BestHtml ロボコン’98指導(観察?)日記

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since May 31th, 1998.


ロボコン’98への取り組みをクラブ顧問の立場から見て


文章が大きくなりすぎたのでまえがきおよび八月以前はこちらに 九月分はこちらに 地区大会当日からはこちらに

10月1日
 一日で書く文章が長くなってきたので、ファイルを別にしました。ストレスがたまると憂さ晴らしに長くなるみたいです。もっとも、ほんとにへばれば日記を書く気にもなれません。
 インターネットの個人情報について朝日新聞の記事に載っていましたが、実名で日記に登場してもらうのも本人に全く許可を取ってないのでいけないことかもしれませんね。いいことの場合のみ実名で入れましたが、ご不満のある方はメールなりで指摘いただければ仮名にいたします。それもまずいのかな。いつまでこの日記を書くことができるのやら。唯一の息抜きだから、許して下さい。
 朝から卒研生たちはワイワイと部屋の模様替えをやっています。昔は陣頭指揮で部屋の模様替えもやってましたが、今はもう任せっぱなしです。でも、ほとんど終わりかけのところで、レーザの置き方がまずいことを指摘して、始めから考え直しになってしまいまいました。
 後期の初めての授業がはじまりましたが、前期と大幅に時間が違うのでバイオリズムが狂い、とても疲れます。  ロボ研は何とか動き始めたが、梱包のこととか、会場の再現とかいろいろな問題がある。合宿の話がでてきた。エー・・・。18日間連続!!!家庭崩壊だ。家族の我慢にも限界があると思う。妻は、まだというか、もう元の状態への回復はとても期待できない状況になってしまっている。私も朝5時半に起き、学校に7時半につき、12時間学校にいて、夜は12時頃寝る生活を続けており、妻にもかなり無理をさせている。今頃合宿をして追い込むんだったら、どうして、もっとあの夏休みの頃に・・・。うー、泣きたい。それでもイヤだと断ると、学生との間に溝ができてしまうのかなー。やっと最近なじみ始めたと思うのに(自分だけでそう思っている)。

10月2日
 朝から変だった。例によって洗濯物を干し、7時に家を出て学校へ向かっていた。後ろからRV車がかなりの高速で追いついてきた。私の車はなかなか加速できない車なので、すぐに追いつかれた。パッシングやクラクションを鳴らすので少しスピードをあげた。信号が黄色から赤に変わりかけ、このまま行こうか迷ったが交差点の先頭で止まった。後ろの車は右折車線にでて止まり、運転手が車を降りてこちらへむかってくるではないか。窓をたたくので、こちらも身構えて窓をあけると、「後ろのタイヤがパンクしとるよ」の一言。ありゃりゃ、どうもすみません。すぐ近くに行きつけのガソリンスタンドがあったが、まだ、やってないのでとりあえず、車を止めれるところを探して車を動かしたが、車はパンクしているようには思えず、普通に走っているような気がした。止まるところがなかなかなく、結構スピードを出して結局家に戻った。後ろを見ると、見事にパンクしている。 よくあんな高速で運転できたものだと思う。4WDの車なので前輪で駆動していたのでわかりにくかったのだろうか。あのまま走っていたら、あの交差点をつっこんで走り去ってしまったらどうなっていたのだろうか。長良川の堤防沿いに走るから、カーブのところで川に転落なんてことも・・・。ぞっとしながら、家に入ると、妻がまたもや動けなくなりソファーで目をつむり横になっていた。まだ時々動けなくなり、3時間ぐらいは安静にしていなければならない。とりあえず学校に2時間の年休をお願いして、2回目の洗濯(子供が多いので1回ですまないのです)を済ませ、タイヤを交換し学校へ向かった。大きな釘が見事に刺さっていたが、いやはや何とも、いろんなことが起きるものだ。
 柏木君や鍵井君が機械工作にかり出されているため、PICとセンサーとの連絡がとれていない様な気がする。小林君に強いリーダシップを取るように期待しているのだが、彼の性格なのか、なかなか難しそうだ。

