BestHtml白兎の夢日記
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激務から逃避し、唯一のストレス解消法にしている白昼夢
3月12日「送別会」
3月に行われる送別会の欠席ははじめてだった。今日も色々な人に欠席でしたね、といわれてしまった。申し訳ない。以下、顛末記。
火曜日の朝、胃の上部がしくしく痛み、いやな予感。我慢ができず昼から年休を取り家で静養。こんなことは久しぶりだった。水曜日、進級や就職の面談ではずせず学校へ。なんとか薬で持たせて家へ帰り、体温を測ったら38.2度・・・。薬を飲んでひたすら寝るだけ。すごい寝汗。木曜日、インフルエンザかもしれないので医者に行かなければならないが、午前中に進級判定会議がある。学生への連絡もある。はずすことはできない。もしインフルエンザなら電気の先生に移ってしまうか・・・。熱は37.5度を推移しているのでインフルエンザではないだろうと勝手に推測・・・。夜、校医さんのところへ。インフルエンザではなかった。よかった。これでインフルエンザではみなさんに顔向けできなかった。本当は勝手に判断してはいけないんですが。薬をもらって、夜、また激しい寝汗。朝、体温は35.9度に下がっている。校医は名医だ・・・。若干病み上がりの感じでおかしいところもあるが何とか幾つかの懸案事項に対処できそうである。薬で持っているだけかもしれないが。
以下、今回の症状の特徴。
@毎晩のように飲んでいたお酒を全く飲む気が起きなかった。
A食欲だけはもりもりあった。
B体温計で一喜一憂し、自覚症状が変わる・・・。(今に始まったことではありませんが・・・)
3月11日「熱」
あちこち痛み、寒気もするので、風邪薬を飲んで養生している。やはり今日の送別会は欠席するしかない。ここ数日、代理が聞かない仕事が入っているので、体と相談しながら対処するしかない。
3月10日「体調」
みぞおちの左のあたりが痛む。昨日はとても我慢できず、午後から年休を取り家で寝ていた。今日は昨日ほどではないがやはり痛む。早退するか・・・。気弱な自分がいる・・・。とても明日の送別会は無理なような気がする。
3月8日「就職指導」
38名中13名が就職ガイダンスに集まりました。そのうち5名が電力関係希望・・・。ずいぶん沢山の求人面談をしてきましたが企業の方には期待に添うことはほとんどできずに本当に申し訳ない。
3月5日「学級指導」
久しぶりの年度末の学級指導。落ちの内容に気を配るのに精いっぱい。くわえて、待ったなしの就職指導。進級については首を洗って待つしかないが・・・。
3月3日「学年末」
次々と終了して行く。卒研発表、工学基礎研究発表、フォローアップ点検、成績提出・・・。あとは送別会、卒業式、謝恩会。そして春休み。しかし、今年の春休みはそれほどのんびりできない。就職指導がすぐ始まる。
2月26日「存在意義」
一体自分は何をするために生をうけたのだろう。何をしてきたのだろう、何もしていないのではないかと忸怩たる思いを抱いていた。 先日、就職希望の学生にできる限りの助言をするという温かい卒業生の申し出をもらった。ふと気がついた。私は多くの卒業生を育てるのに少しは寄与できたのではないか。それが一番大事なことではなかったのかと。
2月23日「体調」
少し持ち直しました。ウィスキーをやめて麦焼酎に戻したのがよかったのかも・・・。
2月19日「期末試験」
新しい進級判定基準のもとに学年末試験を迎える。どうもこのところ気分がすぐれない・・・。重苦しい・・・。
2月18日「地震警報」
10時過ぎに「ビッビッビ」という大きな音が放送でかかる。火災報知機かと思ったが、いつもと音が違う。かなり長い間なり、教室もなんとなく騒がしくなる。とても授業をできるような音ではない。これはおかしいと思ったら、録音音声で「間もなく小さな地震があります」と放送された。以前話題になっていた地震警報システムが作動したらしい。しばらく同じメッセージが続けられた後、「5,4,3,2,1」とメッセージが流れ、学校中が静粛になった。私も廊下でかたずをのんで待っていた。何も感じなかった・・・。
サハリン沖で起きた地震から警報システムが作動したのだが、最初の「ビッビッビ」という時間が長すぎるように思ったが、地震到達から逆算したシステムになっているのかもしれない。システムの中身をある程度周知してもらい、把握していないと、こちらも対応に困る。
2月17日「物忘れ」
物覚えが悪いのは昔からだが、物忘れが本当にひどくなってきた。お昼の弁当を食べた後、歯を磨くのだが、磨いた後に、歯磨きをしたかどうかを覚えていない・・・。なんとなく口の中で歯磨き粉のにおいがするので、歯ブラシを確かめると濡れている。たぶん磨いたのだろう・・・。こんなことで進路指導できるのだろうか。大きな見落としがなければよいのだが・・・。
2月15日「ラグビー新人戦」
日曜日、午前中は山へ、午後はラグビーの新人戦を見に出かけた。関グリーンフィールド中池は自宅から車で30分のところにあり、とても素晴らしいグランドだ。試合は残念ながら各務原高校に負けたが、昔を思えば素晴らしいものだ。昔は1・2年生でチームを作るなんて夢のような話だった・・・。このごろはスタンドで見ていてもすぐ下から見つかってしまう・・・。
2月12日「入試倍率」
ホームページで最終入試倍率が公開されている。岐阜298名(1.49倍)、豊田356名(1.78倍)、鈴鹿638名(3.19倍)・・・
豊田高専もかなり落ちたが、岐阜は昨年304名(1.52倍)、一昨年385名(1.93倍)と負のスパイラルに入りつつある。1.7倍を切るとかなり危ないことになるので抜本的なことを考えないと・・・と三年ほど前に言った覚えがあるのだが。教務で分析されると思うが、高校入試の特色化選抜の定員が20%から50%に上がったことは大きく響いている。5人に一人しか受からなかったものが二人に一人受けるわけであるから、志願者も増えるだろう。しかも、試験の時期が高専の学力検査の日よりかなり早い。
入試倍率は入学生の質の高さに直結してくる。私の調査によれば現在の5年電気情報工学科は2.73倍(推薦を除けば学力検査の実質倍率は4倍を超す)であり、学生の能力は他の学年に比べて突出しているように思う。
目先でできることはいろいろあるだろうが、そろそろ抜本的に大改革をしないといけない時期に来ていると思う。
2月9日「チャイコフスキー」
映画はあまり見なかったが、学生時代、この作品は評判が高く、名古屋の白川公園にあった中日シネラマで見た記憶がある。鬱々としたチャイコフスキーの精神状態が今もよみがえってくる。ワイセンベルグ、カラヤン、ベルリンフィルハーモニーのピアノコンチェルトのLPをすり減るほど聴いた記憶がある。我が家にあった巨大なスピーカのウーファの支えがボロボロになり今はもう聴くことができない。中古ショップも引き取らない。今や、日向ぼっこ用の庭のベンチ代りになってしまった・・・。
2月5日「入試倍率」
豊田高専や鈴鹿高専も岐阜高専と同じように志願者数を毎日更新しています。最終結果はいかなることに・・・。
2月4日「W君」
1月28日の日記で紹介したW君が、朝日新聞に載ったり、この前はCBCのイッポウにも出ていました。ちょうど今入試の願書出願期間なのですが、もう一カ月早ければよかった・・・。超大物になる予感がします。インターンシップで我がクラスのK君はW君の元で直接指導を受けたわけで、いい経験・思い出になるでしょう。
2月3日「学生係」
学生係に懐かしい方が復帰された。これで係長以下全員が女性になったのではないだろうか。学生課長も学生主事も女性です。
今日の求人の面談では女子学生を是非採用したいと言われた。ありがたいことです。求人の方の話だと、すこし、上向きになってきたとのことです。
2月2日「初給料」
卒業生が企業説明に来る機会が増えている。学生のS君は質問でいつも「初めての給料は何に使いましたか?」と聞いている。親にプレゼントあるいは食事をごちそうするという答えもある。自分自身を振り返ってみるとなにもやらなかったような気がする。父親名義の車をそのまま使い、ガソリン代も父親が月末に精算払いをしていたような気がする・・・。孝行息子とはとても言えないが、家から通っていたことが最高の親孝行だっかもしれない。
2月1日「消えたメール」
仕事の管理をメールでしているのですが、締め切りや面談の日にちをタイトルに入れ直して、フラグを付けて上にあげておきます。それほど重要ではないが覚えが必要なものはフラグを付けずに受信トレイに残しておきます。処理が終わったものは月別のフォルダに収めておきます。それが・・・。
気が付いたら受信トレイのフラグなしのメールがすべて消えてなくなっているのです・・・。スクリーンセーバーがかかっており、クリックをしてもなかなか復帰しないので、急いでいたこともあり、クリックを何回もしてしまったところ、パソコンがキキキと悲鳴をあげていました・・・。あのメールはどこへ行ってしまったのだろう。とりあえず、重要そうなものはフラグが付いて上にあげてあるので、何とかしのげるかもしれません。相手方から請求がそのうちあるでしょう・・・。まあ、いいかあ・・・。
1月29日「光陰矢のごとし」
あっという間に一月も終わってしまう。
少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声
いつの間にか、人生も秋となり、初老をむかえる・・・。まだやり残したことがたくさんある・・・。いや、残っているというよりも手もつけてないのかもしれない・・・。
1月28日「メール」
卒業しても、大学院にいるときまではメールのやり取りができるのですが、就職してしまうとなかなかやり取りができません。就職したときに新しいアドレスあるいは自宅のパソコンのアドレスを送ってもらえると大変にありがたい。年賀状だけではなかなか情報がわからないので、近況を送ってもらえるとうれしいものです。学生たちにも照会できます。4・5年で担任したW君はiphoneのアプリでとても有名になってマスコミでもたくさん取り上げられてすごいですね。うれしい限りです。
昔を思い出すようになったのは、歳をとったということでしょうね・・・。
1月27日「専攻科一期生」
もう卒業して30代半ばになっています。思い出深い卒業生は一杯いますが、手塩にかけたという意味では四年生から四年間指導するわけですから、成果も出るし思い出深いものもあります。専攻科一年生は丁度わたくしが四・五年の担任をしましたのでさらに思い入れがあります。
私の部屋のSさんは本当に長い付き合いでした。研究の一からたたきこみ、そのころ、研究も脂が乗った段階でしたので、連名の論文や研究会、学会発表はものすごい量になりました。私の自慢の学生で、珠玉中の珠玉中の珠玉でした。卒業後も大学院に進んだので時々部屋に来てくれました。今では、年賀状のやり取りになってしまいましたが元気でしょうか。できたらメールください。
このところ、表裏一対にしています。
1月26日「猿啄城」
各務原と関市の境界に各務原アルプス(関の人たちは関南アルプスと呼びます・・・)と呼ばれる300m級(3000mではありません)の山が連なっています。これを縦走すると10時間程度かかる結構有名な山々です。その一番東は坂祝まで達しており、その頂上には猿啄城(さるばみじょう)がそびえたっており、国道からも結構目立っています。各務野自然遺産の森というところから登り、尾根道をたどって明王山を経由して猿啄城まで縦走しました。そして、そこで、偶然にも、Mさんにお会いしました。Mさんは岐阜高専の庶務課長からM高専の部長で転出され、さらにT高専の部長になられ、退職後は名古屋の私立大学に勤められています。大垣に住まわれており、野球部の試合に応援に行くとしょっちゅう顔を合わせた方です。こちらは単独、Mさんは奥さん?と想像される方とご一緒でした。たまたま坂祝側から登られたところだとのことで、思わぬ偶然にお互いに驚きました。ときどき、卒業生にもばったり会うことがありますが、保護者に目撃されてもこちらは気付かず、向こうにはしっかり行動をチェックされてしまうかもしれません。あまり、あかのれんあたりで安物買いをしているところは見られたくない・・・。酒屋で4Lの大きなウィスキーを抱えている時も気をつけないと・・・。しかもクレジットだし。偶然の出会いでもっとも驚いたのは日光でT先生夫妻?にばったり出会ったことです・・・。
1月25日「カップヌードル」
山登りの楽しみは、苦労の末に登り終えた達成感と眺望に加え、山なみを見ながら食べる食事にあります。鉄板に鍋まで頂上に持ち上げて宴会するグループもいます。私の場合はいつもコンビニでカップヌードルと助六寿司を買ったり、日によってはソーセージや缶詰を加えることもあります。お湯はポットに入れて持っていきます。最近、いくらハードな山行をしても思うように体重が減らないのは、昼食が多すぎるのだと考え、日曜日は家に置いてあったカップヌードルだけにしました。頂上が近くなり、最後の急坂を登りながら、あと少しでカップヌードルが食べられる、山で食べるカップヌードルは格別だ、と頑張っていました。ふと、気がつきました。箸を入れたっけ・・・。どっと疲れがでてきました・・・。
1月22日「受信トレイ」
仕事をメールで管理しています。依頼事項はほとんどメールで来ますし、自分の仕事については日付を入れて自分宛に送って、管理しています。受信トレイが空になることが仕事が完遂していることになります。順調であることのバロメータでもありますので、すべてなくなるとホッとするものです。ところが、最近は満杯状態。オーバーフローした場合の移動タブを消すことができない状態です。その原因は求人面談の予定です。まだ、12件の予約があり、受信トレイから移動させることができません。
面談だけは日にちが来ないと消すことができないので、タブを消すことを目標に今日は締め切り前の仕事を四件、一気に終えました。JABEEや認証評価で自転車操業の毎日を送っていた身からは雲泥の違いです。
1月19日の授業変更の日付を2月19日に間違えていました。事前に気がついたからよかったものの、いつか、取り返しのつかない間違いをしないかと不安になります。自転車操業であわてて仕事をするのも間違いのもとですが、早く済ませてそのままほかっておくのも心配な毎日です。すでに処理してしまっていることを忘れてしまって、締め切りの日に教員オールで請求されるとあわててしまうこともあります・・・。
1月21日「専攻科の授業」
ホワイトボードに「エミッタ効率」と書こうとして「効」の字がどうしても書けない。思い出せない。がっくり。ワープロの弊害なのか、単なるボケなのか・・・。授業の最後に演習問題を学生に解かせた。電子走行時間=接合距離/ドリフト速度を最後に使うのだが、時間=速度/距離で提出してきた学生がいた。始めは笑ってすましていたが、三人目が出た時はさすがにあきれた。間違えた三人とも結構できのいい学生だった。「中学校にもどってこい!」と言いたかったが、言葉を飲み込んだ。効率の書きとりも中学校で覚えるんですよね・・・。
1月20日「鳳ーテブナンの定理」
2年生で説明しました。テブナンの定理に伴う鳳教授の逸話は大学時代に初めての専門の講義で印象深く聴きました。同じ話をすることで、時代が受け継がれていくのでしょうか。といっても、聴いたことがある人たちだけですけど、それでも、何かの印象としては残ります。学生は与謝野晶子の兄だというと驚いていました。何で名前が違うんですかと聴かれてしまいましたが、与謝野鉄幹と結婚したからだと言いましたが、それでよかったのだろうか。そうすると鳳晶子が旧姓になりますが、晶子自体はペンネームかもしれません。この話をあと何回学生にすることができるのでしょうか。
1月18日「求人面会」
企業の方から電話がかかってきます。面会日時を調整した後、「整理するためと、確認するために、メールをお送りいただけるとたすかります。私のアドレスは」というと、相手側から「今、ホームページを見ていますのでわかっています。面白いですね」!!!ゲッ!!!そうか。卒業生だけかと思っていたら、企業の人も見ている可能性があるんです。上のやり取りは結構たくさんありました。これはいい加減なことを書けません。
1月15日「推薦入学志願者数」
ホームページのトップページから推薦入学の志願者数へのリンクが貼ってあるのですが、昨年よりも少ない状況です。ほんとうに何か抜本的なことを考えないとだめだと思います。原因はある程度推測している事柄があるのですが、それに対応していないところに問題があると思います。
1月14日「血圧」
家の血圧計で測り直したところ、66-120・・・。安心して酒が飲める・・・。締めのビールを飲みながらこたつに入って「相棒」を見る。眠くなってきた・・・。腰を思い切りこたつに入れ、あったかい・・・。気持ちいい・・・。ムニャムニャ。目が覚めたら12時過ぎている!絵にかいたような毎日同じパターン。家で仕事をしなくなって久しい。JABEEをやっていたころは毎日ナポレオン睡眠で目覚めてからが勝負ですが、今はベッドへ行けばそのまま深い眠りへ。再び目が覚めることはないのではないかと思うくらい深い眠りに入ります・・・。地震が起きても目は覚めないのではないだろうか。
1月13日「大雪+健康診断」
一面銀世界。学校に来た時は7時前であったのでそれほど降っていなかったが、あっというまに真っ白。2階の渡り廊下にも吹き込んで圧雪状態になっている。時間給をとって昼休みに学外へ出る予定でしたが、とてもそのような状態ではありません。明日もこの調子だろうか。相当数の学生が渋滞に巻き込まれ遅刻をしてきました。どれだけ遅れてもいいからまずは安全運転です。早めに出るのがいいのですが、それでもすいているからととばすと危ない。スキーや冬山登山で雪道の運転の経験があるので、危ない状態は直感でわかりますが、時速30kmに死線があると思っています。
健康診断で血圧を測ったら102−158!高い!校医さんに失格を申し渡されて、しょぼんとしてもう一度トライしてもほとんど変わらない。どちらかというと低血圧の方でいままで引っかかったことがなかったんだけど・・・。そばに学生課長がいて緊張したのかなあ。気をとり直して、となりの血圧計で測ったら、何と88−140!機械のせいということにして、そそくさと部屋に戻った・・・。それにしてもやはり高い。やはりリバウンドかそれともアルコールか・・・。人間ドックの結果から校医さんは肝機能は大丈夫と言っている。ということで大雪をさかなに今日も飲もう。
1月12日「気温」
明日からまた大雪の予報。寒くなると暖房で灯油をたくさん使う。雪道でノロノロ運転になり燃費も悪くなる。除雪のためのブルドーザーの燃料もいる。融雪剤もいる。何よりも除雪のための地方自治体の予算が足りなくなる。少し温暖化した方が却って化石エネルギーを使わないで済むような気がするのは素人考えなんでしょうね・・・。
1月8日「求人」
机にうず高く積まれた求人パンフレットを見てため息をついています。いくつか重要な事項をメモした記憶があるのだけれど、その記憶が戻ってこない。メモを読めばいいのですが、そのメモになんて書いてあるかが判読できない。記憶と記号によって記録された情報を呼び戻すのですが、それが、思い出せない。きっとそれほど切迫した情報ではないのだろうと推測しています。会社が来るたびに学生にメール配信するのが一番手っ取り早い気がしてきました。
1月7日「開講」
今日から開講です。小学校も今日が始業式ですぐに授業が始まるところもあるようです。
朝から雪が降り積もり、学校へ来た時は一面銀世界。一番乗りですので気持ちのいい車のシュプールが描けます。思い切って面白い絵柄を書いておけばよかったかも。
今冬は例年になく雪が多いのですが、これも地球温暖化の影響なのでしょうか・・・。
1月6日「日記」
湘南ベルマーレというサッカーのチームがJ2からJ1に昇格したのですが、その社長の日記が素晴らしい。こんな文章は私にはとても書けません。
1月5日「補講」
時ならぬチャイムが鳴ってびっくり。そうです。インフルエンザによる学級閉鎖で5日から補講が始まっているクラスがあるんです・・・。
2010年1月4日「年賀」
あけましておめでとうございます。今年の年賀状です。虚礼廃止、年賀状代の節約・・・。
12月25日「大掃除、今年を振り返る」
今年は一度、徹底的な大掃除をしておりますので、年末は書類の整理程度にしております。
授業はどの学年も順調にいきました。特に無線のパワーポイントコントローラを手に入れたのが大きく、教室中をうろうろしながら講義ができるのが便利です。2年生の電気回路だけは黒板を使っていますが、学生もよくわかっているようです。雑談をする時間がないのが残念なのですが・・・。
研究は卒研生が少し頑張ってくれ、昨年よりは展開が早そうです。面白い方向になるような気もします。定年までに最後の華を咲かせたいと思います。
10年ぶりくらいに担任になり、すっかり寂れ切った脳細胞線と神経線を使っています。物忘れなどがひどく、ミスが心配なのですが、早めの対応と経験でなんとか大過なく過ごしています。学生が「この担任ではあぶないぞ」と思って自主的にやってくれているのだと思います。学級通信も50回を超えましたが、資料等はポケットドライブを探すより、ホームページの方が私にとっては便利です。本当は試験の日程などは学校の方で載せたほうがいいように思いますが・・・。
ロボ研はすごい活躍です。全国トップの技術力になったのではないかと思います。もう一人のI先生の力によるものです。2011年は岐阜であります。この時が一区切りの年になるのではないかと思います。ラグビー部の全国大会出場も懐かしい限りです。県協会が壮行会を開いてくれたのが25年ほど前のことで、思い出深いものでした。
一年間なんとか健康で暮らすことができました。もちろん、目がかすんできたり、耳鳴りがしたり、手や唇や舌が痺れたり、言語不明瞭になったり、何をやろうとしていたのかさえも忘れてしまったり、急に前後不覚で寝入ってしまったり、ときどき肺が苦しくなったり、おなかが痛くなったり・・・、いろいろあるのですが、年をとればしかたのないこととあきらめることができるようになったことがいいのだと思います。もう、いつぽっくり逝ってもおかしくない年なのですから、それを意識して行こうと思っています。
