転をねらうことを提案したのだが、その後レーザがうまく行き始めたので、たちきえになってしまっていた。やっぱり、あのときも指導力を発揮して強引にでもやらせるべきであったのだ。ここにも経験の差がでてしまっている。すべての可能性を考えて手を打つべきであったのだ。それをしっかりつたえるべきであったのだ。それが、指導教官の役割ではなかったのか。
 その後は放心状態で試合を見ていた。Bゾーンには他には強いロボットがなく、悔しさが募るばかりであった。何か一つうまくいけばベスト4には入れたように思う。運はロボ研に味方していたのに、それをつかみそこねたようだ。勝負の神様はロボ研の学生の努力を常に見ており、ロボ研にほほえんでくれていたのだが、私の情熱の足りなさをみて最後につらい試練を与えたのかもしれない。そんな決意では全国には行けないと。
 報われない努力というものは世の中にいっぱいあることは知っていたけれど、これまで努力をあまりせずに報われてきた私にとっては今回のことは、本当にこたえた。ロボ研の学生たちがかわいそうでならない。やっぱり合宿を何日かやってあげたらよかったのではないか。もっといろいろアドバイスをしてやればよかったのではないか。徹夜でつきあってやればよかったのではないか。いや、そのまえに昨年指導教官をクラブ顧問でもない仲先生に二つのロボットまで任せずに、せめて一つだけでもやっていればこんな結果にはならなかったのだろう。変わらぬ情熱。あたりまえのことだが、このことが根本的に違っていた。私には結果責任があり、このことははっきりしている。そしてその結果、このことを教訓にしてロボ研の指導教官を罰として来年もやれということになるのか、くびになるのか・・・。誰が決めるんでしょう。

11月2日
 明日の高専祭の専門展の準備を見に行ったが、年々お粗末になっていく気がする(どこの学科も)。もう一度高専祭が専門展を中心に動くようにしないとこの学校がダメになるような気がする。ロボ研も来年からは大々的にやる必要がある。
 高専祭に便乗して電気工学科コーナをもうけます。電気工学科紹介のプレゼンテーション、パネル展示、インターネットコーナなど、手の掛からないように催します。
 電気四年のロボットにレーザ搭載を勧めている。半導体レーザ3本とシリンドリカルレンズを搭載した光学系を考えていますので、ご期待下さい。このうえはぜひ電気に優勝してもらうことを願い、電気工学科として全面的にバックアップすることを申し合わせます。

11月3日
 また、妻が寝込んでしまった。今日はどうしても高専祭のために休むことができず、洗濯物をほして学校へきた。子供たちは全員寝ていたのでそのままにしておいたが、家はどうなっているのか。
 どうも二日間に分けたせいか、人の入りが少ない。自己満足の高専祭かな。

11月5日
 本日は休講。しかし、専攻科は休講ではないので放送大学のビデオを流しにいったが、相変わらずの状況。
 電気工学科でロボコン’98全国大会壮行会(電気工学科主催)を催すことにした。校長先生にも出席願い、全校の教職員に呼びかけ、電気工学科の一年から五年までの全学生を出席させて大々的にやるつもりです。PR用のポスターもつくり、各教室や掲示板にはる予定です。

11月9日
 昨日は西濃地区の地区懇談会に出席した。全体説明(学校の近況報告)に続き、4年および5年の分科会に出席した。分科会の時間が足りず、中途半端であったが、これは?科の?先生の話が、でーーー、あのーーー、そのーーーで異様にくどくて長いためである。これはいつものことで、中学生のための学校説明会でも十分の時間制限があるにもかかわらず、時間を大幅にオーバして他の学科に迷惑をかけている。もっとも、事務の話では時間を守っているのは電気だけだったといってましたが。あまり長い話は中学生には逆効果だと思うんですがね。
 4年生は一生懸命ロボコンの準備をしている。色センサのところを何とかしないと、全国レベルでは問題になると思う。
 豊田、沼津高専の電気工学科は来年度改組するようだ。電気工学科もカリキュラム改正と同時にスタートさせたいので、再来年度位をめどに考えるつもりです。何という名前がいいでしょうかね。電子情報工学科かな。卒業生や在校生の意見はどうでしょうか。

11月10日
 学科改組の件は名称変更のようだ。いろいろな情報がわかってきた。じっくりと腰をすえて将来を見越して名称変更する必要がある。まずは主任技術者をどうするかが大問題であろう。若い人たちの意見を聞く必要がある。
 
