BestHtml白兎の夢日記

来場者数学内用は学内のみ、学外用は学外からのみカウントアップします。 Since Dec. 18th, 1998.


激務から逃避し、唯一のストレス解消法にしている白昼夢



9月4日「科研費の講演」
 科研費の講演会のために授業変更する必要があり、月曜日は3コマの授業をやった。夏休み明け初日からさすがに3コマは限界である。一コマ目から喉がカレカレになり、三こまめではふらふらの状態だった。おまけにその後には学科会議まであった。
講演のパワーポイントの電子ファイルは慎重を期してポケットドライブ2本を持って行こう。二本とも盗難・・・あるいは置き忘れ・・・になるかもしれないので、さらに、保険をかけて、ホームページにリンクさせておこう。メールでは容量が不足するのです。
 下記の飛び込みも間に合わせ、明日は発表するのみ。それでも、片道5時間は電車に乗っていかなきゃならないので大変だ。いつもなら、新幹線に乗った途端にお酒を飲むのだが、講演ではそうはいかない・・・。朝、10時の新幹線で、発表は3時からだから、5時間あれば覚めるんじゃない・・・などと悪魔の声が聞こえるが、一杯ですめば大丈夫だろうが、それで済まないような気がする、ひょっとして居眠りで乗り越して青森まで行ってしまってはえらいことだ。自重しよう・・・一杯だけで・・・。
  8月27日「飛び込み」
 学会発表と座長は無事終了し、論文も2編、投稿終了した。あとは科研費の申請に関する講演会で東北で講演してくるだけで、その資料も送ってある。切符の予約も済ませ、後は講演の内容をチェックして終わり。なんとか、夏休みの宿題もクリアし、少し時間の余裕ができたと思っていたら、飛び込みの仕事が舞い込む。しかも締め切りは9月4日。講演会の一日前・・・。先生方で夏休みにいつもやっている暑気払い(英気を養う会です)は、今年は参加できなくなりそうだ・・・。
8月21日「偶然」
 ペットボトルを一本家から持ってくるのだが、夏休みに入って消費量が増え、第一体育館前の自販機で350mlの午後の紅茶を買っている。時間は午後2時から午後4時まで、仕事の区切りによって違う。8月の前半に二日続けて電気の新任のS先生と出くわした。二日目に出くわしたときはお互いに思わず笑ってしまった。しばらくそんな偶然はなかったのだが、昨日と今日は正面玄関でばったりと事務のOさんにあった。Oさんは誕生日が私と同じなので、なんとなく他の事務の方とは違った印象がある。二日目にあった時にはやはり思わず笑ってしまった。
 明日からは東京出張。私の場合、調布のマンションに宿泊するので、宿泊手当は出ない。子供への小遣い等、出費の方が多いが、旅費はクレジットシステムだから・・・。
 多少は発表の練習もしなくてはと思い、やってみたら、びっくり。授業も夏休みなので、人前で話す機会もなく、思いっきり噛んでしまっている。スムーズな発表にならない。一杯ひっかけて話せば問題ないのだが・・・。こんなこともありました・・・。
8月20日「吾亦紅」
 五年生がコンテストの準備に出てきた。コンテスト本番は、東北へ出張中で観ることはできないが、帰ってきてからゆっくり見せてもらおう。
 今日もロボ研の担当日。八月はこれで終わりになる。
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マッチを擦れば颪が吹いて、線香がやけにつきにくい・・・。
情感あふれる歌だ。お墓参りには行ったが、母親の施設には顔を出さなかった。まるで歌のとおりだった・・・。
義理の父親が腸閉塞で入院し、日曜日に退院した。快気祝いということで回転ずしに行ったが、本人をそっちのけで、生ビール二杯と寿司を食べまくって、身動きできない状態に・・・。やせるわけがない・・・。水曜日からは東京だが、また、丸々と太ることだろう。久しぶりに学会発表のパワーポイントを見て驚いた。肝心の結論が未完成だった!危ない危ない。
8月18日「夏季休暇」
 ロボコンの担当日で土曜日出勤しています。熱中症が心配なので、今日は飲み物も多めのものにしました。その分、重い・・・。
 論文は二つとも、なんとか体裁も整い、あとは微修正です。来週が口頭発表なので、そちらも多少見ておかないと危ない。
 2kg減らすために、30分ぐらい早朝ウォーキングをしているのですが、その甲斐もなく、3kg太ってしまった・・・。
8月10日「宿題」
 朝から晩まで、学校でも家でもパソコンと格闘している。こんなに忙しいのはJABEE以来だ。眠いなんて概念はなく、気がつくと昼食の時間を過ぎている。お腹がすくという概念もない。昔は弁当を食べながらインターネットを見ていたが、今は弁当を食べながらキーボードを叩いている。今日も家のパソコンにファイルを送った。夏季休暇はほとんど宿題で消えるだろう。それでも、一時の切羽詰まった状況からはなんとか抜け出せそうだ。一応、二つ目の論文も書き上げ、あとはブラッシュアップするのみ。さ来週は学会発表と座長があるが、ほとんど忘れてしまった。これも休暇中にやるしかない。
8月6日「科研費説明会」
 科研費をコンスタントにとり始めるあたりの資料を探していたら、昭和61年(25年前!)の申請書が出てきた。いろんなものがどこにあるかわからなくなる部屋なのですが、この頃は整理状況もよく、きちんと残っているのです。その頃は電子ファイルではなくワープロ印刷したのを切貼りしてコピーをしていました。このあくる年から怒涛の連続取得になるわけで、この時の、申請状況をまとめてみると、

申請種目    研究題目
重点領域研究 シラン分子ラジカルイオン検出用の二次電子増倍管の開発
総合研究(A) 325.0nm走査型レーザ顕微鏡を用いた細胞診の自動化
試験研究 放射形二次電子増倍管の試作
奨励研究(A) 住宅地図のパソコンマッピング

まさに、数うちゃ当たる、です。四つも申請できる時代だったのがすごいのですが、それにしても、重点領域や総合研究等は旧帝大のトップクラスの教授でもなかなか当たらないのに、奨励研究を申請するような若輩者が応募するのも、今から思うと、とんでもないことをしていたと思う。 さすがに、テーマがなくなり、パソコンマッピングまで考えていた・・・。これは、今では地図情報でスクロール機能でできるようになっているのですが、その当時は全く出来なくて、冊子版しかなかった。このとき、奨励研究があたっていたら、その後の私の人生はどうなっていたんだろう・・・。間違って重点領域や総合研究があたっていたら、今頃どうしていたんだろう・・・。結局、試験研究があたり、科研費の連続採択が始まった。この先は講演で・・・。
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申請書がコピーでも可になる前は、直接書き込むことになっていた。間違えることはできないので、ストレスもたまる。特に、私のように字が下手なものにとっては致命的だ。読むほうも、汚い字よりはきれいな方を選ぶに決まっている・・・。
 その頃、私は、神さんに申請書の清書を頼んでいた。清書したものは庶務掛に提出してあとは事務的なチェックを受ける。
 ある年、その頃の担当だった、今は情報管理係長のKさん(ひょっとしたら入試係長のKさんの方だったか?)から、
「先生、申請書の途中から字体が変わっていますが、どうしたんですか?」
私「・・・」
Kさん「ここまで書いてきたところで、夫婦喧嘩でもしたのではないかと、みんなで噂していたんです」
私「返す言葉もありません・・・」
まだ、岐阜高専で一つか二つしか当たらない頃の話です。

8月2日「誕生日」
 明日で61歳になる。夏休みの旅行でも企画するつもりでいたが、夏休みの宿題を抱え、そんな気にもなれなかった。なんとか、ひとつは目途が立ったので、誕生日は休むことにする。これだけ暑いと日帰りではもう一つ気ものらない。論文を印刷して三連休でブラッシュアップでもするか・・・。いつものようにメールで電子ファイルを家に送っておけば、家で仕事ができる。
 科研費の講演会の依頼状が届いた。題目が「私の科研費獲得大作戦パート3」では、何かの記録に残ることを考えるとまずいので・・・既に徳山ではこの題目で記録に残ってしまったが・・・副題にし、主題は「高専における教育及び研究」に訂正した。秘中の秘まですべて話してこよう。
8月1日「論文」
 ロボ研の当番日で午後7時まで残っています。論文もようやく見込みが立ち、後は読み返してブラッシュアップする作業のみ。週末は家にもって帰り、来週からは次の論文にかからないと、間に合わない・・・。
 五年生は全然顔をださないが、実験の方は大丈夫なのだろうか。
 専攻科生は八月になっても来ている。なんとか少しずつ進展してきている。このまま夏休みに成果をあげてほしいものだ。

7月31日「合宿」
 還暦を過ぎた次の年度からは寮の宿直は免除になり、日直だけになる。寮に泊まっているうちにぽっくりなんてことになったら、たいへんですからね。もう学校に泊まることもないと思っていたら、クラブの合宿で分担がきた。30日に泊まったのだが、昨年の五月に実に30年ぶりに凌雲荘(合宿所の名前です)に泊まっているので、それほど違和感はない。無事に生きて生還で来ました。少し体がだるいがなんとか仕事をしている。今週中には論文をまとめることができそうだ。昨年の今頃の状況を日記で読み直すと、昨年の今頃は学校中や学校界隈、金閣寺から銀閣寺までと、歩き回っていた!今はとてもそんな気になれない。年を取ったのか、それとも、昨年よりも暑いのか。それとも仕事が多いのか。昨年は夏休みに別府温泉、由布院温泉、由布岳登山まで計画していた。今年はその代わりに夏休みのど真ん中に学会と座長・・・。昨年は論文一つとパワーポイント一つだったが、今年はその倍・・・。温泉登山は夏休みは無理のようだ。

7月28日「陸上大会」
 学校中、車だらけだ。小学生の陸上大会があると見える。野球部と吹奏楽部が練習している。今日はロボ研の担当日で土曜出勤。いつもの飲み物60本と菓子を差し入れる。ロボ研はお盆を除いて夏休みじゅう合宿だ。
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暑くて昼間に収穫できないので、朝のウオーキングの代わりに五時から収穫を始める。なすびを20本剪定した。残り10本はそのままにする。秋ナスとスムーズに収穫をつなげる。トマトはとうとう一番上の段が色づき始めた。此処まで行ったのは初めてである。6時に帰ってきて朝食前にトマトジュース。おかずはなすび、ピーマンの炒め物、十六の味噌あえ、ナスとキュウリの漬物・・・。弁当も夕食も似たようなもの。枝豆とトウモロコシはお酒のつまみ。お風呂から出てスイカ・・・。

7月27日「結果発表」
 論文を毎日一頁ノルマとして書くことにした。ともかく、まずは文章をできるだけ書いて、後で削っていくようにした方が確実だ。
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 超音波の画像で、「これが腎臓なんですが、前回はこの場所が見えてなかったのですが、今回ははっきり見えています。」ムム、やはり超音波で念入りに調べていたので、どこか問題があるのか・・・。
 「二つの腎臓の下の方がくっついているんです!」
「あー、馬蹄腎のことですか」
「知っておられたんですか」
尿管結石の顛末を話す。
他も大方毎年と同じ値で、いよいよ血液検査、特にγGTPにさしかかる。 「晩酌はされますか」
「毎晩、浴びるほど飲んでます」
「検査の前日もタイムリミットの9時まで飲んでました」・・・これは、横からちくった神さんの声・・・
しかし、昨年とほとんど数値は変わらないということは、特に問題がないと勝手に解釈した。
かくして、今年の人間ドックも無事終了。次は母親の退院につきあった。
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昼からも年休が取ってあったので畑に行くも、強烈な暑さで仕事ははかどらず。スイカを撤収し(今年は30個ぐらい大きいのを収穫した)枝豆、トウモロコシを収穫し、早速、夕食前に食べる。取り立ては本当においしい。ビールもおいしい。
 これでは太るので、毎年夏休み恒例の朝の散歩を始めることにした。

7月25日「夏休みの宿題」
 論文二つと講演会のパワーポイントが二つ。
 なかなかやる気が出てこない。やりだすと早いのだが、その気になれない。子供たちの夏休みの宿題と同じである。一週間にひとつづつ片付けるペースで行かないと間に合わない。とりあえず、パワーポイントは二つともプロトタイプは作ったので後はブラッシュアップするのみ。次は、論文だが、予定より早くパワーポイントができたので来週からにしよう・・・。
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 今日で弁当作製も終わり。明日は母親が退院する。人間ドックの結果発表(等と書いていられるか)もあるので、年休を取ることにする。人間ドックの結果が悪いと心配になるものだが、二年前に胃の噴門部に欠損が認められ、要精密検査(つまり胃カメラ)が必要であったのだが、何のかんのと理由をつけ自分で直してしまい?昨年の検査では消えてしまっていた。胸部X線画像に柵状陰影が!の経験もあるので、今回引っかかっても、無視を決め込もう・・・。神さんいわく「検査の意味がない」・・・

7月24日「ロボ研移動」
 毎年恒例のビデオルームへの移動ですが、手慣れたものでビニールシートがけから流れるように進んでいきます。
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 10時から15時まではコアタイムと専攻科生に言っておいたのだが、来ない・・・。11時頃携帯に電話してもでない・・・。昨日約束したばかりなのに!
 昼休みに部屋に来たので、実験をやるように言いかけたが
「専攻科の授業があります」
と言われてしまった。そうだった。専攻科は今日まで普通の授業があったんだ・・・。
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 ゆえあって、朝昼晩と自炊しています・・・。
等と書いているうちに17時近くになり、今日の夕食は何を作ろうかと考えていたら、ロボ研の主顧問から連絡があり、17時までのロボ研の活動を19時まで延長できないかとの打診があり残ることにした。家に帰ってから夕食を作るのは辛い時間帯なので、急遽、カップ麺を食べることにした。5分間待ってふたを取ったらなんだか変・・・。ぬるい・・・。一瞬捨てようかと思ったが、結局食べてしまった。大丈夫だろうか・・・。早く胃のアルコール消毒をしたいのだが、まだ帰ることはできない。