皆様のご健康を祈って本年を締めくくりたいと思います。よいお年をお迎えください。
12月24日「研修旅行」
ようやく2009年研修旅行顛末記をまとめることができました。
本来ならば授業はないのですが、5Eの学級閉鎖で今日は補講です。
12月22日「忘年会」
電気の忘年会・・・。初めての場所でした。岐阜に住んで60年近くになるのですが、まだ、知らない場所があるのですね。すっぽん料理でした・・・。
土曜日に車の定期点検でバッテリーなども交換になり、しめて2万円。ポイントがあるので1万円になった。よかったなあと思いながら、6月の点検でもポイントを使ったので、半年間で1万ポイントを集めたことになる・・・。エー!!!知らないっと・・・。
12月18日「高専部会」
理事をしている東海工学教育協会の中に高専部会という部会があり、昨日は、その発表会でした。各高専の情報がわかりなかなか有意義なものでした。発表されたもの以外にも新たに原稿を募り、事例集を発行します。来年度からは岐阜が登板校になります。
12月16日「毎日更新」
ネタも少ないのに毎日更新しているのは屋根裏部屋が毎日更新になっているためです。それもそろそろ終わりに近づいています。明日は授業後すぐに出張ですのでお昼寝している余裕はありません。ドラマが最終回になる前にこちらの屋根裏部屋も決着したいと思います。ちょうど一カ月かかりました。写真入りで改めて研修旅行の部分だけ公開するつもりです。
12月15日「毎日2回」
日曜日に2回見て、月曜日も2回再生しました。新たな発見があるものです。他の番組は見る気がおきません。来週は乳がんの手術をして、見受けがなくなり、写真から消えてしまい未来がいなくなるという「残酷な結末」になるのでしょうか。咲は縁談をすっぽかし手術に駆けつけるのでしょう。ここから先は原作に戻ることができるのだと思います。胎児性腫瘍の謎、包帯男、竜馬の行方等の謎ときが最終回に行われるのでしょう。原作と異なる設定はすべてリセットしておかれるように感じられます。竜馬がいないとその後の歴史が変わるという人もあるのでしょうが、別のだれかが現れて同じような歴史になるかもしませんし、別の世界になっても何も問題は起きません。フィクションの世界なのですから。このドラマにはそんなことを受け入れることができる要素がふんだんにあると思うのです。
山登りよりも面白い・・・。山に行く時間があるならビデオをもう一回見る方が・・・。
12月14日「平熱」
下記、終わってからすぐにビデオで再生して見直しました。いままで高熱でありましたが、少し熱が冷めてきました。仁、野風、咲この三人の役者は私は全く初めてで、それが魅力あるものにしていたのかもしれません。さすがに10話を平均3回は見直していると、飽きまではいきませんが、いつもいつも感激して涙を流していたのでは疲れてしまいます。今回は、展開が速すぎて、もうひとつの印象でした。江戸時代での制約のある中での画期的な医療行為への工夫が原作のモチーフの一つだと思うのですが、今回はそんなシーンもなく、全体をまとめるための前段階でした。
仁がこの時代に残ったのであれば、映画化やシリーズ2も江戸時代の続きで原作に類似して作ることができるでしょう。現代に来た覆面男はこの時代から来たものである必要はなく、また、竜馬もこの時代からどこかへ行ってしまっても、それはそれでパラレルワールドになったということで了解です。ループを作って完全解明されるのかもしれませんが、別に、論理破綻していてもドラマのレベルの高さは落ちないと思います。もう一度見直します。まだ、平熱ではないですね。
12月11日「J型インフルエンザ」
10月から新しいインフルエンザがはやっているようです。これはテレビやビデオを通じて感染するようです。その名は「J-INフルエンザ」といいます。症状は「初期は、ふとしたことで涙目になり、鼻水がたまるようになります。」「感染が確認されると、男性の場合は意識がもうろうとなり土佐弁で話し始めたり、メールを打ったりします。急に走り出すこともあります。女性の場合は花魁言葉になるケース、あるいは自分のことを咲と呼ぶことが多いようです。ときどき落ち込んだり、急に笑顔になったり、揚げだし豆腐が作りたくなったりするようです。」対処法は効果的なものはなく、最低あと2週間は猛威をふるうようです。その後下火にはなると予想されますが、完全に治ることはなく、また、免疫もできないため半年後や一年後に再発し、さらに中毒がひどくなると予想されます。感染年齢の特徴は幅広い年代にわたっていることです。もう、日本中に広がり手遅れではないかと思われます。さらに悪化すると、50歳以上でも恥ずかしくもなく本屋へ行って漫画のまとめ買いをするようになるようです。
日曜日が楽しみ・・・。
12月11日「入試倍率」
一昨年度までは何とか2倍前後で推移していたのですが、昨年度は突然急激にダウンしました。地元新聞社の模擬試験のデータによれば、今年度はさらに希望者が減っている・・・。これからが進路選択の重要な時期にかかってくるので、入試担当者が最後の追い込みをされることを期待しています。やはり、入り口で質の高い学生を確保するためには倍率をあげることが最も重要です。今年がさらに落ち込むと負のスパイラルに入っていきます。抜本的なことを考えないといけないように思うのですが・・・。
12月10日「朝令暮改」
3月に内々定なんておかしい!とはいっても、現実問題として学生が不利になることは避けたいし・・・。しかし、自由応募ではなくて推薦だとすると現実問題として進級していないのに推薦をすることができるのだろうか。いくつかの矛盾を抱えながらも、現実的に対応することになりそうです。しかし、いくらなんでも期末試験をほかって採用試験等受けることができるはずもない。やはり、推薦ならいくら早くても3月になって進級の見込みがついてから。それ以外は自由応募。と心に誓う。
12月9日「進学ガイダンス2」
岐阜高専になじみの深い四大学からの説明がありました。私は中学生相手の学校説明会で経験をしているのでよくわかっているのですが、残念ながら今回の説明はもう一つかなあと感じました。どの説明も熱心ではありましたが、時間を大幅に超過するのは一番まずいです。後の方に迷惑がかかりますし、学生にも印象は良くない。時間を守ってプレゼンをするのは技術者に限らず、プレゼンの基本中の基本のはずなんですが。また、時間をきちんと守られた大学も、やはり、エンジニアリングが専門ではない方や、ある学科の特定の分野だけに限定される説明では進学ガイダンスにならないように思いました。五年の学生の説明が一番良かったように思います。電気としては、現在の5年生や、卒業生の力を借りた企画を立てた方がいいかなあと考えています。
12月8日「進学ガイダンス」
中間試験終了後に開催されます。求人も始まり、いよいよ高専の最終章の始まりです。
今日の新聞に、日露戦争に関する新しい文章の発見と新説が掲載されていました。史実はどうなのでしょうか。
研修旅行でアルバム用に撮ってもらった写真が届きました。デジカメ写真でよければ私が撮ったものをダウンロードしてもらってもいいのですが、しばらくは屋根裏で細々と公開していきます。
12月7日「学級通信」
中間試験中で学級通信のネタもなく、研修旅行の集合写真を貼り付けました。もう一カ月になるのですね。学生いわく「小栗旬に似ている」という添乗員さんに撮影してもらいました。バスガイドさんが癖なのかそれとも、会社で決められているのでしょうか、二枚ともちょっと姿勢を傾けて映っています。
JIN第9話を見て、すぐに再生して2度目を見て、さらに、3度目を見ようとしてさすがにやめました。今日の夜見ることにします。
12月4日「E2」
電気情報工学科の2年生に電気回路を教えているのですが、なかなか雰囲気のいいクラスです。ちょうど記号法を教え終わるところで、いろいろな問題をやることができます。今年はとくに丁寧に教えていますので、学生たちも理解できているようです。一番の中心になるところですので、かなり回数をかけてでも演習問題をたくさんやります。いつもなら、授業の合間に、得意の?雑談をするのですが、このクラスでは雑談をしている時間があれば問題をやった方がよい・・・というより、雑談をしてもちっとも受けないので、やらなくなったのですが。それでも、授業アンケートの、「のこぎり波回答」には湧きました。そろそろ「フーピン」の話でもしますか。
12月3日「神は乗り越えられる試練しか与えない」
JINで放映された台詞です。心に響く言葉です。日曜日がくるのが楽しみですが、あと三話で終わるそうです。原作は続いており、テレビドラマとしてのまとめかたが難しいと思いますが、なんとか次につなげていただきたいと思わせるドラマです。
12月2日「中間試験」
今日から四年以下は中間試験です。試験期間の一番最初は担任の授業科目にするのが合理的でしょうね。机の落書き、学生証等のチェックをしました。
そろそろ求人の来客が増えてきました。以前ははやくても2月か3月だったのですが、大学生や短大生のための就職フェアも始まっています。公募のケースは別として、私は進級が決まってから活動させたい。3月に内々定が出るなんて絶対におかしい。絶対に推薦しない。
研修旅行の顛末は屋根裏で毎日記載していますが、まだ二日目の別府の夜です。いろいろあったからなあ・・・。写真も入れようかと思っているのですが、300枚以上も取ったためなかなか写真の整理ができません。
12月1日「補講」
専攻科の「半導体工学」は2回分、五年生の「光・量子エレクトロニクス」は3回分の補講をする必要が出てきました。研修旅行、暴風警報、インフルエンザ等による不足分です。学修単位ですので、他のやり方もあるような気がしますが、JABEE的にはシラバスに書いてある通りに実施というわけでしょうか。大英断で思い切った対処をと考えるのは、責任のないポストにいるから言えることなのでしょうか。
11月30日「JIN3」
ホームページを見ていたK先生がDVDにダビングしてくださいました。おかげで、日曜日前に見ることができました。2度も・・・。
緒方洪庵との語らいは確かにいい場面でした。二人の役者の演技は台詞と表情だけでしたが素晴らしいものでした。
土曜日は寮直明けで禁酒していましたが快調そのものでした。日曜日と合わせて2回、家の周りの諏訪山を周回してきました。2時間30分程度の尾根歩きなのですが、全山紅葉で今が一番いい時期です。
研修旅行記はやっと二日目の午前に入ったところです。
11月26日「ロボコン」
岐阜高専のホームページのトップページの一番下にあるロボコンの写真は私が撮影したものです。写真の腕は別として、人型の二足歩行ロボットが一段高い所に登りきったところです。豊田高専や福井高専の指導教員もびっくりしていました。指導教員のI先生(私ではありません)と学生たちは大いに自慢してもいいのではないでしょうか。「アイディア賞」+「本田技研の特別賞」でしたが、限りなく「ロボコン大賞」に近かったのではないかと感じました。
11月26日「学級閉鎖」
E5が二回目の学級閉鎖になっています。学級閉鎖中にも増えていますので、最終的には全員がかかるのではないでしょうか。前回の学級閉鎖があまり効果がなかったということでしょうか。学級閉鎖の条件をまた満たしたら、さらに学級閉鎖するのでしょうか。でも、クラスのほとんどが免疫があるから閉鎖する意味がないような・・・。学級閉鎖中でもすでに一度かかっている学生は免疫があるので、クラスターとして除外して卒研をやらしてもいいように思うのですが、医学的に別の理由があるのかもしれません。
11月25日「JIN2」
すっかりはまっています。もう一度はじめから見直しています。しかもすでに3回目。午前1時まで起きて見直しました。新たな発見があるものです。それにしても今週分を録画できなかったのは残念でした。緒方洪庵との別れのシーンは大変な評判の様で残念至極。なんとか手に入る手段はないものだろうか。DVDの発売はいつになるのだろうか。
11月24日「JIN」
東京から帰ってきて録画を見ようとしてがっくり。予約録画しておいたはずなのに、録画されていない。ブルーレイで簡単録画で今までミスはなかったのに・・・。結構ショックがおおきい。いつか再放送されるのを待つしかないようです。
来週からは中間試験、それが終わればあっという間に年末年始。また一つ年をとる。
11月20日「ロボコン全国大会」
年寄りには24時間勤務は無理だろうとのことで、応援バスの引率をはずしてもらえたのは助かりましたが、前日からの国技館入りを仰せつかり、休みが少なくなったのは複雑な心境です。しかも私の場合、東京宿泊費は出ませんので、宿泊場所はチームとは別になります。しかしながら、本当に久しぶりに前日の国技館を見ることができるので楽しみにしています。各校の前日試行をまじかに見ることができる機会はそうあるものではありません。
研修旅行の顛末は屋根裏で細々と書いています・・・。
11月18日「学級指導」
研修旅行後の初めての授業なのですが、選択科目の受講指導をする必要があり40分もかかってしまいました。授業変更で、中間試験前で今日が最後の授業でもあり、あわてて残りの時間で授業をやったのですが結局演習問題をやることができなかった。
昔は選択科目の受講の手引きは印刷物として配布されていたのですが、今は教員だけに渡されているようで、PDFで電子ファイルにして学生にメールで配信すると同時に、教室でパソコンで説明しました。学級通信で公開する予定です。
11月16日「帰還」
研修旅行から無事帰ってきました。やはり疲れが残っているようで、土日は微熱が出ていました。詳しいお話はおいおいするとして、昔のように無理が利かない体になったことだけは間違いないようです。ただ、紅葉や山容を楽しむことができる心境の変化に自分でも驚いています。山間は紅葉真っ盛りでした。
明太子やカステラなど土産をたくさん買いました。クレジットで・・・。現金だと二の足を踏むのですが、クレジットだと、贈る相手のうれしそうな顔を思い浮かべ、ひとランク上の明太子をついつい買ってしまいます。土産代、合計2万円を越えていた・・・。
久しぶりにはまっているテレビ番組があります。JINです。医者がタイムスリップするところに斬新さがあります。また、スリップした時代(幕末)もなかなかいい設定です。原作はまだ継続中だとのことですが、どのように完結させるのか、あるいは継続させるのか、興味あるところです。最近のテレビ番組は底が浅くて面白くなかったのですが、久しぶりに見入っています。配役や音楽もすばらしい。
11月9日「明日から研修旅行」
楽しみにしていた研修旅行ですが、すでに3名が不参加・・・。大変な状況になっています。5名になったら・・・。
11月4日「咳が止まらない」
ずっとくしゃみがひどくて、鼻水が出て、寒気がするのですが、熱はないのでインフルエンザではない・・・。今度は咳が止まらなくなった。学生たちも心配そう?にしている。私が研修旅行に行けなくなったらだれが行くことになるのか、そちらの方に関心があるようだ。
10月からずっと不思議な勤務が続いていますが12月になればそれも定常状態になると思って頑張ります。
10月28日「高専祭W」
第二体育館の前でみんなで写真を撮りました。おまけも追加して学級通信に載せました。
個人懇談も終わり、ようやく定常状態に戻りました。
10月26日「高専祭V」
見事、技術賞をとりました。五年から引き継いだバトンを三年に渡すことができます。何よりも素晴らしいのは学校の方針を最後まで守ってくれたことです。リーダのM君が泣くのをはじめてみました。
10月25日「高専祭U」
懇談で、最近帰宅が遅いが何をやっているのか何も言ってくれない、と話される保護者さんが見えました。専門展の話をしたところでお互いにがてんが行きました。見に来られるのが恥ずかしいんだなと。しっかりと場所を教えました。本日最後の懇談の方もこれから見に行くとのことで、親の前でどのようにプレゼンするか興味津津。私も見に行きました。立派なもので全く動じません。お母さんいわく「すっかりおっさんだわ」
私は学会で何百人の前で発表しても動ずることはありませんが、親の前で動ぜずに話すことができるか自信がありません。たいしたものだ。親との遭遇があったかとほかの学生に聞くと、しっかりとプレゼンする時間を聞かれ、狙ってこられたとのこと。卒研発表会も外部公開にしたろうかしらん。
10月24日「高専祭T」
個人懇談とOBの訪問の連続で専門展を見に行く時間がとれませんでした。個人懇談に来られた保護者の方に聞くと、全部動いているとのことで、ホッとしていました。閉店30分前にやっと時間が取れましたので、電気情報だけ見ることができました。プレゼンもうまくやっているし、明日もこのまま故障なく動いてくれることを祈っています。
10月23日「やればできる」
高専祭前日。朝から体調が変でした。指先が痺れ、舌も痺れ、体がだるい。朝一番の個人懇談は何とか乗り切りましたが、昼前は最悪の状況。
今年は学校の方針で専門展の準備を計画的に行い、前日に徹夜作業にならないように努力してきました。大丈夫かなと心配していましたが、無事目標は達成できました。前日は徹夜が認められると考えていたら、安易な行動になってしまうに決まっています。せっかく、これまで目標を達成するために頑張ってきたのですから。やればできる。ルールを守って準備することは技術者の基本。いい経験になっていると思います。よく頑張りました。
夜には私の体調も回復してきました。土曜日はびっしりと朝から晩まで個人懇談が入っています。とても専門展を見に行く時間はありません。
10月21日「蓄積疲労」
高専祭の専門展の学生の居残りに合わせて学校にいます。このところ土日はすべて出勤です。平日は朝の7時半から夜の8時まで勤務・・・。その間に、授業のほかに、学生との面談、保護者との個人懇談が続いています。学生には過去の苦い経験から「注意力が散漫になるので交通事故に注意すること」「病気にならないように疲労回復をはかること」と言っていますが、私自身が帰りの車の運転が非常に危なっかしい状態です。老化で目も弱り、なんとなく眠たい。注意力散漫・・・。体がだるい。昔は大丈夫だったんですが、還暦が近い身には答えます。富士山登山のようなつらさはないのですが、ちょっと参っています。それ以外に抱えている仕事が幾つか平行しており、息抜の時間があまりとれない。労基法に触れないかしらん。先週までは元気もあったのですが、さすがにこたえています。
学生を面談に呼んだら、「先生、この前やったばかりですよ」と言われてしまった。しかも二人も。単なる疲労なのか、ボケが始まっているのか、やはり後者のような気がする・・・。
10月18日「リバウンド」
しばらく独身生活をしていたのですが、お風呂の後、体重を計ってびっくり。今のままでは背広を着ることができません。なんとかして研修旅行にいくまでに、減量しないと・・・。学生にはスーツ着用と言っているのに、本人がだめでは・・・。
高専祭まであと一週間。この土日は私も学校でよく仕事ができました。何事も計画的に、です。与えられた時間、与えられた金額の中できちんと計画を立てて実行するのがエンジニアの基本中の基本なんですから。
10月14日「前期期末成績」
前期期末成績は保護者の皆様との個人懇談の折にお渡しし、欠席される方には郵送されることになっています。個人懇談は10月末の方もあり、それでは対応が遅くなるので、印刷して全員に渡します。前期中間の成績はすでに渡してあるのですが、比較して指導するために中間成績と併せて渡すことにしました。(本当は、全員分を印刷してから、中間成績を印刷していたのに気づいて、あわてて、前期末を印刷し直したのです。せっかく、印刷したものをシュレッダーにかけるのはもったいないので渡すことにしました。)最近本当にミスが多い。取り返しのつかないことが起きなきゃいいんだけれど。
10月13日「ロボコン」
神さんが東京に行っているので、朝、起きることができるか心配でしたが、15分前には学校に到着。誰もいません。北陸自動車道は久しぶりでしたが、何回も通っているのでバス休憩の時間など指示しながら、3時間半で到着しました。マスクを必ず着用すること等とかなり強い規制がありましたが、ふたを開けてみれば、各自の判断に任せることになりました。11時に食事11時30分には観覧席に一般客が入るのでそれまでに食事を終えるようにとのこと。11時になっても昼食が来ない。こんなことは初めてです。いつもかなり前にきていて、すぐに渡してくれたのに結局届いたのが11時30分過ぎ!観覧席で食べることができず、ロビーで座って食べる羽目に。閉会式が終わった後、バスが混雑するので離れた駐車場まで歩くように指示があった。歩いていくと他の高専のバスがどんどん入ってくるではないですか。われわれのバスがどこにあるかの指示もない。結局閉会式終了後30分もたってからようやく出発。しかし午後10時前には学校に順調につきました。
技術賞を受賞し全国大会に出場です。去年と同じように国技館まで応援バスの引率でしょうか。片道7時間。去年の記録を見ると、午前2時半に家をでて、帰ってきたのがあくる日の午前2時半・・・。アラカンの年寄りにとっては、ただただ座っているのは、山に登るよりもつらい・・・。その二週間前は3泊4日の研修旅行でこれもほとんどバスの中。これはかなり腰に負担がかかるので心してかからないと後遺症が残るかもしれません。
10月10日「なつかしい」
土曜日、専門展の準備をするということで校舎の時間外使用のため出校しています。仕事にも疲れてきたので気分転換に外へ。野球部が試合をしている。陸上部が練習をしている。グランドではラグビー部が練習をしている。部員が通りかかったので、誰にコーチしてもらっていると聞けば、OBで一の宮のKさんと言う!なんと、私がラグビー部の顧問一年目の時のキャプテンではないですか。ちなみに電気工学科の卒業生です。卒業後も時々はあったことがあるのですが、コーチをしていたとは。最近本当にラグビー部が強くなったと思っていたのですが、彼のコーチングもあったのですね。何とも懐かしい。一の宮のクラブチームで選手兼コーチもしているとのこと。久しぶりに昔顧問をしていた頃を思い出しました。明日は岐阜で高専大会があるとのこと。残念!明日は朝からロボコンの応援バスの引率で金沢でした。10月31日は鈴鹿であるとのこと。こそっと応援に行ったろうかしらん。どらぷらで調べたら一時間ちょっと。ETCもあるし・・・。いろいろな話をしていると、学生が、同級生ですか、と声をかけてくる。同級生は電気のT先生です。一時間近く話し込んで、気がつけばグランドには二人だけだった。