10月3日
 土曜日。とりあえず10日の目標に向かって動いている。機械工作の方は疲れがたまってくるので、怪我には気をつけてほしい。仲先生が終日いて下さり、ロボ研の学生も見ていただいている。本当に頭の下がる思いである。やはり、学生と朝から晩までつきあうことができないのなら、最初から指導教官を引き受けるべきではなかったかもしれない。妻が長期入院し、治る見通しがたたないことがわかった時点で、指導教官をかわってもらうようにお願いすべきだったかもしれない。しかし・・・。
 昨日は、結局帰宅したのが10時を過ぎていた。朝遅かった分仕事がたまり、時間が後ろにずれただけであった。幸い妻はとりあえず動ける状態になって、夕食の準備だけしてもう眠っていた。少し気になることがあり、3時頃に目がさえてしまったのでそのまま起きて仕事を始める。少し遅れて学校に到着したが、ロボ研の学生たちはもう仕事を始めていた。隣の佐井研究室にも学生がいるみたいだ。そういえば佐井研は昨日の夜も私が帰るときに声がしていた。がんばっているようだ。やっぱり、教官の背中を見て学生は育つというのは本当ですね。うちの学生たちもしっかりしたやる気のある子たちで、私の情けない背中を見ている割にはがんばってくれている。時々、先生方で最近の学生はちっとも卒研をやらなくなったとおっしゃられるが、先生の背中をみてやらなくなった学生もいるんではないかと自分で反省しています。「おまえが悪いと指さす三本の指は自分を指している」反省!反省!
 電気工学科の出口先生が博士論文を10月15日に公聴会で発表される。出口先生おめでとうございます(未だ早いかな?)。内地留学の希望を抑え、先生も立派に電気の伝統を守ってくれました。

10月5日
 朝7時半から午後9時までなんやかやとすぎていく。疲れた。久しぶりに柏木君や鍵井君の顔をみて少し疲れもとれたが、それにしても家が心配です。もう帰ります。
 
10月6日
 火曜日。今日は比較的自分の時間がとれる。前から書き残していた論文を整理し、とりあえず、一つに絞って書き始める。何とか今月中に出しておきたい。
 考えてみれば、学校では昔からこれくらいの時間は働いていたのだし、世間一般の常識からは超勤を100時間ぐらいこなしている方はいっぱいいるのだから、ストレスが溜まる法がおかしいのかもしれない。しかし、ここでは超勤手当はもちろん付かないし、学生への差し入れなどを考えると、割に合わないことをやっているようにも思う。昔は若かったし、雑巾掛けも当たり前だと思っていたので、疲労感もなかったが、さすがにこの年になって雑巾掛けから始めるのは疲れる。クラブ活動の指導はボランティア精神がないとできないことだとは思う。私は若い頃に携わったラグビー部をおりた頃を機会に、最前線からは免責になったと思っていたのだが。いいたいことは山ほどあるが・・・ホームページには載せられない。
 いよいよセンサがマシンに載った。PWMの確認も終わり、あとは走行を待つのみである。明日は体育館で初走行だ。時間外届けは19時から24時までになっているが・・・。