7月20日「夏休み」
 今日で平常授業が終わり、補習をのぞいて夏休みに入る。今年は夏休みも卒研をしてくれそうだ。専攻科生は後がないので、フル稼働させなくてはならないが、既に夏休みに入ってしまったのか、朝から来ない・・・。携帯にも出ない・・・。
 人間ドックでの出来事。
 血液検査の注射の際には、「痛くしないでね」と老人ギャグをいつもとばすのだが、最近は神さんと二人で受診するので控えている。幾つかの項目が終わり、バリウムの胃検査は必ず最後になる。時計は11時半を周り、前夜からの絶食のため空腹感は最高潮。一口飲んでといわれるので多めの一口。ゆっくり全部飲んでくださいと言われても、お腹がすいているので一気にゴックン・・・。アクロバティックな運動をさせられたのち、これで終了ですと言われた。若い女性のレントゲン技師だったことと、すべて終わった解放感があったこと、密室であったことから、ついやってしまった。
 「どうもごちそうさまでした」
相手もさる者、にっこりほほ笑んで
「お粗末さまでした」
・・・よく言われているんでしょうね。すぐに返答が返ってきた。
「またどうぞ、次は胃カメラでお待ちしています」なんて言われなかっただけで良しとしよう。
26日に結果を聴きに行くことになっているが、本当に「またお邪魔しました」と挨拶することになりはしないか・・・。
7月18日「竜王」
 全国高等学校将棋竜王戦岐阜県予選で学生が優勝して全国大会にいくそうです。これは以前将棋をやっていた(顧問だったんです)経験者としてはものすごい快挙と言っていいと思います。
 まさか高専に在職しているうちにこのような学生が現れるとは思ってもみませんでした。まだ、2年生なので期待できます。将棋部の顧問に戻ろうかなあ。
7月14日「学級懇談会」
 1,2年は午前中、3,4年は午後から学級懇談会。学校中車だらけです。  ロボコンの当番日で土曜出勤です。いつものように飲み物60本とおやつを差し入れておきました。
 ようやく、キュウリ攻撃が一段落したと思ったら、今度はなすび攻撃が始まりました。今年は例年より多く30本苗を植え、それがすべて好調な収穫で、食べきれません。親類縁者、一族郎党に分けてもまだ余ります。ほかっておくと苗が持たないので収穫するのですが、店で売っているものよりもかなり大きい・・・。どこかで売ってこようかとも思いましたが、公務員の副業は禁じられている・・・ので、それもできません。近くの人にお渡ししているのですが、その距離がどんどん拡大しています。
トウモロコシは150本、枝豆は180本、時期をずらして植えているのですが、このところ毎日食後に出てきます。お風呂から出るとスイカが待っているし、ちょっと作りすぎました。
なんとかこの夏に体重を3kgほど落とそうと思っているのですが、これだけ食べていては無理というものです。
7月10日「文化長屋」
 午後7時までのロボコン当番日で学校に残っている。これまでの部室以外に今年は文化長屋の美術部の北側の部屋を使用している。
 今は囲碁将棋部等の文化系の部室が並ぶ文化長屋になっているのだが、その前は学生食堂であったことを知っている人はこの学校に何人残っているのだろう。
 人間ドックでは超音波診断がかなり時間がかかり念入りに調べていた。肝臓あたりに異変が見られるのかもしれない・・・。前日も午後九時のタイムリミットまでかきこむように飲んでいたからなあ・・・。
7月26日に結果を聴きに行くので、それまでは飲めるだけ飲んでおこう・・・。
7月9日「月曜日の授業」
 本来ならば来週の月曜日は祝日なので、夏休み前最後の授業になるはずなのだが、年間行事予定では来週の火曜日は月曜日の時間割で実施することになっている。月曜日は振り替え休日で休みになることが多く、苦肉の策なのだが、非常勤講師は授業変更がうまくできない。振り替え休日には無関係に授業を実施している高専もあると聴く。
 7月になって悩みに悩み抜いていた最大の問題が解決した。スイカをとる欲望に耐えかねて、一番最初にできたスイカを取ってしまった。収穫する目安には受粉後60日や音で確認すること等であるが、自然受粉なのではっきりしないし、音も確定的ではない。収穫するスイカの弦の反対側の巻きひげが枯れていたら収穫時期だとネットに載っていたので確認したら、確かに茶色い。清水の舞台から飛び降りるつもりで収穫した。ハサミで弦をブチっと切る瞬間が何とも言えない。
 体重をはかってみると5.6kgの大物だ。さっそく神さんが包丁を入れる。熟れすぎていると包丁を入れた途端にバリっと割れるのだが、なかなか割れない。固くて包丁がなかなか中に進んでいかない。 なんとなく包丁の入ったあたりは白い・・・。
 はやまったか・・・。せっかくここまで育ててきたのに・・・。
 ようやく下の方まで包丁が進んでいくと、赤い部分がでてきた!とりあえず、食べることができそうだ。全部割ってみると、真ん中付近に空洞があり、明らかに棚落ちしている。そのまま収穫しなければ、縁の方は赤くなるだろうが、中心付近はボロボロの状態になってしまうだろう。大玉スイカの宿命のようなもので、毎年の状態とほとんど変わらない。収穫は正しかったと思う。味は極めて甘くおいしかった。無農薬有機栽培で収穫直後の味は格別である。
 そう思うと、他のスイカもとりたくなってしまう。土日にもう二つ収穫し、ひとつは6.8kgもう一つは7.4kgの超大物であった。前者は中身は前のものと同じようであった。後者は長女にもって行ってもらう予定だ。
7月5日「人間ドック」
 今日はロボコンの当番日で19時まで居残ってます。明日は人間ドックの日なので、21時以降は飲食ができないので、家に帰って一時間で食事とお酒を済まさなければならない。前日のお酒は避けるように、と指示があるが、避けるということは、飲んではいけない、ということではないので、毎年、無視して飲んでいます・・・。  今月は当番日が多く、平日の差し入れは止めておこうと思います。
 野球部の高専大会の決勝戦は接戦だったようで、1対0で勝ったとのことです。ピッチャーはかなり緊迫して投げていたことと思います。なかなか精神的にタフでないと勝ちきれないように思います。全国大会は山口だそうですが、さすがに応援にはいけません。高校野球が8日日曜日に予選があるので、応援に行こうと思っています。
7月4日「高専大会」
 土曜日の試合。退職された元野球部顧問の濱先生も来ておられました。しっかりと勝ちました。日曜日の試合を楽しみにしていたのですが、あいにくの雨で月曜日に延期。授業があるのでさすがに応援に行けないが、五年の学生にメールがあり、勝ったとのこと。あくる日朝には白木先生からも連絡があった。卒研生のT君が決勝戦に投げたとのこと。全国大会もがんばってほしいものだ。
 畑はトマトがとれ始め、なすび、ピーマン、ししとうが取れすぎて処理に困るようになる。毎日の食事に必ず出てくる・・・。一時期は毎日、きゅうり攻勢だったが、ようやく、ピークを過ぎたようだ。キュウリの種を蒔いて第二ラウンドを用意している。今の最大の関心事はスイカの収穫時期だ。今までに見たこともないような大きさのものがとりあえず3っつある。いつもなら夏休みに入ってからが収穫なのだが、今年は明らかにかなり早い時期に大きくなっていた。とりたい気がうずうずするのだが、とってしまって青かったらショックは大きい。毎年、初めてのスイカに包丁を入れるときの、あのかたずをのむ瞬間は忘れられない。うーん、とるか、とらざるべきか、ソクラテスの悩みは深い・・・。
 今年の夏は、頼まれた論文を二つ書く必要があり、自分の論文も書きたいのだがその時間がとれるだろうか。学会発表もあるし、座長も頼まれている。9月初めには東北に行って科研費の講演もする必要があるので、そのプレゼン資料も作らなくてはならない。夏休みに入る前にある程度し上げておかないとさばけない。
6月29日「半年」
 毎朝、出勤簿に印を押すのだが、来週から裏面になる。もう、今年もいつの間にか半年がたってしまった。
 明日からは高専大会、今年は岐阜で野球があるし、卒研生がエースピッチャーなので応援に行ってきます。
 畑はトマトが赤くなり始め、枝豆やトウモロコシがそろそろです。ビールのつまみに事欠かないですが、リバウンドが・・・。
6月23日「ロボ研」
 当番日で土曜出勤しています。午前中は外には陸上部、ラグビー部等、いたのですが、昼からは野球部だけのようです。
 いつものように60本差し入れ、たまにはおやつと思いポッキーを箱買いしたのですが、人数が多いので一人どれだけ配分されるのでしょうか。
 このところ、母親の入院騒動と農耕作業が重なり、なかなか山に登ることができません。今の時期は梅雨の合間の山登りになり、ヒルも出始めるので、難しい時期です。
キュウリやなすびが最盛期を迎え、食卓には、ジャガイモ、玉ねぎ等と一緒に賑わってきました。
6月19日「台風」
 まともに来そうです。夜半の接近になり授業には直接の影響はない模様。もうひとつ五号も来そうですがこれは小さいのですが、これから発達するのでしょうか。
 2月の猛烈な爆弾低気圧のため、畑のトンネルがズタズタになった苦い記憶があるので、いつもより30分早く起き、不織布のトンネルをはずし、トマトのビニール屋根を取りはずしました。何もないことを祈るのみです。
等と書いているうちに14時40分に暴風警報が出て、休講になりました。
6月18日「科研費獲得大作戦パート3」
パート1は2001年に小崎元校長先生に「すべて話せ」と言われて岐阜高専で講演した。パート2は徳山高専から依頼されて2008年に講演した。今朝、ある高専の校長先生から電話があり、科研費の講演をしてくれと頼まれた。ちょうどパート3の作戦の成果が上がったところなので受託した。さて、パート2のパワーポイント資料は・・・、と思って気がついた。先週、もう話が来ることもないだろうと思い、すべて削除してしまったばかりだった!あわててごみ箱を探したらフォルダごとあった。心臓が止まりそうになった・・・。
 今日はロボコンの担当日。いつものように60本さしいれたが、反応はもう一つ。ちょっと同じものでは飽きてきたのか。
6月14日「中学校訪問」
 明日は中学校訪問に出かけてきます。県立高校の入試が改正され、特色化選抜が無くなったので、今年は志願者が増えるのではないかと期待しています。
 最近は農耕作業にはまっていて、二人ではとても食べ切れないほどの、玉ねぎ、ジャガイモを収穫しました。昔から作ってはいたのですが、技術も上がって?販売されている玉ねぎやジャガイモよりも大きいものができています。イチゴはそろそろ終わりに近づき、今は、キュウリ、ピーマン、しし唐、なすびがとれ始め、トマト、枝豆、トウモロコシ、十六、すいかがこれからとれることでしょう。
 教育と同じで、手に掛けただけの効果は表れるものだと思っています。土づくりから始め、苗はゆっくり養生し、あわてないで、ゆっくり大きく育てる。小さいものは小さいなりにおいしい。
  6月12日「ロボ研3」
 中間試験も終わり、ロボ研も活動を開始。今日は当番日。いつものように60本。サッカーのアジア最終予選の大一番があるが、19時キックオフで19時まで分担があるので前半はおそらく見ることができないだろう。案外、学生は早めに帰ってしまっていたりして・・・。
 母親がグループホームに入っており、安定した生活をしていたのですが、急に容態がおかしくなり二週間ほど前に入院してしまいました。低ナトリウム血漿だそうです。結構危ない状態で、寝たきり状態に陥っています。要するに塩分が足りないということですが、塩分は控えめにということで食事が作られているのが、矛盾していたのでしょうか・・・。
 昔、糖尿病の患者が治療のために食事制限をされていたが、治療の甲斐なく死に至ったという。その死因が栄養失調だったという、笑えない話を思い出してしまう・・・。
6月1日「中間試験」
 今日から中間試験。1年生にとっては初めての試験で緊張することだろう。四年の電子工学がいつもと範囲が違う違和感があったが、やっとわかった。毎年、試験前に7回の授業があるのだが、今年は月曜日だけ6回の行事予定で組まれていた・・・。
 4年生は35名の採点でいいのだが、3年生は45名もおり、採点もなかなか大変な予感がする。
 昨日は東海工学教育協会の理事会と総会。総会の後の講演会ではなかなか面白い話が聞けた。高専部会もあり、やっと二年任期が終わり、来年からは鳥羽になった。少しずつ肩が軽くなっていく。そのうちにトントンされたりして・・・。
5月17日「ロボ研2」
 ロボ研の当番日。いつものように60本。校内審査は来週火曜日。
 今週は授業参観週間です。保護者の方々も来られています。卒業生のN君が来室してくれました。相変わらず、企業現場の生の声を聴くことができ、刺激的で楽しい時間を過ごすことができました。
13日日曜日に所用があり、白鳥の街を2時間ほど散策しました。そのあと、ひるがの高原スキー場に行きスキー場の一番上まで登りました。天気も良く絶景でした。三方崩山、白山剣が峰、別山が真っ白でくっきりと見え、その左手には三の峰、二の峰、一の峰もはっきりと見えました。久しぶりに登りましたが、まだ親指の爪が固まっていないようで、くだりには疼いてきました。夏山シーズンまでにはなんとか直しておきたいものです。
5月11日「面接練習」
 10日木曜日は多くの企業で面接試験が行われた。多くの学生が事前に面接の相手をしてくれと、私の部屋に訪れてきた。ノックの仕方、挨拶の仕方、お辞儀の仕方、面接のシミュレーションと想定問題の答え方等を練り上げ、退室の仕方まで一通り教える。担任の頃よりも訪れる学生が多い。結果が楽しみだ。
 一か月前の話ですが、兄夫婦が園遊会に招かれました。その時、天皇陛下からお土産を頂いたので、おすそ分けするから取りに来いと言われ、もらってきました。「どら焼き」・・・でした。ずっしりと重く、ありがたい菊の御紋が2ヶ所刻印されていました。食べるのもはばかられるとは思いましたが、頂きました。とてもおいしく、ひとつ食べただけで、おなかが一杯になりました。
5月8日「ロボ研」
 ロボ研の当番日で学校に残っています。缶コーヒーを60本差し入れておきました。
たまっていた仕事を処理しています。電気回路のパワーポイントの蓄積がなくなり、新たに作っています。ベクトル軌跡と電力です。
GWの後半は土岐の美濃焼まつりに今年も行ってきました。ウィスキーのロックグラスが眼にとまり、思わず買ってしまいました。切子硝子の製品なのですが、非常に味わい深い色を出しており、ウィスキーを飲む量がますます増えて困ってしまいます・・・。
 昨年は、ばったりと退職されたT夫妻と会うことができましたが、今年は誰も会わなかったように思います。
5月1日「連休谷間」
 一時間目が電気回路で、学生も眠たそうです。教室を徘徊しながら授業をやりました。
 昨日はバージンロードを歩いてきました。人生で初めてで、最後?の体験でした。リハーサルでは、終わった瞬間に手順をすべて忘れてしまって心配しましたが、あいかわらず本番に強い自分がありました。落ち着いて楽しんで歩きました。そのあとは出番もないのでたっぷりと酔わせていただきました。
4月27日「就職戦線」
 真っ盛りの状況です。五年生も専攻科生もこの一カ月が勝負。その次は編入学試験。高専生活の集大成です。
 年金関係の書類を書いていたら、職員係のKさんから「眼鏡をかけなくても書けるんですね」と言われた。電気のT先生も字を書くときは最近眼鏡をかけている。私は左目が遠視で右目が近視で、遠近両用眼なんです、と答えておいた。
 4月30日は結婚記念日です。あれから35年!今年は同じ日にうれしいことがあります。
4月20日「GW」
 科研費交付申請書、専攻科特別研究中間発表・・・、いろんなことが凝縮し、授業も人わたり終わり、気がつけば来週末からGW。とりあえずやらねばならない仕事がまだいくつか残っている。GWに家でやることになるのでしょうか。去年の八月に出しておかなければならない書類がまだ未提出でした。提出期限を忘れることはこれまであまりなかったのですが、全く記憶から抜け落ちていました。情けない人間になってしまいました・・・。
4月13日「科研費」
 着任37年目で、37回の代表としての採択。全国高専ひろしといえども、この記録を達成している教員はいないように思う。大学でも、分担を入れれば数は増えるだろうが、代表でこれだけ取っている教員が果たしてどれだけいるだろうか。
 誇れるものは少ないが、これぐらいは誇りに思っていいような気がする。
4月11日「花粉症」
 先週初めごろから、咳が続くようになり、鼻もぐずぐずし出して、花粉のにおいがよくわかるようになった。これまで花粉症だとは思わなかったが、この症状がひょっとしたら花粉症なのかと思っていた。歓迎会の参加は止めようかと思ったが、折角だからと参加した。二次会は止めてさっさと帰ろうと、固く心に決めていたのだが、お酒が入ればすべて忘れてしまった・・・。カラオケで歌いまくった・・・。あくる日の入学式では悲惨な状態になり、咳を我慢するのに四苦八苦。呼名している最中や、国歌を歌っているときに咳はできない。なんとか我慢していたが、午後になると体がだるくなってきた。早目に家に帰ることにして、家で体温を測ったら38度5分・・・。花粉症ではなく、風邪だった。土日は家で寝たきり状態。ようやく体調を戻して今週の授業に臨んでいる。
4月5日「園遊会」
 これまで何度も書いていますが、私の兄は結構著名な洋画家で日展の審査員を何回もつとめています。
 今日の岐阜新聞の社会面に載っていましたが、岐阜県からは7名が春の園遊会に招待されており、県知事や岐阜市長にまじって、兄の名前がありました。一体どこまで登って行くのでしょうか。楽しみにしています。
 今日は教員会議、歓迎会、明日は入学式、9日月曜日は始業の行事、授業は火曜日から始まる。早速、一限から電気回路の授業。
4月4日「爆弾低気圧」
 すさまじい天気であった。部屋にいても窓ガラスが壊れてしまうのではないかと思うような風雨であった。帰る頃には大分おさまっていたが、それでも突然竜巻のような風が起こり、なんとなく車が揺れているような気がした・・・。
 趣味の畑作をやっていて、ジャガイモやイチゴにトンネルがけをしているのだが、案の定、無残にもすべて吹き飛んでいた。冷え込むとの予想であったので、あわてて現状復帰させたのだが、重しに使っていたパネルが一枚ない!重さは5kgはあると思う。必死になって探したら、1mのコンクリートの壁を越えて、20mぐらい先の排水路に落ちていた・・・。どこかの家や車に当たっていなくて幸いであった。
 寒い中を現状復帰作業をしていたが、朝、寒気がした。最近、咳が止まらず、のどが痛いが、花粉症になったのか、風邪の症状かよくわからない。
4月2日「新学期」
 色々な辞令が発令されたことだろう。電気情報工学科にも白木君が着任した。私の部屋の専攻科生で名古屋大学大学院に進学し博士号を取得して戻ってきた。野球部で高野連のチームの監督になるそうだ。
  3月30日「平成23年度終了」
 事務のY田さんも北海道へ転任だそうだ。教務で一緒し、また、点検評価でも助けてもらった。北海道とは遠いところになったものだが、彼ならきっと丁寧な仕事をしてくれるだろう。
 昔、何かしらよくお話をしたN田さんは今頃どうしているのだろう。歳をとると、忘れるのも速いが、妙に記憶に残っていることもある。楽しかったあの頃・・・。
3月29日「デジカメ」
 総務課長さんが富山高専に転任される。前総務課長のA氏とは、数え切れないほど飲み歩いた記憶があるが、現総務課長さんとは、残念ながらそのような機会はなかった。非常に実直に仕事をされていたと思う。新しい職場でもきっと活躍されることでしょう。お元気で。
 一番最初に買ったデジカメはC社製であった。2台目はF社製であった。ズームでレンズが跳び出ないタイプで薄いのが気に行って買い換えた記憶がある。山の写真はすべてこのカメラにお世話になった。そのカメラが、昨年、荒島岳に登った時に、すぐに電池切れ症状を起こした。必死になって登ったのに、数枚しか写真が撮れなかった。その後、充電してもすぐになくなるので、バッテリーが悪いのだろうと思っていた。そろそろ、3台目と思い、話題の一眼カメラをひそかに物色していた。しかし、最近のコンデジはずいぶんとよくなり、一眼カメラは軽いものの結構かさばるので、やっぱりコンデジを買うことにした。 これまではもともとカメラメーカのものであったが、電気店で色々と試してみると、S社製が 非常によいと思った。光学10倍までいき、なんといっても動作が非常に速い。焦点があっという間に合う。早速購入して、説明書を読んでみると、なんと、パノラマ写真が撮れる!2台目の時に、いろいろ探したのだが、その当時は手ごろなものがなかった。これで、山の頂上で、360度大パノラマの写真が撮れる。早速、三十三間堂の外で試してみたが、近すぎて、真中が異様に大きくなってしまった。しかし、なかなかいいカメラだと思う。
3月28日「春休み企画」
 学校全体が静まり返っている。工事関係者の人数の方が多いのではないか・・・。
 27日の天気予報がいいので、休みを取って、京都に行ってきた。  朝、7時に家を出て、東海道線を乗り継ぎ、京都駅から、東寺、東福寺、三十三間堂、清水寺と、歩いた・・・。右のポッケにはGPS、左のポッケにはウィスキーの小瓶・・・。清水寺の舞台から京都タワーがはるかに見える。さあ、あそこまで歩いて帰らなきゃあ・・・。京都タワーが見えるようになっても、なかなか近づかない。ついでに、東本願寺にも寄って、京都駅に到着。岐阜駅に着いたのは午後4時半。ハードな春休み企画であった。少し早いが、岐阜駅で夕食。生ビールを飲んで、書いてもらった御朱印状を眺めながら、満足感に浸る。お風呂を出てから体重を測ったら、前日より500g増・・・。
3月26日「年度末」
 総務課は一番忙しい頃。学校も改修が進み、四月にはかなりの驚きがあるのではないかと思う。
 先日、思わぬ方から「お体は大丈夫ですか」と聞かれてしまった・・・。汗顔の極みである・・・。
 たまたま自分のホームページの古いリンクを整理していたら、趣味のページなるものを見つけてしまった。授業中の雑談集のようなものです。学校のサーバが変わった時に、古いものはなくなったと思っていましたが、まだ、リンクして残っていたようです。そろそろ身辺整理で削除しなくてはと思うのですが、今から十五年ぐらい前の(私が45歳の頃)の話で、思わず懐かしくなって読みふけってしまいました。もうあの頃のようなネタはなくなってしまったのでしょうか・・・。
3月23日「年度末最終週」
 いよいよ、来週で今年度も終わり。事務の方も色々な移動があるのだろう。
 私もあと3年で終わりになる。普通に行けば・・・。
 さて、どのように過ごせばいいのだろう。まずは健康第一だと思う。40代から50代は仕事がメインで、毎日、JABEEや認証評価、学校の色々なシステムを考えていた。慣性は動きだすのに力がいるが、動き出せばほとんど力はいらない。しかし、これを止めようと思うと大変な力がいる。方向を変えるだけでも大変だ。
「糸子さん」の話も来週で終わりか・・・。
3月21日「残務整理」
 卒業生・修了生アンケートを機構のアンケートと同時に実施(郵送料の節約)するため、遅らせていたが、ようやく実施のめどが立った。
 ようやく昼寝もできる環境になってきた・・・。今のうちに3年の回路のパワーポイント資料を作っておく必要がある。確か、一昨年の3年の授業は前期中間試験までは黒板で授業をしていたので、そこまでは作らなくてはならない。
3月19日「謝恩会」
 ホテルの10階の見晴らしのいい会場であった。飲んで食べて、多いに話した。挨拶はいつもの通り。この学年は例の話ができなかったので、パワーポイントをアップさせると酔った勢いで話したが、冷静になってみると、ちょっとできない・・・。
 お土産にお酒をもらったが、これが素晴らしい味!久しぶりにおいしく頂いているが、何日持つことやら・・・。
3月16日「卒業式」
 昔は3月19日と決まっていたが、今年は16日に実施となった。独立行政法人になってから、入学式も高専独自で決めている。豊田高専は4月3日が入学式だそうだ。
 昨年秋に日本百名山の荒島岳に登ったが、家に帰って足の親指を見たら、両方とも爪が真黒になっていた。内出血である。もう何回目かわからないが、いずれ、爪が剥がれることを覚悟した。つい先日、両方とも剥がれた。半年間であったが、その下にはみすぼらしいかわいい爪が生えている。この歳になっても、爪だけははえかわるのだと妙に感心した。しかしながら、昔と違って、少し歩くとなんとなく痛みが残る。そろそろ山の雪も解け始める楽しみな季節がやってくる。
3月14日「年度末」
 アンケート関係の仕事も何とか目途が立ちつつある。さすがに一日中パソコンと格闘していると眼がおかしくなってくる。
 羽渕先生の送別会では思わぬ偶然(発見?)があったが、その話は後日・・・。
 11日日曜日に月見の森に行き、徘徊。月見の塔を目指していたのだが、途中で最高標高点展望台の矢印看板があり、これは行かねばと思い、進路変更。本格的な登山になってしまったが、なかなかの展望であった。帰路の途中で分かれ道があり、道が続いていたのでそちらからまわれば月見の塔に出るだろうと思い侵入してしまった。踏み絵が少なくなり、尾根に出てはみたもののなんとなく違う予感・・・。前方に二人組がいるのでどこかに行く道があると思いついて行ったが、いよいよこれはおかしい。どうも先方は養老山脈の縦走を試みているのではないかと思い、急遽、元の道へ戻ることにした。月見の塔へでて見ると、どうやらとんでもない方に行っていたようだ。家でGPSで確認してみても確かに道はあるのだがやはり別のところへ出てしまうルートであった。あぶない、あぶない。
パソコンでGPS軌跡を確認していたら、またしても、あの記憶に新しい痛みが背中に走り、そして前方のお腹の方が痛み始めた・・・。
3月9日「春休み」
 学生たちは一か月の春休みに入る。学校全体が静かではあるが、専攻科一年生は出てきている。
 年度末は点検関係の仕事でかえって忙しい毎日を送っている。
 毎年、今日は事務を含めた送別会なのだが、今年は開かれない。電気の送別会(H先生が一年間豊田高専)は来週初め、来年度は帰ってこられたら、歓迎会を開くことになるのかな・・・。
3月2日「CTスキャン2」
 すべて終了し、学生たちは1か月の休みに入る。私のほうは点検関係で結構仕事が残っている。
 「馬蹄形腎臓だと問題があるんですか?」
 「いや、今さら手術ということもないです」
 「そうですよね。今まで普通に生きてきたのですから、今、手術と言われても・・・、ところで、痛みの方は・・・?」
 「膀胱の此処に白いのが見えますよね。石だと思います。」
 「やっぱり石でしたか・・・。今まで味わったことのない痛さでした。吐くほどの痛みは初めてです。ところで、この石が外に出るときは、また、痛むのですか?」
 「いや、気づかないうちに出てしまうと思います。ところで、ずいぶんと尿がたまっていますね。」
 「尿検査があると思って、我慢していました。」
 「それじゃ、折角だから検査しておきましょう。」
 痛み止めをもらって帰ったが、それ以来全く痛くない。まだ、しばらく生きていることができそうです。
3月1日「CTスキャン」
 フォローアップ点検週間も明日で終わり。学生たちは長い春休みに入る。
 症状を話したところ、CTスキャンを取りましょうということになった。この歳になって始めて体験する。あっという間に終わり、すぐに画像を医者が見せてくれる。なにやら以前昔に書いた、レントゲンの柵状陰影の件を思い出す。
 「稲葉さん、腎臓の奇形についてはこれまで何か言われたことがありますか?」
 「腎臓の奇形?変なんですか?」
 「馬蹄形腎臓と言って、この様に下の方がくっついているんですよ。」
 「ヘッ?・・・」
2月29日「救急外来」
 朝、8時50分から5時30までの卒研発表会。久しぶりに長時間であった。私の部屋の卒研生もなんとかクリアした。
 帰って食事をした後、猛烈な腹痛。
 実は、先週の土曜日の午後四時ごろに左わき腹下に猛烈な腹痛があった。ここ三十年くらい経験したことのない痛みであった。10分ほどさすっていたら痛みは去って行った。日曜日はなんてことはなかったが月曜日の午後八時頃に同じところに再び猛烈な腹痛があった。今度はなかなかおさまらないので、これは救急車を呼ばなくてはならないかと思ったが、20分ほどで収まった。卒研発表を終えて、家でパソコンに向かって仕事をしていると、背中に猛烈な痛みが走り、それが左わき腹に移った。昨日よりも少し下の部分が痛い。これまでよりもかなり痛く、なかなか治らない。そのうちに猛烈な吐き気がして、トイレに走った。さすがにこれは駄目でと思い、救急外来のある病院を探し、神さんに連れて行ってもらった。症状を話し、とりあえず、痛み止めをお尻に打たれ(ひさしぶり)薬をもらって、明日、精密検査を受けるように言われた。水曜日は朝から工学基礎研究の発表会と午後からは四年生の答案返却があり、この状態ではとても学校に行けないので、水曜日の朝の様子を見て、学校に連絡しようと考えた。痛み止めの注射が効き、朝まで爆睡した。朝には痛みがうそのように消えていた。月曜日も火曜日も全く正常の状態から突如痛くなるので油断はできないが、とりあえず、今日のノルマは果たせそう。午後からの答案返却をしてから、休みを取って病院に精密検査に行ってきます・・・。
2月24日「2月も終わり」
 昔は毎日の予定を決めていたが、いつのころからか、一週間単位にかわり、最近では月ごとの予定になった。一年単位になるのもそのうちかもしれない。
 卒論を提出し終わり、予稿原稿も何とかクリアした。納得がいかない学生がおり、実験を続けているがやっと結果が出た。もっと早くやっていれば、とは思ったが、実験の神様が最後にほほ笑んだというところでしょうか。
2月21日「「2050年宇宙の旅」はエレベーターで」
 ようやく論文を書き終え、高専部会のシンポジウムの概要集も見込みが立ち、日工教の発表申し込みもすませ、シラバスもアップし、就職先アンケートも手元を離れ、授業アンケートに関する自己点検も手元をはなれ、あとは・・・気の重いことが残っているだけだ・・・。
 子供たちが進学するときに、就職先について「月までは許す」と言っていたが、ひょっとしたら本当にそんな時代が来るのかもしれない。
2月17日「仕事の持ち帰り」
 四年以下は期末試験。五年生は卒論締め切り前。専攻科生は期末試験と特別研究発表会直前。私は頼まれた論文の締め切りが2月末で、他の仕事の合間にこなしている。周りが全員眼の色が変わっている。手帳に予定は書いているが、それ以外に飛び込みの要件もあり、とうとう平日の夜に家で論文を書かないと間に合わなくなった。昔はUSBで持ち歩いていたが、今は、メールで家に送り、添付ファイルを家で書きたして学校へ送っておき、あくる日学校で書きなおすという手順にしている。
 家ではもちろんアルコールが入った状態で書くことになるが、これが非常に調子よく、思いつくままにたくさんの文章を書きつづっていき、学校ではこれを冷静に削除・修正するパターンになっている。
 またさらに、論文を二つ書くように依頼されているので、このパターンが以外にいいのかもしれない。そうなる前に計画的に書いておけばいいのですが・・・。学生の試験勉強と同じで切羽詰まらないと動かない頭と体になってしまいました。
2月8日「おひさま」
 NHKの朝ドラでしたが、カーネーションの印象が強すぎて、つい忘れてしまいます。たまたま、事務の方の結婚式の乾杯の音頭を頼まれ、「良き人生を!」と発声していただきました。
 二人で始まる人生も一人増え、二人増え、また最後には二人に戻る。最初も最後も夫婦が単位。仲良く、健康で暮らしていってほしいものです。
 五年生は期末試験、そして、卒論提出、発表会とあわただしい毎日です。私の方も頼まれた論文の締め切りが二月末、他にも色々宿題があって、気の抜けない毎日が続いています。
 週末は東京の「吉祥」で昼食です・・・。どんな料理なのか・・・。
2月2日「雪景色」
 昨夜からの豪雪、間違いなく早朝は積もると思い、一時間目があるので、五時起きで学校に六時半に着く。真っ白でまっさらな銀世界。ザクザクと雪を踏みしめていくが、トレースはないので靴の中に雪が入り込んでくる。授業まで2時間半もある。たまっている仕事をするにはいい時間なのだが、午後からは眠気が襲ってくる。帰りは居眠り運転にならないように・・・。
1月27日「単位は一週間」
 昔は一日の時間が長かったが、60歳を過ぎると、一週間があっという間に終わる。すべての仕事が一週間単位でこなしている。若い頃は卒業研究も毎日チェックして、次の日の予定を指示していたが、最近では金曜日の午後3時に現状を聞いて、来週の予定を示している。
 今年は、最後に来て面白いデータが出てきて、ものになりそうな研究になってきそうな予感がある。昔に戻って、一気に集中してやらせたい。ちょうど卒研も終わりの段階でモチベーションも上がっていることだし。科研費の成果も思わぬ方向で成果が上がりそうだ。
1月20日「父から息子へ」
廃線になった名鉄揖斐線の陸橋から高専へ向かって通勤する車から、池田山、伊吹山、小津権現などが朝日に照らされて鮮やかな景色である。この時期、五年生は卒研の最後の追い込みと、最後の期末試験等の準備であわただしくなる。そして、いよいよ、五年間の生活ともお別れになる。