昨夜は家に帰ったのが遅く、3時間ほどの睡眠。明日の朝はきちんと間に合うように起きることができるだろうか。何となく、熱っぽいし、朝、体温が37度を越していたら、バスに乗れずに返されてしまうとのことで、そちらも心配。ロボコンは全員マスク着用とのことでテレビも別のニュースの種ができそうです。
10月8日「奇妙な図式」
セブン・イレブンといって、暴風雨警報が7時に出ていれば午前中は休講、11時まで継続していれば午後も休講です。ただ、11時に解除されても、8日は球技大会なので、午後から球技大会を始めてもしようがないということで、全日休講になりました。学生が帰ったあとの放送でしたが、理解できる裁定なので学生に連絡しました。ただし、専攻科は通常の授業がありますのでセブンイレブンは適用されるとのことでした。
寮生から質問があり「高専祭の準備を学校でしてよいか」と言われ「警報が出ていればだめだけど、解除されれば専攻科の授業があるくらいだからいいと思う」と返事をしました。
午後7時に突然、明日はクラブ、高専祭の作業もすべて中止、との校内放送がかかりメールもきました。卒研でいた寮生に明日は卒研はできないことを伝え、担任してくるクラスの学生に再度、専門展の作業の中止を連絡しました。
午前9時に警報は解除され、昼から専攻科生が特別研究をやり、卒研生は帰らせるという奇妙な図式になりました。質問してきた寮生は昼から何をしているのだろう。
10月6日「授業アンケート」
昨年度から学生の学籍番号を記入させるシステムに変更しているのですが、E4のクラスで気が抜けるようなアンケート回答をした学生がいました。四年にもなってと思うのですが、担任している学生だけにがっかりします。詳しくは明日の学級通信で。
9月30日「前期終り」
2・3日前のテレビで気候温暖化で日本も大型台風の脅威にさらされるという報道があった。しかし、ここ2・3年学校が休校になるような大型台風はきていない。ということは、日本付近は温暖化していないのだろうか。
昔は大雪があって、車通勤も苦労した。しかし、ここ数年スタッドレスタイヤが役に立った時はどれだけあっただろう。やっぱり、日本は温暖化しているのだろうか。
台風の大きな被害は昔ほどない、大雪で困るような冬もない。今の状態はそれほど深刻なのだろうか。今年の夏は異常気象であった。温暖化の影響だろうか。しかし、昨年の夏よりも暑くはなかった。
テレビでコメンテータが「異常気象です。温暖化の影響です。」というと、「その根拠は?」「それは誰が行っているの?」とおもわず呟いてしまう。科学的にきちんと整理されているのだろうか。今年の冷夏は地球温暖化の影響です、なんていわれると論理的に悩んでしまう。
明日から後期、専門展、研修旅行、卒研中間発表・・・。充実の秋。
9月24日「寮直」
連休の最後が寮直。コンビニで飲み物を買っているときに、いつも飲んでいるウィスキーの小瓶を発見。一瞬、衝動的に買おうかと迷いました。夜ぐっすり寝れるだろうなあと・・・。何とか思いとどまりました。ここで止めることができなければ完全にアルコール依存症だと。
禁断症状も全く出ずに、気持ちよく寮直を過ごすことができました。まだ、まだ、大丈夫のようです。昔は、家でお酒を飲みながら、いろいろな文章を書きまくっていたものです。最近はお酒を飲むとすぐ寝てしまう癖がつき仕事もままならなかったのですが、さすがに追い込まれて、連休終盤は夜更かしをして何とか論文をまとめました。
9月11日「高専出身」
「コンコン」9月9日(水)午後1時、ノックする音に「学生が質問に来たかな」とドアに歩み寄ると、そこには、みおぼえあるオジサンが二人、何と、卒業生のU君と、お連れは「先日の総選挙に立候補したH氏」ではありませんか。H氏は3年生で方向転換されましたので岐阜高専の卒業生ではないですが、岐阜高専出身とは言えるのではないでしょうか。高専出身の衆議院議員・・・。どこかの高専に昔いたとは聞いていますが、現役ではいないでしょうね。以前、お二人で来られた時は、まさか当選するとは思っておりませんでしたが、本当に真坂です。立場上、応援することはできませんが、岐阜高専のことをよく知っていている方が政界にいることは大変に心強い。とりあえず、近隣の豊田高専の地域手当12%と鈴鹿高専の8%に対して岐阜は0であること、住んでいるところではなく、勤めているところが違うことで1割も給料が違うのは同じ仕事をしている身としては納得できないことを理解してもらいました。「確かにそれはおかしな話」と言われていました。真っ暗なトンネルのはるか向こうで今にも消えそうな蝋燭がすこし輝いた様な気になりました。
9月7日「胸が痛む」
物理的に痛みました。心筋梗塞の前触れかと思いました。
土日と息の抜けない行事があり、朝から少し疲れていました。授業変更で午後一番の授業でした。昼休みに3年生が質問にきたので、オフィスアワーに来るように言えばよかったのですが、時間があったので解説をしていました。その時、4年の学生が別の相談に来て、容易ならざる事態であったので、3年生の解説を終えた後、担当の先生やら、学生課への確認等に走り回りました。4Eには携帯電話で少し遅れる旨連絡し、またもや、確認に走り回りました。ようやく担当の先生に後を託して、脱兎の如く教室までたどり着きました。時間の遅れを取り戻そうと、大きな声でPPで説明していたのですが、異変に気が付きました。胸が痛むのです。肺に穴があいたような感じで大きな声が出せないのです。何となく貧血気味でもありました。あわてて走ってきたために呼吸困難になったのか、心臓に負担がいってその後遺症なのか、ストレスなのか・・・。とりあえず、なんとか演習問題のできるところまでは説明し、学生には少し休ませてくれと言い、いつもの教室内学修を先にやらせました。回復次第、授業をするつもりでしたが、一向に良くなる気配がありません。これは救急車を呼ばなきゃいけないかとも思いました。学生も心配そうな顔をしていました。なまじ少しの遅れを取り戻そうとあせって走り回って迷惑をかけるよりも、多少遅れてもいいからゆっくり教室に来た方が良かったと学生に話しました。富士山や白山に登って体力には自信があるのですが、急激な運動に耐えられるだけの心臓や肺ではないと実感しました。
一向に良くなる気配がないので明日は精密検査かなあと考えていました。試験の話だけはしておかないといけないので、PPでなんとか説明し終えたところで、走り回っていた関係の担当の先生が来ました。担当の先生に学生の前で話してもらいましたが、アーラ不思議。痛みがすっかり収まっているのです。元気回復。やっぱりストレスだったのでしょうか。
油断は禁物だとは思いますが、とりあえず、明日は授業(2Eと4Eの二つ!)は迷惑をかけずに出来そうです。
・・・なんて日記が最後になったりして・・・。
9月2日「学級指導」
毎週、授業初めに学級指導をするのですが、A4の紙に項目を羅列しておいて、それをもとに指導していました。例によってひどい字ですので、10分もすると何が書いてあるかわからなくなります。これまでは記録を記憶で補って説明していたのですが、これでは学生から「聞いていません」と言われても、言った記憶があるが疑心暗鬼になります。口頭説明による周知だけでは学生も私も忘れてしまいますので、これからは個人情報の所だけ変更して学級通信に残すことにしました。これで「聞いてません」と言われても「聞いていませんでした」と言いなさいと反撃できます。学級通信のネタにもなりますし、保護者のみなさまへの情報提供にもなり、一挙三得です・・・。
8月27日「開講」
全員無事に出校してきました。この秋は四年生は行事が目白押しで、体力的にも精神的にも疲れる時期ですので、病気が心配ではあります。特に、最後が研修旅行ですので、なんとかインフルエンザにかかることなく全員で楽しく出かけたいものです。九州は楽しみだニャン。
そのまえに、オープンキャンパス・・・。みんな完成するのかなあ。この二日間をそれほど時間をかけることなくできる能力があれば高専祭の専門展も、夜遅くまでやらなくても計画的にできそうな気がします。試金石です。
山三昧。三つの味とはよく言ったもので、御嶽山、富士山、白山と霊峰三山に登ってきました。どれもハードな山でしたが、すべて快晴で大展望に満足しました。
8月21日「夏休み」
8月27日(木)開講まで一週間を切りました。学生たちもそろそろ学校に出てきています。2週間で期末試験。その前に学会がありました。うちの専攻科生は大丈夫でしょうか。
オープンキャンパス、期末試験、ロボコン、高専祭専門展、研修旅行、あっという間に年末・・・。合間を縫って、白山、立山に行き、年度内日本3名山・3霊山(御嶽山付き)と行きたいものです。なにか御利益があるでしょうか。敬虔な仏教徒が期待してはいけないですね。
携帯電話を新しくしました。買ってからテレビ電話の機能があることを知りました・・・。顛末は別のところで・・・。
8月16日「人事異動」
8月1日に職員の人事異動がありました。休みの日にぶつかり特に挨拶もできませんでしたが思いで深い人ばかりでした。
財務係長のMさん。3人の課長に仕えて財務の改革を断行されました。発注システム、予算の計画的執行等に多くの業績を残されました。ある程度軌道に乗っていますので思い残すことはないと思いますが、新しい職場でも活躍されることと思います。
総務係のKさん。A課長と一緒に認証評価に対応したのが思い出に残っています。自己点検書を提出後大幅に変更する必要があり、A課長と小会議室で液晶ディスプレイで点検書をスクリーンに映しながら検討し、Kさんに打ち直してもらったのが特に記憶に残っています。仕事は本当に迅速でした。新しい職場での活躍を祈っております。
予定通り8月3日に日帰り富士山登頂を決行しました。前日まで雨で、大月あたりでも厚い雲が垂れこめていたのですが、河口湖五合目では快晴、頂上まではっきりと見ることができました。登り5時間半、降り3時間は神さんと一緒でしたがまあまあの登頂時間でした。疲労も昨年ほどはなく、天気にも恵まれいい思い出になりました。昨年は「もう二度と登らない」と思ったものでしたが、今年は「富士宮口からも登りたい」と思いました。さすがに、今年もう一度は無理ですが、毎年誕生日には富士山に登りたいと思っています。生きていたらですが・・・。
7月29日「更新」
実習見回り、東海工学教育協会高専部会の幹事会、出張、健康診断、夏季休暇、その他もろもろで、学校から離れる期間が長く、更新できない状態になります。
なにかあったらすぐ対処しなくてはならないんですが、すぐに戻ってくることができない場合(場所?)もあり、何もないことを祈っているしかありません。
梅雨が明けないまま、8月に突入しそうですが、暑中お見舞い申し上げます。お元気でお過ごしください。
7月27日「睡眠誘発CD」
毎日あるCDを聴いているのですが、条件反射的にこれを聴き始めると眠くなります。暑くて眠れない夜にはぴったりのCDなんですが、車の中で聴くとやっぱりとたんに眠気がきて困ります。
7月23日「夏休みの目標」
毎年立てるのですが、今年は締め切りのある論文を書き上げること、研究テーマを整理すること、そして・・能力を上げること。最後の目標はずっと前から考えていたことです。半年かかることを一ヶ月半でやろうとするところに無理があるような気もします。
7月21日「学級懇談会」
久しぶりの学級懇談会でパワーポイントをつかって説明しました。授業と同じで、ついつい卒業生等の話題で脱線し、時間をオーバーしてしまいました。パワーポイントの内容は学級通信でWeb公開しています。前回の担任の時は私と同世代の保護者の皆様が多かったのですが、今回は一回り違うようです。学生に受けない冗談も保護者には多少受け入れていただけたのは年齢が多少近いためでしょう。
学級懇談会の準備のため、教室に行きましたが、あまりにも教室が汚かった。水曜日に大掃除できれいにしたのですが、木曜日と金曜日であそこまで汚くなるとは・・・。教科書が床に散乱し、机の周りはごみだらけ、飲みかけのペットボトル・・・。あわてて散乱した教科書は一か所に集め、床に落ちたゴミを拾いましたが、そのうちにばかばかしくなってやめました。そのまま放置し、保護者の皆様に現状を見てもらい、同時に机列表を回覧し、どの場所に誰が座っているのかを確認してもらいました。
夏休み前の大掃除で、「私物は持って帰る、それでも置いてある私物はいらないものだと解釈して処理する」と宣言しましたので、私は言ったことは守ることをみんなにしっかり示す必要があると思っています。
7月16日「工学基礎研究」
オープンキャンパスで中学生に披露しますので、夏休み中に完成させる必要があります。ギターの自動演奏を作っていた頃は、お盆過ぎは連日夜9時過ぎまでやっていたものですが、最近ではPICNICを使いこなせるようになり、学生もそれほど負担には感じていないように思います。しかし、未完成は絶対に許されないものであると宣言しました。今年は四年生だけが実演しますので真価が問われています。
7月14日「リルレの法則」
二年に一度今頃に必ず2Eでリルレの法則を話すことになる。今日もじっくりと下ごしらえをして披露しました。反応はもう一つでした。だんだんとうけなくなってきたようです。おとなしいクラスかなと思ったりもするのですが・・・。こちらに問題ありですか。
授業を始める前に「今日はリルレの法則の話です。リルレの法則を聞いたことがある人は手を上げて。」といったら、二人ほどいた・・・。いったいどこで?
7月10日「地デジ」
まだまだ、テレビの買い替えは先のことだと思っていた。しかし、エコポイントが付くとのこと。タイムリーにブラウン管式のテレビが壊れた。とりあえず、14インチの子供用のテレビデオで代用していたが、とうとう、40インチの液晶テレビを買ってしまった。この間の顛末は別のところに詳しく記載した。14インチから突然の40インチで見る位置も部屋の隅まで下がらないと違和感がある。部屋全体が高温になった気がする。どこがエコなんだろう・・・。
7月7日「東海環状自動車道」
7月5日ETC千円を利用して豊田運動公園に高専大会の野球の応援に向かっていた。土岐JCまでは対面通行だが、そのあとは広い片側2車線になる。土岐から20分で豊田へ。東濃地方の入試倍率が苦戦するわけだ。
気持ちよく飛ばす。4kmのトンネル。トンネルは知らないうちにスピードが出る。時速?km、前後になにも走っていない。と、後の方から単体のヘッドライト。かなりはやいスピードで迫ってくる。めちゃくちゃに速い、スピード違反もいいところだと思いながら、こちらも上げようと思った矢先、ふと、予感がして、スピードをゆっくりおとした。後ろにきたバイクはあっという間に右車線に出て追い越して行った。バイクの色は白かった・・・。
7月3日「健康」
運命というのは変えることができないものか。心筋梗塞や脳梗塞等をできるだけ起こさないように気をつけてはいても、起きてしまうときには起きてしまう。これを避けるために節制や運動をすれば、それが適していればいいがストレスになれば別の病になる。
303号線を走っているとこちらが青信号でも脇道から中学生が自転車で横断ではないが303に急に入り込んできてヒヤッとする。これを避けるために青信号でも減速すると、後の車が追突しそうになりクラクションを鳴らす。クラクションの音にこちらはびっくりする。この音で心臓がびっくりして止まったら、そして意識が無くなり前の人をはねたら・・・。
それも運命か・・・。
朝、元気に出て行った人の声が夜にはもう聞こえなくなる。それも運命なのか・・・。私に残された時間がどれほどあるかわからないが、明日はないかもしれないと思い毎日を充実して生きることしか思いつかない。
7月1日「黙祷」
どうしても外せない校務があり、告別式には出ることができない。通夜に参列したが、倒れてから一週間での急逝。家族や親族の悲しみはいかばかりか。つい一週間前には元気で挨拶を交わしていたというのに。「ご浄土への旅立ち」とはいうものの、「これが運命だったのか」とは残されたものは割り切ることはできない。告別式のおこなわれる午後1時に斎場に向かい、学生たちと一緒に黙祷を捧げました。合掌。
6月30日「訃報」
昨年本校を定年退官された先生が亡くなられた。空いた時間でいろいろな計画があったことと思うと、胸が痛む。これが定められた運命なのか。ご冥福をお祈りするしかない。
6月26日「自転車の事故」
今年になって増えているとのこと。我がクラスでも今朝一件ありました。幸い軽傷でホッとしています。交通事故は加害者も被害者も生活が一変してしまうことを改めて教室で話しました。
6月24日「中間成績報告」
個人別の中間成績を印刷して学生に渡しているのですが、みんなすごい勢いで部屋に殺到しました。しかし、二日目になるとぱったりと途絶えました。まだ、10人以上残っています。最後までとりに来なかったりして・・・。
6月19日「ビンゴ」
歌手のアイザキシンヤといってピンと来るのは、我々の年代でも少ないでしょうね。卒業生で連絡が取れなくなっている学生もいますので、この際、近況報告もかねてメールを送ってくれると助かります。どんな仕事をしているのか、後輩たちにどんなアドバイスをしたいか等。授業中の気分転換に学生に紹介したいと思います。最近、授業中の雑談もうけなくなってしまって途絶えがちなんです。私の笑えない冗談よりも、卒業生の生の声の方が絶対いいと思います。初めてこの日記が役に立ちそうです。
久しぶりにハードな山行をしようかと思っています。
6月17日「業務連絡」
わが卒研室の優秀な卒業生であったI崎真也君(歌手のアイザキシンヤではありません)、メールで連絡していただけないでしょうか。携帯番号を変えたようなので連絡が取れません。日記を見ていてくれるとは思えませんが、思いつく手段がとりあえずこれしかありません。
6月14日(日)久しぶりに岐阜公園まで歩き、金華山ドライブウェイを経由して岩戸公園から自宅まで6時間のウォーキングを観光しました。減量のため必死です。
6月12日「学級通信」
保護者の皆様や学生諸君への連絡と同時に記録として残すために始めましたが、ネタが無くなり何となく個人的なストレス解消の場になってきた気がします。内容も文体もかなりな乱れ方であり、とても、小中学校では許可がおりないでしょう。もともと個人で勝手にやっていることで誰の検閲も受けていないため、書きたい放題、言いたい放題です。一応、新教務主事には学級通信をホームページで公開することについては了承をとってはいます。まだ、今のところ教育的指導やクレームは来ていません。着たらすぐに止めるつもりです。保護者の皆様への連絡は別の方法でもできますので、迷惑をかけてまでするほどのことではないでしょうから。
最近山に行けないために、若干リバウンド気味です。上着を着ないために、おなかのぽっこりがよく目立つようになってきました。7月には保護者懇談会があり、若々しい保護者の皆様とお会いするので、それまでに、なんとか減量しておく必要を感じています。最悪の場合上着を着てごまかしますが・・・。上着を着ていた場合は減量失敗ということで。
6月10日「禁酒の日」
4か月ぶりにアルコール依存症でないことを確認した日=寮直でした。前回と違って、今回は禁酒の心配はほとんどありませんでした。ウィスキーから焼酎に変え、酒量もかなり減り、なおかつ、ストレスのない日々だからだと思います。
宿直室が変わって、A寮の点呼の様子を初めて見ました。寮直の経験は永いのですが、点呼の時間はB寮の宿直室で待機するのでA寮の点呼の様子は全く分からなかったのです。
A寮改修も進み、トイレや洗面所もすごくきれいになりました。寮生の雰囲気も四月から何となくこれまでとは変わってきたように思います。挨拶は相変わらずですが・・・。寮務主事の地道な努力と寮父さんの人柄が浸透し始めているのでしょうか。岐阜高専の寮務主事の宿直回数は他高専に比べて圧倒的に多いと思います。頭が下がります。
6月6日「亀仙人W」
研修旅行の工場見学先とインターンシップ先との折衝で結構油断のならない忙しい日々ですが、ストレスにはなりません。昔を思い出しながら折衝していますが、歳の功もあり、さっさと片付けています。
久しぶりに平地を歩きました。朝、8時30分に家を出て、リュック背負って目標は各務原のイオン。目的は歩くことですが、平地歩きでは負荷にならないので、焼酎を買うことも目的で・・・。イオンで1.8リットル三本買ってリュックに詰めて・・・。甘く見ていました。結構きつい。前は、ウィスキーでしたので丸くてあたりもよかったのですが、今回は紙パックですので四角で背中が痛い・・・。途中でうどんを食べて、家に着いたのは13時過ぎ。足にダメージが残っています。
6月2日「日記」
必要があって、週末に過去の手帳をひっくり返して、出張の記録を調べていました。しかし、そこに書かれた文字が判読できない。判読できないようなものを手帳に書いても意味をなさないのではないかと思われるかもしれませんが、一週間ぐらいのことであれば記憶と記録の相互作用で補うことができるんです。しかしながら、一年前ではもうどうしようもない。ふと、このホームページの記録をみると載っているのです。助かりました。何を調べているのかって?極秘事項です。なんていうほどのたいしたものではありません。
BSで2006年に放送したつま恋の拓郎とかぐや姫のライブの縮小版(それでも5時間)が放送されていました。「22歳の別れ」で後のギタリストに石川鷹彦氏を発見。先日終了したのですが、教育テレビのギターを弾こうで、最終週がこの曲でした。楽しみにしていた番組でしたのでとても印象深い場面でした。井上陽水、さだまさし・・・。いつまでたっても思いで深い曲ばかり。
5月29日「光陰矢のごとし」
一週間があっという間に立ってしまう。来週はもう夏。未だにスタッドレスタイヤ・・・。水曜日は授業がないのですが、一番忙しい曜日です。メール送信が水曜日30通ちかくなりました。
