BestHtml 白兎の夢日記

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since Dec. 18th, 1998.


いつの日か全国各地の中学生が岐阜高専を受験することを夢見て


ロボコン’98の日記を完結し、新たに、兎年の稲葉の白兎が昼寝の最中にどんな夢を見ているかを思いつくままに書きます。在校生、卒業生、全国の高専関係者からの応援(おしかり?)のメッセージをお待ちしております。例によって私物化したり、思わぬ情報を漏らしてしまったりしたら、関係の皆さんごめんなさい。昼寝の間に地道な亀さんにぬかれるんでしょうね。

12月18日
 学科名称変更の電気の希望は決まったが、ハードルは高い。高専関係の教官が集まるいろいろなフォーラムの印刷物を読んでいると、高専の教官の篤い思い、苦しみがよく伝わってくる。私は高専しか知らなくて、高専のぬるま湯(熱湯?)にどっぷり浸かっているのにもかかわらず、これまで高専制度にひょっとしたら批判的であったかもしれない。しかし、長男や次男が高校に入り、その様子を見るにつけ、高専に進学させなかったことを若干後悔している。ひょっとしたら、高専の教育制度は世界で一番いいのではないだろうか。やり方一つで、教育効果の最も上がる模範的な学校制度として世界的に注目を浴びるようにできるのではないだろうか。今、高専全体がカリキュラム改正に動きだし、さらに、電気工学科は改組する機会を得ている。高専全体のことについては一教官がどうのこうのできる問題ではないが、少なくとも岐阜高専の電気工学科についてはかなりの独自性を追求してもいいではないだろうか。
 全国各地の中学生が岐阜高専の入学試験を受けている。感無量で私が試験監督をしているところで夢からさめた。

12月21日
 「学校教育法等の一部を改正する法律」が成立し、平成11年度から中高一貫教育がはじまる。すでに私立の中高一貫教育はなされているが、その成果は大学受験における結果によって主に評価されている。 あくまで大学への受験勉強の効率化をうたい文句にしている面は否めない。 高校受験の弊害は取り除かれるが、大学受験に有利だからという評価に落ちつかないだろうか。 現在の中高一貫教育において大学受験以外になにか教育効果があるとはっきり示されているのだろうか。 文部省において慎重な議論をへて決定され、各自治体で設立されていくことだろうと思うが、教育の複線化という点では評価できるが、小学生の段階での選択というのは、親の責任は非常に重大である。
 本校受験生の名簿のなかに、中高一貫教育校からの中学終了時点での受験者がいることを見つけたところで夢から覚めた。

12月22日
 電気工学科の独自性を出すのには何の抵抗もないだろうと思っていた私が甘かった。こんな風に妥協に妥協を重ね、やっぱり最終的にはどの学校もほとんど変わらない妥協の産物の学科ができるんでしょうね。前途多難です。 それにしても、これからも延々とあの古めかしいモータを廃棄することはできないのかね。強電実験担当の旧教官は、「いつ人が死んでもおかしくない」と言っていたが、そんなことになったらすべてが終わる。電気だけではなく岐阜高専全体がふっとんでしまう。
 来年度は電気回路を教えていた私が、電気磁気学を教えることになった。そういえば、電気回路5単位、電子工学3単位、電子物性1単位、プラズマ工学1単位、光・量子エレクトロニクス1単位、固体電子工学2単位、にくわえて電気磁気学4単位と毎年のようにかわって(かえさせられて)いる。 まあ、電気出身なんだから電気回路は教えるのはいやだとか電気磁気学を教えるのがいやだとかいうほうがおかしいんですけどね。
 新しいカリキュラムになって、非常勤枠が削られ、私が発変電工学や電気法規をおしえねばならなくなり、講義の準備でうなされて夢から覚めた。悪夢だった。