10月7日
 光・量子エレクトロニクスの授業で半年ぶりに5年生にあう。といっても選択科目だから人数が少ないが。2年生の時から見てきた学年であるが、半年間のうちに、就職や進学で私が期待していた以上の成果を上げてくれた。初めてあった日に、「君たちのうちのかなりの人が、高専に来たことを今後悔しているんじゃないかと思う(学生たちの大半が笑いながらうなずく)。だけど、5年生で卒業するときはきっと岐阜高専に来てよかった、特に電気に来てよかったと思うようになります。いや、そういう風にして見せます。」というような意味のことをいった記憶がある(毎年初めてあう学年には同じことを言っているから、きっと言ったと思う)。一抹の不安を抱えていたが、伝統を守ることができた(いや、守ってくれたという方がただしいのかな)。午後から運営会議があったが、各科の進学関係のリストにはすばらしい成果が載っていた。
 鍵井君たちはプロコンに参加していたのであるが、最優秀賞に限りなく近い成果を挙げ新聞紙上にも紹介されていた。学校長も当日は見学にいっており、いたく感心しておられた。同じ技術系のクラブとしておめでとうと言いたい。中心は3年であったようだが、おそらく2年の鍵井君も相当な貢献をしたであろうことは想像できる。D科の学生たちが主体であり、D科のパワーを見た思いがし、現在の電気の技術力を思うとき複雑な気持ちもあるが、これをバネにしたい(やっぱり転科を勧めた方が・・・冗談です)。電気も実践的技術力養成のための教育体制をそろそろ根本的にかえなければならないところに来ていることを強く感じる。私たちは最も効果的なPR活動は、原点に戻って、現在いる学生にしっかりした実力を付けさせて立派に卒業させることであることを知っている。ただ、学力と技術力がお互いに密接にリンクしているとは言い難いところもあって、カリキュラムも難しいんです。両方ばっちりあるような堀君や村橋君の例は稀かもしれない。たぶんに、技術力は結局は本人の努力に帰するところがあります。
 午後7時。ロンリウムを体育館に敷き詰める。さすがに9m×14mは圧巻である。直径50cmの赤い島が小さく見える。本当にこんなところで止まるのかいな。PICにバグがあり、搭載が遅れる。柏木君と鍵井君が必死になおしている。
 午後9時。未だ試走できず。今日は無理かな?
 運営会議の時に、キーンという耳鳴りが続き、少しめまいを感じた。妻も耳鳴りから、めまいの症状がひどくなり、入院まで至ったのだが。ひょっとしたら砒素中毒か?なんて冗談を言っている場合ではなさそう。最近そういえば左半身にいろいろな異常を感じるから、右脳がおかしくなってるのかもしれない。
 さすがにこの時間になってくると、疲れが溜まって仕事をする気にもなれない。半年ぐらい前から読みかけになっている本を読み始める。いろいろ新鮮な情報が入ってくる。ふと、これまでの自分を振り返り、一体、自分がなんなのか。自分がやろうとしていることは何なのか。何を果たすべく生を与えられているのか。結局、元の振り出しに戻ってしまっている。40も半ばにして、まだ迷っている。いや、迷う前の段階だ。私がこの20年やってきた研究でさえも単なる趣味、暇つぶしだったのかもしれない。こんなことを書くと、これまで私に多額の研究費を投資してきた文部省に申し開きできないかな。少なくともロボコンは私の生き甲斐でないことだけは確かだ。
 午後10時。妻はもう寝ているだろう。長男は実力試験が終わり、今頃トレンディードラマに夢中だろう。次男は昨日は一晩中電気がついていたが、たぶんいつもの居眠りだろうから、今日も寝ているだろう。長女はこっそり私の部屋で別のテレビを見ていることだろう。三男は母を求めて、しかし妻の様態を配慮して一人寂しく涙をぬらして寝床にいるのだろう。いつ帰ることができるやら。こんなことなら、一日だけの合宿にしておけばよかったね。でるのは愚痴ばかり。
 午後11時。依然として動く様子なし。ちょっと予定が甘いな。プロコンにかり出されていた分だけ遅れたんじゃないかな。来年からはプロコンとの掛け持ちは一切禁止にしないとダメかもしれない。これが大きな教訓、前例になるかもしれないよ。
 明日は一時間目があるし、5時半に起きれるかしら。あーあ。 