電気通信大学が調布にあるのですが、国立大学で唯一、地名が入っていない学校だそうです。なるほど。全国に開かれた学校だということですね。そのわりに電気通信大学というと、その分野だけと思われがちですが、そうではないそうです。
しばらく山歩きしていませんが先日は東海自然歩道を10kmぐらい歩きました。
5月22日「新型インフルエンザ」
岐阜で感染者が現れるのは時間の問題でしょうか。大学や高専ではどれだけ欠席がいても学級閉鎖はないのですが、このインフルエンザについては大学や高専でも誰も感染していなくても休講にするところがあるようです。違いは何なのかいまいちわからないのですが、未知であることなのでしょうね。
本校の対応も定まって学生には学級通信を見るように言ってはおきました。マニュアルができていても家に帰れば我々でさえもわからないので、とりあえず、学級通信から他の資料とともに外から閲覧できるようにしました。学外公開については学校の許可をとってあります。
5月19日「FD」
月曜日に公開授業をやりました。この年になって研究授業とは、いじめではないかしらん。いまさら、教材にされて授業改善を要望されても時すでに遅し・・・。いつものようにやりましたが、今年は先に述べた大きな武器を手に入れましたので、メタボ解消の運動にはなりました。大学生は一般には高校を経ていますので、高校の教員免許を持った先生に3年間教わるわけですが、高専生の場合、中学を卒業後、いきなり一年生から教員免許のない先生に教わるわけで・・・大丈夫なんでしょうか。すでにその状態で40年以上、どこの高専も続いているわけですが。運転免許を持たない状態で車に乗らされるわけで、無免許でも運転がうまい人はいくらでもいるということなのでしょうが・・・。私は工業高校の一級免許と日工教の上級教育士の資格を持って入るのですが、それが意味をもっているとは思えません。
5月12日「球技大会・インターンシップ」
デジカメをもって各会場を回りました。良い成績にこしたことはないのですが、気分転換になればと思います。開会式や閉会式に並んでいる様子を見ていると友達関係がよくわかります。
そろそろインターンシップも佳境に入っていきます。まずは専攻科生の特別実習(必修単位!)を優先して決めていきます。5月末までの3週間以内にはめどを立てたいと思います。
5月8日「小公女セーラ」
ゴールデンウィークでテレビ番組表を見ていたら、BSで再放送をやっているようです。民放の番組でしたが、NHKが買い取ったのでしょうか。珍しいこともあるものです。もう四半世紀前の番組の再放送をやるとは思ってもいませんでした。以前の日記を学級通信に再掲させていただきました。あいもかわらず精神年齢は若い・・・のではなく、幼い(幼稚)・・・のでしょう。
5月1日「強力な武器」
パワーポイントの授業をしていますと、どうしてもマウス操作をしますのでパソコンのそばに限定されます。後の方で内職をしていたり、携帯をしていたり、居眠りをしていても目が届きにくい状況になります。しかし、とうとう私は大きな武器を手に入れたのです。今週はその武器を披露しました。最初は普通にパワーポイントの授業をしていたのですが、学生が眠気を感じた頃、「私は強力な武器を手に入れた」といって教室の真ん中あたりまで入っていきました。学生はびっくりです。スクリーンにグリーンレーザポインタを当てます。これには少し驚いたようですが、それほどではありません。レーザビームの形状をスポットからサークルやラインに変化させると少し驚きの声が上がりました。しかしながら、そんなことは大したことではないのです。この武器の優れているところは、無線でパワーポイント資料の送り戻しができるのです。学生の中に入って資料を進ませたときは「オー」と驚きの声が上がりました。別に私がすごいのではないんですけど。でも、これは効果的です。学生にはどのように映っているのか、見にくくはないのかを教室の後ろから確認しながら授業を進めることができるのです。どの範囲まで制御可能かを調べるために教室の端から端まで行って授業をしましたが、教室中どこでもOKです。これまで教室の片隅から細々と授業をしていましたが、一気に活動範囲が広がりました。これは結構大きなことです。居眠りをしている学生を起こすと、どうしても授業が止まってしまいます。起こされた学生もバツが悪いと思います。そんな時、パワーポイントを遠隔で進ませながら居眠りの近くに行き大きな声で授業をするのです。それでも起きなければそっと肩を叩きながら授業をするのです。携帯電話をやりそうな学生がいたらその近くへ行くことができます。これまで授業だけでは運動になりませんでしたが、授業時間中歩きまわれば万歩計も進み、メタボ解消にも役立ち、一挙両得です。
4月28日「傘がない」
井上陽水の歌です。4月25日(土)にリサイクルショップへいき、店を出ようとしたら、傘がないんです。マジックでS.Inabaと大きく書いておいたのでもっていかれることはないと思ったのが甘かったんでしょうね。傘を取られた経験は初めてです。いちばん前に置いておいたのがいけなかったのでしょうか。はっきり名前が書いてあるので、すぐにどこかに捨てられるのでしょう。傘の一本や二本はどうってことありませんが、さもしい人間が近くにいたと思うと情けない限り。
4月24日「密度の濃い一週間」
担任の業務だけでなくいろいろ忙しい一週間でした。2年生も3年生も3回目の授業が終わりましたが、回を重ねることに静かになっていきました。授業はやりやすいんでしょうが、冗談にもあまり反応してくれません。反応を期待するような冗談ではなかったんでしょうね。
来週からはインターンシップの仕事が入ってきます。学生に直結しますので結構油断できないことがたくさんあり、教務主事をやっていた方が楽だったかと思うこのごろです。
4月29日は富士見台高原の山開き。天気がよさそうだし、ETC割引で出かけようかと思っています。
4月17日「研修旅行」
第四学年の最大の行事なんですがとりあえず行く先を決める必要があり、電子工学の授業の初めを使いました。同時に席換えもしたいというので、時間を使ったら授業時間が残り少なくなり、あわてました。なんとか、演習までこぎつけましたが、学生は理解できたでしょうか。わかりやすい説明をということでとりいれた話は早口で説明しましたが、大爆笑で、学生は、この話はよくわかったと言ってくれました。
4月15日「人格者」
名古屋で懐かしい皆様にお会いしてきました。大先輩のT先生、少し酔われたのでしょうか、昔の頃を思い出されて、おっしゃられました。「思い出すと、いいすぎたなあ、あんなに厳しくすることはなかったなあと思うことばかり。なんでもっと優しくしてあげることができなかったのかなあ。」びっくりしました。頭が下がります。私が最も尊敬する大先輩にしてこの一言、大先輩ゆえの一言かもしれません。反省する必要のない人が反省し、反省すべき人は反省しない。わが身を振り返ってみれば忸怩たる思いです。
4月14日「一週間」
一通りの授業が終わり、学生も教員も定常状態に入りつつあります。4Eの電気電子工学コースの電気回路Uはコース別授業でパワーポイントを使って初めての授業でした。三相交流なのですが、かなり長いこと離れており、昔の資料を持ち出してきて教材や問題を作っています。ベクトル図を使わないとどうしようもないので、三相のベクトル図等はパワーポイント資料として配布していますので、ベクトルに赤や青で矢印を重ねて説明しました。学生は、書く手間が省けますので理解に集中でき、何回も戻したりして確認できる点で非常に良いと思いました。ただ、思いのほか時間があまりましたので、演習問題を多くして、学生に実際に解かせる時間をより多くする必要を感じました。電子工学の方はかなり使い込んでいますので、うまくいっていますので、回路も回数を重ねればよいパワーポイント資料になると思います。ただ、残り年数を考えると、何回使うことになるのか・・・。
今晩は懐かしいOBの先生方(そうそうたる顔ぶれなんですが)と、名古屋で年一回お会いできる日です。楽しみです。
4月10日「3E授業」
3Eも初対面でした。2Eとの違和感を感じ、何だろうかと思っていましたが、どうも教室の構造のようだと気づきました。2Eは横長、3Eは縦長の教室です。横長の方が授業がやりやすいと感じました。縦長はなかなか目が届きにくいように思います。3Eの電子工学もパワーポイントにしましたので、これで2Eの電気回路だけが黒板の授業になります。昔は電気回路もOHPでやっていました。回路図を黒板に書く手間が省けますので、配布資料を渡しておき、適宜パワーポイントで入力する方がいいかもしれません。
4月7日「2E授業」
授業開始の一時間目が2Eの授業でした。学生も2年になって初めての授業が私で、とんでもない人にこれから持ち上がりで四年間習うとおびえたのではないでしょうか。毎年話している話なのですが、ちょっと変わったとっかかりなので、何だこの人は・・・という印象ではないでしょうか。人格も品格も感じることができない人物だと思ったのではないかと思います。自分でも、「私は下品な人間だ」と思っていますといったんですが・・・。学生もいろいろな人を見て目を肥やして人物評価ができるようになっていくと思いますから、私は悪い例ということでご勘弁願いたいものです。4年生に話したことと同じですが、「四年間、お互いに楽しく過ごしましょう」「僕と君たちは敵ではなく最大の味方なんだから」「そりゃ、時にはいやなことを言わなくちゃならないこともあるけど」「それも過ぎ去ってみれば楽しかった思い出になる」「ポジティブに考えましょう」等と話しました。学年はじめから緩めてどうするんだ。びしっと最初に厳しく格調高くやれと言われそうですが、私にはこれがあっています。
電気回路の一番最初の話ですが、けっこう目からうろこで思いもかけない考え方を紹介して、面白く感じたのではないかと思っています。こちらも長いことやってますからポイントは良く抑えているつもりです。
4月6日「学級指導」
やっぱり現場はおもしろいですね。10年ぶりの担任で浦島太郎状態ですが、学生とはすぐになじんで、健康診断、写真撮影等、ハードな日程でしたが、楽しかった。心地よい疲労感があります。今までストレスがたまりっぱなしでしたが、学生との交流でストレス発散できます。「お互い楽しく思い出になる二年間にしよう」といいました。つらいこともきっといい思い出になると思うんです。
4月5日「学級通信」
十年ぶりに4年の担任ということで学級通信を書き出しました。学生向けと保護者向けと記録用に意識しています。こちらの日記と併用になりますが、日記と同じで更新がままならないことになるかもしれません。個人情報に注意することはもちろんですが、こちらの情報の流出に注意しなくてはいけないわけで、このあたりが難しいところです。
私が最初に担任として送り出した卒業生のN君が部屋に訪ねてきてくれました。ご子息の入学式!とのこと。バリバリの企業戦士で、ホームページ公開にかかわる情報制御のノウハウを幾つか教えていただきました。持つべきものは卒業生ですね。
学生と一緒に二年間楽しく過ごしたい。成長の助けに少しでもなりたい。学生の成長を見守ることができる幸せを味わいたい。どんなことでもポジティブに考えたい。今思うことはこんなところでしょうか。
10年前の担任の時よりもはるかにロードがきつくなっています。なんでこんなに仕事が多いのかと思って天に向かって吐いた唾が自分にかかってきます。そうでした。みんな私が悪いのでした・・・。立場が変われば楽にすることを考えましょう。
3月31日「謝恩会、WBC,年度末」
グランドホテルで謝恩会を開いてくれました。今年も楽しく過ごしました。いつもの年と同じアウトカムズを保証して卒業させることができた証でしょうか。電気の伝統は脈々と続いています。
WBCは興奮しました。最後は層の厚さがものをいったように思います。日本の野球の伝統、小さいころからの育成、土壌といったものが勝利の要因だったのでしょう。監督は日本力と表現されていましたが、野球に関する国力のようなものなのでしょう。サッカーはまだ残念ながら、強化の歴史も浅く、やはり、南米や欧州に追いつくのは時間がかかるのでしょうが、あまり一喜一憂することなく長い目で見ればいいのでしょう。そうはいっても、どうしても力が入ってしまいます。アジアの別リーグの方は大接戦で、応援する方も応援しがいがあり、うらやましいなどと思ってしまいます。
平成20年度の年度末を迎え、これまでと違った区切りを実感しています。学科長として学科の改組の道筋をつけ、稲葉プロジェクトと称して電気の入試倍率を上げることを画策していた頃、実践技術単位、コース別教育課程、5年間の一貫したエンジニアリングデザイン養成システム等、学科全体の教育システムを構築していた頃、JABEEプログラム責任者として、プログラムの学習・教育目標の設定から達成度の評価方法・評価基準の設定と実施、教育点検改善システムの構築等、JABEE全般にわたり責任をすべて負って審査を受けた頃、教務主事として学校全体の運営に責任を持ち、各学科の学習・教育目標の設定、教育改善システムの設定を行い、入試倍率の2倍維持に走り回っていた頃、認証評価やJABEE審査の最前線にいた事等、この十年の密度はすごいものだったと思います。多くの高専の先生方と知り合うことができた時代でもありました。失ったものも多いのですが、それなりに満足しています。ある程度の道筋はついていますので、岐阜高専全体としての伝統も構築されていくと思います。
私自身は、一区切りをつけて自分を見つめ直してみたいと思っています。
3月10日「荘川桜」
本来、温かい青を基調とした想像的な具象画が画風なので、兄の作品はすぐにわかりますが、昨年度日展に出品した荘川桜は青をほとんど使わない珍しい作品でした。昨日もニュースステーションの映像ででていました。
私も元気を出して頑張ります。いったい私は何をしていたのでしょう。科研費は継続していたものの十年前の輝きはどこかに行ってしまいました。空白の10年間ですが充電期間と考えています。いくつかアイディアは出始めています。専攻科生と卒研生をフルに使った昔の生活にもどりたいと考えています。
3月5日「首相官邸」
以前にも書きましたが私の兄はかなり名の知れた洋画家です。日展にはずっと入選しており、特選を2回とってからは審査等にも加わっているようです。岐阜県在住の洋画家で特選を2回取ったのは現在は兄一人だと思います。岐阜市の芸術部門で表彰されたり、中日新聞や岐阜新聞によく記事になったりしています。東京にいたらもっと世界は広がったと思います。
兄の作品が首相官邸に飾られているようです。これからは総理大臣の会見の時は本人よりも後ろの壁が気になります。
まったく異なった世界に進んでしまった兄弟ですが、兄の日展連続入選に対して私の連続科研費採択が唯一の誇りでしょうか。学会賞もいただきましたが、特選にはかないません。たった二人の兄弟で岐阜に住んでいるのですから、私も少しは岐阜のお役に立ちたいとは思っているのですが・・・。元気をもらって頑張ります。
2月26日「断酒」
2か月に一回アルコール依存症でないことを確認する日=寮直だったのですが、ふと気になって調べてみました。この前は12月で日直、その前は10月でやはり日直、6月13日が宿直・・・。ということは6月14日以降は毎日お酒を(浴びるほど)飲んでいたことになります。この所の体の変調はそれが原因か。はたして、8か月ぶりの断酒ができるのだろうか。正念場だ?と思っていましたが、なんてことはありませんでした。別に飲まなくったってどうってことありません。今日は朝から快調。それなら、いっそやめればいいのにと思うのですが、断酒した後に飲むお酒のうまさは如何ほどかと期待してしまいます。
研究の方の軌道修正を少しする必要を感じています。あと5年ほどですので最後のまとめと新しいことへのちょっとした挑戦をするつもりです。
2月10日「例の話」
3年生でもやってしまいました。パワーポイントにしたため、このところ4年でやっていたのですが、3年でお別れになる学生がいるので、思い出?にやってしまいました。廊下から光が入るとスクリーンが見えにくくなります?ので、ドアの透明窓のスクリーンは引かさせていただきました。また、声も枯れ気味?なので、あまり大きな声にならないようにしましたが、ついつい大声に・・・。授業の最初の15分の小テスト、授業最後の30分の演習は確保しました。2年間にわたり、雑談も入れずに黙々と授業をし、休み時間も、昼休みも割いて教室にいたのですから45分くらい私の自由な時間が欲しいといったら、学生は快く許してくれました。たまたま、欠席した学生の席がいちばん前に開いていたのですが、わざわざ後ろからそこに移動してきた熱心な学生もいました。いつもの授業よりも学生の目が輝いていたように思ったのは私の自信過剰でしょうか。演じ終わったあとはパラパラと拍手が・・・。
入学希望者の数が減ってきています。何が原因かを分析し、対策を練る必要がありますが、そんなに簡単に済む話ではありません。ノーベル賞をとったお二人がN大学や出身高校で講演されていますが、これは効果的でしょう。岐阜高専の卒業生が大活躍してくれればおおいに宣伝したいと思います。やっぱりアウトカムズで勝負するのが王道ですね。入学してきた学生を一生懸命教育する。これにつきるのでしょう。そのためには、雑談はやめて授業をしっかりやる・・・、自己矛盾してきました。
1月23日「ソニー」
一宮と稲沢が合併するとのこと。両方とも岐阜高専の電気の学生がかなりいます。円高が大きいのでしょうか・・・。明るい話がないと冷え込む一方です。
卒論も佳境(遅すぎ?)にはいり、そろそろ神様がほほ笑んでくれるでしょうか。昔は自筆で失敗のできない清書でしたので、1月終わりには完成していたのですが、今はこれからが追い込みです。
両手のしびれに加えて舌もしびれが本格的になってきて、すこし心配な状況です・・・。耳鳴りは一向に止まらないし、物忘れはひどくなるし。先日、後輩(ある企業の所長)が部屋にきて、いろいろな話をしたのちにお互いに携帯番号を確認し、そのあと、もう一度携帯を使おうとしても見当たらないんです。置いた場所を忘れたんですが、途中で「今日は携帯を家に忘れてきたのかなあ・・・」といったら、後輩があきれ返っていました。
1月17日(土)今年に入って初めての山行は天王山でした。雪で滑るし、登りと下りの時間が同じとは・・・。右膝と左踝の古傷も痛み出すし、あくる日大腿筋がバンバンに張って歩くのもつらい状況。富士山に備えて長期計画でなんとかしないと。
1月5日「リバウンド」
初日の出を拝もうと、スポットを定めるために12月23日、27日、28日と三回も裏山に登って確かめました。1月1日の予報はあまりよくなく、昨年も雲の中だったので迷っていました。朝5時、どうしよう。外は真っ暗で分からない。迷っているうちに深い眠りに・・・。気づいたら6時半・・・。今から登っても間に合わない。どうせ天気も悪いだろうと思っていたら、回復している。裏山に登った人のホームページをあくる日確認したら、鮮やかな日の出・・・。一年前から期待していたのに、寝坊してがっくり。今年が思いやられます。
お餅を食べ、お節料理を食べ、ビールをしこたま飲み、3日に恐る恐る体重計に乗ったら、何と72kg!4kgも太っている!!64kgまで落としたころから考えると8kgのリバウンド・・・。体の一割以上が増えた計算。右足一本分くらいか・・・。
5日は学校で大掃除の残った所を片付けようと、積極的にゴミ捨て場との往復でなんとか体重を減らそうと・・・。専攻科生が来ていたので、研究の打ち合わせ。今年はがんばるぞ!と言っている折から、記念写真で階段を上がる時におもいっきり膝を打ちあざができてしまった。右膝も痛みが引かず、左足首も痛みが残り、先が思いやられる。でも今年は絶対にあらゆることに頑張ります。
12月26日「大掃除」
3日間かかって整理しましたが、部屋の半分で終わってしまいました。2年間の埃がたまりにたまって、どうしょうもなかったので、書類はどんどんシュレッダーあるいはごみ出ししました。何となく重要そうな(期限は切れていそうなんですが・・・)書類だけは箱にしまって戸棚に入れて・・・とおもったら、戸棚にはすでに先客が・・・。二年前に整理しようと思っていた書類なんでしょうね。いまさら見るのも怖いし、かといってすてるのも・・・。ということで、その箱の上にさらに置きました。戸棚の上を見れば、改修のときに片づけた段ボールが未開のまま・・・。これは十年前くらいの箱・・・。日々の生活に追われ、そのままになっています。どうやら、この部屋を明け渡す頃にはじめて開くことになりそうです。
年末年始は9連休ありますので、久しぶりに家に仕事をもってかえって、これからのことをじっくり考えようと思っています。
寒波がようやくやってきて、揖斐や美濃の山も真っ白。養老山脈が美しい。車を運転していてもつい目が山に行き、危ない危ない。初日の出を諏訪山のいつもの場所に登って迎えるつもりです。T先生も山に引き込んだろうかしらん。
今年は私的には充実した一年であったと思っています。来年はいよいよ正念場になりそうです。この十年の奇妙な生活?を一段落させ、昔の生活に戻りたいと思っています。
今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。
12月22日「2008年授業終わり」
元気がなくても授業へ行くと元気が出る。学生から若さをもらっているようです。授業初めはざわざわしていますが、いつも何も言わなくても、そのうちに静かになってくれます。時々、私語がありますが、ちょっと首をかしげるとすくに静かになります。気持ち悪いくらいに・・・。こちらが「どうしたの・・・」というくらい。担任がしっかりしきっているクラスだと思っています。
20・21日とJABEEで知り合った全国の先生方と、奥様同伴で滋賀・京都方面に一泊旅行でした。白雲庵では昼食に普茶料理(精進料理)をいただきました。なかなかの味でした。
23日の休みは久しぶりに山に出かけたい。白銀が私を呼んでいる。でも暖冬で雪がない・・・。
12月19日「ルビーレーザ」
光・量子エレクトロニクスのルビーレーザではいつも話す雑談があります。1960年に発振に成功したルビーの人工結晶にフラッシュランプの強い光を当て発振させる原理をパワーポイントで説明した後、