11月11日
 昨日も今日も妻の様態が思わしくない。研修旅行の見送りのため早くでてくる必要があり、あわただしい朝をおくっている。3年の石垣君が交通事故にあったとのことで、羽島市民病院まで出向く。右手首の骨折のようで、頭に異常がなければ不幸中の幸いである。交通事故は被害者も加害者も辛い。

11月12日
 久しぶりの弁当作りをしています。完全に主夫に戻ってしまいました。明日は本当なら浜松ホトニクスに出張する予定だったのですが、あきらめます。さて、電気工学科はどのような方向を向いて行くべきなのでしょうか。もうおそらく今回を逃したら名称変更は不可能ですし、新学科も無理だと思います。岐阜高専全体のことを考えながら電気工学科がどんな人材を世の中に送り出すべきなのか考えてみる必要があると思います。東京大学がやっているような進振り制も学生に緊張感を与えていいような気がしますし、どこの高専もやってない岐阜高専だけのユニークな学科名、学科制度をつくりたい。他高専の二番煎じだけは避けたいんですが。

11月13日
 ロボコン全国大会は電飾効果のために豆球を点滅するらしいが、それにくわえて島の中に数字を入れるらしい。赤の中は白色だそうだ。普通のセンサーは赤を非反射で検出すると思うので、中まで食い込んでいく場合は白を検出して動き出してしまうだろう。10日ほど前に変更の連絡があったらしいが、色センサを使うグループは余分なハンディを背負うことになる。
 今日は13日の金曜日か。なにもなければいいが。明日は東濃地区、明後日は岐阜地区の保護者懇談会がある。22日の全国大会を最後としてやっと日曜出勤から解放される。

11月18日
 地区懇終了。多数の保護者と知り合うことができた。有意義な日をおくれたと思う。壮行会終了。電気の学生を集めたが、1、2年は少なかった。特活が終わって帰ってしまったようだ。校長先生にも来ていただき、成功裡に終わった。今週は研究主体モードで行きたい。
 堀君と福永君に会う。大学のいろんな情報が入ってくる。月日のたつのは本当に速い。 
11月19日
 4年電気は欠席も遅刻も多い。休学や退学もあり、かなり心配なクラスだ。3年でかなりかわったんだが。
 光トラップを今週中に完成させたい。トラップができなくては光造形も進まない。
 それにしてもヤグレーザはパワーが高い。光路に黒い紙をおくと燃え出すからおそろしい。赤外で目に見えないからまた始末に悪い。なにも知らずに飛んできた蠅が光軸上でビームで撃墜なんてこともあるんではないだろうか。昨日から少し目が痛かったが、どこからか光が目に入っていたのかもしれない。レンズでも若干反射光があるはずだから、500mWの1%が反射されても5mWあるから、怖いですね。ヘリウムネオンレーザが普通5mWぐらいですからね。
学生たちは保護眼鏡をかけているからとりあえず目は大丈夫だろうけど。何も知らずに近くに行くと危ない。紫外線のレーザもあるし、研究室の安全点検をしっかりやらないといけない。

11月24日
 全国大会初戦敗退は残念な結果だったが、すべてが自分の思うようになるものでもない。しかし、優勝した豊田高専や大賞を取った旭川高専にはさすがと思わせるものがある。岐阜も今のロボ研のポテンシャルから考えると数年先にはかなりの所まで行けると思うが、今のやり方だと部長を除いて、4年でほとんど引退になってしまうからなかなか難しい。コンテストに登録できるのが3人までだから、一人が何度も出ることはクラブとしては死活問題になってしまうから難しい。
 全国でいい成績を残すためにはどうしたらいいか。ということをあまり考えてはいけないかもしれない。そういえば地区大会の教官会議で、ある高専の先生が「そんなルール解釈もあるのか。全く考えもしなかった発想だ。しかし、あまりにもそれは勝敗にこだわりすぎているんではないか。私はコンテストに楽しんで参加しているから、とてもそんなことは思いつかん。」と発言されていた。そうなんです(その高専は全国に行ったようです)。あまり肩に力を入れない方がいいようです。来年からは楽しんでいくといいとは思うが、来年からはお金が絡んでくるから結果を要求されるように思う。
 各高専の電気系の名称変更の情報がいろいろ集まってきました。私の腹もだいたい決まってきました。何とか電気の総意をまとめ実現させたい。