12月24日
 高専を卒業した学生は大学生に負けない実力をもっているのではなく、全く異質の実力を身につけているべきでしょう。それは専門科目の学問的な面での習熟度において大学生を上回り、実践的技術を身につけている点では大学生の追従を許さない。また専攻科卒業の学生は修士課程卒業者と対等な議論または共同の作業ができるのが理想だと思う。
 高専を卒業して実践的な技術力を持ち、大学院まで編入学していった学生はそういった意味では修士の学問的な素養もみにつけたオールマイティな技術者ではないだろうか。もちろん豊橋や長岡技科大の卒業生はそのレベルに達したすばらしい学生が育っているように思う。これからの電気工学科がめざすところは、今の高専生に足りない部分、特に語学に関する部分の強化を行い、さらにともすればミニ大学化、あるいは受験予備校的になっているところを修正し、高専本来の実践的な技術力の養成、つまり実験実習および卒業研究を重視し、さらに徹底的な少人数教育をはかることが重要であると考えている。
 今日は卒業生の堀君や大野君がきて情報をもたらしてくれた。とくにTeaching Assistant については非常に参考になった。
 新しく電気工学科に導入されたユニックスの情報工学演習室で専攻科の学生をアシスタントとして一年生が実習をしている。今日の夢が正夢になるように。

1月7日
 とうとう兎年になってしまった。48年もよく生きてきたものだ。昔であれば隠居生活に入ってもいい年齢だ。無事にこの年を乗り切れるだろうか。そういえばノスタラダムスの大予言はどうなるんだろう。
 電気工学科のカリキュラムも大詰めをむかえる。実験を大幅に見直したい。最近では電卓をつかってパソコンとの通信をしたり、基板につなげたりできるようになっている。一年時からの実践教育をめざして、入学時には製図器具の購入の代わりにブレッドボードと、基板やパソコンに接続可能な電卓を全員に買わせて、5年間でトータルな実践的な実験実習を行わせたい。今年の初夢が実現できますように。

1月12日
 久しぶりに長い教室会議でした。私が主任になってから会議は遅くとも5時か5時半には終わっていたのでしたが、昨日は終わったのが7時半でした。学科改組にともなうカリキュラムのことで、延々と続きました。資格認定科目に関する問題で意見がわかれ、集約がなかなかできませんでした。主任でなければとっくにプッツンと切れていたのではないかと思います。結局、私が思い描いていたようなカリキュラムはできそうにありません。どうして5年に一人ぐらいしか出ない学生のために、カリキュラムをこんなにゆがめる必要があるのか私には理解できません。高専の卒業生にとって胸を張れるようなそれ程重要な免状なのでしょうか。もう、自分でカリキュラムを作る気力もなくなりました。次のカリキュラムの改正の時期まで隠遁生活に入ります。
 膨らんだ初夢が割れて目が覚めました。

1月14日
 情報工学の技術者養成をどの学科ですべきかと言えば、歴史的に見ても電気工学科が責任を負うべきでしょう。単に電気電子工学のために必要な情報工学に関する知識を学ぶのではなく、電気電子工学の知識をもった情報技術者を育てる必要があると言うことです。現在の状態では情報処理センターでパソコンを使って学ぶ程度であり、3・4年の実験でユニックスを使った情報工学実験を入れる必要がある。そのためにはユニックスを15台は入れる必要があるし、その部屋の手当もしなければならない。
 悪夢は忘れ、夢だけでも理想を追いたい。

1月18日
 推薦入学の志願者数の最新情報がホームページで更新されている。2年前と同じ様な結果になるのだろう。たとえ電気工学科が名称変更したところで最初は倍率がたかくなってもいずれは元の木阿弥になっていくのは他の学科でも証明されている。中身を完全に改組し生まれ変わらない限り、根本的な解決にはならないと思う。あの資格免状にこだわったカリキュラムをしている限りこの状況は変わらないと思う。
 私は与えられた仕事をするのみである。それにしても、この状況をみてあの二人はどう思っているのか知りたいものだ。悪夢はつづく。