「実は古代ローマ帝国の時代から赤い宝石の結晶に太陽光が当たると強い光が出ることが知られていた。そのスケッチがこれです。(パワーポイントにはハート形の宝石の図)俗に「エイジャの赤石」と呼ばれ、20世紀初めにこの宝石をめぐって壮絶な戦いがあったのです。」「ワムウ、エシディシ、カーズ対シーザー、リサリサ、ジョジョのJPGです。(パワーポイントには6人の図)」
卒業生には毎度おなじみの話でした。パワーポイントでやるとなかなかの迫力・・・。
次回はQスイッチレーザの話です。すでにJPGはコミックから取り込んで準備完了しています。教材開発の一環です・・・。
12月16日「講演会」
武田先生に講演をしていただきました。講演内容はもとより、説得力のある語りかけに学生たちばかりでなく、教員も感心したのではないでしょうか。すごいと思うのはテレビでも緊張感なくまったく同じように話されていることです。モンゴルの草原で馬上で携帯電話をかける写真が印象に残りました。
学科の忘年会がその日にありましたが、なかなか美味な店でした。しかし、柳ヶ瀬界隈は本当にさみしい状況になっています。岐阜市はどのように生き残っていくのか・・・。
12月12日「例の話」
12月12日12時12分にちょうど書き出します。今日の4Eの授業では試験を返却した後、時間をもらって「例の話」をしました。昨年完成させたパワーポイント36ページの力作?です。中間試験後の時間のゆとりがあるこの時期が一番いいと判断?しました。風邪気味で体長はいまいちでしたが、思いのたけはつくせました。いささか燃え尽きた感がありますが・・・。
波紋で「九萬にかえてやる」との一節で、これまでにない反応がありました。「ジョルノ・ジョバーナ」までは知っていたのですが、第六部はおろか、第七部まであるとは・・・。五年生に話す予定のエイジャの赤石の前に知っておいてよかった・・・。
先週は東京で、来週は京都・・・、間に酒宴が2回・・・。冬山が早く来いと呼んでいます。
11月28日「ロボコン」
全国大会の技術賞は初めてのことで限りなくロボコン大賞に近づいていたのではないかと思います。大賞を取ったロボットの鉄棒大車輪と倒立からの地上回転にはたまげました。
高専から応援バスを引率していったのですが、午前2時半に家をでて、帰ってきたのがあくる日の午前2時半・・・。まるっきり24時間のフル労働で、労働基準法に引っかかるのではないかと思いました。疲労の極致にありましたが、行きの中央高速から見た南アルプスの日の出、冠雪した千畳敷きカール、諏訪湖、まじかに見えた甲斐駒ケ岳、北からも富士山がくっきり見えたので行きはいやされました。また、首都高速から東京を見たのも久しぶりで、あれが都庁、これがオリンピックセンター、国立競技場、新宿御苑・・・、バスの中で説明にも力が入りました。
土日は信州です。
11月20日「雪化粧」
山沿いは雪になり、池田山も白くなっています。今まで確認できなかった山がくっきりと浮かんでいます。
前回JABEE審査では二日間徹夜しましたが、今回は早く帰ることができ、あきらめていたシリア戦までしっかり見ることができました。新プログラム責任者がしっかりしていたからと思います。
やはり、どんな場合も最善の努力をすべきであり、結果的には、ダメ押しと思って対処しておいたことに救われたところもあります。きちんと実施しているのに、説明不足、資料不足だけは避けたいものです。
日曜日はロボコンで東京ですが、応援バスですので朝4時出発で帰宅が24時になります。はたして朝3時に起きることができるでしょうか。家に帰るのは月曜日の1時過ぎですが居眠り運転にならないでしょうか。スピード違反にならないようにしなくちゃならないし、体がもつでしょうか。心配の種は尽きませんが、バスから見る中央アルプス、南アルプス、富士山に期待しています。
最近の文章は自分でも面白くない文章だと思っています。究極のクレジットへそくりシステムは、その後改善され、第2段、第3まであるのですが、ここではさすがにかけません。
11月7日「JABEE」
ちょうど5年前の今頃、あるところで意識を失いぱったりと倒れたのでした。その二週間後の本校のJABEE審査で、頓服薬を手元に置いて、真正面で審査長と向き合ったのでした。二日目はかなりの人が徹夜になりました。さて、今年はどんなことになるのやら。JABEE、認証評価と外部評価の真っただ中で丁々発止とやりあってきたことも今ではいい思い出になっているのですが、現場ではそうはいきません。今年は少しだけ後ろに下がり、後押しをすることになります。
ETCをつけました・・・。
10月27日「科研費申請2」
修正しては印刷し、チェックしては書き直し、結局12回印刷しました。とうとう昨日は夢にまで出てきてうなされました。ちょっと不安になりますが、8年ほど前から巻き始めた種がようやく実を結ぶ頃になるのですから、それが認められるかどうかを問われていると考えています。
家のパソコンのモニターが壊れ、モニターだけ買うか、思い切ってパソコンを買うか、あちこち見に行っては悩み、リサイクルショップにブラウン管のモニターが2000円でおいてあるとの話で、見に行ったら、思ったほど汚くはない。いくらだと聞くと1000円だというので(一日前は2000円だった・・・)、速攻で買いました。何も問題なく接続でき、よかったと思っているのですが、思い切って買い換えた方が良かったかも・・・。何といってもミレニアムですから。
明日は振替をいただいて紅葉の三方岩岳に行く予定ですが、右膝が疼いています。
10月25日「高専祭と科研費」
高専祭の時には、空き時間を利用して科研費の申請書を書いていました。今年は締め切りが10月20日だったのでとりあえず形式を整えて事務に提出しましたが、いまいち、いつものような自信が出てきません。とりあえず、事務の方でのチェックは終わりましたので、数字の部分はいじらずに何度も何度も読み返してブラッシュアップしていきます。本当は日をおいた方がいいのでしょうが、そんな余裕もないので、毎日、2・3回は修正しています。最近は家に仕事を持ち帰らないのですが、ここのところ毎日家でも見直しています。27日までは納得のいくまで直して、直して、さらに直して登録の予定です。ひょっとしたら、ちょっとした文章表現で変わるかもしれないし、最善を尽くす真摯な態度が必要・・・と、自分で講演したのですから・・・。
10月15日「ロボコン」
12日(日)に伊勢市でありました。もうあれから10年の月日が流れたんだ・・・。大歓声が悲鳴に変わった10年前。ことしも、似たような状況でしたが、技術力が高く評価されていました。この10年間のロボコンの技術の上がり方はすごいの一言。
帰りのバスが渋滞にあい、学校到着が22時30分。家に帰って寝たのが24時。あくる日5時に西穂高独標へ出発。素晴らしい天気と絶景でした。これだから山登りはやめられない。独標から続く遥かなる稜線に心ひかれ、来年は危険な雰囲気になりそうです。
自己点検書の質問に対する回答の点検(わかりにくい表現ですね)を終えました。なかなか忙しくて、科研の申請書を書く時間ができません。家のパソコンのモニターが壊れ、家での仕事もできなくなり、ちょっとしたピンチの状態ですが、忙しいときほど日記に書き込んで気分転換。もとはと言えば休日の仕事が山登りになったためにおろそかになったのが原因なんです。
10月8日「学生会行事」
9日木曜日は学生会行事で授業がないので、出張する予定でしたが、昨日、専攻科は授業があることに気が付きました。授業に穴をあけてしまうところで危ないところでした。それ以外にもいくつか小さなミスがあり、ボケのはじまりかと不安な毎日です。
自己点検書に対する質問書がきたのですが、今回は少し苦戦するかもしれないと思っています。私の分担のところはさっさと書き上げて提出したのですが、そんな時に限って大きな落とし穴があるんです。
山や授業での雑談等を表で書くのはやめようかなとと思っています。
10月1日「後期始め」
いよいよJABEE審査が待ったなしです。それまでに他の事はできるだけ済ましておく必要があります。授業アンケートの外部要員による処理は若干のトラブルがありましたが順調にすすんでいます。今日は科研費の説明会。いままで欠かしたことはありません。なにか参考になることはないかいつも新鮮な気持ちで聴いています。本年度、岐阜高専の採択件数が5位に落ちてしまった理由を分析し、それに対する対応をはかる必要があると思うのですが・・・。対応しているようには思えません。
9月26日「総務課長異動」
総務課長の異動がきまり、送別会を高専の近くで開きました。事務職員の中ではよく飲み歩いた一人で、いつもなら二次会、三次会と歌いまわるのですが、今回はあくる日の出張があり断念しました。6時開宴で9時に終わり、どうやって帰ろうかと思いました。昔なら、間違いなくタクシーで、家まで8000円ぐらい払って帰っていたと思います。クレジットで落とせますし・・・。少しそんな気もわきましたが、山登りで性格が変わり、とりあえず岐阜までバスで帰ろうと思いました。バス停の方に歩いていると岐阜行のバスが追い越していきます。あわてて手をふりながら猛ダッシュ。何とか乗せてもらったのが9時5分。ビールを飲んだので一気に汗が出てきました。9時25分に徹明町で降りて、交差点に来たら諏訪山行きのバスが右折しかかっています。またしても手をふりながら猛ダッシュ。何とか間に合いましたが、すっかり酔いも醒めてしまいました。いつも降りる終着駅のひとつ前で降り、自販機でビールを買いました・・・。
25日の講演は思い切り熱意を込めて話しました。拙い講演だとは思いますが、少しでもお役にたてればと思っています。また、改めて自分の科研費採択の実績を評価していただいたことに感激しています。22年連続34件の採択は、たしかに、自分でもよくやったと思います。
9月24日「科研費特別講演会」
明日は某高専で「私の科研費獲得大作戦パートU」の講演です。2001年に本校で話した内容をさらに経験を積んでバージョンアップしたものにしました。自分なりに満足の行く内容にはなっています。これが参考になって成果が上がるかはわかりませんが・・・。90分の予定ですが、学生には練習を何回もせよというのですが、さすがにこれは時間が長く余りする気にならない。新幹線の中で少し見て、申請書のコピーのところで時間調整するつもりです。1時について、1時30分から講演、終わったらすぐに新幹線という弾丸出張・・・。近くの高専からも聴きに来るそうです・・・。この地方の来年度の採択状況が楽しみです。
9月23日は8月に行った乗鞍がガスの中だったので、再度、行きました。天気予報は晴れだったのですが、高山市内では雲が厚く、雨も降り出すありさま。がっかりして駐車場までともかく行ったのですが、乗鞍は突然の晴天。剣が峰からみた高山方面には厚い雲があり、どうやら高山だけ曇っていたようです。素晴らしい天気、素晴らしい眺望でした。穂高連峰、焼岳、槍、笠ヶ岳、南アルプス中央アルプス、御嶽山が大迫力でした。
実は9月初めに木曾駒にも行き、千畳敷カールから木曾駒ケ岳にも登りました。このときも、高速道路から見た中央アルプスは雲がかかっていたのですが、到着するころには快晴になりました。初めて見る千畳敷カール、宝剣山、駒ケ岳からの南アルプス越しの富士山、まじかに迫る御嶽山、北アルプス・・・圧巻でした。こんな景色も知らずに一生を終えるところでした。次は西穂高独標でしょうか
週末は広島です。クレジットの請求がすごい額になっているのでは・・・
9月3日「開講」
いつの間にか9月で授業は始まっています。8月28日(木)開講でちょうど一週間。開講日は騒がしかった3Eも今日は気持ち悪いくらい静か。寝てるんではないかと思うくらいだったが、目はあいているし、演習問題もできている。期末試験が近付いているからですかね。
あと一カ月もしたらJABEEの一次審査点検書がきますので忙殺されるようになります。9月末には他の高専で科研の講演会を頼まれていますので、その準備も多少する必要があります。ライバル高専にアドバイスしてどうするつもりだといわれそうですが、私の講演にそれほど影響力があるとは思えません。昔、岐阜で話した話を上積みして話すつもりですが、話すからには全力投球します。
8月29日(水)つまり授業開始前日に、乗鞍岳に登ってきました。高山まで高速が伸び、朴の木平駐車場まで2時間20分でついてしまいました。バスで乗鞍スカイラインをあがり畳平まで行くのですが、バスの中から穂高連峰、槍、笠がくっきりと見え期待は膨らみます。畳平についたら乗鞍の主峰の剣が峰はガスの中。頂上まで登りましたが、ガスと風。結局、バスの中の景色が一番良かった・・・。今年は御嶽山、富士山、乗鞍岳と3000m級に登ることができたので満足満足。これまでは大日ヶ岳の1700mが最大でしたから。しかし、すべて眺望は良くなかった。今シーズンは3000m級は終わりかなとは思っていますが、上高地で見た穂高連峰が気になっています。せめて西穂高の独標には登っておきたい・・・。あと、中央アルプスの木曾駒ケ岳や宝剣岳にも・・・。
8月8日「夏季休暇」
今年は8月9日から17日まで9日間の夏季一斉休業に学校全体が入ります。休みを利用して毎年、大きな荷物を抱え宿題をやっていたのですが、今年は、秋に備えてゆっくりするつもりです。ゆっくりと言っても静養ではなくそれなりに体力は使いますが、精神の静養という意味です。
念願の富士山登山を終え、脚の痛みもまだとれないのですが、この休みをじっとしているのももったいない。何となく乗鞍がちらつき始めています。また、いままでまったく無理と考えもしなかった穂高や槍が気になります。とりあえず、下見に上高地へ・・・。一昨年の10月に金華山に登ってからまだ二年にならないのに、ここまでのめり込んでしまうとは・・・。あぶないあぶない。
7月に人間ドッグで検査をしたのですが、その結果が出ました。肝臓の超音波診断と肝機能の結果を心配していましたが、γーGTPが少し高いだけで、他は大丈夫でした。γーGTPはアルコールによるもので、休肝日を作ればすぐ下がるそうです。そういえば、人間ドッグの指示にはアルコールの前日飲酒を控えるようにとあったのですが、前日は、昼には東京駅でビールを飲み、新幹線でも飲み、家についても普通に飲みましたので、いつもよりトータルではたくさん飲んでいました・・・。
8月6日「富士山登山」
できるだけ公的な報告に付け加える形で、近況報告を心がけるつもりですが、今回は近況報告のみです。
57歳になった記念に「断固たる決意!」で富士山登山を目指しました。調布の始発に乗り9時半河口湖五合目出発、19時までに五合目下山の予定を立てました。
五合目では下山してきた人々であふれ、どの顔も疲労困憊、満足そうな表情の方はだれ一人いません。すれ違う人たちも生死の境をさまよっているような表情で、これから先が心配になりました。馬に乗って帰ってくる人もかなりおり、本当に使わざるを得ない状況があることがわかりました。
天気の良いことも幸いし、快調なペースでとばしました。時間制限がありましたので、大きな休憩は取らず、写真を撮って、飲料水を飲んで、すぐスタートを繰り返しました。八合目半ば3400mあたり、あと300m、金華山に登るくらい、1時間はかからないと思いましたが、足が止まってしまいました。50歩登って20秒休む、これの繰り返し。頂上は見えているのですが、足が動かない、めまいもしてくる。ここで断念するわけにはいかない。精神と肉体の葛藤、いままで経験のしたことのない状況でした。富士山登山は「断固たる決意」がないと、私のような体力に自信のないものにはだめだと改めて思いました。たくさんの人たちが途中で倒れこんでいるのを抜いていきましたが、とうとう自分がその状況になりました。
頂上からは下の様子が見え、多くの人たちの声が聞こえてきます。初めはなにを言っているのかわかりませんでしたが、高度を上げるにつれはっきりしてきました。「がんばれ!」「あと五分!」「ファイト!」「マンセー!」韓国人のグループでしたか。頂上直下の鳥居の下までたどり着きましたが、ここで、3400mから感じ始めていためまいが、ひどいものになり、意識が無くなり始めました。いかん。これは尋常ならざる事態だ。手足がしびれ、昔、ある審査員の面談で意識が無くなり倒れた状況に近くなりました。ここで、倒れたらどうなる。ヘリコプターで運ばれるのだろうか。ヘリコプターは頂上に降りるだろうから、そこまでは救急隊に運んでもらうことになるが、それで、私は富士山に登頂したことになるのだろうか・・・。あと少しなのに・・・。等と思いめぐらしていましたが、座り込んだら絶対にだめだと思い、ダブルストックで踏ん張って立っていました。ふるえる手で酸素飴を取り出し口の中に放り込み、意識を強く持ち深呼吸を繰り返しました。「断固たる決意!」ここで意識をなくすわけにはいかない、唇を噛みしめ、意識を強く持ちました。少し余裕ができ、おもむろにデジカメを取り出し、鳥居や下の登山状況等を撮影している余裕をみせ、時間を稼ぎました。その後、体調が元に戻ったのを確認し一気に頂上に登り詰めました。登り4時間30分でした。
登っている最中は、とても無理で、断念することもちらつき、9合目ではとてもこれ以上は無理で下山が非常に現実的なものになってきてはいました。本当に富士山登山は大変で、私よりも体力のない人には絶対に勧めないと思いました。もう二度と登らないと思いましたが、きっとまた登りたいと思うのではないかと思います。
山頂でバッジに日付を印字してもらい、写真をとってすぐに下山にかかりました。予定よりも早かったので時間があったのですが、天気が下り坂なのでダブルストックでスキーのように砂走りを脱兎の如く下って行きました。下りは2時間でした。途中から雨が降り始め雨具を着ました。以前から欲しかったゴアテックの雨具なのですが、とても高くて躊躇していたのですが、富士山登山では必需品なので思い切って購入しました。(もちろんクレジットで!)これは本当に役立ちました。五合目近くではご来光目当てに登る団体と多数すれ違いました。下山は跳ぶ様に降りてきましたが、疲れはほとんどなく、富士山登頂に成功した満足感でいっぱいでしたので、満面の笑みだったと思います。
4時半の河口湖行きのバスに間に合うようでしたが、1時間遅らせ、レストハウスでくつろぎ、食事とビールを飲みました。後から思うと、この選択が間違っていました。5時半のバスに乗り6時12分発の大月行きの富士急行に滑り込みセーフで、なんとスムーズな登山、あとはゆっくり帰るだけとおもっていましたが、電車が出発しません。そういえば雷も雨も激しい。富士急は全面ストップ、復旧の見込みも全く分からないとのこと。なんてこったい。あの時ビールなんて後にしてバスに飛び乗っていれば・・・。河口湖でまつこと3時間。それでも、9時12分に発車し、なんとか最終電車で調布に帰ることができると思っていたら、中央線もダイヤ混乱・・・。結局、高雄で京王線の最終にのることができず、三鷹で降りてタクシーで調布に帰ることに・・・。調布についたのは12時30分。富士山登山よりも、そのあとの方が疲れてしまいましたが、それでも、永かった57歳1日目を振り返りビールを飲んで寝ました。
あくる日に東京駅を出たとたんに雨が降り始め、池袋で大きな災害があったことを知りました。のんびりとした一日を過ごし、本日、学校へ来たのですが、足全体に筋肉疲労がのこり、歩行もままならない状態です。階段の上がり降りは手すりをつかまないとダメな状況です。もうしばらく山登りはいいやという状況ですが、きっと、またどこかに登りたくなるのでしょうね。
7月30日「自己点検書」
JABEE自己点検書もようやく完成。プログラム責任者と論文査読なみに精査していきました。液晶プロジェクタを使って、そのつど直せるところは直し、資料が必要なところは改めて依頼する等、ブラッシュアップをはかりました。前回と同じで、提出後に改めて見直すのは怖い。一次点検書がくるまで頭を切り替えて別の仕事に没頭します。やることはたくさんありますから。
右膝の痛みが消えないので、とうとう、整形外科に行ってきました。カルテでは6年前に左膝の痛みで来たことになっています。その時は4か月痛みが引かないので来たらしく、今回は2か月引かないので来たことになります。前回もそうだったのですが、膝に注射を打って、嘘のように痛みが引いていきました。調子に乗ってあくる日に待望の御嶽山3000mに登りました。初めての3000m級で不安がありましたが、膝も快調で、一気に2時間半で山頂に立ちました。楽勝だと思いましたが、下りが大変でした。心臓はえらくないのですが、足ががたがた、膝はがくがくふるえ、もうだめかと思いました。結局、下りは1時間半かかりました。帰りの車は、家まで高速をつかっても3時間かかり、疲労と眠気で疲れ切りました。単独登山はつかれます。高速料金、ガソリン代も高く(でも高速代もクレジットで落ちることを知りました!)、あくる日からは大腿筋が痛く、階段を降りるのがつらい状態になりました。富士山はとても駄目だと思いました。しかし、もうすぐ8月3日(57歳の誕生日)が近付くにつれ、断固たる決意!がふつふつとわいてきます。
7月4日「歯磨き粉」
寮直の日、夕御飯を食べてアメニティーグッズをいれたバッグから歯ブラシと歯磨き粉(ホテルに泊まった時に余ったものを持ってきているのです)を取り出し、歯磨きをしてびっくり、妙な味がするのです。歯磨き粉のチューブを見てびっくりシェービングクリームでした。バッグの中に二つのチューブがあったので間違えたのかと確かめたら、二つともシェービングクリームでした。
梅雨でなかなか出かけることができず、足も痛いので明王山あたりで訓練しています。
6月13日「お昼寝」
最近忙しくて、お昼は目を休めているのですが、いつのまにか前後不覚、死んだように眠ってしまうことがたびたびです。気がついたときは、これが死後の世界かと間違えるほど、眠っていたことに気付くのにしばらく時間がかかります。夜もマッサージ機に腰かけてテレビを見ているともうだめ。気がついたら12時過ぎということがしばしばです。