12月2日
 とうとう今年も師走になってしまった。ここのところ体調不良(熱っぽいんです。)でルーチンワークだけで精一杯で書き込む余裕がありませんでした。
 いよいよ来週の月曜日から学科の将来を決める事項が目白押しになってきます。学校の独立法人化などきな臭い話題もではじめ、社会情勢にあわせて劇的な変化が起こるかもしれません。平時の稲葉、乱世の武富、大乱世の北川なんて冗談を言ってます。この2、3年の舵取りは非常に難しいと思います。
 少しずつ研究モードに戻しています。卒研生もがんばっています。学会の締め切りが1月に3っつあるので、少し急がせないといけないのです。

12月3日
 風邪のせいか、声ががらがらになってしまった。授業があったので無理をして声を出していたら、のどが痛くてたまらなくなってしまった。幸い明日から中間試験だから一週間できるだけ声を出さないようにしたいが、来週は問題の教室会議があるし、その次の週は教官公募の締め切りでいろいろ相談しなくちゃいけないし、忘年会は連続であるのでカラオケのことも考えると早くなおしておかなくては。今年も、仲先生と冨田先生が歌う前に絶対に歌おう。ハハハ。
 最近、研究もあとひとおしがなかなかできなくなってきた。若い頃なら、とっくに終わらせていたことが一日延ばしになってしまう。毎日毎日雑用が(本業?)でてきて集中できない。早く主任が終わらないかな。

12月4日
 そろそろ岐阜新聞の模擬試験の志願者状況のデータが入ってきて、また一喜一憂のシーズン到来です。例によって電気の出足は8月の次点では悲惨な状態で、見学会や学校説明会などをへてだんだんと回復するという毎年おなじみのパターンになってきた。毎年同じことを言わないと維持できないもの辛いところだ。
 明石高専は情報工学科の新設要求が転じて電気工学科の改組になったような気がする。4年生で電気コースと情報コースに定員を振り分けるようだが、私も同じ様なことを考えていた。3年生で進級振り分け試験を実施して東大みたいにそれまでの勉強に緊張感をもたせるのもこれからはいいのではないか。
 さて、来週の会議はどうなりますことやら。咳が止まらなくなり、毎年恒例の状態になってしまった。ひょっとしたら花粉症かな。

12月7日
 教室会議終了。若干の異論があったものの、最終的には皆さん納得の上に電気の希望学科名のコンセンサスを得た。あとは具体的な説明だが、これは現在の状態を書けばよいのでそれ程難しいことではない。学校全体のコンセンサスを得ることが今後の課題だ。

12月8日
 会計課長と事務的な打ち合わせをする。よくやってくださりとても助かります。概算要求には、学生や企業のアンケートも入れた方がいいとのこと。なんとか、今年度中にレールを敷いておきたい。次に問題になるのは、なんといっても主任技術者の問題だ。これによってカリキュラムは全く変わってしまう。先生方の意見もかなりわれるのではないだろうか。

12月9日
 久しぶりに試験監督中にじっくりと研究のことを考えることができた。幾つかのアイディアがでた。早々にまとめていろいろなものの準備に入ったが、学会までにまにあうだろうか。一週間ぐらいおくれたが、ぎりぎりにならないと考えないという悪い習慣が付いてしまったものだ。
 来週は教官公募の結論を出さなくてはならないし、忘年会は二つあるし、教官会議の司会もやらなくちゃならないし、じっくり研究はできないでしょうね。

12月10日
 一気に光造形用のテンプレートマスクパターンを書き上げた。久しぶりに図面を引いたが、研究意欲が沸々と湧いてくる。そういえば夏休み以後論文を書いていない。昔は月に一編は投稿していたものだが。まあ、昔から集中してやるかと思えば、ゴールを前にして昼寝をするところがあったからね。なんといっても白兎ですから。
 ところで、新任の冨田先生のホームページをご覧になりましたか。あの日記には私もついていけない。なかなか、高専には得難い人物ではある。忘年会では機先を制して、先に柏原よしえの歌でも歌ってしまおうかな。どうなることやら。

12月17日
 一週間のご無沙汰でした。いろいろあり、本当に忙しく走り回っていました。電気の忘年会は盛り上がりました。カラオケをやらなかったのがかえってよかったかもしれない。それにしても事務と合同の忘年会も楽しかったが、カラオケにはまいった。評判をきいて事務の皆様や他学科の先生方が冨田先生の歌を楽しみにされてリクエストされました。楽しんでいただけましたでしょうか。来年三月末には電気工学科で一泊旅行を計画していますが、この日は仲先生にも声がつぶれるまで徹底的に歌ってもらいましょう。あー、どうなることやらいまから楽しみです。

12月18日以降は白兎の夢日記に引っ越しました。

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