1月20日
 推薦入学の志願者数は電気工学科にとってさんざんな状況になりそうである。およそ、中学生にとって魅力のない学科は社会にとっても必要のない学科と烙印をおされ、独立法人化されれば、いずれリストラ・消滅の対象になって行かざるを得ない。この結果の責任の50%は主任の稲葉が負うべきものです。すばらしい教育成果を挙げてくれた昨年度や今年度の5年生に誠に申し訳ない気持ちでいっぱいです。学力試験は合格するためのいろんな要素が絡みますが、推薦入学は純粋に中学生の希望を表すものであり、広報活動に機会が均等に与えられたにもかかわらず、このような結果になったのは、電気工学科の育てようとしている人材像およびカリキュラムに魅力がないこと、主任を中心とした広報活動に重大な問題があったことは否定できない。確かに、高専見学会における他科に明らかに見劣りする出展物、ゴミの山と化した情報通信実験室、授業で時間をかけたにもかかわらず他科とは見劣りのする専門展、留年生が多いという負の教育成果、欠席時数が多いのも我々電気工学科の教官の責任によるものがあることは否定できない。従って、稲葉に50%の責任、他の教官にも5%ぐらいの責任があると考えるべきでしょう。いずれにしても、中学生に支持されない学科はなんの自己浄化をしないのならば消滅していくのが自然の摂理である。早急に電気工学科を変革しなければ学科の存続は危ういものと思う。
 悪夢は依然として続く。
 話は変わりますが、長男がセンター試験を受けました。バスケットばかりやっていて、まともに勉強をしているとは思えないが、それでも高専の学生よりは勉強時間は多いだろう。しかし、大学にはいっても高専からの編入学生の方が実力は上に行くことを考えると、いったい我が家の子供たちは何のための勉強をしているのかわからなくなる。どうも、大学に合格するためだけの勉強をしているようだ。

1月22日
 推薦入学に応募してきた生徒はほとんどが見学会や学校説明会にきている(あたりまえですね)。「先生の説明を聞いて行く気になりました」なんて言ってもらえるとお世辞とわかっていてもうれしいものだ。反面、他の学科に流れたと言うことは、やはり私の説明を聞いた結果だからやはり私の責任でしょう。
 今の状態での結論は情報工学コースを導入することがやはり一番いいと思う。これは単に学生を集めるためだけの姑息な手段ではなく、中学生の要望および社会の期待は電気工事や電力関係の技術者の養成よりも、情報工学技術者の養成の方が主であり、その期待に応えると言うことです。
 悪夢にもなれてきました。(毎年のことで免疫になったのかな。)

1月26日
 昨日も教室会議が長引き8時近くになってしまった。学科全体が重要な時期にかかっており、仕方のないことだと思うが、誠に申し訳ない。近いうちに話の内容で公表できるものは公表して皆さんの意見を聞く機会を設けたいとは思っておりますが。
 長男の大学受験もあり、家に帰っても雰囲気が重い。最近、ようやくMDを買いました。昔のLPは子供たちが昔、レコード針をいじってどこかにやってしまって以来、使いものにならなくなり、CDを借りてきてすべてMDに変えています。まずは、井上揚水のアルバムを四枚コピーしました。懐かしいですね。

1月27日
 大丈夫だろうか。的確なアドバイスがないと間違った方向にハンドルを切ってしまうような気がする。残念ながら私にはアドバイスしてあげられる立場にないので、なんとも仕方がないが。
 今日はうなされそうな夢を見るような気がする。

1月29日
 武富先生と長時間にわたって議論をした。カリキュラム検討専門委員長を任せられているが、これは本来教務主事が兼務してきた仕事であり、うまく言いくるめられたような気がしてならない。今回のカリキュラム改正はこれまでの高専では考えられないような大変革であり、今後の岐阜高専の行く道を左右しかねないものである。国家公務員の定員削減がからみ、独自の道への模索などとても難しい状況になっていくときに、舵取りを間違えるような人選をしてはいけないと思うが。
 毎日、毎日、寝汗をかくような夢ばかり。

2月2日
 入学の志願者数の速報が掲載されているが果たしてどれくらいの中学生がこれをみているだろうか。中学生に聞いてみるとまだインターネットを自由に中学で見られる環境にないのがほとんどだから、一部の中学だけに限られるんだろうね。案外、卒業生がほとんどだったりして。これからまた毎日陰鬱な日が続くと思うと心も重い。