先週末は土曜日が大垣の松尾芭蕉通りの散策(2時間)、日曜日は多治見駅、オリベストリート、永保寺への周回(3時間)しました。今週末は犬山城、小牧城、日曜日は大高緑地の予定。山に行きたいのですが膝がもう一つで、リハビリを兼ねて平地を歩いています。今日は、2か月に一回のアルコール依存症でないことを確認する日。昨年はちょうど今頃、寮直あけに池田山に行ったのでした。
6月2日「夏」
もう夏。5月末までにJABEE自己点検書本文編の分担を書き上げました。昨年度に実施した点検に若干の追加をするだけです。また、授業アンケートのマークシートへの移行も立ち上げ、あとは実践あるのみ。これはいろいろなトラブルが出てくるものと思います。
膝はまだ痛く、山は無理。JRのさわやかウオーキングに参加する程度です。今週は中間テストが始まります。
5月20日「認証評価」
22日木曜日が認証評価の関係で東京出張があり、授業変更して3E電子工学を月曜日のU限に実施。3Eの教室に入って行ったら、3Eの学生がびっくり。授業変更の話はしてあったのですが忘れていたようで・・・。疲れた顔をしていたら、「先生、元気なさそうですね」、「授業変更ということは例のクレジット駆動システムですか!」等、いろいろ言ってくれる楽しいクラスだ。和気あいあいと授業ができ、最後の方にはすっかり元気が出てきていました。例によって授業終了後も演習問題の面倒で12時30分ごろまでいるわけですが、食堂で昼食を済ませて帰ってきた学生やら、弁当を食べている学生がいて、「おいしそうだな」「僕は相変わらず、ダイエット食品」「クラブはどう?」等と雑談をしながら、演習問題をほとんどの学生が提出するのを待って、それから部屋に戻り食事です。3Eとは週二回あいますが、授業に行くのが楽しみ。雑談も楽しみ。今回は「困った顔の白熊君」でした。
5月18日は足も痛いので山は無理だし、日帰り旅行もお金がかかるので、高校県将棋選手権に高専が出ているので(昔、囲碁将棋部の顧問だったんです)、午前中見学に行き、午後からは、ラグビーの高校県総体の一回戦(昔、ラグビー部の顧問だったんです)を見に行きました。ラグビー部はすごくレベルが上がっており、大垣工業相手に24対0で圧勝しました。昔は、高校生でチームを組むのは精一杯だったんですが、大したものです。また、きれいな芝生のグランドで、隔世の感があります。
肝心の現在の顧問であるロボ研はどうなっているんだ、といわれると返す言葉がありません。主顧問の先生にお任せしております。申し訳ありません。
5月16日「ウィルス」
昨日の朝から、突如メールが爆弾のように届き始めました。送ってもいない送信に失敗したとのメールで、こちらから正式に出しているメールは添付ファイルが削除されてしまう状況になりました。絶え間ないメールの嵐にこれはどうなる事かと思い、とりあえずウィルスチェックを1時間かけて実行しました。今までひっかかったことはないのですが、今回は11匹も潜んでいました。駆除後、今日は全く不明メールはこなくなりました。静かすぎて何となく寂しい気も・・・。
今年の目標であった、雪の伊吹山、春の大日ヶ岳はクリアしました。2000m級の恵那山、白山、そして3000m級の御嶽山、富士山が次の目標。その前にケーブルを使った駒ケ根、新穂高、乗鞍、立山にも行ってみたい。その間に、熊野古道も歩いてみたいし、安芸の宮島も行きたい。カルスト台地も見たい。四国はまだ行っていないところがたくさんあるし・・・。時間もお金も全く足りない。とりあえず、JRを乗り継いで清水市の三保の松原に日帰りで行ってこようかな。
5月12日「マークシートリーダ」
授業アンケートにOCRをつかっていたのですが、世話が結構大変なのと、レンタルが切れたのを機に、マークシートリーダに変更することにしました。マークだけなのでこちらの方が手間がかからないと思っています。ただ、機械を使いこなすのに少し手間がかかり、ここ数日時間を取られていましたが、何とかなりそうなので、本格的に導入することにしました。
授業アンケート以外にもいろいろなデータ処理に使えそうです。
大日ヶ岳登山とそれに続く馬篭・妻篭12kmウォークラリーで右膝を痛めていたのですが、11日(日)には高山線・東海道線・奈良線を乗り継いで宇治の平等院まで行ってきました。中学校の修学旅行で行ったとは思いますが、全く記憶になく、かねてから行ってみたいところでした。いつも新幹線か車を使う方が多く、JRを乗り継ぐなんてことは昔の私では考えられないことですが、やっぱり性格が変わってきたのでしょうか。神さんたちは宇治の街でアンパンを買っていましたが、家でそのアンパンをもってびっくり。薄いパンの皮の中にずっしりとあんこ。まるで、砲丸投げの球のようにずっしりとしていました。
5月7日「自己点検書」
今年の2月にJABEEの認定期間が変わり、5年から6年の認定審査になりました。2013年の審査を想定し、次の次の審査用に教育課程の変更をしていたのですが、5年から6年に変更になったため、平成19年度準学士課程入学者が2008年の審査対象になるため、学習教育目標の達成度評価に関する科目分類をする必要が出てきてしまったのです。まったく、突然に6年審査にかわり、これがもっと早くわかっていたら、平成20年度入学生から教育課程を変更すればよかったと悔やんでみても後の祭り。2倍の労力がかかることになりました。
GWは念願の大日ヶ岳に登り、白山をまじかに見ることができました。昭和村に出かけた後、馬篭・妻篭12kmウォークラリーを体験しました。高山線、太多線、中央本線を乗りついで行ったのですが貴重な経験でした。おかげで、右足の膝が痛い。
4月28日「GW」
今年はカレンダー通りなのですが5月7日(水)が開校記念日で学生は5連休になります。我々が休む場合は当然年休を取る必要があります。前回と同様にJABEEの自己点検書を書くことになると思います。
新幹線の車窓から富士山
をとりました。雪がかなり下の方まで降りています。日本の象徴、日本を代表する自然美・・・、今年は登ることができるでしょうか。
4月25日「渡辺祐策」
親しくさせていただいているT先生のホームページの内容です。石炭採掘で得た巨万の冨を石炭枯渇を予測し、新しい技術開発に積み込む。舞台となった宇部市のホームページを見てみると、たしかに、人口から考えると、大きく発展していることがうかがえます。税金を化石燃料節約のための補助として使うのではなく、新しい技術開発の方に積極的に投資すべきであるとのT先生の意見だと思います。たしかに、化石燃料は地球が残してくれたものですが原子力発電は人間が新しい技術を開発して生み出したものですから、安全性を高めると同時にさらに新しいエネルギー源を開発することに力を注ぐべきでしょう。
3年生にこの話をしましたが、シーンとしてしまいました。前日のクレジットシステムの話では大いに沸いたのですが・・・。今週は3Eの授業が3回ありましたが、授業に行くのがとても楽しみでした。学生はうっとおしいと思っていたのかもしれんが・・・。
4月20日(日)郡上市和良町にある大洞山1034mに登りました。途中で道を間違え、谷沿いにすすみ、急な尾根道に四つん這いになりながら必死に登りましたが、どうやら後で調べてみると隣の山に登ったようです。藪こぎをして尾根伝いに大洞山山頂にたどりつきましたが、遭難の二文字が頭から離れませんでした。幸い天気がよかったので何とかなりましたが、ガスがでていたら危なかったと思います。真新しい熊のフンや木についた爪の痕も恐怖でした。帰りはなんとか正規の道を発見したのですが、間違えた場所を確認したところ、非常にわかりにくいものでした。
GWはいよいよ奥美濃の大日ヶ岳に登ろうと思っています。熊情報も出始めていますので心配ですが、山登りの魅力には勝てません。
4月18日「科研費」
22年連続34回目になりました。他高専の先生方と比べてもそん色ない記録だとは思っています。数少ない私の誇り(埃?)のひとつです。これだけ続くと、途絶えた時のショックは如何ほどか・・・。
昨日は日工教の委員会が東京であり、懐かしい皆様に再開しました。
富士山は全部は見えませんでしたが、かなりふもとの方まで白くなっていました。
雪の名残がある春山に登りたいのですが、単独行になるため、人気の高い山に行かないと危ない。週末は荒れ模様だし、悩むところです。
4月8日「小公女セーラ」
セーラムーンの話ではありません。
生きていくことがつらくなった時、いやなことがあった時、理不尽なことが起きた時、一生懸命やっているのに分かってもらえない時、心が折れそうになった時、その他ともかく疲れきった時にいつも見るホームページがあります。
「小公女セーラ」日曜日の夜7時半からテレビ放映されていました。幼稚園児であった長男と次男そして家内と私でいつも見ていました。四人とも目に一杯の涙をためて。四人とも涙をためていることに気付いてはいても気付かないふりをしていました。すくすくと育っていった子ども達、楽しく過ごすことができた家内との生活、番組が終わって、さあ一週間頑張るぞという勇気をくれたのはこの番組だったと思います。
オープニング曲の「花のささやき」ですでに涙し、エンディングの「ひまわり」では放心状態、カラオケでも今も歌います。
あの感動を呼び起こしてくれる次のホームページでは、いつも涙してしまいます。30代のあの頃を思い出し、感激でいつも涙してしまいます。少し長くなりますが、その頃の番組を紹介するあるホームページの感動的な文章を紹介します。
第44話 おお、この子だ!
朝起きたセーラはテーブルの上に置いたはずの手紙がなくなっているのに気付きました。やはり魔法使いさんが持って行ってくれたのです。その頃、隣の家ではラムダスがセーラの書いた手紙をクリスフォードさんに手渡していました。その手紙にはこう書かれていました。「このようなお手紙を差し上げることはご自身の深いお恵みを秘密になさって来られたあなた様にはきっとご迷惑な事かもしれません。でも今の私は心からお礼を申さずにはいられないのです。長い間いつも心傷つき寒さに震えお腹を空かせてきた私とベッキーに素晴らしい幸せを届けて下さったあなた様にせめて感謝の一言を申し上げる事をお許し下さい。ありがとうございました。そしてお体を大切にと… 屋根裏の少女より、まだ見ぬ親切な魔法のお友達へ」それを読んだクリスフォードさんはしばらく感激にひたっていました。素晴らしい手紙だと… しかしクリスフォードさんには悩み事がありました。カーマイケル弁護士に探してもらっているラルフの娘が、もし自分の心に描いているような優しい娘でなかったとしたら、それでも自分は親切な魔法使いでいられるだろうかと。そう考えるとクリスフォードさんはカーマイケル弁護士がパリから連れて来る娘に会うのが恐かったのでした。さらに心の一部ではその娘が見つからなかった方がいいとさえ思っているのかもしれないのでした。クリスフォードさんは屋根裏に住む優しく気の毒な少女にラルフの娘のイメージを勝手に重ねてしまっていたのです。そして2人が同じ1人の少女だったらどんなに嬉しい事だろうと馬鹿げた幻想を抱き続けてきたのです。しかしその幻想もまもなくカーマイケル弁護士が連れて来るラルフの娘が打ち壊してくれる事だろうと言って嘆くのでした。
カーマイケル弁護士の奥さんと息子のドナルド、姉のジャネットがクリスフォードさんの家を訪れました。そして奥さんとラムダスが馬車で港までカーマイケル弁護士を迎えに行きます。ドナルドはクリスフォードさんにラルフの娘はどんな人かを尋ねます。しかしクリスフォードさんには答える事はできませんでした。するとドナルドは「あのマッチ売りの少女のような優しい人ならいいなぁ」と言うのでした。そしてドナルドは可哀想なマッチ売りの少女についてクリスフォードさんに語ります。お父さんもお母さんもいない事、昔は育ちが良かった事など。しかしドナルドはその少女が何という名前なのか、そしてどこに住んでいるのかも知らなかったのでした。
セーラは屋根裏部屋で勉強しているとベッキーが暖炉に石炭を補充しにやって来ました。ベッキーは笑いながら「モーリーさんもジェームスさんも院長先生に言われたとかで、お嬢様のこのお部屋には石炭を十分に焚くようにですって。みんなお天気でも変わるみたいに急にお嬢様に対する態度が変わってしまって、きっとあの魔法使いさんからの小包のおかげですわ」と言います。その時セーラは屋根の上に何かいるのを見つけました。窓を開けるとそれはサルのスーリャでした。セーラは屋根裏部屋からお隣に声をかけますが誰も出て来る気配はありません。セーラとベッキーは暖炉の火でスーリャを温めると、セーラはスーリャをバスケットに入れて隣の家に返しに行く事にしました。
隣の家にカーマイケル弁護士が来ました。ところがカーマイケル弁護士は見つけたはずのラルフの娘は実は人違いで、結局パリ中探しても見つからなかったと言うのです。それを聞いたクリスフォードさんはショックでがっくりしてしまいました。しかしカーマイケル弁護士はラルフの娘が母親の生まれ故郷のパリではなく父親の生まれ故郷であるこのロンドンにいるのではないかと提案します。そしてこの家の隣にも寄宿学院があるとクリスフォードさんを励まします。クリスフォードさんは「そうだ、隣には私の心を大きく占めている少女がいる。だがその少女は生徒ではない、貧しいかげりのあるメイドの少女だ。あのラルフの娘などではとうていあり得ない子なのだ、残念な事だがねぇ〜」と言うのでした。そこへセーラがスーリャを連れてクリスフォードさんを訪れたのです。応対に出たインド人の召し使いにセーラは説明しますが言葉が通じません。そこでセーラはインドの言葉で挨拶をします。そこへドナルドがやって来てマッチ売りの少女がやって来たと言います。ラムダスもやって来ると屋根裏の少女がやって来たと言います。セーラはラムダスにスーリャが逃げて来たと言ってスーリャを手渡すとクリスフォードさんにお礼が言いたいと言うのでした。ドナルドは自分の好きなマッチ売りの少女とクリスフォードさんの好きな屋根裏の少女が同一人物だったとクリスフォードさんに報告し、おまけにその少女はインド語を知っていると言うのです。ラムダスはクリスフォードさんに屋根裏の少女がぜひとも今までのお礼がしたいと言って面会に来ている事を報告すると、クリスフォードさんはすぐにお隣の少女を中に通します。そしてセーラが部屋の中に入って来ました。「はじめましてクリスフォード様。あれほど御親切を頂きながらこんな形で突然お伺いした事をお許し下さい」「私の方こそ丁寧な手紙を頂いたお礼を申さねばなるまい。ところで君はインドの言葉を知っているそうだが」「はい、挨拶だけは。ずっとインドに住んでおりましたから…」「い、インドに!」クリスフォードはセーラをそばに呼んで手を取るとセーラの顔を見つめ続けました。そしてこう言ったのです。「カーマイケル君、私には聞けん、君が聞いてくれたまえ、この子の名前をだ」「君の名前は?」「セーラ、セーラ・クルーです」「こ、この子だ! この子がラルフ・クルーの娘だったのだ!」
ああ!なんて感動的な放送だったのでしょうか。純真な心を失ってしまった私も童心にもどり、あのシーンを思い出し涙を禁じえない。条件反射のように必ず大粒の涙が出てきます。最悪の精神状態にある時はいつもこのホームページを見て、あの感動を思い出し、あの頃の我が家の子ども達との生活を思い出し、なんとか頑張ってみようと思うのです。
もう一度、感激に打ち震える文書を下記に記します。こんな年になって少女趣味と言われるかもしれませんが、これほど感激を呼び起こしてくれる一文、そしてそこから思いうかべる感動的シーン、家内と子ども達とのその頃の生活、こんな感動を呼び起こすものは私の人生ではありません。
「い、インドに!」クリスフォードはセーラをそばに呼んで手を取るとセーラの顔を見つめ続けました。そしてこう言ったのです。「カーマイケル君、私には聞けん、君が聞いてくれたまえ、この子の名前をだ」「君の名前は?」「セーラ、セーラ・クルーです」「こ、この子だ! この子がラルフ・クルーの娘だったのだ!」
この番組を見たことがある人は多いと思います。また、とてもつらい状況にある人もあると思います。この一文が私の救いになり、なんとか立ち直って生きていけるきっかけになっているように、同じような状況にある人たちを勇気づけるものになってくれればと思い紹介しました。
4月6日「入学式」
今年から日曜日に入学式を実施することになりました。新入生歓迎会(クラブ紹介)も初めて保護者の前で学生がすることになりました。保護者の反応は良かったと思います。
歓送迎会で車を都ホテルに置いてきたので、土曜日に取りに行きました。徒歩で・・・。2時間くらいでいけると思いましたので、山歩きより時間は短いし、平地だから楽だと思い、酒抜きと花見がてら出発しました。千鳥橋、鵜飼大橋、長良橋と花見を楽しみながら、金華山、百々ガ峰、伊吹山をときおりデジカメで撮りながら、ぴったり2時間で到着。しかし、結構疲労感が残り、そのあと予定していた山行は中止。待ちに待ったガソリンを満タン給油(122円)して、自宅でマッサージ機に乗ること1時間。休むとまた歩きたくなり、眺望が期待できないので山はやめて、花見に2時間ほど歩きました。東京から帰ってきた時も、普通ならタクシーを使うのですが、那加駅から境川堤の桜を楽しみながら1時間歩いて帰りました。性格が変わってしまったと思うのですが、皆さんに言わせると、何も変わっていないそうです。
3月26日「シルビィバルダン」
来日していますね。「アイドルを探せ」であまりにも有名。私より上の団塊の世代にはたまらないのではないかと思います。T社のステレオの宣伝でこの曲を聴いたときは10歳ぐらいだったのですが、衝撃的でした。そんな時代もあったの・・・。LPも持っています・・・。渋谷でコンサートとか・・・。明日から応物学会で東京に行くんだけど・・・。まさか、渋谷に行くわけにもいかず、同じ東京にいると思うだけでよしとしますか。
自己点検・評価報告書は関係機関に発送しましたので、今週末にはウェッブでも公開する予定になっています。
3月24日「春季大会」
連日の延長戦勝利。プレッシャーのかかる中、本当に精神的にたくましい。とくに、23日の岐山戦は九回表で3−6で、追いつくのはむずかしいなあと思っていましたが、I君のタイムリーで同点に!スタンドは大歓声。私と言えば、こっそり観戦するつもりだったのですが、I君の父親に見つかって、いつのまにやらメガホンを叩いていました。延長に入ってからはサヨナラ負けのプレッシャーがかかる中、本当によく勝ち越しました。
四人の子供たちの試合を毎週のように見に行っていたのですが、全員、高校を卒業してしまい、観戦の楽しみもなくなりさみしく思っていたので、久しぶりの感激でした。試合後、応援団から「子供たちから元気をもらった」との声に思わず涙でした。試合を重ねるたびに、大きな舞台で、声援の中で精神的にたくましくなっていく。教育の見本があったように思います。
公式戦の実施要項、トーナメント表などの資料をホームページで公開してもらうと応援団もふえるのではないでしょうかねえ。皆が見ている前でプレーをすることは、技術を磨く上でも、精神力を付ける上でもとても重要だと思っています。試合結果なども入れて広報すれば、保護者への情報公開と同時に、中学生にも宣伝効果はあると思います。合格が決まった中学生が高専のクラブの試合を実際に見に行ったり、あるいは、新三年生がそれで受験を考えてくれたり、悪いことはなにもないように思います。ただ、ホームページへ載せる手間は要りますが。
22日午前中は中濃林道を歩いてきました。1000mの林道歩きからは恵那山、南アルプス、中央アルプス、御嶽、乗鞍、穂高、北アルプスそして白山まで一望ができ大パノラマでした。アイゼンも役に立ちました。野球のアルプス席での感動も味わえましたし、二日間、大満足でした。
3月21日「謝恩会」
大垣のホテルで実施してくれました。駅から近く、雰囲気も良く、楽しい時を過ごしました。二日間限定でPPを載せる約束をしてその作業をしているのですが、とても重くて難しいようです。PP36ページでいっぱい図があるのでちょっと掲載はむりのようです。文書だけのものはアクセス方法は学生も知っているようなので、それで、勘弁してもらうことにしようっと。下記の、健康の話でも見てください。少し前の「高専を訪れた珍客たち」も昔あったページからのリンクでした。
明日は美濃か揖斐の山に登った後、高校野球の春季大会が大野レインボウであるので、見に行こうかなあと思っています。
3月19日「卒業式」
41回卒業式が挙行されました。ということは41期生の卒業なんですが、10年伝説はどうなったのでしょうか。たまたまこの学年だけは私の授業を全く受けずに卒業していく学生もいることになり、よくわからないのですが、卒業研究の発表会を聴いている限りでは、電気情報の学生らしい立ち振る舞いでしたので、伝統は受け継がれているようです。ということは、私の存在はあまり意味のないものかもしれません・・・。
話は変わりますが、昔「健康にかかわる話」を書いていました。10年以上も前の話で、食べたいだけ食べて太っていたころの話です。あの頃の文章を読むとずいぶん懐かしく感じます。日記も読み返してみると、もう忘れてしまったこともかなりあり、保存しておいてよかったと思っています。多少なりとも、学校や学科の記録として役に立つことあるのではないかと言い訳しています。
3月17日「伊吹山」
自己点検・評価報告書を完成させました。印刷は学校でやり、製本は業者に依頼します。科研費と全く同じ方式で、3万円ぐらいで出来上がります。以前のことを思うと本当に安上がりになりました。5年前は、印刷も活字をひろっていたのですし、校正も大変だったと思います。時間的にも余裕がないと思います。今回は、本当にぎりぎりでも気分的には楽でした。発送する頃をまって、ホームページに公開する予定です。