元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

城跡から見下せば蒼く細い河
橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突
この町を綿菓子に染め抜いた雪が
消えればお前がここを出てから
初めての春

手紙が無理なら 電話でもいい
金頼むの一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ

さだまさしさんの「案山子」です。
子供四人で賑わしく送っていた六人の生活から、長男が東京に行き、はじめて、これまでにない経験をすることになりました。
今どきであれば、「電話が無理ならメールでもいい」となるのでしょう。今から思い出しても、そのころの心情がよくわかります。
次男も東京に行き、長女も東京に行き、そして、三男も東京に行ってしまってから五年がたとうとしている・・・。
元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

昔同じことを書いた記憶があるのですが・・・。

1月19日「物忘れ」
 専攻科の講義をしていると、少し前に同じ話をしたような記憶がある。パワーポイント資料があるので確認すると、それは一年前のことだった・・・。
 朝食後にサプリメントを毎日飲んでいるのだが、今朝は飲んでから十分もたっていないのに、飲んだ記憶がなくなっている。昨日、NHKの「ためしてがってん」で物忘れがテーマだったので、録画しておいた。家に帰ったら早速、再生してみよう・・・と思うのだが、帰るとそのことも忘れてしまっているかもしれない・・・。朝ドラだけは帰ってから録画をしっかり見る習慣がついている。朝イチの冒頭の一瞬の画面まで録画されている。アナウンサーたちも朝ドラを見ているようで、終わった瞬間の有働さんの悲喜こもごもの表情が面白い。
1月13日「卒業生2」
 昨年末に、東海工学教育協会の講演会を所先生と二人で聴講しに出かけた。その講演会で紹介された教育プログラム(松下村塾あるいは松下政経塾の技術者版?)のビデオの中に、見覚えのある顔があった。下で紹介したG藤君と一緒で私の部屋の卒研生であったN澤君だった。ビデオの中では世界的に超有名な企業の社長と懇談している数名の学生がいた。企業のトップや超一流の研究者との少人数による懇談という得難い経験を通してのみ得られるものがあるのだろう。
 博士課程まで進学する高専生が増えてきており、学会でも若手研究者として世界的に通用する卒業生が出てきている。現在の状況や学生時代のことを、現役の学生の前で講演する機会を増やしたいものだ。
1月11日「卒業生」
 昨年11月に、6年ほど前に卒業した卒研生のG藤君からメールがあり、近況報告がしたいので訪問したい旨連絡があった。噂では聞いていたが驚いた。大学に編入学後、四年を飛び級、ドクターを短縮で取得、学振の援助で2年間MITに行くとのこと。上昇志向の強い学生であったが、大学でその才能を開花させたのだろう。編入学した大学及びその指導教員との組み合わせが、彼に最適であったのではないかと思う。それも、本人の才能のひとつだと思う。さらなる飛躍を期待したい。在学生には、彼のことを授業中に紹介している。
 昨年の11月の出来事を今書くことになった経緯はあらためて書きたい。
1月6日「特許審決データベース」
 あけましておめでとうございます。本年も精いっぱい頑張ってみたいと思います。
 調べ物があって、たまたま特許審決データベースのホームページにたどり着いた。拒絶決定された案件に対して、不服を申し立て、それを再審査する過程が記載されている。非常に興味深い。完全公開されているが、最初の審査官から最終審査官まで実名が明らかにされている。
 論文の場合は査読者が明らかにされることがないのと大きく異なっている。論文の場合、査読者自身が別の論文を投稿するので、明らかにされない。特許の場合は審査官が特許申請することはないので、公開されても何ら問題がない。しかしながら、当たり前のことであるが、その審議過程がガラス張りのようによくわかる、興味深いものであった。いまさら、感心しているようでは遅いのだろう。
12月26日「良いお年を」
 科研費を継続していただきました。36年在職で36回代表で採択となりました。少しずつですが研究成果も上がりつつあります。専攻科生と卒研生次第ですが・・・。
 授業はすべてパワーポイントになりました。電気回路は板書との併用でなかなか工夫が要りますが、回路図を書く手間が省けるのはやはり大きいです。また、教室内を動き回りながら授業ができる点が大きいですね。
 点検評価関係で年度末にかけて大変な作業があり、振り回されていました。
 高専間の仕事としては、東海地区五高専の校長の基調講演を実施したのが大きな仕事でした。
 個人的には、還暦をとうとう迎えてしまい、老後のこと等色々考えてしまいます。
 九州から北海道まで、今年も色々なところへ行きましたが、日本百名山は荒島岳しか登ることができなかったのが心残りです。
 大変な年でしたが、良いお年をお迎えください。
12月16日「師走」
 ロボコン全国大会、東海地区五高専の校長を招いての高専部会シンポジウムの準備と司会、ラグビー部の全国大会出場、中間試験、書くことはたくさんあったのだが、忙しすぎて昼寝はできない状態であった。年度末にかけて、自己点検関係の仕事も待ったなしの状態である。私的なことも重なって、大忙しの毎日。今年は部屋の大掃除は無理か・・・。明日はラグビー部の岐阜県協会主催の壮行会。昔を思い出す。
11月16日「パワーポイント授業」
 前から気になっていたが、四年生の教室のパソコンの起動に非常に時間がかかる。今日は久しぶりの四年の授業だから心配だったが、すでに電源が入っており、誰かが入れておいてくれたのかと喜んだ。しかし、マウスを動かしてもまったく動かない。完全にフリーズしている。強制終了しようとしても全く落ちない。らちが明かないので、普通の授業をすることにした。久しぶりにホワイトボードに板書したが、漢字を忘れてしまい書くのに四苦八苦、しかし、ゆっくり進むので学生にはわかりやすいかもしれないが、図を描くのはやはり時間がかかる。久しぶりに肉体的に疲れる授業だった。
 来週からはノートパソコンを持ち込まないと駄目なのだろうか。
11月13日「名古屋で遭難?」
 ロボコンの当番日。朝は車がほとんどなく、クラブ活動もなさそうなので、静かな一日と思っていた。午後からロボ研への差し入れを買おうと思って外へ出たらびっくり。車で埋め尽くされていた。午後から地区懇談会があったのだ。コーヒーとカップ麺を買って帰ってきたが大渋滞。どうやら、モレラでイベントがあるようだ。差し入れに喜ぶ学生の顔を見るのはうれしいものだ。あと一週間しかないが、がんばって欲しいものだ。