2月5日 推薦入学について
 推薦入学はどこの高専も2割程度と募集要項に書いてある。ホームページなどで調べてみるとたまに3割くらい取る学校があるようだが、ほとんどは8名以下と書いてある。沼津高専などは電子制御工学科と物質工学科は推薦入学をとっていない。おそらく全国の高専の中で唯一の存在ではないだろうか。ことの是非は別として、そこには確固とした学科のポリシーを感じる。
 本校でも推薦入学に関していろいろな問題があり、議論すべきところが多い。もっと増やせという方々の根拠は、優秀な人材を確保したい、工業高校や商業高校がほとんど半分くらいまで推薦でとっていること等が根拠のようだ。考え方はいろいろあると思うが、私の考えを述べたい。推薦入学の基準はかなり高いので、優秀な人材には違いないが、それは優秀であっただけで、電気工学科でも優秀であるかと言えば、必ずしもそうではない。学力試験で合格した学生が電気工学科で能力を伸ばしている例を私はたくさん知っている。推薦で合格した中学生は2月のすさまじい受験勉強を経験せずに高専に入学してくるわけであり、専攻科も大学院もすべて推薦でいけることを考えると、エスカレート式の私立の幼稚園みたいである。幼稚園でもお受験があるというのに。大学受験がないことが売り物ではあるが、どこかで自分を極限まで追い込む受験勉強をすることは重要だと思う。うちの長男をみていてそう思う。バスケット以外にそれ程熱中するものがなかったのに、さすがにお尻に火がついたとみえて、必死のようだ。その分合格したら遊ぶんだろうけど。自分の経験でも一度くらいそういう思いをすることは非常に重要だと思う。推薦で合格した中学生が継続して2月3月も勉強していれば問題はないのだけれど、なかなかそうはいかない。そうしてみると、優秀な人材であったには違いないが、決定的なものでもない。推薦で入学した学生がだめだと言うことではないので勘違いしないでほしい。おごらず甘えず、その後の努力がすべてと言うことです。
 次に、職業高校が半分くらい推薦で確保している点であるが、高専は職業高校でも何でもないのだから、わざわざ見習うこともないと思うが。岐阜高校は推薦入学など認めていないし、東京大学も推薦なんてない。私は高専(特に岐阜高専の電気工学科)は、そのうちに世界に広く知られる存在になると思っているので、安易に推薦枠を増やすことより、むしろ、減らしたいと思っている。現実は推薦志願者が少ないので、結果的には考えどうりになっているが、なんとなく言い訳みたいに聞こえてしまうのが残念である。もしも、電気工学科に20名以上推薦志願者があったら(うれしい!)、やはり8名までしか取らないと思う。なんと言っても募集要項に2割とかいてあるんだから。むしろ、沼津高専のように、電気工学科だけ推薦を募集しないというのもいいかもしれない。これも単なるひがみにしか聞こえないかもしれない。
 たとえば、電気工学科の半分以上が推薦入学者でしめられたとしたら、現在の教育水準が維持できるかと言えば、私は疑問を呈する。
 本校の推薦基準で言えば、数学と理科が三年間全部5であっても他の科目がすべて4以下では推薦基準に達しないわけであるが、このような成績の学生なら私は電気工学科でしっかり勉強すれば必ずトップクラスの実力を身につけることができると思う。繰り返しますが、推薦で入学した学生がだめだということではありません。それは中学の時の成績評価が総合的によかっただけの話で、本校での努力が非常に重要であると言うことです。
 そういえば、普通高校に入学した生徒は中学時代の成績と高校時代の成績にかなり相関があるが、本校の場合相関があるとは思えない。これは本校の教育成果なのだろうか、それとも本校の教育の欠陥なのだろうか。それとも本校の入試に何か問題があるのだろうか。次回はこのことについて考えてみたい。
変わりゆく電気工学科(学科改組に向けて)をオープンしました。

2月6日 続 推薦入学
 推薦入学に関する過去のデータは中学校などに配布している学校案内に公開されているのでここで論じても問題はないだろう。昨年度、すばらしい成績を残していった31期生の推薦志願者は電気工学科(5名)、に対して13名の志願者があった学科もあった。昨年に引き続き好調であった現五年生は4名であり、17名も志願者があった学科があった。いずれも電気が最低の推薦志願者数でした。この31期生と32期生は他のどの学科と比較しても編入学試験の結果を見てもわかるように、それ程劣っていたとは思えないことは明らかだと思います。私たちはこの二つの学年の努力に敬意を表すると同時に誇りに思っています。特筆すべきことはこの二つの学年の学力試験の志願者数は非常に多かったということです。今年は電気の推薦志願者数は5名で、他には19名もの推薦志願者があった学科がありましたが、学力試験の方は公開されていますように、久々に100名をオーバしています。6年前の環境都市工学科の一期生以来のことであり、たとえ推薦入学の志願者がすくなくても、がんばって教育すればいい結果が生まれるんではないかと思っています。
学科改組の理由の一つに入学試験における影響をあげているのですが、昨年度と今年度の結果だと改組の必要がないと文部省から言われるかもしれません。しかし、平成6,7,8年度は非常に落ち込んでいましたので、その危機意識から学科全体でがんばったわけであり、正直、毎年毎年がんばり続けるのも疲れるんです。ちょっと油断するとすぐ落ち込んでしまうんです。