毎朝、高専に向かう車の中から、伊吹山を見るのが楽しみになっています。池田山の後方に見えるのですが、まだ、真っ白です。3月16日で冬期ゴンドラが終了との情報を得ていましたが、単独で行くしかなく、迷っていました。荷物をまとめて家を出でからも迷っていましたが、ガソリンスタンドで満タンにしたところで覚悟を決めました。とうとう念願の伊吹雪山登山です。夏にはさざれ石公園からの北側ルートで上りましたが、やはり南から雪のあるうちに登りたいと思っていました。九十九折りの登山ルートではなく、雪のある時期だけのショートカットをくりかえしながら、どんどん登って行きました。久しぶりの単独行でしたので、自分の思ったペースで登ることができ、1時間30分で頂上に着きました。頂上は銀世界。土産物屋も屋根まで雪がきています。風も穏やかで至福の時を過ごしました。最近、山にはフリーズされた味噌汁を持っていくのですが、これが本当に便利でおいしい。実は、ダイエットおからクッキーを昼食にして1年半になるのですが、さすがに味に飽きてきたのでやめています。調べてみると、カロリーをおとしたダイエットぞうすいのフリーズ製品があるようなので、これにしてみようかなと思っています。クッキーをやめてからのリバウンドを心配していたのですが、増減なく、適度な運動がいいのでしょうか。
3月10日「電気情報工学科退職者送別会」
今年度で退職されるM先生とN先生の送別会が長良川河畔の旅館に一泊で行われる。K先生のときの登別温泉一泊旅行もあわただしかったが、今回は平日の一泊なのでさらにあわただしい。会議終了後勤務時間を終えてから出発し、明日は勤務時間前に帰ってくることになります。全校生の前でのM先生の退職の紹介では「世界の山々を登頂するために早期退職・・・」では学生から大きな拍手が湧き起こりました。4Eの学生の何人かは後ろにいる私の方を振り返っていました。PPの授業の最中に、息抜きで、登った山の写真をだし、毎度のように「山はいいなあ}で締めくくっていましたから。それとも、私も早くやめた方がいいという、意思表示だったのかなあ・・・。
養老山は雪道で、踏み外すと、ひざ上までズボっと入ってしまいました。帰り道は滑って恐怖の道でした。上っている人たちは、スノーシューや最低アイゼンは装着していましたが、私は何もなし。ノーマルタイヤで雪道を降りるようなものです。早速、アイゼンを購入しました。もちろんクレジットで・・・。(先月はクレジットの支払いが20万円を越していた・・・)なんとしても、今シーズンでアイゼンデビューを果たしたいが、3月中は単独になるので心配。
9日(日)10時頃、自宅の裏の北山に登り、いつもの場所(御嶽、乗鞍、中央アルプス、恵那山、白山、能郷白山、伊吹等が一望できる)で早い昼食をとりながらゆっくりくつろいでいたところ、にぎやかな(けたたましい?)女性の声を含んだ一団が現れ、北山の頂上で話し込んでいる。幸い?こちらは死角となって見えないようだった。その後、岐阜権現山へ下りていく迂回ルートの方に行ったようだが、一人だけ(とても上品な方)だけ、私の方のルート(急坂ルートがあるんです)をとられ、挨拶をされていった。その後、山の関係のホームページを見たら、いつも、私が山登りを参照している管理人たちのグループの登山だったようだ。世の中、本当に狭い。
2月29日「自己点検・評価報告書」
外部評価委員による評価も終了し、いよいよ最後の冊子の制作にとりかかっています。けっこう、この冊子が認証評価の際には重要な役割を果たしています。各種アンケート結果、分析および対応策が第二部、前回の外部評価委員の指摘事項に対する、この五年間の対応を第三部に記述する予定です。外部評価をこれだけ受けていると、この学校教育法で定められた自己点検評価もそろそろ考えるべきだと思いますが・・・。
3月2日は雪で真白な養老山脈に行く予定です。大丈夫でしょうか・・・。高度計、温度計、方位計のついた腕時計を買ってしまいました。もちろんクレジットで・・・。
山へ行くときはホームページで下調べをしていくのですが、その管理者に高専生の保護者がけっこういらっしゃる事がわかってびっくり仰天。
2月21日「寮直」
2か月に一度の禁酒の日(アルコール依存症でないことを確認する日)、いや寮直の日です。寮食堂で夕食を済ませ外へ出たところで、Y先生に会う。Y先生「そんなところから出てきてどうしたんですか}稲葉「今日は寮直なんです」Y先生「??私が寮直のはずですが・・・」
調べてみたら、一週間間違えていました。「どうしましょう。もう食べちゃいました・・・」心やさしいY先生のご厚意で、急遽、交替していただけることになりました。こんなチョンボは初めてです。手帳を確認したのですが、手帳の記入そのものが間違っていました。
歳とともに、忘れやすくなりますので、手帳に書き込むようにしているのですが、それが間違っていては話になりません。そのうち、手帳そのものをどこに置いたか忘れるようになるのでしょうね・・・
禁酒の結果、今日は手足や舌のしびれもあまりないようです。やっぱり酒を控えた方がいいのかなあ。
期末試験も終わりに近づいているが、今年の2年生も3年生も5年生もすごく点数が高い。4年はどうなるのだろうか。
恵那の大檜駐車場を起点にして3月は雪の富士見台へ、4月には横川山、5月にはいよいよ恵那山に登る中期計画を立てています。また、夏休みは河口湖に2泊して、富士山日帰り登山をいよいよ敢行するつもりです。
2月7日「外部評価」
意見交換会も無事終了しました。これも一つのエビデンスになるのですが、ちょっと頭の痛いこともあります。JABEEも次のサイクルあたりで少し考えた方がいいかもしれません。
居酒屋ではいつもは麦焼酎なのですが、ウィスキーにしたためにいつもの調子でさらにのみ、ちょっと体が変調です。手指のしびれ(まひではありません)だけでなく、唇や舌のしびれを強く感じ、まだ治りません。いつもはすぐ引くのですが今回は・・・。ちょっと危ないかもしれません。ストレス→酒の負のスパイラルに入っているようです。痩せすぎたので酒を吸収してくれなくなったのでしょうか。お昼のビスケットももう1年以上続けているので、栄養素がひょっとしたら偏っているかも・・・
3月初めは東京の研究会、3月終わりは船橋の応用物理学会。
連休は釜ガ谷山の予定。雪はあるのではないかと思っています。
1月18日「九蓮宝燈への道」
例の話ですが、表でははばかりますので、詳細は裏で。
外部評価委員との意見交換会が近づいているのですが、社会の要望の反映が問題となるようです。でも、外部評価委員の点検と意見交換そのものが、社会の要望であり、それを反映するシステムになっているんです。あとは、この意見をとりいれ、エビデンスをこれから作ればいいだけです。
1月6日に相戸岳671mに登ってきました。麓から雪道で頂上は40cmぐらいでした。足跡(人間の)が一つだけあり、それを目印に、道を確かめながら登りましたが、今から思うと、非常に危ない道であったと思います。降りは雪で滑って二度転びましたが、登りだったら滑落していたかもしれません。週末は笠置山1100mに登る予定です。恵那の山なんですが、だいじょうぶかなあ。
1月の中旬に、家内と鬼怒川温泉と日光へ出かけ、帰りに東京にもよりました。日光は初冠雪だとのことで、素晴らしい光景でした。山登りで性格が変わり、日光の素晴らしさもわかり、絶対に一度は行こうと計画していました。年末の松島に加え、旅行も趣味になってきました。次は、宮島、京都奈良、飛鳥、熊野古道、秋吉台、指宿、知床、いきたいところがいっぱいあります。お金はクレジットで・・・。クレジット地獄にはまりつつあります。
12月25日「今年も終わり」
毎年、大掃除をしているのですが、今年はできそうもありません。掃除をしようという気力がわいてこないのです。整理しても余計わからなくなるだけということがわかりました。
体形が変わり、性格も変わってしまったようです。来年の目標は、とりあえず、科研費の連続獲得という小さな目標にしました。さすがに、これだけ続いていると、途切れた時のショックは大きいと思うのです。私の高専における唯一の心の支え、拠り所、なんです。
二ツ森山には小雪が舞い、御嶽山も1時間ほど頂上で待っていましたが、結局、雲の中で見ることができませんでした。三連休は、東北と東京に行っていたのですが、歩いていても、新幹線に乗っていても、見るのは山ばかり。
本年はお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。
12月3日「寮直」
東京出張を終え、昨日は2か月に一回の寮直でした。私にとっては、2か月に一回の断酒の日、というよりも、アルコール依存症でないことを確認できる日です。1日断酒できれば、アルコール依存症ではないと勝手に思い込んでいます。昔、煙草を一日60本吸っていたころ、ニコチン中毒の症状らしいものを実感していましたが、同じようにアルコール依存症の症状らしきものを感じ、心配していましたが、とりあえず、断酒できましたのでほっとしています。体も少し快調に感じますし、このままやめてしまえばいいのでしょうが、やめた方がストレスがかかる気もします。
11月25日に今淵ヶ岳に登り始めたのですが、途中でコースを間違え、隣の山に登ってしまいました。途中から崖の脇をする抜けてコースを降りはじめて、おかしいなと思いながらも、かなり降りてしまいました。やっと気付いて戻る道は、大変に疲れ、危ない思いもしました。天気がよかったので、遭難はしませんでしたが、天候がかわっていたらかなり危なかったのではないかと思います。間違えた所はかなり麓に近く、午後をまわっていましたので、断念しました。次は二ツ森山を予定していますが、1300mあり、雪が心配ではあります。一度雪を経験すると、警戒感がなくなり危ないのでしょうね。だんだんと、はまり始めました。
11月28日「紅葉・雪」
JABEE仕様の自己点検評価報告書が完成し、外部評価委員に送りました。年末までに点検評価をしていただき、1月末に回答等の面談をして、最終結果を冊子にまとめる予定です。
瓢ヶ岳1162mに登りました。白山がようやく見えたぐらいでしたが、紅葉は真っ盛りで感激しました。母袋烏帽子岳1340mにも上りましたが、こちらは登山口からすでに雪道でした。誰も歩いていない尾根道を歩くことは初めてで、滑落の危険もありましたが貴重な体験になりました。誰も歩いていないとは言っても、人間の足跡がないだけで、動物の足跡が明瞭に残っていました。しかも、人間の歩幅より広いのでかなりの大型の動物のようです。小ピークで別の道に行ったようです。全く誰もいない頂上で至福の時を過ごしました。麓では、赤や黄色の紅葉も残り、空の青さ、ゲレンデの真っ白な雪、針葉樹の緑等、鮮やかなコントラストを描いていました。伊吹山も真っ白でドライブウェイも閉鎖だそうです。もう1000m級は春まで無理なようです。
11月16日「北海道」
先週の北海道は紅葉も終わっていましたが、快晴無風の日ばかりで、久しぶりに満喫しました。何度も北海道には行っていますが、自分の学会発表が終わるとすぐ帰ってしまい、観光した記憶があまりありませんでした。今週は東京出張と、名古屋出張があり、さすがに疲れは隠せませんが、JABEE仕様の自己点検書も最終段階に入りました。11月末に外部評価委員に送り、点検評価を待って1月に面談実施の予定です。JABEEの基準は変わってはいないのですが、相場のようなものがあって、毎年、スパイラルアップしているのでしょうか。たとえば、意見箱の開封等は1か月に1回でしたが、本校では昨年度から2回に増やしています。TOEICスコアも2008年度修了予定者からは400から425にあげたのですが、少しづつ無理なくスパイラルアップしたいものです。いろんなことがあり大変ではありますが、起動さえしてしまえばあとは慣性で、多少の摩擦はあるもののスムーズに進行して行ってくれていると感じています。どこのプログラムでも代変わりがあると思いますが、それをうまくできるかどうかもJABEEが要求していることだと考えています。
里山が紅葉シーズンに入りました。11月4日に舟伏山の登ってきたのですが、3月に登った時と比べて、あまりのえらさに愕然としました。あの頃は毎日歩いていましたので、鍛えられていたのですが、今は全く駄目です。これではだめと、土日で時間があくと、2時間ほどの家の周囲の山の尾根歩きで足慣らしをしています。次は1000〜1500m級を考えています。
10月16日「授業参観週間」
授業参観週間に強引にこじつけて「25年前に授業を見にきた犬がいた。最近では犬も携帯電話を使う時代だから珍しくもないかもしれないが、当時、授業参観する犬はあまりいなかった。」などと例の話を3年と5年でしました。これで、電気情報の2年以上はこの一週間で全員聴くことになりました。かなり前にホームページに載せていましたが、リンクを切っていましたので、久しぶりに「高専を訪れた珍客たち」と題して他の逸話も入れてリンクさせます。かなり前のファイルです。
卒業生にはときどき思い出したように話したことがありますが、今回は「本当の話ですか」とあとから何人かの学生に訊かれました。犬と女性の件は同じクラスだったので、印象は強烈だったようで、高専祭か田苑のクラス紹介で、この話が記載されていた記憶があります。
大岩展望台で足慣らしをしたあと、夜叉が池に行ってきました。何物をも寄せ付けない夜叉が壁と昇竜の滝、神秘な夜叉が池、久しぶりのトレッキングに満足でしたが、車の運転は狭い道で大変でした。
10月11日「高専を訪れた珍客たち」
最近では携帯電話を使う犬も現れたので珍しくもないが、25年ほど前、私の授業を聴講にきた犬がいました。昔を思い出して2年生と4年生に同じ話をしたのですが、いまいち4年生には受けなかった。チョコレートを配る女性の話は両方ともうけましたが・・・。同じ話を来週、3年生と5年生にしてみます。でも、授業参観週間なのでちょっと・・・。
10月は富山、11月は北海道、12月は東北、その間に、東京に何度か出張。年末まで行事が目白押しです。
9月26日「信州大学」
明日から信州大学で学会。私の部屋の二人の専攻科生と連名になっているもう一人の専攻科生の発表は金曜日の午後からなのですが、午前中に座長が入っているので、明日出発です。岐阜駅を経由する「しなの」が一本あるので、それを予約しましたが、長野まで3時間かかります。車窓から御嶽、中央アルプス、北アルプス等を楽しんでいこうと思いますが、現実はパソコンと格闘の3時間になりそうです。
百々ガ峰に2回登り10月からの山行にそなえました。体力的なスタミナはなかなか戻りませんが、精神的なスタミナは戻ったようです。
8月30日「夏も終わり」
8月27日に石川高専で学修単位関係の講演をしてきました。金沢で一泊して、28日には岐阜へ戻って教員会議に出席しました。金沢の街は岐阜より元気がいいようです。ただ、電車の便が若干悪いように感じます。新幹線の誘致の看板が目立ちました。今週末は高専見学会、来週末は東京出張、9月末には専攻科生たちの学会発表があり、学会の仕事もあって私も長野に行きます。帰りに土日を利用して中央アルプスか北アルプスに行ってみたい気もしますが、一人では・・・。
8月2日「台風」
明日から三日間の予定で東京です。台風が来ていますが、だいじょうぶでしょうか。台風名はUSAGIだそうです。なんとなく身近な気がしますが、名前はアメリカとアジア各国で構成された台風委員会で決定されるそうです。しかし、日本以外にはこの名前はわからない。
7月27日「研究会」
2年のうちにかなり内容が変わってきて、びっくりしました。しかし、いろいろ面白いことが浮かんできます。夏休み中に整理して、秋に備えたいと思います。また、新たな挑戦になると思います。
週末に、長男と二男が富士山に登ると言っていました。ついていこうかなと思いましたが、今の状態では無理と考え、今年は断念します。その代りに、土曜日は伊吹山に登ろうと考えています。
7月23日「夏休み」
学会の予稿もなんとか見通しが立ち、水曜日は研究会で早稲田へ。ようやく、自分の時間がもてるようになってきました。8月3日(誕生日です)からは別の学会発表で東京で過ごすことになります。去年の誕生日は高専の教員研究集会の司会をしていたんでした。梅雨も明けたようで快晴です。先週金華山の馬の背コースに久しぶりにいってきたのですが、途中でへろへろの状態で、脚力の衰えを感じました。一か月のブランクは大きいようです。取りつかれたように登っていたころは、カモシカの足と思っていたのですが・・・
7月12日「怒涛の四日間」
月曜日、授業、工学基礎研究、会議、火曜日、授業2科目、水曜日、授業、会議二つ、木曜日、授業、この間に会議資料として、JABEEプログラムの学習・教育目標達成度等に基づく点検改善案、中期計画の点検評価改善案、アンケートにもとづく改善案を作る必要があり、連日、朝7時の出勤が続いておりました。その間に専攻科生の学会発表の予稿の修正が2件あり、体がもつのか心配しておりました。若干、右目の疲労と霞、めまい、偏頭痛、手足のしびれ、舌のもつれを感じておりますが、命に別条はなさそうです。来週早々の会議資料もつくり終わり一段落。金曜日は幕張です。
7月2日「リルレの法則」
今年度から久しぶりに電気回路の授業を担当しています。岐阜高専の電気で私の電気回路の授業を受けた学生は、他の事は忘れても「リルレの法則」だけは覚えていると思います。「九蓮宝灯の話」とならんで私の十八番のひとつですが、先週2年生に披露しました。本当に久しぶりでしたが、昔を思い出して燃えつきました。多少、学生には受けたようです。これで分かってくれると教員冥利に尽きるのですが。
以前から気になっていた、JABEE基準6.1と6.2の関係、基準1への受け渡しについて、点検評価・フォローアップ委員会からスパイラルアップ会議への提言の形で7月中に実施しておく予定です。
6月20日「自己点検評価」
5年に一度の自己点検評価の年ですが、昨年、認証評価で自己点検し、基準を満たしていることが認証評価されたばかりであり、次の年に自己点検といっても・・・。設置基準から学校教育法と学校教育法施行令に移っても、認証評価やJABEEを受けていても、やらなければならないようで。いっそのことJABEEをそれに変えるという手もあるかなと考えるんですが、残念ながら施行令の方で来年度では年限が合わない。思い切ってウルトラシーを考えるしかないですが・・・。
寮の宿直が終わった土曜日の朝、快晴でしたので、高専から近場の池田山に登りましたが、暑さでへろへろ、蛇と出くわしてびっくり、頂上でゆっくり昼食と思ったらアブの猛襲を受けて、急いで退散。夏はもう無理でしょうか。アルプスに行くまでの自信はないし。紅葉シーズンまでがまんするしかないでしょうか。
6月5日「もう夏」
総コレステロールが基準値より多いので薬を飲むことになったのですが、どうも体に合わないようでふらふらするのでやめました。血液検査をしたら240に下がっており、悪玉コレステロールを測ったところ基準値以下であることがわかりました。今年から総コレステロールでは評価することは止めになったそうで、それでは、この前の薬はなんだったんだということに・・・。善玉は増え、中性脂肪は激減し、悪玉は基準値以下。減量成功ということで、急に気分がよくなりました。アルコールの多さと、眼がかすむのは気になりますが。
JABEEでしりあったT先生が日曜日のテレビ(関西系・・・そこまでいって・・・)にでておられびっくりしました。私たちと話しているのとまったく同じ口調で堂々とウィットにとんだ話され方をしておられびっくりしました。学生に話したら、あんな有名な先生と知り合いなんですかといわれた。本当に、私の名前を覚えていてくださる?先生の中では一番の有名人だと思います。
山は近場の山に登っていますが、これから暑くなり、登る山の選択が難しくなります。皆さん、夏山に行かれているようですが、まだアルプスに行くまでの自信はないですし・・・。
5月15日「忙しい日々」
JABEEの頃に匹敵するほど忙しい日々をこの一週間は送っていました。授業がかなりあることと、工学基礎研究の準備、新しいいくつかの仕事の準備等、眼が霞んできます。朝も7時半前に学校にきて仕事をしないと間に合わない羽目になりました。それもこれも、休みの日の山登りのため仕事ができなくなったからですが・・・。
12日は環状自動車道東周りと中央高速を使って、富士見台1736mに登ってきました。白草山と雰囲気は似て樹木がなく低い笹でおおわれていますが、はるかに広い頂上です。360度さえぎるものなし。北西に御嶽、乗鞍、穂高、槍、北アルプスがくっきりと見えます。北には中央アルプスがどんと控え、東には南アルプスの山々が雲の中に浮かぶように青い山脈の上に白くつながり、素晴らしい光景です。このような景色は今まで見たことがありませんでしたので大感激でした。西には白山が見え、南には恵那山が巨大に控えています。妻にもぜひ見せたいと思っています。山はいいなあ。
期待していた健康診断の結果が届きましたが、がっくり。中性脂肪など、かなりの項目で劇的に改善されているのですが、総コレステロールが全く変わっていません。善玉コレステロールが30増えているので、悪玉はその分減っているのではないかと思えるのですが、今回ばかりは医者へ行って精密検査を受けてくるつもりです。この忙しいのに、時間を何とか見つけなければならない。でも、体が最優先です。今まで、無理(無視?)をしすぎていたように思いました。
5月9日「学修単位」
学修単位が二コマ、専攻科が一コマ、唯一の履修単位も電気回路で毎回小テストと演習問題。一週間に四回の提出物があり、確認印を押すだけでも結構な労力になります。なにもなければ教務主事が一番暇だったかもしれません。なにもなければね・・・。4年後に岐阜高専がロボコンの担当校だそうです。
4月29日に蕪山1068mに登ってきました。株杉にはびっくりしました。古代を偲ばせる光景でした。山頂は360度大展望で、白山が大きく見えました。御嶽、乗鞍、穂高、槍ヶ岳まで見え、山の良さを痛感しました。
5月3日は高速を突っ走り、朝の7時に母袋烏帽子岳1341mに登り始めました。白山がまじかに見えました。帰りも高速を使い、10時30分には家に着きましたが、反対側の下りの高速は大渋滞でお気の毒としか言えない状況でした。5月4日は白草山1614mに登りました。さすがに二日連続では疲れるかなと思いましたが、頂上の素晴らしい雰囲気、御嶽の大きさ、このような世界があったことに驚きました。声も出ない感激を味わいました。山はいいなあ。
4月27日「連休」
授業に関しては浦島太郎の状態で、授業準備に追われて自分の時間がなかなかとれません。学会の予稿と論文の修正があるのですが、止まってしまっています。連休にやるしかないのですが、山には行きたいし、次男と三男が帰ってくるし・・・。蕪山、母袋烏帽子岳、白草山、伊吹山、簗谷山、小津権現山、行きたい山がいっぱい。連休中にこれだけ登ることができるでしょうか。