 土曜日に名古屋に行くことになった。登山用のGPSを持って行こうかな、と一瞬思ったが、そうすべきであった。
 車を高針の駐車場に入れ、時間があったので、いつものように方角を決め歩くことにした。今日は南の方にしてみよう。
 岐阜ではだいたいわかるし、方向もそれほどずれはない。しかしながら、名古屋で南の方に歩きだすと、三差路につきあたり、どうしても東西どちらかに方向を少し変え、また、南を目指す。帰れなくなるといけないので、所々で、目印を覚えておくのだが、物忘れがはげしいのでなんとなく心配である。途中で牧ノ池緑地というところに到着した。大きな池があり、遊歩道もある。これはいいところへ来たと思い、一周して帰ることにした。カルガモの大群が岸から出発して行くところなど、名古屋とは思えない大自然がある。多くの人たちが散歩していた。一周、四十分ぐらいかかったが、名古屋にもまだ知らないところが一杯あると思いなおした。
 さて、車を置いてある高針まで帰ろう!あれ!、すっかり道を忘れてしまった。とりあえず、北の方に向かえばいいのだろうと思い歩き出したが、どうも、行きの道とは違う。GPSがあればトラックバック機能をつかって、山でホワイトアウトしても来た道をかえることができるのだが、もってこなかったことを後悔した。ここで遭難しても死ぬことはないが、人に道を聞くのも甚だ恥ずかしい。いい歳をした老人が、私は何処から来たのでしょう、なんて聞こうものなら、下手したら交番に連れて行かれてしまう・・・。かくして、ともかく北の方向に向かい歩く。たまたま、以前車で通った記憶があるとこにでて、何とかことなきを得たが、汗でびっしょり。これからは知らないところを歩くときは常時GPSを持って歩こう。