2月10日
 運営会議ではなにひとつ認めてもらえず、私個人の力なんかたかがしれているような気がする。いったいこの二年間、私は主任として何を電気に対してできたのだろう。ロボコンの総括のように、主任の総括をする時期にかかっているが、これもやっぱり同じ様な結論になるような気がする。ただ一つ、稲葉Pに関して公にせずに密かに実施してきたことがある。これは学校全体にとっても役に立つノウハウであると思っている。本当にそのことが役に立つかどうかはっきり見定めてから公開しようかと思っているが、環境都市の吉村先生ぐらいには酒の席でポロッと漏らすかもしれない。
 そろそろ32期生も卒業を迎えます。電気工学科31期卒業生に贈る言葉を公開しました。昨年の謝恩会で話した言葉です。実は主任として初めての経験であり、毎日学校への通勤途中に何回も何回も練習したんです。当日は思っていることがなかなかいえず、意味がよくわからなかったのではないかと反省しています。また、この季節がやってきましたが、あの当時の練習が今頃よみがえってきて、今でもほとんど復唱する事ができます。懐かしくて書き込んでみました。

2月12日
 いよいよ、稲葉Pも最終段階にきました。学科の教育の充実、学科の広報、学科の改組などいろいろな観点から手がけてきましたが、そろそろ総括する時期になってきました。稲葉Pは電気工学科を中心にしてきましたが、あちらこちらに迷惑をおかけしたかもしれませんが、学校全体の活性化に少しは貢献できたのではないでしょうか。(逆だったですかね)この間に得たノウハウはいつか岐阜高専や高専全体にも役に立つ日が来るのではないかと思っています。

2月17日
 卒業研究も最後のまとめに入りつつある。今年は主任の仕事以外にロボコンとカリキュラム改訂、学科改組等が入り、おまけに妻の病気に長男の大学受験が重なり、大変な一年でした。卒研も例年ほどこまめに見ることができなかった。まだ、今年のやり残しがあるが、来年度は比較的時間があるから、今までの研究の遅れを取り戻します。
 辛いことが多い一年でしたが、卒業生の方々からの暖かい励ましのお言葉が私の救いでした。在校生のがんばりが私の元気の源でした。最後の締めくくりをするために、ここで気を抜かず、ラストスパートです。

2月18日
 東海地区で開催されていた第30回日展が21日で終わる。私的なことだが兄の特選の絵は一貫して追い求めている暖かな青をモチーフにしたもので、すぐに兄の絵だとわかる。兄だけが作り出した世界がそこにある。

2月22日
 長男の試験がいよいよ始まる。明後日には出発することになるが、はじめての経験であり、家中の雰囲気が重苦しい。この一ヶ月間は今までと比較にならないくらい勉強をしていた。もっと前からやっておけばセンター試験もうまくいったのにと思うが、後悔先に立たず。しかし、この経験は人生にとって重要な役割を果たしていくのだろう。高専も受験勉強の弊害は取り除かなければならないが、緊張感をもってすごさせる必要があると思う。来年度からは電気磁気学をもつので、じっくりと学生を育てたいと思う。

2月24日
 おもしろい本を読んだ。某大学の某教授は単位を出さないことで有名であった。学生から敬遠され、ゼミに来る学生もほとんどいない。来ても最後まで続かない。あるとき、とても熱心な学生がおり、最後までゼミに参加した。教授は感激し、最後の日に飲みに誘い、肩をだいてその学生に一年間の苦労に感謝した。しかし、単位はやはりださなかった。
 何年か前に明治大学の教授が必修単位を出さないために大量の留年者がでた。マスコミは騒ぎ、賛否両論が飛び交った。大学教育に一石を投じた事件であった。大学の1単位が、1時間の講義と2時間の予備学修から成り立っていることを考えれば、勉学を怠っていた学生に非はあるのだろう。ほとんどの大学生が勉強しなくなって久しい。勉強している学生との落差はあまりにも大きい。翻って、高専生はどうだろう。ほんの一握りの学生はすばらしい力を自分で身につけて卒業している。しかし、私たちは本気になって教育しているのだろうか。卒業研究には高専教育の理想像がある。岐阜高専電気工学科の卒業研究のポテンシャルは他の高専や大学と比較しても出色の存在であると自負している。4年生の電気設計実習もうまく機能させれば非常に教育効果があがる。
 私たちは卒業研究の指導で得た学生指導のノウハウを今こそ低学年の授業に活用すべき時が来ていると思う。他のどの学科も、どの高専もできないような教育システムを電気工学科でつくりあげたい。かつて大阪市大が斬新な教育で注目されたように。