10月8日
 結局、午前1時に帰宅。得るものは何もなかった。学生にとってはそれはそれで意味があるのだろうけれど、人生の残りが少なくなってきた中年(老年?)にとっては、時間はとても貴重だ。長男と次男は起きて勉強をしていた(たぶんテレビが終わってから、たまった宿題をやるためにおきているんだろう)。ロボ研のことや、電気のこと、高専のカリキュラムのこと、妻の病気のこと、子供たちのこと、自分のことなどいろいろ頭に浮かび目が冴えてしまってなかなか寝付くことができない。うとうととまどろんだ頃に、階下でトントンとまな板を妻がたたいている。妻は今日は元気そうだ。ロボ研の進展具合を聞かれ、「順調だ」とつい粉飾決算。とても、昨日の様子を話すことができない。全身に倦怠感が残り、胸が締め付けられるように痛い。今までにない状態であった。
 最悪の精神および肉体状態で4年電気の電子工学の授業を行う。学生には、ここ5年間で最悪の鬱状態だから、途中ひょっとしたら切れてしまうかもしれないことを宣言。しかし、授業を始めるといろんなことを忘れ、疲れもとれてくる。学生がしっかり聞いていると、こちらも元気がでてくる。これからは、時々この手法を取り入れるかな。U限は専攻科の放送大学の担当。学生が1名しかいない。二人でポツンとビデオをみる。何のこっちゃ。この方が疲れる。
 12時に部屋に戻ると、卒業生(しかも素敵な女性!!!)からの電子メールが届いていた。この日記を読み、私や私の妻の健康をきずかってメールを出してくれた。おもわず、感激で涙ぐんでしまった。時々、卒業生から励ましやロボコンへの協力のメールをいただき、本当にありがたいことだと感謝しています。本当にメールをいただくだけで元気が湧いてきます。卒業生のみなさんは、私たち電気工学科の教官にとって貴重な財産です。あたたかい、励ましの言葉をいただくたびに、あー、電気工学科の教育はまちがってなかったんだなあと自信を持たせてくれます。
 10月19日午後4時より校長の視察がある。同時に、岐阜新聞のインタビューも受ける予定。運営会議で紹介されていたから、結構人が集まるかもしれない。このころには完璧な動作で練習に練習を重ねているはず。10日のデモンストレーションがうまくいけば、13・14日の中学生の一日見学会での実演を考えてもいいんだけど。10日の結果次第ですね。
 全国大会の美術セットがかわるという連絡が入る。得点エリアの外周に赤と緑のランプが埋め込まれ、得点に応じて点滅し?!エー。センサはどうなるんだろう。ロンリウムに穴をあけて豆電球を埋めこまなくっちゃ。その前に、全国に行かないとダメだけどね。

10月9日
 やっと走行テストがはじまる。種子があまりにも速いためにいろいろな問題がでる。暴走する種子を取り押さえようと追っかけ回し、突然止まった種子に振り回されてロンリウムの上で学生がすべってころぶ場面も。柏木君の「殿、ご乱心!」はタイミングがよかった。センサからの漏電が判明する。未だいろいろな問題がある。

10月10日
 午前1時半帰宅。就寝3時。午前8時半起床。妻から近くのご主人が心筋梗塞のため急死したことを知らされる。享年56才。学生から見ればお年に見えるが、私から見ればあまりに若い。娘さんが二人おられるそうだが、何の前触れもなく突然の死であり、家族の悲しみを考えると言葉もでない。過労がどうも原因らしい。ストレス、過労、睡眠不足、高血圧、肥満、飲酒、手足のしびれ、すべての要件が整っているような気がしてきた。予感がするときは大丈夫かな。もしも何かあったら、私には許すことのできない者が・・・名いる。
 午前11時学校着。仲先生の撮影を見学。すばらしいの一言。先生も学生もよくやっている。特に仲先生は午後は明日のソーラーカーレースのために神戸に出発するはず。すごい。私の比ではない。ロボ研は午後3時より撮影開始。終了は午後7時すぎ。本体動作せず。レーザ制御未確認。種子1開かず。種子2制御できず。とりあえず種子1の運搬だけはできる。センサー、ピック、PWMは合格。さすが柏木、鍵井、梅田の電制組はやるもんだ。今回できなかったところは猛反省してほしい。すべての責任が自分の所にかかっていることを忘れないでほしい。私の疲れなんかに比べれば、遥かに学生たちの方がへばっている。だけど、君たちは若い。あと少し。19日の校長視察までに、完全に完成させてくれ。