11月11日「研修旅行」
 毎年見送りに行くのが、趣味になってしまった。7時45分に出発だが、学校には7時前に着いてしまった・・・。学生は当然まだ来ていないと思ったが、それからほどなくしてラグビー部のM君が来た。先日のラグビーの話で盛り上がる。順調に学生たちがバスに乗り込み、45分になったら、いつもの○○君が走ってきた。授業と同じ・・・。
 バスが出発する時、いつものように見送りの手を振る。いつもなら必ず手を振り返してくれるのだが、反応がない・・・。手ぐらい振れよ、とぼやいたのがきこえたわけでもないのだが、バスの窓があき、「稲葉先生、行ってきます!」の大きな声!。「お土産はカステラだぞ!」と言いかけて止めた。天気が心配だが元気で帰ってきてほしい。先ほど、無事解散のメールが流れた。
11月7日「ラグビー」
 雨の中、3トライ1PG、で相手を2PGにおさえ18対6で勝利しました。点差ほどのワンサイドのイメージはなく、フォワードの一歩早い集散と、決定力のあるバックスが印象的でした。結構、自陣深く攻め込まれても、バックスでパスをつないでいくところはびっくりしました。かなり鍛え上げられているようで、東海北陸大会が楽しみです。鈴鹿高専であるそうです・・・。
11月4日「ロボコン2」
 当番日で21時まで学校にいる。カップ麺を差し入れる。全国では一番最後の週の地区大会だったので、あまり日にちが残っていないが、最善を尽くしてもらいたいものだ。
 携帯のテレビとAMラジオで野球を視聴していて気がついたが、テレビの方が少し遅れて放送している。生中継には変わらないがなんとなく違和感がある。
11月1日「ロボコン」
 岐阜アリーナで行われた。一時は決勝でABチームの対戦かと思えたが、石川高専の手堅いロボットに敗れ、惜敗の準優勝とベスト4でした。今回は計測・計量の責任者でしたので、テストランはほとんど見ることができなかったが、大会当日は楽しませてもらった。岐阜Aが全国大会に出場することになったが、さらに精度をあげて優勝してもらいたいものだ。
 金土日と裏方に徹していたが、未だに腰の痛みと眠気が抜けない。気だけは若いつもりだが、やはり歳相応にしなくてはいけないと自覚した三日間であった。その前に荒島岳登山という過酷な山行があったのですが・・・。
10月19日「高専祭専門展」
 学生いわく、電気情報が進んでいるように見えるのは、会場で準備している人数が少ないので、うまくいっているように見えるだけで、実は一番遅れていると、言っている。土曜日ではなく、完成度の高い、プレゼンも慣れてきた日曜日に見学に行った方がいいようだ。
 毎年、百名山は幾つか行っているのだが、なかなか行けない。信州の手ごろなところを考えていたが、もう手の出ない季節になってしまった。
10月15日「ラグビー部」
 土曜日、今日も当番日ででてきた。AB両チームにカップ麺を差し入れする。あと2週間、がんばってもらいたいものだ。
 ラグビー部が練習している。11月6日は本校で地区大会が行われる。高専に着任して始めて顧問になったのがラグビー部。ぼろ負けしていたのだが、一念発起して5年目に初優勝で全国大会の切符をつかんだのも、このグランドだった。あれから30年!懐かしくて、練習に見入っていた。地区大会当日は是非、応援に行きたい。
10月14日「東西南北」
 昨日に続いてロボコンの当番日。家に着いたのは10時過ぎ。やはり、視力が落ち、暗い道の運転は怖い。今日は特に雨が降っているから、余計に怖い。
 東西南北というのは、時間が空いていたら、一時間でひたすら一方向にいけるところまで行き、一時間たったら戻ってくるという、私が思いついたウオーキングです。これまでに、西方向は高専から藪川の方まで8月の灼熱の中を、北方向は同じく高専からよくわからないが野球グランドとプールがあるところまで、これまた8月の灼熱地獄の中をただひたすら歩いた。行きは気が張っているので足取りも軽いが、帰りは疲労も加わって、大変である。デイケアに母親を迎えに行ったら、連絡の手違いで二時間あいたので、岐北の町からただひたすら西日に向かって歩いたら、糸貫町の表示が出ていた・・・。
 季節もよくなり、関市の刃物まつりがあるというので、カインズというホームセンターに車を置いて、ただひたすら東に向かって歩いた。刃物まつりの一番東まででちょうど一時間であった。500円の落花生を買ってカインズまで戻った・・・。体重は一向に減らない。
10月13日「学生会行事」
 毎年のことなのだが、専攻科の授業が木曜日の一時限にあり、毎年のことだが、球技大会がこの日にある。専攻科の学生は学生会には関係ないので参加しないので、授業は球技大会の喧騒の中で実施することになる。ことしも、毎年のように、開会式が終わって学生たちが廊下を通って行くときに、授業をやっているコース別教室を不思議そうに覗きこんでいく・・・。
 今日は平日のロボコンの当番日。久しぶりに21時まで学校にいる。二年前は専門展でこの時期、夜遅くまでいたことを思い出す。
 最近、特に眼が悪くなり、パソコンを長いこと見ていて帰りの暗い道路を運転するのがかなり怖い。
10月7日「授業アンケート」
 今年は四年生はパソコン入力ではなく、他の学年と同様にマークシート方式に戻した。昨年度末に、一学科分が処理しきれなかったので心配していたが、一日早く終了してしまった。科目コード、学年学科をしっかり記入してもらうことを守ってもらったことが、大きな要素であった。それでも書いてないものは、そのままとばしたが、5部ほどあった。時間が余ったので調べてもらったが、やはり、出るんですね。実は、手順を見直し、幾つかのところを簡単に行くようにしたのも大きかった。外部委託要員の能力が高いのかなとも思ったが、統合電子ファイルの漏れが見つかった・・・。
マークシートリーダも動作が遅くなっている。そろそろ更新の時期かもしれない。
 学校全体が高専祭の準備のモードに入っている。毎夜の作業が続いているが、事故には気をつけてほしいものだ。まだ、あれから二年しかたっていないのに、はるか昔のことに思える。
10月1日「1950年のバックトス」
 地デジで車のテレビが音声も入らなくなり、ラジオを聴いていた。ロボ研の担当の先生が都合が悪くなり、急遽、代理で休日出勤することになり、なんとなく聴いていたNHK第一。途中までは何ということはない孫の野球の観戦の話だったが、急に引き込まれるように面白くなった。学校についても、しばらく車の中で聴いていた。
 小説等は永く読んだことがないが、久しぶりに買いたくなり、高専の北にある大手の本屋へと出かけた。車から降りると、入口が変わり、外には缶コーヒーの安売りをしている。本屋で缶コーヒーとは珍しい取り合わせだなと思い、差し入れに買って行こうか、しかし、これは重いぞ、ラーメンなら軽いが・・・等と思案すること数分。それより本だ、と中へ入ると妙な雰囲気、あれ、本が全くないぞ・・・。ドラッグストアだ・・・。つぶれたのかなあ。と思いながら、折角来たのだから、さっきの缶コーヒーを買っていこう。
 Aチームへの差し入れは車から近いので楽だった。しかし、Bチームは3階にあり、合計12kgを持って行くのは大変だった・・・。涼しくなったとはいえ、結構汗をかいた。夏場の差し入れは軽いラーメン。涼しくなったら、少し重たいが飲み物。しかし、学生にとっては夏は飲み物、涼しくなったらラーメンの方がいいのだろうか。期末試験も終わり、最後の追い込みに頑張ってもらいたいものだ。
9月25日「ロボ研」
 ロボ研の担当日で休日出勤。かなり出てきている。学生の喜びそうなものを差し入れる。
 資料集めに奔走し、エクセルファイルをまとめ上げた。久しぶりにエビデンスの確認に探し回ったが、きちんと書類を整理しておかない付けが一気に回ってきた。それでもなんとか、二日でまとめ上げたのだから、昔とった杵柄なのだろう。まだ、錆ついてはいないようだ。
 なかなか、まとまって休みが取れず、泊まりの山行は無理な状態が続く。9月の連休を利用して立山・宇奈月温泉、千畳敷きカールに行っていた頃が懐かしい。久しぶりに百々ガ峰に古津の林道から登ったが、いつもより時間がかかった。しかし、さわやかな山登りであった。今年は、百名山は無理か・・・。
9月21日「期末試験」
 暴風警報が出て、昼からの期末試験は予備日に延期。私の試験は午前中に終わり、セーフ。採点もすませ、来週は答案返却。
 27日火曜日は三重大学で東海支部の学会発表。専攻科生が発表する。28日は高専部会の幹事会。私が仕切っています。今年は東海地区の校長に一堂に会してもらい、基調講演、パネルディスカッションを計画しています。
 下記、156号線にブレーキ痕と血だまりの跡があったので、おそらく、そこが現場なのだろう。先頭が親イノシシで後の八頭は子供だという。イノシシはいっぺんに八頭も生むのだろうか。まさか、他の親から預かった子イノシシではないだろう・・・。
9月12日「イノシシ」
 明日から期末試験、ようやく学会発表が終わり、次は採点。
 156号線で猪が9頭、車とぶつかって死んだそうだ。車は大破・・・。日野南だから、私が毎日帰りに通っているところ・・・。岐阜市の国道でイノシシが車に向かってくるなんて、それよりも、あのあたりの山に本当にいるんだ。金崋山のすぐそばの山だから気をつけないと。熊もイノシシもどちらも同じくらい危険と思わないといけない。ニュースソースは下記
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110912-00000290-yom-soci
9月2日「オープンキャンパス」
 警報が7時に出ていたら、明日は中止。教員は出勤日なので、警報に関係なく出勤。
 私の部屋は何とか動作するらしい。なんとなく、気力がわかない・・・。
8月31日「夏も終わり」
 四年生は来ているのだが、五年生と専攻科生が来ない・・・。今年はかなり厳しく指導しなくては・・・。
 夏休みの目標、
@学会発表のPPは作ってはあるものの、かなり前のものだから、今一度チェックする必要がある。
A論文はなんとか書き上げたがこれから何度もブラッシュアップする必要がある。
B減量5kgはお盆と「温泉に入って山に登ろう」の失敗でリバウンドし、その後「東西南北」で盛り返したものの、結局2kgの減・・・
 北海道旅行も控えているし・・・、ラーメン、カニ、鮭、イクラ、ジンギスカン、ジャガイモのバター炒め、地酒、チョコレート・・・、太る要素はあっても、減量する要素はない。毎朝、ホテルの前を歩くか・・・。昔、K先生は研修旅行の引率に行っても、毎朝、走っていた・・・。
8月30日「授業準備」
 通常は授業が終わるとすぐ、次の週の資料や演習問題を印刷して一週間の余裕があるのだが、夏休みなのですっかり忘れていた。全く準備がしてない。しかも、すぐ学会で北海道に行かなければならないし、試験もすぐ始まる。東海工学教育協会の高専部会の幹事会とシンポジウムの日程を決めなくてはならないし、あと、何か忘れているような気が・・・。
8月26日「東西南北」
 金曜日は四年生も五年生も見かけない。最後の週末を楽しむのだろうか。
 夏休み企画第三段「東西南北」
 「東へ西へ」は井上揚水の歌ですが、さてこれは・・・。
8月25日「専攻科階段」
 四階まで上がって気がついた。もう一階上まで階段があるんです。一気に五階(屋上:もちろん出られません)まで上がることができた。さすがに、四階に降りるときに人と出くわすのは、かっこ悪いのであわてて降りた・・・。
 下記、8月1日の日記の件でA課長からメールがあり、他の方の情報を聞くことができた。思わぬ偶然もあり、また、少し世界が広がったような気がします。
 昨日は、お世話になった方々とお会いすることができました。すでに退職された方もおられ、学校の最近の情報に花が咲きました。
8月24日「あと一週間」
 このところ四年生は毎日出てきている。今日もどこかの学校のバスが来て、野球部の学生が降りてきた。クラブ指導は大変だと思う。
論文の方はなかなか進まない。あと一週間なのに・・・
昨日は若宮町で飲んで、バスに乗り、「終点です」と運転手に起こされ、なんとか家にたどり着き、ふと目が覚めたらソファの上で午前3時・・・。
夏休み企画第二段の顛末は別室で。
8月18日「夏休み企画第二段」
 卒業生のI君が来た。大学に編入学したのだが、やはり、高専生は相当にできるという。当初は、修士課程にはいかないようなことを言っていたが、考えを変えたようだ。どちらでも、彼なら道は開けていると思う。
 研究生で残っていたM君も複数の大学に合格した。ちょっと苦労するかなと思っていたが、相当に頑張ったようだ。お見逸れしました。入学時の学力は相当高いので、3ヶ月間みっちりやれば追いつけるのだろう。
 夏休み企画第二段「温泉に入って山に登ろう」
 以前よりも10kgもリバウンドしてしまっている。背中に10kgのリュックを背負うのではなく、体の前に10kgの荷物を持って登ることに相当する・・・。登れるだろうか。いや、それ以前に大きな問題がある。
8月17日「論文」
 結局、家では完成しなかった。何とか夏休み中にはめどを立てておきたい。
 昼休みに外にでたら、ラグビー部が練習を始めようとしていた。地区大会は11月。4Eの学生もかなりいる。
 体重は夏休みに入って3kg減量したが、お盆で2kg増・・・。いよいよ、夏休み企画第二段の登場。
8月16日「夏季休業明け」
 やっと学校も動き始めた。四年生も工学基礎研究で出てきた。夏休みもあと2週間。編入学試験、学会、期末試験、学会・・・あっという間に前期が終わる。
8月7日「夏季休業」
 土日の勤務が続いたが、明日からは代休と夏季一斉休業で休むことになる。論文を書き上げるために、久しぶりにポケットドライブにデータを入れて帰ることになる。
 昨日の喧騒がうそのように学校は静まっているが、野球グランドではキャッチボールの音がする。
8月6日「ボランティア」
 20年前の卒業生のY山君が研究室に立ち寄ってくれた。成業の傍ら、石巻に何度もボランティアに行っているそうだ。なかなかできることではない。
 土曜日だが、ロボ研の担当日で学校に出てきている。本巣郡の陸上競技大会もあり、学校中がにぎやかだ。
8月3日「還暦」
 あなたの寿命は60歳までですといわれて、今日の夜明けを見ることができないのかもしれない、等と少しは心配していたが、いつものような朝だった。それとも、生まれた時刻はわからないからこれから急に来るのだろうか。急性心筋梗塞というのはいつ来てもおかしくないものだ。今日、学校から「緊急時連絡カード」を作成して提出するように通知があった。
 科研費説明会が開催された。35年在職し、35回代表で獲得しているが、それなりに参考になることはある。ただ、大学の先生の話では、高専には合わないこともあるように思う。
 今日は、暑気払い、グランべ―レでビールだ。思い切り飲んで食べて、リバウンドだ・・・。
8月2日「夏休み」
 四年生が工学基礎研究のためにきている。私の部屋の卒研生はいつの間にかいなくなってしまった。最後の夏休みだから仕方ないか。編入学の勉強がある学生もいるし。8月は夏休みとしよう。6日土曜日と7日日曜日は出勤、平日は休みという変な暮らしをしている。
 学会発表のPPは完成した。9月の発表まで、適宜修正する。次は論文の方だ。20日までには書き上げたい。
 体重の方は一週間で1kg落としていく予定だが、毎日のウォーキングを続けている成果がでるのだろうか。今日で50代ともお別れ・・・
8月1日「事務の異動」
 六年前、私の教務主事の一年目に南北方向に並んで私を助けてくれたお二人が、今は東西方向に並んでおられる・・・。あの頃、大いに飲んだ、O会計課長、A庶務課長、N学生課長は今はどうしているのだろうか。主事室によく集合していろんな話をしたのを思い出す。
 「人生は九蓮宝燈のように優麗に華やぎ、そしていつか消える」(パワーポイント:九蓮宝燈への道)から引用。
7月31日「校内徘徊」
 日曜日、学会発表のパワーポイント資料を作るのも疲れてきたので、気分転換に校内を徘徊してみる。ロボ研以外には、吹奏楽部の音、野球部は加納高校と試合のようだ。テニスの音も聞こえる。
 朝すでに一時間程度歩いているので、結構な運動量になる。すでに一大企画(老人はお寺を目指す:金閣から銀閣へ)をすましているので、1kg減量している。しかし、水曜日には暑気払いがあるので、そこで簡単に戻ってしまう・・・。
事務は異動があるようだが、主事時代の頃を思い出してしまい、思わず笑みがでて顔がほころんでしまう。時代は、確実に後戻りすることなく動いていく。私の還暦の日も近づいてくる・・・。
7月30日「全階段踏破4」
 さすがに土曜日ではロボコン以外ほとんどいない。それでも、一部の先生はでてきている。昔を思い出します。足音をたてないようにあちこちを歩きますが、他の棟にはあまりいけない。ロボ研にカンフル剤を打ちに行きました・・・。ことしも、がんばっています。とくに、今年は主催校だから、一度、ワンツーフィニィッシュを見てみたいものです。
7月28日「全階段踏破3」
 なかなか他学科の階段は遠慮がちになる。四階まである専攻科棟は外せないが、他は電気と事務棟に限定した方がよさそうだ。
7月30日(土)31日(日)、8月6日(土)、7日(日)は休日出勤しています。OBの方、お暇ならどうぞ。
7月27日「全階段踏破2」
 色々なルートがあるが、一階と三階の廊下を歩くことになるので、教員室は限られたところだけの前を通ることになる。すべての廊下を通るルートにいつか挑戦してみよう。昔は7月一杯は卒研と決めてやっていたのだが、今は、かなり限られている。専攻科2年生は大学院の受験、専攻科1年生は特別実習で忙しいのだろう。私の部屋は久しぶりに卒研をやらせている。
7月26日「全階段踏破」
 校舎の階段(一号館、二号館、三号館、電制棟、専攻科棟)を全部歩くと、30分ぐらいかかる。なかなか、授業のあるときには歩けないので、休みになってから実行してみた。
 さすがに、この時期では汗が止まらないが、それでも、何とか停まることなく歩くことができた。
 教員や卒研生の出席状況がよくわかり、興味深いものがある。
7月22日「人間ドック」
 来週からは夏休み。今年の予定は幾つかはっきりしている。夏休み中に論文をひとつ、学会発表のパワーポイントの準備がノルマだ。卒研生にも頑張ってもらう・・・。
 人間ドッグの結果を聞いてきた。昨年、胃のバリウム検査で引っかかったが、20年ほど前のこともあり、胃カメラは飲まずに今日まで来てしまった。このところ胃の上部がしくしく痛み、ウィスキーを飲むとムシムシして、ひょっとしたらと覚悟をしていた。かなりいろいろな説明があり、問題のないところばかり説明されるので、ショックを与える重大な核心部分は最後になるのかと思っていたら、「胃は何ともありません」と、さらっと流されてしまった。やっぱり、胃カメラを飲まないで正解だったと思いながら、あとは上の空。一通り説明が終わったので、「昨年はバリウムで引っかかったのですが・・・」と聞いたら、「ポリーブですね。今年はでていませんね。」で、終わってしまった。ひょっとしたら、漢方薬が効いたのだろうか・・・。そう思うと、安心すると同時に、漢方薬を止めるわけにはいかなくなってしまった・・・。
 ウィスキーはロックは止めて、水割りにしたら、それほど胃は痛まなくなった。また、寮直で禁酒もできたので、アルコール依存症の心配もないのだろう。体重が増えてきたので、この夏に何とか5kgは減量することを私的なノルマにする。
7月8日「銀行振込み」
 ○○銀行北方支店。学会の参加費を振込に行った。駐車場が混むので心配していたが、一台しか止まっていない。少し狭いので、出やすいように何度も切り返して、まっすぐ入れた。入口に回ったら、シャッターが閉まっていた。エッ、休みなの?とおもったら、移転の張り紙が・・・。新しい場所は、毎日通勤している国道沿いだった・・・。
 振込を書いていたら、行員がATMからではだめなのですか、と言われ、支払人の前に電話番号を入れなくてはならず、それが昨年はできなかったので、振込書に書くんです、と言ったら、ATMで変更できます、と言われ、挑戦することになった。ぴったりと横にくっつかれ、おかげで何度も失敗し、私が打ち込みましょうか等と心配されながら、ようやく完了した。よっぽど、とろい御爺さんに見えたのだろう。やれやれ、これで電気の先生なんだから・・・。
7月6日「エアコン3」
 ようやくつきました。28度設定でも、とても寒い・・・。卒研もこれでできるでしょう。明日から取り立てを厳しくしよう。
 ところが、明日は人間ドッグ・・・。あの胃噴門部の欠損はその後どうなったのだろう。
 電気回路はいよいよ来週は「リルレの法則」だ。
7月5日「エアコン2」
 まだ動かない・・・。部品が入らないのだろうか。実験もこれではできない。一時間目の授業が終わると、昼ごろには脱水症状気味で熱中症になる。そういえば昨日、救急車が校内に入っていたが・・・。
6月29日「エアコン」
 部屋のエアコンが動かない・・・。実験室もだめだ。隣の所研の実験室も壊れている。どうやら同じ系統で、基盤がやられているらしく、部品が届くのに一週間かかるらしい。教室でも動かないところが一部あるようだ。大変な暑さである。授業に行った方が涼しい。できるだけ早く行き、終わっても、休み時間が終わり次の鐘が鳴るまで、演習問題をやらせてずっといることにしている。卒研は、この暑さの中での光学実験は無理である。
6月22日「プリンタ」
 トナーを交換してください、のメッセージが出た。今まではすぐ取り替えていたが、矢印ボタンが出ていたので押してみたら100部単位でエコ印刷ができるとある。トナーの買い置きがないと困るから急場しのぎなのだろうと思い、買い置きはあるが交換が面倒なのでやってみた。それほど変わらない。あくる日も同じように出た。やはり面倒だから矢印ボタンでエコモードで印刷した・・・。もう何回くらいやったのだろうか。ひょっとしたら1000部を越えているのではないのだろうか。それだったら今までどうしてやらなかったのか・・・。
6月16日「居眠り」
 中間試験が終わって、学生たちは高専大会モード、居眠りも多くなり、いちいち注意していたのでは授業が進まないので、パワーポイントを進めながら、こまめに教室を徘徊する。寝ている学生のそばで大きな声で説明すると、たいてい起きる。
 明日は久しぶりの中学校訪問。
6月10日「総会」
 6月は総会ラッシュです。東海工学教育協会の総会もこの時期です。今まであまり出たことがないのですが、理事をしている関係と、高専部会の幹事で、決算や予算に計上されているので、一応出ておかないと何かあった時に困ります。大学の学長クラスや高専の校長クラスが理事会に出ているので、ちょっと出づらいのですが、出席してきました。名古屋大学の中央棟の会議室なのですが、一昨年は非常に歴史と伝統を感じさせるクラッシックなつくりの部屋とインテリアだったのですが、いつのまにか大改修されており、超近代的なビルに変貌し、会議室も全く変わってしまいました。学生時代にあった建物もかなり改修され、昔の面影はほとんどありません。何といっても大学を二分するように道路が走り、地下鉄の駅が大学の中にあるのですから、本当に変わったものです。
 久しぶりに八事で飲んだのですが、クレジットが使えないとのことでがっくり・・・。臨時ボーナスを期待していたのですが、逆に出費になってしまいました。
6月3日「夏」
 中間試験も始まり、始めての試験を受ける1年生は緊張しているだろう。突然、大学の先生が出すような問題を解くことになる学科もあるのだろう。
 今日は学科で決めた清掃の日。学科の周りのごみなどを拾う。そこそこきれいなので、目立つごみだけを拾うが、結構暑い。いつの間にかもう夏!スタッドレスタイヤをまだつけて走っている。土曜日に高速道路を走る予定だが・・・。
  5月28日「風に向かって走れ」
 今年の5年生の電気電子工学実験のコンテストのテーマです。扇風機に向かって走行する時間と距離を競います。時間内にゴールできるのは果たして何チームあるでしょうか。結構、秘密裏にどの研究室も動いているようです。
 母親を病院に連れて行ったり、結構、私的なことで時間がつぶれています。
5月27日「ケイコとケイスケ」
 「陽子の陽は太陽の陽」おなじみの連続テレビドラマ「おひさま」です。「ゲゲゲの女房」は調布に子供たちのマンションがあるところから、興味を持って観ていました。昨日の話は本当に感動的でした。あの時代を経験したわけではないのですが、今の日本の状況もあり、引き込まれるように見ています。教育の原点を考えさせられるドラマです。
5月25日「授業参観に来た犬」
 パワーポイント版を2年生に公開しました。最近、年齢差のためか、いまいち反応がない毎日でしたが、これは比較的反応がありました。3年生でもやってみましょう。また、次の作品は「激励に来た女性の話」でしょうか。
5月23日「寮直明け」
 日曜日の寮直であくる月曜日はT時間目から授業があり、W時間目の工学基礎研究を経て、そのあと学科会議、母親のご機嫌伺いをしてやっと帰ることができる・・・、というか、酒にありつける。40時間以上断酒ができているので、アルコール依存症ではないだろう・・・と妙に安心する・・・。授業参観週間の様子は、別室に記載します。
5月20日「授業」
 授業中に何か雑談をするのだが、さすがに、上級学年になると、あまり話さない。二年生から持ちあがりで教えていると、四年の終わりで最低、90回の授業をするわけだから、話も尽きる・・・わけではなく、最近では、雑談をするような雰囲気ではない、それくらい授業に、学生も教員も没頭しているということにしておきます。
5月19日「帰宅」
 兄が日展の審査員になり(http://www.nitten.or.jp/data/shinsa.html)忙しい状況の中で、母親は退院したもののなかなか難しい状況にあり、ときどき様子を見るために早めの帰宅が続いている。朝は7時半には学校に来ているのだが、いろいろ文章を書く必要があり、卒研の面倒が見きれていない。科研費が使えるようになるのにしばらく時間がかかるが、納期の長いものもあり、校費でうまくやりくるする必要がある。幸い、専攻科の学生が、卒研生の面倒をよく見てくれているので助かる。昨年の今頃は、就職業務、進学業務に没頭していたことを思えば、少しは時間があるのだが、その頃、母親は全く手がかからなかった。人生、うまくいっているのか、うまくいっていないのか、毎日が過ぎ去っていく・・・。
  5月17日「授業参観」
 今週は授業参観週間。3Eの教室は廊下がつなぎになっているので入りやすいのだろう。何人かの先生がよく参観に来る。特に、他の学科の先生が多い・・・。授業参観と言えば、何といってもあの逸話「私の授業を聴きに来た○○」の話・・・。電気の学生には必ず話す定番なので、かなりのOB,OGも覚えているでしょう。一時期、ホームページの趣味の部屋で外部公開していたのだが、リンクを切ってかなりになる。授業はパワーポイントでするので、勢い、雑談もパワーポイント化する必要がある。・・・ということで、「私の授業を聴きに来た○○」のパワーポイント版を作りました。写真入りです。そのうちに公開しましょうか・・・。
5月13日「みんなどうしているのだろう」
 就職や進学して一カ月。みんなどうしているのだろう。元気にしているのだろうか。落ち込んではいないだろうか。地震や原発の影響は無いのだろうか。連休には一昨年の卒業生で、卒研生だったH君が来た。やはり震災の影響は出ているようだ。
 昨日の球技大会は雨、今日はうってかわって快晴、中間試験までは、まだ三週間あり、学生にとっては今が一番いい頃か。五年生は就職試験の第一弾が終わる頃。震災の影響で先行きが見えないが、最終的には企業の評価は毎年同じだと思う。
5月11日「v字回復」
 入試倍率も科研費もv字回復した。岐阜高専は新しい血を導入して、どう変わっていくのだろうか。新しい世代が中心となって学校運営をしていくことになる。そろそろこちらもまとめにかからねば。だいたい今までの人生を振り返ってみると、白ウサギ状態で、今までの貯金を食いつぶしていくことになるのがいつものパターンなのだが・・・。
jabeeや認証評価をやっていた全国高専の同世代では、私が一番若かったのだが、気がついてみればみんないなくなってしまった。
 よく、別室は何処にあるか聞かれるのですが、いろいろな行き方があるのですが、手っ取り早く、今のこのアドレスの最後に半角で1を入れてもらえればいいのです。別に大したことは書いてありません・・・。
5月2日「合宿」
 久しぶりに合宿でGWの真っ最中に泊まりました。さすがに還暦が近づいた歳ではこたえます。GW後半ですが、厄介なことがあり楽しめそうにありません。
4月28日「GW」
 学校の行事予定では4月29日から5月5日までが休みで、6日の金曜日は授業がある。5月2日は学生は授業がないが、教職員は休みではない。卒業生が帰ってくるかもしれないので、午前中は勤務し、午後からは年休を取る予定でいます。久しぶりにクラブの合宿でGWの真っ最中に泊まることになりました。
4月22日「電気回路T」
 とうとう、2年の電気回路もパワーポイントにしてしまいました。回路図を書くのに時間がとられるので、配布資料で配っておいて、式や矢印等を映し出して、それを書かせています。ロスなく行きますし、何といっても前回の復習を簡単にできるのがいいです。黒板だと消してしまったことが、もう一度、復活させて確認することができます。
 雑談もパワーポイントで作っていますので、ボケてきても、同じことを二度言うことはありません・・・。
4月15日「夜明けのうた」
 岩谷時子さん作詞、いずみたくさん作曲、岸洋子さんの歌ですね。今の日本の状況にぴったりの歌です。希望の光を求めて一歩一歩歩き出しましょう。
4月11日「科研費の鬼」
 着任して36年目に入るが、科研費も36件目の採択になった。少し時間がとれるようになったので、最後の華を咲かせたい。
4月8日「地上の星」
1. 風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
草原のペガサス
街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