2月25日
 大学ではなかなか教育改革がすすまない。教育は研究と違って評価されにくいこともあって、研究至上主義に陥りやすい。実際に研究業績の少ない教官はオピニオンリーダとは認められない雰囲気があるようだ。研究に行き詰まると教育に走るだとか、教育と研究は反比例するとかいう極論を耳にすることもある。
 私の所属は高専であり、大学ではないのであるから、当然教育が優先される。そんなことは当たり前である。しかしながら、学生はしっかりと教官の背中を見ている。たゆまぬ研鑽をつんでいるか否かを学生はしっかり見ている。私はこれだけは肝に命じておかなければならないと考えている。
 教育改革はなかなか難しいものであり、他人に任せたくなるものである。しかし、今、電気の教官が一致団結して大きな改革、斬新な制度を実践することは、電気工学科の将来、いや、高専や日本の教育の将来にとって非常に重要であると考えている。そういうことができる環境に、今、電気工学科はあると思う。
 具体的には変わりゆく電気工学科(学科改組に向けて)に記載しました。
2月26日
 朝から体調が思わしくない。頭痛がしてめまいもする。


3月3日
 卒業研究発表会が終了。長い一日であったが、ことしも満足のいく発表が多かった。このような発表が行われている限り電気工学科は安泰である。校長先生も丁度パワーポイントでグラフィックデモをやっているところをご覧になられ、電気工学科の卒研の一番いいところをみていただくことができた。
 学生には最初の挨拶で話したが、卒業研究こそ、高専の実践教育、少人数教育が活かされる最良の場であると思っています。快い疲労感とともに今日はゆっくり眠れる。

3月4日
 またまた私的なことだが、兄が岐阜市芸術文化奨励賞をいただいた。もう完全に岐阜県を代表する洋画家といっていいだろう。それにひきかえて私はなにをやっているのだろう。生来熱中しやすくさめやすい性格であったので、一つのことが長く続かない。特に研究に関してそれがいえる。のめり込んである程度成果が上がると、逆に先が読めてしまう。どうも、この道一筋の学問追求型の人間でないことだけは確かだ。あちらこちらに迷惑をかけた稲葉Pもアドバイスもありそろそろ幕引きの潮時だと思っている。研究と同じでこれも中途半端になってしまった。さて、来年からは何をやりましょう。

3月18日
 2週間ぶりのロードです。いろいろなことがありました。この一年のすべてを経験したような思いです。例年、この時期は比較的自由な時間があるはずなのに、主任業務がものすごくありました。幸い、電気の先生方に皆さん手伝っていただき、来年への宿題を残さずに終われそうです。しかし、この地道な活動がいつか報われることを電気工学科教官一同で願っています。
 主任が終われば一応稲葉Pも解散し、本来の業務にもどるつもりです。日記は中平君の手法を参考にして・・・あとは言わなくてもたぶん電気の関係の諸氏はわかるでしょうね。わからなければメールください。
 明日は卒業式。また、挨拶を考えなくてはならない。

3月19日
 雨の卒業式。高専生活に終わりを告げ、新たな世界に旅立つ学生たち。
 いつもこの時期になると、一人取り残された気になり、一抹の寂しさを感じていた。できることなら、もう一年このままのメンバーでやり直したいのだが・・・。そうはいかないですね。
 夜にはまた、ルネッサンスホテルで謝恩会を開いてくれる。楽しみです。

3月23日
 卒業式後の謝恩会の電気工学科32期卒業生に贈る言葉を公開しました。昨年と同じ様な話になってしまいました。最後まで「ほめ殺し」だったという説もありますが。
 冨田先生や仲先生のカラオケもあり、異様に盛り上がりました。ことしも思い出深い謝恩会になりました。
 例の日記の件はカウントが10を越えたら始めようかと・・・。