10月12日
 仲先生のソーラーカーは残念ながらブレーキテストでトランジスタが焼けてしまって残念な結果だったようだ。他のチームは、どうもソーラーカーというよりも、電気自動車の意味が強いらしい。仲先生の残されたものはなんとか電気で受け継いでいきたい。ロボコンは何とか私が引き継ぐとして、ソーラーカーはどうしようか。パラボラも考えなくてはならないし。主任としてもいろいろ考えなければならないことがたくさんあります。
 ロボ研はレーザ制御の部分の完成を急ぐ。それにしても小林君、カウンタ回路ぐらいなんとかしてよね。頼むよ。電気工学科なんだから。
 明日は先日の高専見学会の代休をとり、少しゆっくりしたい。夜はロボ研があるし、仕事がたまっているから、学校にはでてくるつもりです。

10月13日
 レーザ制御しないとロボ研の種子はまずダメだろう。明日試走予定である。また堀君に買い物を頼むようだ。ほんとにすまんのう、堀君。もう一つ、今年電気を卒業した山本君にもお願いがあるみたいだ。再び、すまんのう山本君。
 はやくも九州地区の予選は終了し、優勝は有明高専、アイディア賞は都城高専、技術賞は北九州高専でこの三校が全国大会出場だそうた。
 午前中休んだが疲れがとれず、なんだか熱っぽい。歳かな。

10月14日
 あと10日。最近家に帰るのは10時すぎている。妻も長女も三男も寝ており、一人寂しく夕食を食べている。朝も10分くらいしか子供たちと顔を会わす機会がない。
 朝起きても体が重い(もともと体重は重い?)。胸焼けや吐き気がする(飲み過ぎだから?)。足腰が痛い(歳だから?)。体があつい(寝相が悪いから?)。
 ロボコンへの本校の参加状況を調べた。電気のホームページに一覧をリンクさせたが、その結果に改めて驚いた。仲先生がいかにがんばってこられたかが一目瞭然ではないか。電気工学科のPRに使わせてもらってもこれなら誰も文句は言えないでしょう。今の私よりも何十倍も苦労されてこられたのだから、是非、この足跡を残しておきたい。
 19日には校長の視察があり、電気工学科の学生たちも多数見学するようにPRしている。この日に本番さながらにすべてのものが動作しなかったら、たぶん、私はプッツンと切れます。かつて、八年ほど前に切れて以来の言動・行動にでるでしょう。そう、今のように学生を君づけで呼ばず、呼び捨てで読んでいたあのころ以来です。被害にあった卒業生ももう忘れているかな。教科書も机も宙を舞っていたような記憶が・・・。さすがにマシンや種子を放り投げるわけにはいかないが、パソコンぐらいは・・・。
 昔は「彼は切れる。」といえば、ほめ言葉でしたが、今は逆ですね。
 9時半より試走。スイッチを入れるなり逆に走り出したり、レーザ光から逃げる方向に走り出したり、思い切り笑わせてくれるロボットだ。最終的にはねらい通りの動作を示し、拍手喝采。さらに、試走を重ねようというところでまたしてもタイヤが壊れる。これから何回も試走しないと問題が発見できない。生命の方も実験をやってないが、早くしないとそこで失敗なんかしたら、みんなの白けた視線に耐えれなくなるよ。ともかく早く動かしてくれ。
 10時半より再開予定だが、その結果は明日書きます。

10月15日
 レーザ検知による制御はうまくいった。あとは生命の問題が残っている。今年は色センサ、レーザ検知制御、PWM制御、マイコン制御、オムニホイールなど今までのロボ研にない技術をものにすることができた。他高専が昨年と同じレベルなら岐阜はかなりのところまでいったと思う。問題はレーザ光の設定だ。これがうまくいかないと、あるいは動いてしまうと、そのまま動いていくので破滅への道をたどるのみになってしまう。ただひたすら障害物めざして一直線に突っ走り自爆するしかない。これが一回戦だとするとあの高専は何をやっとるんだということになってしまう。むむむ!不吉な予感が・・・。