2. 崖の上のジュピター
水底のシリウス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

3. 名立たるものを追って 輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう

福島原発を始めとして、東日本で今、エンジニアたちが懸命の復旧作業をしている。地上の星は其処にある。技術者の総力を結集すれば新たな日本を構築することができる。
3月25日「若者たち」
 最後の学級通信を書かせていただきました。「空にまた、日が昇るとき、若者はまた、歩き始める」
 新たな環境に旅立ち、日本の創成に向かって頑張りましょう。
3月22日「学級通信」
 いよいよ閉鎖の時が近づいている。最後の締めはしっかりしなくてはいけないので、少し時間をかけたい。謝恩会では、乾杯から締めまで私がやってしまった。はじけた時間であった。これも、簡単にはかけない。また、今はそのような文章を書く時期ではないように思う。地震、津波、原発、日本の底力を見せるときだ。
3月18日「謝恩会」
 卒業式も無事終わり、教室で証書等を渡して解散しました。あとは謝恩会を待つのみ。いつも経験するまったりした時間です。
 来週はちょっとした旅行を計画していたのですが、地震の影響で急遽、延期となりました。
 学級通信は109回まで来ていますので、切りのいいところで、来週、締めの通信を書いて終わりにします。
3月15日「卒業式」
 知り合いの先生方の無事を確認できた。東北地方だけでなく、茨城高専も卒業式を延期にしたようだ。岐阜は18日に予定通り実施する。
3月14日「地震」
 金曜日の午後、パソコンに向かって仕事をしていると、ブラインドが揺れている。風が入ってくるのかなあと思っていたら、地震だった。揺れはほとんど感じていないので、変な地震だと思った。家に帰ってからことの重大さに驚いた。マグニチュード9.0の地震でも海岸線の木造家屋が倒壊しないでいたのは、きちんと地震対応ができている証しだったが、それが、津波でいともたやすく流されてしまうとは・・・。根本的な津波対応をした都市設計を、これを機会に思い切って進める必要があると思う。島国なのだから、避けることのできない最重要課題だ。いつ起こってもおかしくない東海地震でも同じことが起きる。前を向いて歩いて行くしかない。今こそ、日本の力を見せるときなのだ。
3月11日「授業アンケート」
 授業アンケートの処理を派遣社員に来てもらって、処理してもらっている。四日の契約であるが、これまでは三日で終えてしまって、四日目は別の仕事をしてもらっていた。今回も同じ量で同じ処理方法であったのだが、四日目が終わっても四分の一ほど残った。私がやるしかないので、送別会の二次会をあきらめ、早めに寝て、朝早くから処理を始めた。五時間かかった・・・。順調に来ていたのだが、ある学科で止まってしまった。本来入れてあるべき表紙(科目名や科目コード、学年学科等の情報がある)がなく、マークシートだけしか入れてない科目が幾つかあるのだ。マークシートに学生が記載した科目から、時間割を調べ、学年学科、科目コードをひろって入力しなければならない。これを処理する人にやらせろというのだろうか。
3月8日「立替払い」
 教育後援会のお金を立替払いをしていたので、受け取りに行きました。封筒の中には千円札が3枚入っているはずなのですが、封を開けると2枚しかありません。「弱ったなあ、受領の印は押してしまったし、いまさら千円入っていませんでした言いに行くのも気が引けるし・・・」と思いながら取り出してみると、一枚は二千円札!珍しいものを見ました。今度は「これを使うのは勇気がいるなあ・・・」と気弱な自分がいました・・・。
3月4日「終わりの始まり」
 卒論、発表会、単位の追認等で忙殺されていました。霰粒腫もその間、ストレスとアルコール量に比例して着々と成長していました。視力がかなり落ち、学内で出会っても学生か教職員かはっきりせず、失礼があってはいけないと思い、のべつまくなくお辞儀をしています・・・。担任業務はようやく、一段落し、後は卒業式へのカウントダウンの始まりです。
2月15日「霰粒腫」
 卒業アルバム用の写真を取った時は右目の上が腫れた状態だった。11月初めに手術で切り取った。2月初めにもう一度写真を撮る機会があったのだが、別の用件ができ、眼の腫れも記念かなと思って、写真を取り直さなかった。
左目の上にもでき始めていたのは気が付いていたのだが、急に最近大きくなってきた。最近、非常にストレスのかかることがあり、また、酒量も一段と進んだためと思われる。卒業式、旅行、結婚式(私のではありません)、入学式と続くので、何とか治したいとは思うのだが、手術に踏み切る気があまりしない。切ったところで、また、別のところにできるだけ・・・。漢方薬を試してみようと思う。ライフスタイルを変えないと同じことの繰り返しのような気がする。見た目はもうどうでもいいからと開き直って、爆発するまで待とう。よくある症状らしいが高専では私だけなのだろうか。3年の二人の学生が「僕もそうでした」と言ってきてくれた。なんだか親近感がわく・・・。
2月10日「期末試験」
 最後の試験終了、一部の学生は仮進級の追認試験、また一部の学生は卒業の追認試験・・・。卒論が終わっての最後の追認試験は勘弁してほしいものだが、それでも、6単位までの追認に残ればいい・・・。最悪の場合は・・・。悪い方に悪い方に考える習慣が身についてしまった。
 試験中に笑えない出来事があったのだが、それは別の機会に・・・。
2月7日「不整脈」
 今年になって気がつきました。前から動悸がすることがあり、体調が悪いのだと思っていたのですが、その時、脈を測ってみたら、3拍に一回ぐらい脈が跳んでいることが分かりました。いろいろ調べてみると、ほかっておいてもいい不整脈と、対処しなくてはならない不整脈があるようです。心電図はいままで全く異常がなかったので、ほかっておけばいいとは思うのですが・・・、本当に心臓に悪い・・・。ネットで調べるとやはりストレスが原因と書いてある。
2月4日「期末試験」
 五年生は最後の試験の初日。卒業に必要な単位は6単位まで追認できるのだが、今年は何人になるのだろうか。
 NHKで懐かしい西島三重子さんが「池上線」を唄っていた。蒲田から五反田までの区間なのだが、昭和51年ころにはやっていた。少し前に久しぶりに見た時は「エ!」そんな・・・。時間とは残酷だ・・・。と思ってみていたのですが、先日はそうでもなく、歳よりは若く 感じられた。こちらが歳を取ったということでしょうか。
 卒論をもう書き上げた学生がいる。
2月2日「大雪」
 またしても月曜日の大雪。先週ほどではなかったが、一時間目の授業は遅刻者が多かった。五年生は今週末から試験。卒論発表の日程も決まり、あわただしい日が続く。いろんなことを考えさせられる毎日が続いている。そろそろ例の話をして、ストレス解消をする時期にかかっているのだが、そんな気にもなれない。今年は中止にしましょう。
1月28日「挨拶」
 あちこちの中学校へ行くと、普通の先生と校長先生では挨拶の仕方が全然違います。それは、私を相手にした場合でも、中学生を相手にした場合でも全然違います。きっと、校長試験等の一部に入っているのではないでしょうか。あるいは、管理職研修を受けているのではないかと思います。私は特に研修を受けたわけではありませんが、中学校の校長先生らの物腰を見て覚えていきました。求人などで来られる企業の人との挨拶やお別れの時もきちんと丁寧にお辞儀をしているつもりです。テーブルマナーと同じで、心のゆとりが出てくるものなのでしょう。どのクラスへ行っても、必ず、起立・礼で「お願いします!」といって始まります。ただ、授業の最後は必ず演習になるので、休憩時間も次の授業が始まるまで教室に待機しているので、締めのあいさつはしたことがない。「ありがとうございました。」というのであろうか。
1月27日「就職セミナー」
 就職内定者を対象としたセミナーを開きました。他の所用と重なりましたので、時間を気にしながら途中で抜けるつもりでしたが、あまりのうまい講演のためについつい聞き入ってしまいました。本当にうなづくばかりのうまい講演でした。電気だけでも他の学年でやってもらうといいかもしれません。特に、社会人としてだけでなく、学生にも通用する話でした。授業をする側にとってもとても参考になり、今さらとは思いましたが、やっぱりなあと実感したものでした。
1月21日「日展東海展」
 1月19日から名古屋の栄で開催されている。ホームページに第2科洋画の会員賞として兄の絵が紹介されている。これまでも新聞等にはよく出ていたが、とうとう、東海テレビの7時前のニュースで大きく紹介されていた。日展の会員賞は存在証明として歴史に残っていくことになる。研究分野での学会賞と教育分野の業績賞も記録としては残るのであるが、後世に残るという点ではどのようなものであろうか。芸術と自然科学という全く方向違いに進んだ兄弟であるが、その道を何がきっかけでを目指すことになったのだろうか。兄の決断は比較的遅く、高校二年生で絵を志したと思う。私も高校二年生で理系を選んだわけであるが、電気を専門とすることには、消去法的に選んでおり、その差が、現在の差になっているのではないだろうか。もっとも、消去法でなく、積極的に何かを選んだとしても、どれほどのものになったのか・・・。
1月17日「大雪」
 いつも40分で学校に来れるところが、今日は3倍の二時間かかった。授業開始の30分前には何とかついたが、バタバタしてしまった。学生も半分近く来ていない。まず、命が一番。遅れてもいいから安全第一です。駐車場も雪で停車位置まで前進できない。
1月14日「推薦入学U」
 電気情報工学科はかつてない人数になっている。一体何が起こっているのだろうか・・・。
 今朝は今冬初めて高専の前庭がうっすらと白くなっていた。
1月13日「推薦入学」
 志願者数が今年は出足が良い。2倍あった倍率がいつのまにか1.5倍を切ってしまって危機感をもっていたが、今年は回復してくれるような予感がする。推移を見守りたい。
 とうとう今年還暦を迎えることになってしまった。停年が延長にならなければ、新一年生の卒業を見送ることはできない。
1月12日「レーザ学会」
 連休を利用して参加してきました。なかなか面白い学会で刺激が大いにありました。授業で最新の研究をいくつか紹介するつもりです。また、私の研究室に専攻科生としていたS君が発表していたのを聞きました。S君は野球部の学生で、名古屋大学の大学院に進学し、現在博士課程(後期)の2年に在籍しています。発表もしっかりしており、なかなか面白い研究をしています。
 電通大で開催されましたので、昼休みに校舎を見学していたら、寮がありました。昨年度卒業した私の部屋の卒研生で留学生のTさんがいることを思い出し、よっぽど携帯に電話して窓から顔を出すように言おうかと思いましたが、思いとどまりました・・・。
1月6日「高専部会」
 東海工学教育協会の中に高専部会というのがあり、年に一度テーマを絞ってシンポジウムを開き、事例集を発行しています。今年は岐阜が担当校で、今年のテーマは「私の授業」、思い切りFDなテーマにしました。12月中旬に東海地区五高専の先生方に発表していただきました。どこも同じような工夫がされているが、豊田高専のシステムはなかなか興味のあるものでした。社会系の科目でノート持ち込み可の試験の報告をされていましたが、それもありかなあと思いました。大学受験のための科目ではないのですから。
終了後に、希望者を募って懇親会をしました。9名と大人数で、金曜日、忘年会シーズンということで、なじみの店も断られ、やっと三軒目に見つけることができました。各高専の面白い話を聴くことができ、こちらの方が情報収集という点では価値があったのかもしれません・・・。
1月5日「年賀」
 あけましておめでとうございます。とうとう、還暦の歳を迎えてしまいました。
 4日朝から出勤していますが、さすがに学生はきていませんでした。ところが、5日の午前中にはそろって卒研に出てきました。なかなかやる気があるようです。
 授業準備は昨年のうちに済ませて置いたのですが、どうもどこまでやったかはっきりしない。パワーポイントの特徴を生かして、前回の復習から資料を作ってあるのですが、どこが区切りかはっきりしないのです。教える方がこんなですから、教えられる方はさらに忘れてしまっているでしょう・・・。
 8日からの連休は今まで出たことにない新しい学会に参加してみるつもりです。すでに四つの学会に入っていますので、また増やすのも大変なので、どれかを止めた方がいいかもしれない。
12月27日「よいお年を」
 昨年は12月25日に書き収めをしている。ことしは卒研をやっているので、実験室の電源などの確認をしてから、書き収めすることになる。
 今年は研究では何といっても科研費が復活した。昨年、記録が途切れた時にはもうこれで今後はとれないかと思ったが、採択通知が来たときはうれしかった。高専在職35年で35回科研費を代表で採択されたことになる。大学でもそれほどいるとは思えない。
 また、二度目の学会賞を頂き、久しぶりに新聞二誌に載りました。特に、今回は電気情報工学科としての受賞であり、長い間勤めてきたものとしては感慨深い。
 担任業務は心残りなことがたくさんある。先週末にもごみの分別で最後まで振り回された・・・。
 百名山は、蔵王、筑波山、恵那山しか登ることができなかった。特に、富士山の富士宮口からの登山ができなかったのが心残りである。
来年はどのようなことが待ち受けているのか、期待と不安で歳を越す。
 よいお年をお迎えください。
12月24日「百々ヶ峰」
 よく見ればロボ研の学生がたしかにいる。しかし、どうみても、ロボ研ではない学生の方が多い。次から次へと、挨拶しながら追い抜いていく。国立岐阜工業高等専門学校陸上部のユニホームが・・・。女の子が走ってきたので聞いてみると、中学校と高専の合同練習とのこと、陸上部の学生がまた追い越してきたので、顧問のY先生もいるの?と聞くと、三田洞側の駐車場にいるとのこと、「頂上で待つ」と電話をしようかと思った。中学校との合同練習→本校受験→陸上部入部、なかなかいい作戦だ。しかしながら、入試は公正無私。
12月22日「年末」
 授業は今日で終わり。卒研を27日までやりますが、年休が余っていますので、申請しました。いつもほど朝早く来ないで、ゆったり過ごします。家にいても誰も相手をしてくれないし、学校にいた方がお互いにいいみたい・・・。部屋の大掃除はどうしようか・・・。
 先週の日曜日に百々ヶ峰に出かけました。里山シーズンになり最近ちょくちょく行きます。古津の駐車場からカラー舗装した道が峠まで続き、そこから頂上に登ります。峠からは三田洞の弘法様の方の公園 までカラー舗装した道が続いています。
 いつものように歩き始めると、上の方からワイワイ走ってくる若者たちがいる。「ロボ研がどうたらこうたら・・・」「!あの年齢でロボ研ってひょっとして・・・」
12月10日「中間試験」
 3年生の電気回路はひずみ波が試験範囲であった。授業中にやった問題を少し加工して出題したが、根気よく間違えないで解答する必要があり、できたのはM君とNさんだけであった。編入学試験や就職試験では、教科書にない問題が出るわけであるので、授業中もできるだけ創作問題を考えているが、定期試験でも新しい問題でその場で考えなければならない問題にした方がよさそうだ。それを解いたもののみ満点になるようにする。
12月8日「東海高専」
 昔、JABEEの高専用の講習会を企画し、その題材として「東海高専(仮称)自己点検書」をひな形として書き上げ、全国の高専の先生方に集まっていただき、JABEEの審査員の立場から評価してもらった。東海高専・・・。
12月6日「演習」
 授業の最後に必ず演習問題をやる。できた学生は、普通は見やすいように丁寧に私の前に差し出す。いままで、すべての学生がそうだった。しかし、それが、ポンと机の上に投げ出す学生がいた。こんな学生は35年やってきて初めてだ。なんか面白くないことでもあるのだろうか・・・。怒鳴り倒してやろうかと思ったが、自制した。
12月2日「教室でのゲーム」
 ゲームを禁止すると一か月前にいったのだが、またぞろ、始まった。担任の言うことなんて聞く耳持たない、ということなのだろうか。一体どういう気持ちでまた、始めたのだろう。
だいたいこれは盗電に当たらないのだろうか。暗欝な気持ちに落ち込んで行く・・・。
11月30日「ストレスチェック」
 産業医の健康診断があり、昨年よりストレスがかなりたまっていると言われた。せっかく山登りを始めて改善されたのに悪くなっている・・・。確かに、如実にでている。校務、家のこと、その他もろもろ、昨年よりはるかにストレスが高い。富士山にも登れなかった。 暑くて山に登れなかった。今度は寒すぎて山に登れない。輪をかけたようにバリウムで引っかかるわ、まぶたがはれてくるわ、どんどんストレスがたまり負のスパイラルに落ち込んでいた。12月になればと思っていたが・・・。本当に各駅停車・・・。卒研や卒業要件で引っかかる学生も出て気はしないだろうか。
 レーザプリンタの定着ユニットを交換する必要が出てきた。部品代やら保守契約やらで10万円近くかかる。10万円なら最新鋭のものが買えるらしい。しかし、トナーと感光体ユニットを予備にに買い込んでいるので、これらが無駄になる・・・。結局、修理することにした。本体は安く、維持費で稼ぐという典型的な例・・・。
11月29日「進路」
 まだ何人かの進路について尽力を尽くさねばならない状態にある。気力も体力も残りかすを燃やさないと駄目だ・・・。
11月22日「ロボコン」
 両国国技館に行ってきました。技術賞と特別賞(本田技研)のダブル受賞。昨年はアイディア賞と特別賞(本田技研)その前は技術賞、すっかり常連になりました。やはり二足歩行ロボットの技術の蓄積が大きいのでしょう。もう一人の稲葉先生に学生がよくついて行っているという、ロボコンの模範的な姿がそこにあります。地区大会ではAチームの方も準優勝まで行きましたので、来年は地区大会の決勝を争うのではないでしょうか。
 全国大会の優勝は鹿児島高専、ロボコン大賞は仙台高専名取キャンパス(旧宮城高専)でした。ロボコン大賞は異論もあるとは思いますが、課題をすべて評価して総合点ですぐれていたのかもしれません。
11月17日「禁酒」
 二カ月に一回の禁酒日。このところ酒量が一段と増えて、耐えることができるかと心配していましたが、快調そのものでした。心なしかアイシャドウも薄くなり、H総合病院の手術の予約もキャンセルしました。
 電気情報のY先生が休まれており、学科長もその調整で大変でした。長期の休みがないだけまだ、私は恵まれていると思った方がいいように思います。
 中間試験がもうすぐ始まり、終われば年末年始、五年生は成人式です。そろそろ入試倍率が気になる季節になりました。今が一番重要な時期だと思うのですが・・・。
11月16日「授業」
 専門展も終わり、疲れで眠っている学生はほとんどいないが、内職している学生がいる。レポートを書いているようだ。電気電子工学実験の締め切りは朝だから、問題はないのだが、情報工学実験の締め切りは昼なので、どうもそれを書いているようだ。穏やかに一言注意したらほとんどの学生が止めたが、それでも書いている学生がいる。次あたりは、ドカンと一発やらないといけないかなあ。AB型の典型で、怒らすと途方もないくらい怖いことを体験してもらうことも必要かもしれない。
 その前に、こちらも課題をたくさん出して、と考えるのだが、その分を、私の後の授業で内職する悪循環が始まるかも。
 眼の方は相変わらず、黒いほくろにアイシャドウ状態です・・・。
11月15日「講演会」
 茨城高専での講演会を無事終えることができました。あちこちの高専で講演するのも得難い経験ではあります。次の予定はロボコン全国大会。今年はバスの引率を免除していただけた。新幹線で行ってこれます。また、目がひどくなるのではないかと気が重かったのですが、ホッとしました。
 かさぶたは相変わらずとれないのですが、それほど気にはならなくなりました。それよりも、その下のところが黒ずんできました。細胞が死んで行くのでしょうか・・・。内出血しているのでしょうか・・・。まるでアイシャドウをしているようです・・・。
11月10日「かさぶた」
 三年生は工場見学です。見送りをしてきました。時間があれば見送る、毎年の趣味のようなものです。バスの座席の並びを見ていると、意外な組み合わせがわかります。手を振って見送ると、手を振り返す学生たち。毎年の光景です。