3月24日
 電気学会が小郡の山口大学で開かれている。多忙のため日帰りで帰ってきたがさすがに疲れました。連休の最後の日で帰省客と重なり、指定席が全く取れず、広島始発のウエストひかりに乗り換えて座席を確保しましたが、大阪から羽島までは立っていました。ゆっくり湯田温泉に浸かり旧友とのんびりすごし、広島を久しぶりに見学しようと思っていましたが、やり残しの主任の仕事が高専にあり、やむなく断念しました。今週末は東京で応物学会です。東北大学の羽根君と会えるのが楽しみですが、今度もゆっくりできない。
 ほんとうなら、この時期は家族で東京にずっといついて、サッカーのブラジル戦などもみれるんではないかと思っていたのに。ううう−ん。人生はうまくいかないものです。みんなでがっくりしていますが、来年こそは・・・。
 跳び級について思うところを変わりゆく電気工学科(学科改組に向けて)に記載しました。これは電気だけではなくて高専全体で取り組んでいただきたい問題です。電気だけ抜け駆けしようなんてことは考えていませんので、念のため。相変わらすカウントはゼロ。むずかしすぎたか?

3月25日
 やっと少し時間ができ、部屋の整理を始めました。何しろ2年ぐらい前から積んだままの資料があり、どこに何があるかわからない状況なので、すべて自分の目でどこに何を置いたか、完璧にチェックを始めました。しかし、今日一日かけて、ようやく東側の壁の本類が片づいただけで、まだまだ、これからが本番です。
 4月には見違えるように整理された部屋をお目にかけましょう。

3月29日
 応用物理学会に出席した。トラップの発表のグループと光造形のグループに囲まれて発表するのも大変ではあるが成果も多い。大阪大学の河田さんのグループの干渉を利用した光造形もなかなかおもしろい。色々考えるものだ。先端球レンズはもう少しデータをとってからすぐに論文を書こう。
 MDに懐かしい曲を入れ始めているが、昨日はサイモンとガーファンクルのアルバムを借りてきて録音した。懐かしい曲ばかりだ。映画「卒業」を思い出します。ポールサイモンのアコースティックギターのテクニックにあこがれ、レコードコピーから一生懸命練習した頃がなつかしい。今は、もう、動かない・・・この指。 

3月31日
 ようやく主任の任期もこれで終わる。矢面に立たされて恨みを買う役ばかりさせられてきたが、ようやく解放される。妻のメニエル氏病も回復の見込みが立たず、最近ちょっと性格も変わってきたんではないかと不安に思うこともある。長男のこともあり大変な一年でした。来年度はきっといいことばかりがあると祈っています。

4月1日
 我が家のステレオはレコード針がどこかへいってしまって以来使用できない。久しぶりにMDを大音響のステレオで聞きたくって、MDをつないだが、右のスピーカからの音(特に低音)がおかしい。枠をはずしてみたら驚いた。30cmウーファのスピーカのコーンの外側のベローがぼろぼろになっておりコーンがはずれていた。これはだめだと思ったがとりあえずセロテープでコーンを枠に固定したら結構いける音になった。そういえば、昔はアンプやスピーカを自作したものでした。なかなか真空管で作ったアンプには勝てなかったことを思い出します。壊れかかったスピーカはビクターの年代物なので、30cmウーファを秋葉原ででも手に入れて修復しようと思っています。

4月5日
 今週末からいよいよ学生さんたちが登場する。私たちも新たな気持ちで、斬新な実験実習、特徴あふれる授業を実施したい。学科改組およびカリキュラム改正に先駆けて、いよいよ、変わりゆく電気工学科の教育改革の始まりです。

4月6日
 外は突然の雷。春雷ですね。電気磁気学を教えるために昔の本を引っぱり出したり、演習問題を解いています。だいぶ勘を取り戻しました。演習問題も結構解くのがおもしろい。このおもしろさを学生に伝えることができたら最高です。

4月13日
 3年生の電気磁気学の授業開始。例によってほめ殺しから。「私の学生時代、授業を聞きおえてその授業を理解できたことは皆無であった。もしも、私の授業の終わりに、私の説明したことが理解できていたとしたら、理解した君がすばらしい能力をもっているか、あるいは私の教え方が非常にうまかったかどちらかです。」毎年同じことを言っているような気もしますが。電気回路ではリルレの法則などユニークな授業をやってきたつもりですが、電気磁気学でも新しい法則をうみださなくっちゃ。