2008年のJABEEの審査も油断のならないものになるような気がしています。目標についてはスパイラルアップしているので大きな心配はしていませんが、気になるところもすこしあります。
4月19日「本調子」
そろそろ新しいことにとりかかったり、昔のこと(JABEE)を思い出したりしないといけないのですが、なかなか、ペースがつかめません。授業資料の準備がけっこう大変なのです。それに加えてパソコンを変えたので、関連のソフトが微妙に改善されているのですが、慣れていないためにかえってストレスがたまります。教務主事の時のストレスとは比べようもありませんが。
東京のほうはマンションを移ることになり、連休は引っ越しのようです。思い切って私も行こうかな。
4月17日「復帰」
4月になったというのに更新もできずにいました。パソコンを新しくしたためにwindows vistaでのホームページ接続やメール設定がなかなかわからなかったことと、FTPの接続がうまくいっていなかったのです。ようやく、何とかなったようです。授業もひとまわり終わりました。一気に授業が4コマふえて授業準備もなかなか大変です。パワーポイントの授業に切り替えつつありますが、学生の反応を見つつ授業しないと逆効果になってしまいそうです。学修単位が3科目ですので、毎回、課題用の資料を印刷しています。
科研費はおかげさまで続いております。21年連続33件目となりました。
山登りも相変わらずで、舟伏山、高賀山と1200mクラスに登っています。御岳や乗鞍が見えて感激でした。次は蕪山や母袋烏帽子岳あたりです。
3月30日「年度末」
最後まで楽をさせてはいただけませんでしたが、ようやく教務主事の2年の任期が終わります。教務以外のところで疲弊しきった毎日でした。多くのことを学ぶ経験にはなりましたが、失ったものも多いように感じています。
皆様のご協力に感謝いたします。
古城山にのぼり、とうとう瓢ヶ岳(1163m)にも挑戦しました。車でふもとまで行ったのですが舗装道路を猿の集団が堂々と横断しているのにはびびりました。前の靴はつぶれかけていましたので、思い切ってもう一ランク上の靴を買いましたが、本当に楽になりました。かなり思い切った歩きができ瓢ヶ岳を楽々クリアできました。1000mクラスで経験を積んで次ぎの挑戦を考えています。どんどんエスカレートしていますが、単独行なので不安です。
3月22日「風邪」
土曜日のワークショップの講演も無事終わり、ホッと一息したところに、東京を襲った寒気(かんき)。日曜日には寒気(さむけ)がして、体温計で久しぶりにはかったら38度。久しぶりに風邪をひいてしまいました。風邪などひいている暇がなく、気力で治すものだと思っていましたが、どうやら心の緩みがあったようです。四年前にひいたのもJABEEの試行審査が終わった2月でした。
月曜日は久しぶりに年休を取ってゆっくり睡眠をむさぼっていました。水曜日は春分の日で休日でしたので、落ちた体力を戻すために4時間の山歩きをしました。疲労感はないのですが、今日はまたしてもなんとなく寒気(さむけ)がする・・・。
3月16日「卒業式」
第40回の卒業式もおわり、ほとんど仕事は終了しました。
土曜日は各務原権現山、岐阜権現山、各務原権現山のピストン往復で3時間、日曜日は天王山の大矢田神社側から登り、Aコースで降りて3時間の山歩きでした。途中何人かの人と楽しいときを過ごし、眺望もよく満足の行く週末でした。
明日はワークショップの講演を頼まれていますので東京に行き、一泊して日曜日に帰ってきます。帰ってきてから3時間は山歩きをするつもりです。
3月10日「東京」
成績のチェックも終わり、いよいよ来週の進級判定・卒業判定、オリエンテーション、卒業式で一区切りです。
我が家の一番下の三男の大学入試も無事終わりこれで入試とは縁を切ることができます。長男の高校受験からですので、10年になります。ホッとしますが懐かしくもあります。三男も東京ですので、また、どこかに引越しをする必要が出てきました。
休みは古城山と天王山の予定です。舟伏山を考えていましたが、1000m以上あり、雪がふったようなのでさすがに私単独では危険です。
3月5日「主事訓話」
何事もなく終わりました。行事としてはオリエンテーションがあるのみです。
3月3日はM先生のご推薦で上麻生の納古山に登ってきました。登山口には熊注意!とあり、びびりながら登っていきました。途中で降りてくる人に会うとドキッとします。もっとも、向こうの方がビックリしているのではないかと思います。何しろ、私の服装は全身黒ずくめでしたから。熊の被り物をしてこればよかったかな。しかし、狩猟に注意とも書いてあったので、間違って撃たれてはかないません。標高630mで最近では最も高い山で時間がかかるかなと思いましたが、健脚になってきましたので、50分で頂上へ。さすがにすばらしい眺望でした。いままでで一番良かったと思います。M先生、ありがとうございます。
3月4日はまたしても各務野自然遺産の森から金毘羅山、明王山、坂祝の猿啄城往復、迫間山、大岩見晴台と5時間の周回を実行しました。さすがに疲れましたが、満足感でいっぱいです。
3月2日「いよいよ終わり」
入試も無事終わり、あとは卒業判定と進級判定です。入試倍率はなんとか昨年より上げることができ、ホッと一息ついています。あと一月で解放されると思うと、JABEEが終わったときのような雰囲気が漂いつつあります。四月からはまた新しい仕事が待っていますし、研究も新たな展開、最後の仕事になると思います。
山歩きはすっかりはまってしまいました。諏訪山では物足りなくなり、百々が峰周辺を四時間探索したり、各務原の金毘羅山、明王山、迫間山を四時間かけて周回しています。靴と杖も購入しちゃいました。300から400m程度の里山ですが、四時間かけて歩くことができれば1000mクラスでもいけそうな気がしてきました。特に、夏場は暑いのでより高い山に登りたくなります。明日は六時間かけて縦走し、明後日は新たな山に挑戦しようと思っています。全て単独ですので、途中で脳梗塞や心筋梗塞あるいはくも膜下出血にでもなったらと不安に思いますが、それでも頂上からの眺望の魅力には勝てません。本当に山にはまってしまいそうです。
1月30日「論文」
1月30日締切りの依頼論文を猛烈な勢いで書いていました。JABEEの本審査の頃のような時間との戦いで、やっと先ほど速達で郵送し終わりました。こんなことになったのも山歩きがエスカレートしてしまったからです。土日に仕事をしないつけが回ってきて、さすがに今週の日曜日は断念しました。天気がとてもよかったのに。
以前、諏訪山の北側の登り道を探していたら、鉄塔巡視路を発見しました。中腹の鉄塔まで登っていくと山の頂上の鉄塔との間に、強大な岩があり、登り道も急なので怖くなって断念しました。先週の土曜日に再挑戦し、足もがくがく振るえるような状態(疲れではなく恐怖です)岩の横を通っているときに、携帯がなりました。妻からです。家のベランダから双眼鏡で私の歩みを見ていたようです。上から3人降りてくるとのこと。怖くなったのでもう降りると返事をしました。上の道がどのようになっているかを聞きたくてしばらく待っていたら、上から子供の楽しそうな声が聞こえてきます。現われたのは小学校低学年と思える子供とおじいさんとおばあさん!!ここはハイキングコースなのか!!!頂上までいけるとのことで上り始めましたが、いよいよ急になり怖くて断念しました。下山していった3人の楽しげな会話が聞こえなくなるまで、山の中腹で座り込んで時間をつぶしていました。
1月16日「山歩き」
13日(土)に諏訪山の南側の六所神社から白山神社に登り尾根を縦走し、各務原権現山から北山まで行きました。諏訪山を取り囲む南、東、北の山を縦走したことになります。途中で北側に降りる道をみのがし、どんどん西に行くと、尾根道がなくなってしまいました。北側の山では誰にも会わなかったので、思わず、遭難、の二文字が思い浮かびました。今きた道を帰ればいいのですが、既に3時間が経過し、歩いてきた尾根尾根を振り返ると、途方もなく遠く感じます。しかも結構険しい山々でした。仕方なく帰り始めると運良く、見逃した北側の芥見権現山への道を発見し、なんとか帰ることができました。4時間半の山歩きでしたが、景色もよく、これまで見たことがない世界を楽しむことが出来ました。諏訪山に住んで30年くらいになりますが、こんな別の世界がすぐそばにあったとは・・・。
14日(日)は疲れていたのですが、矢も立てもたまらず、近くの尾崎団地の三峰山に登りました。ここも尾根づたいに2時間半くらいかかりましたが、見晴らしも、雰囲気もよく、楽しむことができました。
頂上ではいろいろな人と話すことができ、自分の性格が変わっていくのがわかります。新年早々、こんなことを書いていていいのでしょうか。そろそろ、本来の情報発信をしなければ。参与会が無事修了しました。指摘事項の多くは既に実施済みのことなのですが、実施していることを広く広報していないところが問題なのでしょう。
1月10日「仕事始め」
あけましておめでとうございます。年末年始にいろいろなことがありました。ウオーキングがエスカレートしてハイキングから山歩きになってしまいました。そのうちに山登りになるのではないかと思います。とりあえず、私の住んでる諏訪山団地の三方を取り囲む山々の尾根を縦走する道を発見しました。そこには待ったく別の世界があります。
12月28日「仕事納め」
1月から12月まで色々なことが起こりました。高専に着任して30年を越えましたが、これまで全く経験のしたことのないことがいくつかありました。教務主事の仕事で得た最大のものはいろいろな先生方と知り合うことができたことです。JABEEでも、多くの出会いがありましたが、中学校の先生方と接する機会をもてたことは貴重でした。あと、三ヶ月、入試、卒業・進級判定、学修単位の規程制定が大きな仕事になりますが、ラストスパートです。
それでは、よいお年をお迎えください。
12月26日「金華山登頂」
23日土曜日に行者道を登ろうと出かけました。岩戸公園から東坂登山道から分岐して達目洞に向かって歩き始めましたが、どんどん下ってしまいます。せっかく登ってきたのにと思いながらも誰もこない寂しい道を歩き続けました。途中で真新しい柵があり通行止めになっていました。行者道はだめのようです。さらに歩をすすめると、踏み固められた道があり、修験者の道と思われます。少し登ってみましたが、道が分からなくなり不安を感じたので元に戻り、さらに北に向かって歩きました。岐阜城方面とかかれた分岐点があり、鼻高ハイキングコースと呼ばれている登山道です。ハイキングコースとは呼べないような恐怖を味わいながら峠まで登ると、岐阜城が見えます。せっかく登ったのにまた下り。次ぎの峠でまたお城が見えたときはさすがにぐったり。また下るのかと。瞑想の小径に合流してやっと岐阜城に到着。帰りは七曲から唐釜ハイキングコース経由で岩戸公園へ、合計2時間の行程でした。10月からこれで6回別々のコースで登り、通行が認められている登山道はこれで終わりのようです。もう満足のはずなのに、日曜日にまた岩戸公園に出かけました。
研究はどうなっている?1月末までに依頼を受けている論文があるんですけど、正月に書くしかないようです。
12月18日「忘年会」
12月1日に高岡から帰ってきて2日に金華山の東坂登山道を登りました。東側からは初めてで、景色が全く異なり、感動しました。3日の朝、急にもう一度登りたくなり、今度は最難関の馬の背コースを登ることにしました。四つんばいになりながら、途中で雨はふってくるし、落ち葉で滑りやすくなっているし、誰も登っている人もいない早朝なので、ここで滑り落ちて頭を打ったら、誰も助けにこないだろうなと不安になりました。まだ、登っていない道では、行者道、修験者の道、忍者道等があるそうです。
一週間に4回の忘年会をこなしていましたが、痩せてきたためにアルコールの回りも早く、アルコール依存症の兆候を感じたので、家での飲酒は止めております。耐えることができるのか心配でしたが、3日間は飲まずに過ごしております。かわりに梅昆布茶を飲んでいます。
11月20日「最終目標達成」
ペースを落としていましたが、18日(土)に久しぶりに時間が空いたので、紅葉を楽しみながら1時間くらいまで歩けるところまで歩こうと決め、境川沿いに南下しました。21号線でちょうど1時間でしたが、さらに南に山があり、頂上に何かあるように見えます。ふもとまで歩くと三井山登山道、頂上まで460mとあります。これは手頃と登ることにしました。頂上には古墳跡や祠があり、結構、眺望も良かったです。往復3時間でしたが、体重計にのったらとうとう65kgを切りました。
11月14日「背広」
認証評価も無事終わり、11月3日は金華山を再度登頂、4日は高山で地区懇前に2時間ほど散策、5日は金華山を再再度登頂。最近は平日は30分の運動にしていますが、体重は66kgをきりました。4ヶ月で18kgの減量で、このまま減り続けたら、やっぱり病気だったかということになってしまいそうです。
お腹の脂肪もほとんどなくなりそうなので、ご褒美に、背広を買っていただきました。ニュージーランド産のメリノ種という由緒正しい羊から採れたもので、明らかに感触が違います。これが無駄にならないように努力せよということでしょうか。65kgをきったところで一区切りにしたいと思っています。
10月17日「亀仙人V」
もうハードなことは止めようと思っていたのですが、休みになると歩きたくなります。ちょうどウィスキーもなくなったので(本当は予想どうり、週の途中でなくなったのですが、K先生が最近の私の深い悩み?に気付かれてブランディーを差し入れてくださいました)、リュックとビスケットをもって出かけました。前回は1本でしたが、リュックの中で斜めになってしまうので、二本買うことにしました。4リットルを2本背中に背負って帰りましたが、さすがにきつかったです。リュックを下ろすと、舞空術でもできそうです。往復4時間の旅でした。でも、リュックを背負って、運動靴とスポーツウェアで汗をかきかき、酒屋で4リットルのウイスキーをレジに出すのを見て、店員はどう思ったことでしょうかね。店の外でリュックに詰めているのも見られていたし・・・。
10月10日「55歳の冒険」
体重の目標も達成し、さてこれから、と考えていた矢先、「豆乳ビスケット」が到着しました。なかなか体重が落ちなかったとき、点検・改善で注文していたものです。おからが主成分で7枚食べてお茶や水を飲むと、胃の中でドカンと膨れて満腹感があり、栄養満点、カロリーが少ない等多くの利点があります。早速、昼食はこれにしました。奥様が大変に喜びました。弁当をつくらなくてもいいんですから。食べたときは物足りない気がしますが、すぐにお腹がいっぱいになりバンドもきつくなります。たしかに、体重は減ります。
もう午前と午後の運動も減らしてもよさそうなので、最後の記念にと連休を利用して「55歳の冒険」を計画しました。
朝、奥様に「青年(老人?)は荒野をめざす」と宣言して、家を出発しました。ビスケット7枚を持って・・・。
計画は家から3時間かけて岐阜公園に行き、自販機でお茶を買って昼食(ビスケット)をとり、また、3時間かけて別経路で帰るというものです。自分の脚力を確かめるためと、最後の記念にと冒険に出かけました。
想いのほか健脚で1時間半で岐阜公園についてしまい、これで帰路に着いたのではせっかくの冒険が・・・と、考えていたら、何人かの集団がアキレス腱を伸ばす運動をしている。ふと上を見上げると、そこには私が昔住んでいたお城!があるではありませんか。ずいぶんご無沙汰しているので登ってみてこようと思いたち、集団について登り始めました。10分ほどで後悔しました。集団は皆、車できて、山を登り始めている。登山靴だし、弁当やお茶も持っている。私はここまで1時間半かけて歩いてきて、休まずそのままのぼり始めている。弁当はビスケットだし、お茶も!頂上に自販機なんてあったかな!お金は150円しかないし・・・。ジョギング用の靴に岩がガツガツ刺さるのを感じながら、ここでこけて頭でも打ったら洒落にならないなと考えたり、喉も渇き、よっぽど誰かにお茶を分けてもらおうと考えたりしながら、青色吐息で最後は四つん這いになって頂上に到着しました。石の上にへたり込みながら、息も絶え絶えでしたが、ようやく回りを見渡せる余裕もできました。みんなおにぎりを食べている。お茶を飲んでいる。そうだ、自販機は・・・。ありました!でも500mlで170円!頂上は高いんです。ポケットには150円。喉も乾くし、ビスケットが膨れないし・・・と思ったら、隣に250CCで150円のボトルが売っていました。これで我慢するしかありません。
登っている時に降りてくる人とすれ違うと、必ず、降りてくる人が「こんにちは!」と声をかけてくれます。こちらも返答します。なかなか自分から先に声をかけることはできませんでした。おりる時はこちらも元気が出て、積極的に「あと10mですよ」、「もう少しですよ」などと激励するようになりました。全ての人に「こんにちは」と積極的に挨拶すると、返答もしそうでない人たちも照れくさそうに返してくれます。日本の教育もこのようなところからかわるのではないかと思いながら、ふもとに下りて、そのままの勢いで挨拶をしたら、無視されました。
別経路で2時間半かけて家に帰り、「55歳の冒険」は終わりました。全工程7時間半、万歩計は4万歩を越え、体重計も68kgをきっていました。これで一区切りで、これからは1日30分程度に留めておこうと思います。サプリメントとビスケットは継続です。
あくる日、便器が真っ赤に染まりました。冒険も過ぎたようです。
10月2日「やりました!」
最後の2kgがなかなか落ちませんでしたが、とうとう、日曜日に70kgを切りました。平日の運動を1時間30分に増やし、土日はそれぞれ午前3時間、午後3時間、夜1時間歩き、さらに、腹筋を100回から200回に増やしました。体重計が69.8kgを示したときの爽快感はJABEEが終わったときに匹敵するものでした。
今週は一日入学が二日間、東濃地区の学校説明会、会議が三つ。10月は空いた日が全くない上に、認証評価が月末にあります。怒涛の10月に突入します。
9月25日「亀仙人U」
どんどんエスカレートしています。2週間前の酒屋からさらに遠い所で、ウィスキーの安売りがやっているチラシを発見し、1.5時間かけて歩いていきました。しかも、4リットル入りです。前回よりもさらにずっしりと重い亀の甲羅を背負い、1.5時間かけて帰宅しました。途中ですれ違うウォーキング仲間も、まさか、リュックの中身がウィスキーとは思わないでしょうね。
さて、私の現在の悩みは次に行くのが2週間後か、3週間後になるか、ということです。2.9リットルはちょうど2週間で飲みましたので(200ml/日!飲みすぎ)、3週間では二日ほど足りないし、2週間後では明らかに怒られそうだし・・・。
体重は現在71,6kgです。2kg落とすのに3週間かかっており、悪戦苦闘しています。亀の甲羅を背負った日も、午後からさらに2時間歩きました。しかも、このところ腹筋も毎日100回やっているんです。何かにとりつかれたように、減量しています。
9月11日「亀仙人」
月曜日に教務係関係の飲み会(二次会付き)、水曜日にK先生のお祝い会(三次会付き)、土曜日に家族で潜龍でロースステーキコース、運動できない日が続き、ビールも肉も寿司も食べて恐る恐る体重計にのってビックリ。1.6kgもリバウンドしている。
日曜日に、午前中畑を耕し、昼から1時間かけて歩いてウィスキー(2.9リットル)を買いに行き、帰りはリュックサックに入れて持ち帰りました。亀の甲羅を背負った亀仙人みたいなものです。やっと一週間前の体重に戻すことができました。
9月4日「課題達成、おまけつき」
@体重は73.8kgと10kg以上へりました。高専見学会で昼食抜きで11時半から13時半まで学校説明して、疲れ果てて帰宅しても、それから1時間歩きました。
A高専見学会は昨年より100名近く参加者が増えました。
B達成
なんだか、燃え尽きて力が出てきません。脂肪と同時にやる気も燃えてしまったのでしょうか。10kg減ったのに、肝心のところはまだでっぱったままです。70kg切るところまで続けないとお腹の脂肪はなくならないように思います。
8月28日「夏休みの宿題」
夏休みを終わるまでに、研究以外で三つの課題を上げました。
@体重を84kgから75kgを切るところまで9kgの減量をすること
A高専見学会の参加者を昨年より増やすこと
Bいまは内緒
@は自力でできること、Aは自力だけではできないこと、Bは今は明らかにできませんが完全に他力本願です。
@は75.6kgまで減量しましたので、あと、一息です。苦闘の歴史は達成次第、その手法も含めて別に報告します。Aは達成できました。Bはあっけなく達成できそうです。
8月7日「東海環状自動車道」
日曜日に明智町で進路説明会があったので、東海環状自動車道を使いました。本当に便利になっていますが、問題はそのまま愛知県の方に生徒が流れていってしまうことです。一刻も早く西側ルートを完成してもらいたいのですが、できた頃には私はどうなっていることやら・・・。
キャベツダイエットではなかなか体重が落ちないので、帰宅後30分間歩いています。これでも目標にたどり着かない場合は、思い切った手を打つしかない。こんなことになる前に、何とかしておけばよかったのですが、ついつい、ズルズルと・・・。どこにでもある話しです。
8月1日「ダイエット」
気分が重く、階段を上がっていても気がめいる。重いのは気分ではなくて体重だった。背広を脱ぐことが多く、鏡で己の姿をみてびっくり。久しぶりに体重計に乗ったら84kg!5月・6月の外食(中学校訪問)がよくなかったようです。以前84kgからキャベツダイエット(+JABEE)により69kgまで落としたので、9月の高専見学会までに75kgまで落とすことを決意しました。ただ、8月に外で酒を飲む機会が数回あるので、運動もいれて落とさないと目標が達成できない。今年の夏は体重減プロジェクトのPDCAループをまわすことになります。劇痩せしてきても、悪い病気だとは思わないでほしい。
2004年7月16日から