 抜糸後から血が滲みでてきて、大きなかさぶたができてしまいました。無理してとるとよくないので、そのままにしていますが、かなり目立ちます。なんとか12日の講演会までに落ちてくれればいいのですが。相変わらず少し腫れていて、しかも横に広がっているような気がします。あらたな腫れでなければいいのですが、爆弾を抱えているようなものです。H総合病院の24日の手術予定はキャンセルしていないので、まだ有効なのですが・・・。

11月9日「傷跡」
 電気情報の4年生の見送りをしました。今日はバスで中電見学の後、セントレアから福岡入りだそうです。工場見学が入るので比較的時間の余裕がある賢い日程です。元気に出て行きました。
 昨日はかさぶたを取って抜糸もとりましたので、若干腫れている以外は目立たなくなっていました。ところが、抜糸後からやはり例のステロイド液が出る穴があるようで、赤くなってきました。このまま、できるだけ触らないようにしてかさぶたが落ちるのを待つつもりです。ただ、根っこの肉芽は残っているので、いつ再発するか恐怖です。疲労、ストレス、酒が問題なことは分かっているのですが・・・。
学生も一人進路が決まり、あとは専攻科の後期試験でクリアできれば終わりになります。私的な方も母親の方が落ち着いてきました。少し出口は見えてきたようです。少しずつお酒を減らし、講演会、高専部会等こなして年末を迎えたいものです。
11月8日「抜糸」
 授業風景の写真を取りました。さすがに居眠りしている学生はいません。淡々と進めましたが、右目はあまり映らないようにしていました。
 金曜日には手術前よりも腫れがひどくなり、これはどうなる事かと思いました。土曜日の朝、鏡を見ると血が下まぶたに点転としていました。小さな穴があり、そこから血と同時に油のようなものが出ているので、この際と思い、両側から圧力を加えて絞り出し、どんどんティッシュで拭きとりました。おかげで可成り小さくなりました。
 授業後に医者に行き事の顛末を話したら(強制抽出は内緒)、注入したステロイドの県濁液が出ているとのこと・・・。抜糸後、まだ腫れが残っているものの、ステロイド剤が残っているからだんだんと小さくなるとのこと・・・、絞り出したから残っているかしらん・・・そんことはとは言えないし、このまましばらく様子を見ることに。講演会は何とかごまかせそうです。
11月5日「教室でのゲーム」
 夜、学科長からメールがあり「19:10頃に10人近くがゲームをやっていたので、帰るように注意した。日も短くなり、交通事故の可能性 も高くなりので、遊んでいるなら早めに帰宅するよう、先生からも注意いただきたい。」という趣旨の指示を受けた。35年もこの学校に勤めていて、担任指導もできない状態で情けない限りだ。術後がおもわしくなく病院通いが続いているとはいえ、担任としての業務も果たせていない。晩節を汚しているようだ。もう限界かな・・・。
 ステロイドで抑えるはずだったが、さすがに上記がショックで寝られない。疲労はそれほどないが、ストレスと睡眠不足だろうか・・・、眠れぬ夜を過ごした朝は、真っ赤に変色し手術前よりも腫れあがっている・・・。今日はT限の授業、写真撮影、担任会・・・。来週は抜糸なのだが、手術とステロイドの効果はあったのだろうか。逆効果で、実は悪性腫瘍だったらどうしよう。
 医者を信じて月曜日を待ちます。その間、何事も起きませんように。
 3年生の授業初めに経緯を縷々説明した。みんな心配そうにしてはくれていた。別に痛くもなんともないが、「どうしたんですか」と聞かれるたびに説明するのがうっとおしい、経緯を説明したパネルをもち歩いた方がいいかな、と言ったら、これは受けました。授業は大変にいい雰囲気でできました。授業終了後に、「僕も同じで切ったことがあります」と言ってくれる学生もあり、なんだか癒された。ほっとする授業だ。
11月4日「まぶたへの注射」
 火曜日は学生は休講だが教員は勤務と思って学校にいたが、ひょっとしたら休みだったのだろうか。講演準備の仕事がたまっているのでちょうどよかったのだが。
 かなり小さくなったが、やはり、取り残しがあり、ステロイド剤をまぶたに注射することになった。何回も注射されたが我慢できる程度の痛さではあった。しかし、注射跡が赤々と残り、なおかつ、注入したステロイドが反応してプックラと腫れてきた・・・。手術する前よりも大きくなってしまった。月曜日の抜糸の日までこの状態で様子を見るとのこと。大きくなって爆発して、それでなくなってしまわないだろうか。手術後よりも、今回の方が膨張して引っ張られている分、痛い。
 医者も、なんとか講演会までになおしたいと思っているので、信頼してお任せしよう・・・。
 明日は研究室の写真撮影があるのだが・・・。
11月2日「術後」
 月曜日午前中、私の知らないうちにクラスの机が10個以上なくなっていることが判明して、手術前にまたしても心労が・・・。
 午後、年休を取り手術。部分麻酔なので雑談をしながら・・・。高専のこと、最近の進学率のこと、隠れた進学校であること、医者の方は初めての話でびっくりしていたが、看護婦の方はよくわかっているようであった。それほど痛みもなく終了。しかし、大きすぎて、完全には取り切れていないようだ。術後、車を運転して外へ出たのだが、手術した方のばんそうこうでみにくくなり、あわてて戻った。家から迎えに来てもらうことにしました。車で待っていると、医者がわざわざ出てきて、痛いですか、と聞いてくる。本当に物腰の低い親切な医者だ。神さんと車で帰るが、とても運転できるような感じではない。家に帰って、お酒も飲めないし、暇な時間をつぶすことになる。顛末の前半は裏で、後半は表にします。
 今日は火曜日。学生たちは休講。高専祭に来なかった学生は6連休!
 今年の4年生の専門展は非常に素晴らしいと思った。電気の出来は昨年よりもいいように思います。
10月31日「シュジュチュ」
 明日は午後から眼の手術。手術なんて40年以上前。あのときも眼の手術だった・・・。単のう腫と記憶しているが、いまの霰粒腫かもしれない。明日の日記を書く気力があるのかどうか。ひょっとしたら今日が最後だったりして・・・。
10月30日「日展」
 私事で恐縮ですが、私の兄は岐阜県ではかなり有名な洋画家です。入選は連続で数知れず、特選も2回受賞し、日展会員になっています。27日から東京で第42回日展が始まり名古屋には来年二月に巡回してきますが、今回、特選の上の会員賞を受賞しました。洋画部門ではただ一人であり、この上には大臣賞しかありません。
 神様は(仏様?)才能のほとんどを兄の方に与えたようです。総理大臣官邸に兄の絵が飾られた時も同じセリフを書いた気がします。私の業績賞等はどこかへ吹っ飛んで行きました。
 兄に刺激され、私もこんなことはやっておれないと、眼科を回り、急遽、11月1日の月曜日(明後日!)に手術してもらえるように手配をしてきました。愚図な私としては珍しいことです。顛末はまた。
10月29日「高専祭なのに」
 外へ出る気になれない。薬を飲んでいるのですが、抗生物質があわないのか、効かない。それどころか寒気がして体調がよろしくない。ますます大きくなってきた気がします。すぐ手術をしてくれそうな別の病院を探すことにします。
 専門展だけは見ておかないととは思うのですが、眼帯でもしていくかなあ。そんなことより台風はどうなるのだろう。
10月28日「霰粒腫」
 医者に行ってきました。予想したとおりでした。かなり大きく注射では間に合わないそうです。薬を出しますが、最終的には切るしかないと言われました。則、切ってくださいと言いましたが、日程がお互いになかなか合わず11月24日になってしまいました。まだ、一か月もこの状態が続くのか・・・。劇的に薬が効かないかなあ・・・。爆発することもあると言われ、それならそれでいいのですが・・・。すぐに切ってくれる病院に変えるか・・・。この二日間でなんだかますます大きくなった気がする。
10月26日「目の上のたんこぶ」
 「まさに、目の上のたんこぶですね」S君に云われ、吹き出すしかなかった。たんこぶほど大きくはないが、小豆ぐらいあり、ネットで調べると痛みがないこと等から「霰粒腫」の可能性が非常に高い。急性の場合は、今回のように急に大きくなることもあるという。高齢になると良性腫瘍や悪性腫瘍の可能性もあると言う。
 ほおっておけば治る場合と、注射で直す、最悪は手術になるようだ。見た目も悪いし(別にいまさら人相はどうでもいいと開き直ってもいいんですが・・・)一度、眼科に行ってきますか・・・。できたらその場で注射なり手術なり即決で直してほしい。
 ストレスと大量の飲酒が原因になると書いてある・・・。これは間違いない。
油ものを取らない、酒を飲まない、1日13000歩歩くことによって自力で直す、こともできるらしいが、一番最後以外は無理・・・。 別の記事で2・3カ月ほかっておけば治るという記事を見つけた。 しかし、11月12日には茨城で講演する必要があるし、12月初めには鹿児島にいくし、12月中旬にはシンポジウムの司会があるし・・・、そのたびに、説明をするのも面倒だ。さっさと切ってしまおうか。腫瘍の検査もしといた方がいいし・・・。しかし、ほっとけば治るのならその方がいいし・・・、悩むなあ、お酒を飲んで考えよう。・・・この悪循環では絶対に治らない気がしてきた。
10月25日「まぶたが重い」
 眠いのではありません。右目のうえのまぶたが腫れて、上を見ようとすると眼球が上がらないのです。脂肪の塊が前からできているのは知っていましたが、それほど気にならなかったのですが、急に気になり始め、大きいなあと思ったら、あくる日から赤くなって余計腫れてしまいました。先週の高速道路の運転の頃から、長いトンネルで見ずらい状況が続いていました。
 一か月ほど前に左の眼の下に腫れものができ、昔の経験では絶対に気にして触ってはいけないと思い、ほかっておいたところ、赤くはれていたものが小さくなり、気にならなくなりした。今もかさぶたのようなものが残っていますが、顔を洗う時も気をつけて洗い、自然に落ちるのを待っています。そのあと、右の親知らずの奥の歯肉が腫れたのですが、何とかおさまったところでした。歳を取るといろんなところが悪くなります。今は目の周り、視力もかなり落ちてきている・・・。車も夜の運転は見ずらい状況。体の外側だけでなく、中側にもいろんなものができ始めているのだろうなあ。胃カメラ飲むか・・・。
今日からアルバム写真の撮影が始まりますが、困りました。なるべく遠くから取ってもらいましょう・・・。
10月22日「内職」
 教務主事が、携帯やゲーム等の授業中の内職をさせないように、と発言していたが、それは内職と言わないのではないかと疑念を感じていた。居眠りをさせないために、教室内を徘徊していると、気がついた。別のことをしている・・・。どうやら次の授業の宿題があって、それをやっているようだ。これこそ内職というのだろう。私の授業よりも次の宿題の方が重要なのね。ああ、そうなのね。一生懸命授業準備をして、寝ないように気をつけて・・・、内職されていたのではなあ・・・。何か対策を立てる必要があるのか。授業の後半にやる演習問題を、授業終了までにしか受け取らないようにするか・・・。なんか、本末転倒な気がする。前に見つけた時は、じっとそばにいたらそれ以来やめたから、無線の特徴を生かしてやっぱりこまめに回るようにしよう。
 今日は学生に質問をしまくった。わかりやすくていい授業だったと自画自賛したが、誰も授業参観に来なかった・・・。
10月21日「授業参観」
 今週の木曜日と金曜日は授業参観の日。教職員や保護者が参観できる。前期にもあったのだが、私の授業に機械科の先生が2名聴きに来た。別にどの学科へ行ってもいいのだが、自分の学科を見には行かないのだろうか。それとも、ノルマとして他の学科が入っているのだろうか。2号館と3号館のつなぎで、ちょうど印刷室からの帰りに立ち寄りやすいのだろうか・・・。
 金曜日は例の実験レポートの提出日・・・。眠らせないように教室中を歩き回るしかない・・・。
10月20日「卒研中間発表」
 一人四分発表、質問一分の設定だから、三時前には終わるとの甘い見込みを吹っ飛ばすべく、質問に制限はかけず、終了目標タイムは五時と宣言したがなんとか四時半過ぎには終わった。私の部屋も含めて全体に進んでいない・・・。そろそろ、厳しくねじを巻く必要がある。
 が、来週からは高専祭・・・。四年生はどうしているのだろう。
 親知らずの奥の歯肉が腫れて痛く、左側の方で中心に噛んでいたら、今度はそちら側も痛くなってきた。困りました・・・。
10月18日「親知らず」
右下の親知らずの歯が腫れてきて痛い。土曜日に天生湿原から、籾糠山に登り、帰りの高速の居眠りが心配だったので、ガムを噛んでいたのだが、それがよくなかったようだ・・・。疲れもあったのだろう。腫れてきてかみ合わせが悪くなり、食事もままならない。体重が減るからいいとは思いながらも、減ったら減ったで、胃癌が進行しているのではないかと心配になるではないか・・・。いよいよストレスがかかり歯が痛む。負の連鎖が始まった・・・。痛み止の薬を飲んだら少し回復したが、今度は薬の影響か、ふらふらする。耳鳴りはするし、目はかすむし、歳を取ったことを実感する。一時間目の授業の初めはとてもつらかったが、授業の終わるころには何とか戻っていた。授業がいい薬になるのかもしれない。明日は中間発表。EEコースの司会をするが、徹底的にやってやろうと思うのだが、気力が持つだろうか。
10月15日「授業中の居眠り」
 火曜日と金曜日の一時間目に四年と三年の授業があるのですが、午後から両学年とも実験の日なのです。ということはレポートの提出日でもあるということです。出席はおそらく全員遅刻なしでしょうが、疲れきって居眠りする学生がでてくるのです・・・。永い経験で手に手を取るようにわかるのです。どうするか・・・。とくに三年生は二号館と三号館のつなぎで往来も多く非常に目立つのです。これまでの経験で、一度起こしてもすぐ眠るのです。そのたびに起こしていては授業にならない。肩に手をかければセクハラです・・・。寝ている学生の周りの学生に質問する方法でとりあえず対処しています。さらに、無線でパワーポイントを使って寝ている学生のそばで大きな声で説明を始めるとすぐに起きます。
 そんなことをしなくても、居眠りなんか吹き飛んでしまう熱い授業ができればいいんですけど。全波整流のフーリエ級数展開をやったのですが、今日の授業はじっとり汗をかくほどとても暑かった・・・。
10月7日「訃報」
 電気工学科を停年退職された名誉教授のH先生が他界された。本校創設期から在職された先生であり、ずいぶん私もお世話になりました。金曜日に北方斎場で告別式があるので参列します。ご冥福をお祈りします。合掌。
10月4日「ロボコン」
 応援学生の引率で豊田高専にバスで行ってきました。豊田までは2時間で行けますので、助かります。これが、富山や沼津だと午前6時出発、午後11時帰宅なんてことになる。
 今年は、両チームとも好成績でした。また、両国国技館までバスの引率になるのでしょうか。山の帰りに長時間の車の運転で、帰宅後、エコノミー症候群で急死した人のことがあるホームページに書かれていた・・・。
10月1日「内定式」
 五年生は内定式で多くの学生が欠席になるので、この日は五年生だけ休講になっています。
 進学組や内定式がこの日でない学生は3連休。来週も3連休。昔なら、休講でも学校に来て卒研をやらせていたのですが、今は、そんな元気もありません。
9月30日「居酒屋」
 東海地区の高専の先生方と岐阜駅北の居酒屋で痛飲しました。9月初めに行った居酒屋だが、全く同じ部屋の同じ場所に座ることになった・・・。とてもおいしかった。いろんな情報を聴くことができる。沼津高専は東海地区では初めて9月夏休みに踏み切るようです。他はまだ模様眺めのような段階。岐阜はきっぱり・・・。
 明日から後期、気分を変えたいのですが、なかなか、すっきりしない。H君が週末に結婚するとのこと。写真とコメントを取られました。お幸せに。
9月28日「フォローアップ週間」
 期末試験が終わり、テスト返却、授業アンケート週間。学会の講演会はFinger Pianoで有名なOBのW君に来てもらいました。新しく会社を立ち上げたとのこと。渋谷で頑張っているのだが、シリコンバレーまではいかないがソフトのメッカだそうです。
 ロボコンが10月3日に豊田高専であります。
 なかなか気分爽快とはいかない毎日です・・・。四月の反動かなあ。
9月21日「講演会」
 以前、こちらからは電話やメールすることがあっても、向こうから連絡してくることはまずない徳山高専のM先生から、突然の講演の依頼があった。この前、同じような立場の茨城高専のS先生から電話があり、やはり講演の依頼だった。この五年余りかなり幾つかの高専から依頼があったが、もうそろそろお役御免と思っていたのだが、頼まれれば断るわけにもいかない・・・、といっても、断った高専もかなりある。
明日は期末試験の予備日で休講。
9月17日「回路の授業」
 三年生の電気回路の授業もとうとうパワーポイントにしてしまいました。授業以外の役に立つ話?をするので、授業が遅れがちなことと、図を黒板に書いてそれを学生が移す作業時間がもったいないからです。しかしながら、どうしても確認しながら黒板に書いていきたいところもあります。いろいろ考えて、パワーポイントは配布資料で配って、問題を液晶ディスプレイから黒板に直接映して、回答はチョークで書き込んでいきます。なかなかいい手だとは思いますが、若干白い部分が薄いのが欠点です。本当は黒板を全面一杯まで広げてもらい、スクリーンをどちらかに寄せてもらえればいいのですが。スクリーンに直接書き込めるようにはできないものでしょうか・・・。