4月14日
 少し前になるが、佐藤前学生課長から転勤の挨拶状をいただいた。能登の青年の家の方にかわられたが、挨拶状の中の俳句はすばらしいものであった。私も高専にきてから25年近くなるが、あれほどすばらしい事務官はいなかったと思う。主任という立場で若干衝突したこともあるが、ほとんどの場合こちらのわがままばかりであった。またいつか事務部長としてもどってきていただきたいものです。そのとき私は・・・生存していなかったりして。

4月16日 バリウム
 胃の集団検診でバリウムを飲んだ。手慣れたもので、昔は気持ちが悪くてのめなかったバリウムも今では朝飯抜きだから結構満腹感があり、何の気にもならなくなってしまった。しかし、姿勢を変えさせられバリウムが胃の中をチャッポンチャッポンと動き回っていたある瞬間にビリッと感じる場所があった。いやな予感がする。・・・続きは別の席で。

4月19日 クラブ登録
 今年も教室に入りきれないくらいの部員が集まった。これから夏休みを経てだんだんと人数が減っていくのだが、本当に雰囲気のいい部活だ。歴代の部長や部員が作ってきた伝統であり、誇りにしていいと思う。なんとしてでも今年は全国に行ってほしい。全国で優勝することよりもまず、全国に行くことを最重点に考えてほしい。それだけの下地は充分できている。がんばりましょう。
 そういえば、鍵井君の姿がみえなかったがどうしたのかな。
 それにしても、今日は猛烈に眠い。一時間しか睡眠をとってない。その理由は・・・

4月20日 G.E.の戦略
 日曜日のNHKの午後9時からの番組でG.E.社と東芝の競争の放送を見ました。なかなか興味深い番組であり、月曜日に4年生に聞いたところほとんどの学生が見ていないようでした。概略をかいつまんで紹介しましたが、みんなとても興味深げに聞いていました。授業では見られない表情でした。話題一つでこんなに真剣になれるのだから、私たちも授業の教え方をよく考えないといけないと再認識しました。G.E.社と東芝の戦略の違いとは・・・。

4月21日 ホームページ
 電気工学科のホームページの表紙もそろそろマンネリ化してきたので思い切ってリニューアルした方がいいですね。斬新なものを考えていただきましょう。閲覧数も二位に転落するのも近いようだし・・・。

4月22日 卒業研究
 今年の卒研生も毎日よく顔をだしてくれる。今年はこまめに指示をだして早めにスタートしています。とりあえず、6月の応用物理学会の予稿集の締め切りまでに四テーマの結論を出させようと思っています。科研費のおおきなのをいただいているから成果をださないと申し訳ない。今日もとても眠い・・・。そのわけはもうおわかりですね。

4月23日 日記
 このところ毎日載せていますが、いつも昼休みに10分ぐらいかけて書いています。私にとっては気分転換、ストレス解消にもなっていますが、読む方はストレス解消の相手では大変ですね。おつきあいいただいてすみません。早いものでもうすぐ連休です。6月始めにはロボコンのテーマが発表されます。いよいよ、この日記も終わりにして(・・・)、ロボコン’99体験記を始める季節がやってきます。
 それにしても今年の中日はどうなっているんだろう・・・。

4月26日 新入生研修
 朝、校庭にバスが並んでいた。そういえば、今日から新入生合宿研修が始まる。もう記憶もはるか彼方になってしまったが、昔の不幸な事件を思い出す。災害は忘れた頃にやってくるというが、古くからいる我々が得た教訓を今の若い先生方にしっかりと伝えておかねばならない。

4月27日 電気磁気学
 一時限目の電気磁気学の授業の最初に例によって雑談から入ろうとしたらざわざわと聞こうとしない。こりゃだめだと思って授業を始めたらよく聞いている。うーん。学生の気質がかわったのか、私の雑談が受けなくなったのか。
 留年生は最初だからよくわかり、目が閉じ始める。それにつれて、そろそろ集中が切れかかったものが目を閉じ始める。最初が肝心と一喝する。
 3年電気の教室の前に自転車がたくさん並んでいる。自転車置き場にきちんとおけといいたい。担任には知らせておいたのだが、どうなっているんだろう。
梅雨まで待つべきか。私が怒鳴り込むべきか。
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