10月16日
 うー。5時頃から猛烈におなかが痛い。吐き気がして、脂汗がでる。胸が苦しい。ちょっとこれは、この時期に困った。

10月17日
 なんだか、今週は闘病日記になってしまうような気が・・・。昨日は必死の思いで帰宅した。車を運転している最中も胃痛と胸痛と吐き気でたまらなかった。帰宅後薬を飲んで寝たが、午前3時頃に目覚めて、また、症状がぶり返した。どうも空腹時におそってくるようだ。七転八倒の苦しみで、よっぽど救急車を呼ぼうかとまで思ったが、ある体勢だと痛みが和らぐことがわかって、朝までその体勢を維持した。とてもここで表現できるような体勢ではありません。朝食後、午前中は眠りなんとか、痛みは薄らいだ。睡眠不足もあったかもしれない。昼から学校へ。卒研生もロボコンの学生もいる。
 台風がくる。今日の夜はしっかりと戸締まりをしておかないと大変だ。どうも台風のせいで貴重な時間が奪われている。明日、地区大会が行われる所もあるはずだが、大変でしょうね。

10月18日
 日曜日。体育館にて練習。しかし種子1は走るもののそのあとの展開は何もない。こんなことで大丈夫だろうか。明日は私の雷がおちるかな。酒を一日やめたら少し体の調子が回復した。

10月19日
 校長先生始めたくさんの先生が見守る中、試走する。いろんな問題点が浮き彫りになる。誰の目にも、うまくいってないところが明らかになったはずだ。怒りは最高潮に達していたが、他の先生や学生の手前抑えた。
 
10月20日
 あと4日。レーザにも生命を載せなくてはならないはずだが、まだ何も手を着けてない。未だへそがどこにあるのかわからないし、確かピンクの蛍光色を塗るはずだが、やっている様子はないし、今一度ルールを確認した方がいいような気がしてきた。

10月21日
 昨日は宿直で寮に泊まった。家にいるときより睡眠時間を確実に多くとれるからかえっていいかな。炊事・洗濯もしなくていいし。朝から雨が降っている。長男と次男は自転車で高校へ通っているが、雨の日だけは私がアッシーをしている。両人の行いが悪いからこういう日にかぎって雨が降る。二人はどうしていったことやら。まさか、妻が送っていけるわけがないし・・・。
 各パートごとのルールについて確認を始める。各パーツの電気的な連結を始める。早く全体を通した試走をやりたいが、前日しかできないかな(まさか、ぶっつけ本番だったりして)。当日は表にでるところは選手の3人しかタッチできないから、その訓練もしておかなければならない。

10月22日
 近畿地区、東北地区の大会が終わる。詳細はNECのロボコンのホームページ(http://www.robo.adnec.com/98robo/98robo_top.htm)に載っているので参照されたい。勝手にリンクするのも問題なのでURLを書きました。結構色センサを積んだロボットがたくさんあるようだ。センサが自作なのか、ワンチップマイコンを使っているのか、モータがPWM制御なのか極めて興味深い。ロボ研のロボットの技術力は審査員に正当に評価してもらえるのだろうか。
 今日は12時までには帰れないだろう。逐次結果を書きたい。
 電気工学科の編入学受験報告会を来週の水曜日に開く予定だが、聴講希望者は四学年で90名を超す。合格者のいろいろな体験談・受験勉強のノウハウなど、生の声を聞くことができる。今年の五年生も昨年の卒業生のいろんな話を聞いて晩張ってくれた。電気工学科の伝統的な行事にしていきたい。一年の担任の上原先生や二年の担任の久綱先生にもPRの協力をしていただき、感謝しております。
 11時。いよいよ、本番にかなり近い形で試走にはいる。
10月23日
 結局、家へ帰り、風呂に入って寝たのは4時近かった。今日は午後から卒研の中間発表、カリキュラム検討プロジェクトの会議がある。明日の出発は朝6時半頃だから、このまま行くと居眠り運転になってしまう。今日は少し早めに帰ろう。
 遅れているところはやはり最後までいろいろ問題がある。一発でうまくいかないことはわかっているのだから、もっと早めにといいたいのだが、これも経験で、いろいろなことを覚えていくいい機会だとポジティブに解釈する(そうしないとまた胃が痛む)。やっぱり、最終確認は今日の夜かな(明日の朝?)。
 なんとか、完全な動作を確認して、ここで必勝宣言をして鳥羽へ、乗り込みたいのだが。
 7時。眠い。かなりやばい。


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