 公私ともに悩ましいことを抱えており、日記も滞りがちです。
9月10日「期末試験」
 前期の授業は終わり、来週からは期末試験が始まる。高専によってはすでに8月に前期が終了し、まだ夏休みになっているところが幾つかあるのだが、大学と同じにして効果があるのだろうか。
 四年生の工学基礎研究の成果はなかなかのものだった。専門展もがんばってくれるでしょう。相変わらず、最初の一時間は見学客でごった返していた。3Eの教室を使うことも考えた方がいいかもしれない。昔は同じ会場数で五年生も出品していた・・・。
9月3日「オープンキャンパス」
 今年は9月の第一土曜日になり、岐阜新聞の模擬試験よりも後になった。希望者は550人とのことで昨年度より1割増しとのこと。1.5倍を切ってしまった入試倍率に何とか歯止めがかかればいいのだが・・・。1.3を切ると本当に危ない。抜本的に改革をしないと駄目だと思うが・・・。
9月2日「科研費説明会」
 毎年、学校主催で実施されています。今回も聴きましたが、今までで一番よかったと思いました。しかしながら、最後に、「論文になる直前の研究を申請する」ことを推奨されていましたが、これは納得がいきませんでした。申請して、何を買うのでしょうか。何をやろうと言うのでしょうか。心理的には採択されたときに、計画遂行に何も心配がないので安心でしょうが・・・。ちょっと、私の考えとは違う。やはり、結果が分かっていることを申請しても・・・。
8月25日「業績賞」
 表彰式では受賞理由が披露された。業績内容と同時に多数の投稿論文が評価されたようだ。確かに幾つかの論文が掲載された。
以前受賞した真空技術賞でも、学会にものすごい数の論文を投稿した。やはり見る人は見ているものなのだろう。
 何とかはけると思っていた背広が、当日我慢できるレベルではないことが分かり、前日にあわてて背広を買いに行った・・・。今回のダイエットは完全に失敗。東北では美食が続き、体重は74kg!
8月18日「表彰式」
 日本工学教育協会の表彰式で東北大学に出掛けてきます。そのまま学会に参加するのと、最後の夏休みを少しとらせていただくので、しばらくお休みです。
 減量計画は結局失敗で体重は72kgのままでした。しかし!最終秘密兵器が効いてきたのか、ズボンが緩くなったのを実感しています。
8月13日「夏季一斉休業」
 結構たくさんの教員や学生が出入りしていますが、今日で終わりです。
 テレビを見ながらお尻の回転運動をやりすぎてお尻が痛くなった。吹き出物ができて!先が膿んでいる。それでもやめるわけにはいかない。
 人間ドッグの結果が出た。とうとうバリウムで引っかかってしまった。胃カメラを飲んだ方がいいと言われたが・・・。あまり気乗りがしない。何でもない場合もあり、そのままにしておこうか、と思ったりもする。むかしX線でひっかかり、断層撮影したが結局何でもなかった覚えがある。胃カメラか・・・。やだなあ。
8月11日「最終秘密兵器」
 その名は「サークルツイスター」といいます。お尻を載せた台がぐるぐる回転し腰の回転運動になります。狙いをお腹の周りに絞り、ここを集中的に減らすということです・・・。体重はそれほど減らないがウェストが細くなるという、すぐれもの?です。先週末に届いたので毎日使っています。テレビを見ながらできますので確かに手頃です。乗るのが楽しみですが、あまりやりすぎるとお尻が痛くなる。お腹の前にお尻のところがすり減りそうです。しかし、なんとなくズボンが緩くなったような気がしないでもありません。
 昨日は停電断水でロボ研もお休みでした。学生もそこそこいるようで、部屋によっては卒研をしているのでしょうか。
8月9日「減量」
 岐阜高専は今週は夏季一斉休業なのですが、ロボ研は活動していますので、月曜日は私が当番で学校にいます。もう、私のできることはこれくらいになってしまいました。
 20日備えて順調に2Kgほど減量ができていたのですが、やはり、停滞期にかかり、その上、東京にしばらくいましたので、この間に毎日、食っては寝ての生活と、間食にピーナッツやチーズをパクパク。高尾山や筑波山に登ってもケーブルカーを使った楽チン登山。
 岐阜に帰ってきて恐る恐る体重計に乗ったら、もとの72Kgに戻っていた・・・。
 筑波山で足を少し痛め、登山は混んでいることもあり、いよいよ、最終秘密兵器を投入するしかない・・・。
8月4日「誕生日」
 昨日59歳になりました。岐阜高専に来て35回目の誕生日。来年は当たり前ですが60歳。還暦ですか・・・。一年後の自分の姿が想像できません。
 夏季休暇の間にメールが一杯溜り、午前中はその整理に追われました。四年生も五年生も来ています。
 休みのうちに百名山をひとつクリアしました。
7月28日「夏休み」
 公私ともに問題が多く、あわただしく過ごしていました。夏の一斉休業中もロボ研の当番があるので、早めに夏季休暇を取ることにしました。7月30日から8月3日の誕生日まで休みます。誕生日の富士山登山はちょっと無理のようです。今年は楽して百名山・・・。
7月21日「試練」
 学生にはつらいことがこのところ続いているが「神は乗り越えられる試練しか与えない」。どんな時も「あきらめたら終わりです」。暑い最後の夏を過ごしてほしい。
7月16日「梅雨明け」
 まだすっきりしないが、なんとなく梅雨明けをにおわせる雰囲気。いままでなら、今日で学校も夏休みに入るのだが、今年は来週の水曜日まで授業がある。編入学試験の結果が出つつあるが、ちょっと心配なところがある。これだけは私の力ではどうしようもない。学生に頑張ってもらうしかない。
昨年までは7月に御嶽山に行っていたが今年はもういいかな。天生峠の籾糠山に行ってみたいが梅雨明けは大混雑だろうなあ・・・。今年の富士登山はどうするか・・・。
7月15日「ためしてがってん」
 疲れない山登り法で、演歌を唄いながら登ると言いそうだ。息切れがするようではハードすぎるので、息切れがしないように演歌を歌えるほどのペースでということなのだが・・・。なんとなく違うような気がする・・・。そりゃ、鼻歌交じりに登れればいいのだが、どれだけでも時間がかかってもいいというわけにはいかない。乳酸値が低い方がいいというのだが、楽して登ろうとは思っていない。それなりに負荷がかかった上での自分の頑張りを納得したいんです。ストックや地下足袋も話としてはわかりますが、地下足袋で細かい石を踏んではとても痛いだろうし、ねんざは大丈夫なのだろうか・・・。
 梅雨明けの山ではこれから地下足袋で演歌を歌いながら山登りする中年や老人が増えるのだろうか・・・。
7月13日「減量曲線」
 何とか一週間で1kgは減っている。おそらく、2kgまではすぐに落ちるがそこからは何らかの手を打つ必要がある。梅雨が明けさえすればハードな山行で落ちるのだが、ダンベル体操を復活させるか・・・。それともキャベツダイエットか・・・。腹巻ダイエットというのを最近発見したのだが効くのだろうか・・・。
7月8日「減量番組」
 テレビは生ではあまり見ないんですが、昨日の午後7時からやっていた石田純一の減量番組には思わず神さんと二人で見入ってしまいました。減量曲線は毎日つけていたので、実感できます。減量、停滞、減量、停滞でだんだんと痩せて行くのですが、停滞の部分が長いと何か別の新たな手を打たない限り、次の減量がやってこなくなり、そこからリバウンドして行く。
 やっぱり長続きする運動をすることが一番のような気がします。筋肉をつけて基礎代謝を増やすことが大切なのだと思います。
7月7日「ウォーキング」
 表彰式のある8月20日までに何としても体重を落とす必要がある。夏用の背広が切れなくなってしまったのです・・・。休みの日に歩くだけでは体重が落ちない・・・、どころかじわじわと増えている・・・。毎日、帰宅後に30分歩くことにしました。何となく朝ズボンをはくと楽になったような気がしないでもない。6週間で4Kg減・・・、できない話ではない。昔はつらかったのですが、今は歩くことが楽しみになっています。
6月30日「PK戦」
 抜け殻のようです。ベスト8までほんのちょっとのところまでだったのですが、しかたありません。PK戦の緊張感は人ごとではありません。また四年後、私は62歳になっている。なんだか想像することができません。次は宇佐美世代でしょうか。
 もう今年も半年がたってしまいました。折り返しです。どんな日々がまっているのでしょうか。
6月29日「就職」
 全員決まりました。次は、編入学です。7月が最盛期です。
 さあ、今晩は大一番!この日記がアップされることには結果はでている。がんばれニッポン!
6月28日「パラグアイ戦」
 一発勝負の緊張感を楽しめる。こんな状況になることはこれからあるのだろうか。がんばれニッポン!
 名工大の試験が終わった。結果はどうなるのだろうか。学生はWCどころではない・・・。
6月25日「やりましたなあ」
 午後9時に寝て午前3時半に起きる予定でしたが、目が覚めたのが午前2時半、今寝ては起きられないと思い、ごそごそと足を忍ばせ一階のテレビの前へ。本田選手のFKに静かにガッツポーズ。周りの家は老人ばかりでテレビを見ていないので大声は出せないんです。・・・本当に勝ってしまった。次はパラグアイ。来週も寝不足が続く。教員室で知らぬ間にうつらうつらして、気が付いたら一時間目の授業が始まる直前・・・。
中間成績の報告がでました。取りに来た学生に渡していますので、保護者の皆様は学生から見せてもらってください。今回の中間試験は大学受験組がそれどころではないこともあって、全体に平均が下がっている印象です。
6月24日「デンマーク戦」
 総力決戦です。日本の持っているすべての力、応援するものの思い、日本のサッカー国力とデンマークのサッカー国力の勝負です。遠く南アフリカまで念を送りたい。がんばれニッポン!
今日は早く寝なきゃ・・・。
6月22日「気力」
 このところ、授業だけはこなしているのですが、それ以外の時間帯はなかなか気力が出てこない。本当に夢の中にいるようなので夢日記も書けない・・・。それもこれもワールドカップ!HDDに撮りだめはしているのだけれど、どうしても生で見てしまう。終わるのは午前1時。いつもなら午前四時には目を覚ましているのだが、さすがに起きられず、午前六時起床。学校には七時半到着・・・。
 明日の午前3時には韓国、そして金曜日の同じ時刻には運命のデンマーク戦!いずれも、一時間目の授業がある・・・。
6月18日「怒涛の10日間」
 6日に恵那山、7日にお祝い会、10日に名古屋で講演会、12日13日にハードなウォーキング、15日に名古屋で宴会16日に豊田に出張、他の日は出掛けた分の穴埋め授業、テスト採点・・・。ワールドカップも始まり、とても日記を書く気力が出てこなかった。
 女子学生の一発合格はうれしかったが、F君の合格もうれしかった。ちょっと無理かなあと思っていましたが、念願の夢がかないよかったと思います。
 次は進学組ですが、みんな勉強しているのかなあ。本当に一心不乱に勉強しないと駄目。世の中甘くない。他の高専の学生も必死になっているのだから。専攻科も難しいと思う。
6月9日「ビデオレター」
 昔、電気の3年生(電気工学科としては最後の学年でしたか)がロボコンに出て、その指導教員をしていました。その時のメンバーだったOさんとFさんと5月29日土曜日に研究室で再会しました。なんでも同級生だったNさんとK君が結婚!するとのことで、ビデオで祝辞をとのことでした。クラス写真を見ながら懐かしく思い出していました。NさんK君お幸せに!
6月7日「お祝い会」
 電気の表彰をお祝いする会が本日開かれます。懐かしいT先生やK先生もおいでいただけるとのこと。久しぶりで楽しみです。
 最近、休みの山行の疲れが月曜日に残ってしまって、ストレス解消が本末転倒になっています。なんだか体がだるい・・・、でも、一杯飲めばすぐ元気になる・・・。
6月4日「認証評価」
 出張が重なりなかなかアップできませんでした。久しぶりに認証評価の説明会に出席しましたが、前回はかなりの知人がいたのですが、今回は数人しかいませんでした。第二サイクルに入り、各校も人の入れ替えがあるようです。
 第二サイクルに入り、変更になった点がかなりありました。本年度中に対処しておく必要があるものもあり、今回参加してよかったと思います。今回初めて参加した人には、説明のポイントがわからないこともあるのではないかとおもいます。幸い、第一サイクルでは認証評価の真っただ中にいましたので、今回の重要なポイントはわかっているつもりです。教職員全員に詳細な報告書を提示しましたので、各分掌で早速対応されるのではないかと思います。ポイントは別室で。
5月28日「出張」
 このところ忙しくて出張する時間もなかったのだが、来週は東京に出張する必要がある。就職関係の連絡等に支障がないように手を打っておく必要がある。なかなか、三日以上学校をあけるようなことは今のところ無理である。
 中間試験の準備もあるし、はやく夏休みが来ないかなと願うのは学生ばかりではない。
5月25日「就職試験」
 あと2名になりました。次は大学編入学・専攻科組です。
 学生があまり書類をもってこないが手続きは進んでいるのだろうか。就職は推薦だからこちらも気にはかけるが、学力試験は個人申請だから、持ってこない限りこちらからは何も言いません。
5月21日追加「女子学生の就職」
 三人目の内々定が出ました。相手先からの「内々定がでました」の電話に、思わず「やったあ!よかったあーーー」と叫んでしまいました。相手先も電話口で笑っておられました。お互いに気持のいいものです。「本人には先生から伝えてください」と言われ、至福の瞬間です。これで、就職希望の女子学生は全員が一発合格!結構昨年あたりから厳しい就職状況で心配していましたが、本当に頑張ってくれました。ご両親とも何回もお会いしましたが、喜ばれている顔が目に浮かびます。よかったあ。今日も酒がうまいだろうなあ・・・。最近酒量が増えすぎているような気がする・・・。すっきり、ぽっきり・・・なんてことにならなきゃいいけど・・・。
5月21日{授業参観週間」
 今週は授業参観週間。どの先生がどの授業を聴講に行ってもよい。最後の金曜日は4年生の電子工学。ちょうど一番盛り上がる半導体のnp積が一定になるところだ。入念な準備の上に、学生には「ここからが今日のハイライトだ!」と高らかに宣言して、パワーポイントで半導体のnp積は一定を説明した。熱演して燃え尽きたが、さっぱり受けなかった・・・。以前は、結構よくわかったと好評だったが、歳を取って演技力が落ちたのか、それとも、年齢があまりにも離れたからなのか・・・。しかし、去年は受けたはずだが。このままでは、例の一時間にわたる話も受けないだろう。今年はやめるか・・・。
誰も聴講に来なかった・・・。
5月18日「白草山」
 岐阜県と長野県の県境、乗政キャンプ場から16日に登りました。ちょうど3年前に初めて登り、その景観に圧倒されました。2008年の年賀状に写真を入れましたが、「何があったんだ!」と私と山の組み合わせの写真に驚かれた方もいたようです。神さんにもこの景色を見せたくて、天気のいい日を狙っていました。前回よりもさらに眺望に恵まれ、御嶽山はもちろんのこと、乗鞍、穂高までくっきりと見渡すことができました。1時間半ほどで登ることができますので、お勧めの山です。
 就職は最終段階に突入しつつあります。
5月13日「Finger Piano for iPad」
 今朝の岐阜新聞の朝刊に大きく紹介されていました。彼は十年前に私が4・5年を担任した時の学生で、その当時、それほど知名度が高くなかったD社を希望したので、びっくりして確認したことを思い出します。
 卒業生は電気情報工学科や岐阜高専の宝物です。でも、記事には岐阜高専出身であることは記載されていませんでした・・・。
 これから、卒業式後の謝恩会では「将来、君たちがマスコミに出るようなことになったら、必ず、岐阜高専出身であることを付け加えてくれ」と頼もう。
5月11日「女子学生の就職」
 二人目も内々定がでました。男子学生には逆ハラスメントだと怒られるかもしれませんが、電話で合格と言われると、やはり、「ありがとうございます!」と一オクターブ声が上がってしまう。女子学生に、次の会社の相談をもちかける辛さは男子学生の比ではないと思う・・・。そんなことを気にするような女子学生ではないから見事に一発で合格するのだと思うけれど。
 求人の方と面談する時には必ず女子学生の採用について聞いてきた。学生へのメールにも女子学生OKとの件名をいれて配信している。セクハラ的なことをしているとは思うが、現状はそうしないとこちらも困ってしまう。
 ある企業の面談で、頂いた会社案内の中に女子従業員がオペレータをしている写真があったので、喜んで確認のため、「女子の採用は?」と訊いたら、「女子は採用しておりません」と言われた・・・。「こ、こ、この写真は」・・・、と言いたかったが、何とか思いとどめた。
5月7日「進学関係の書類」
 願書の期限について学校で定めた期限を守らない学生がいる。学力試験は就職の自由応募と同じですべて本人の責任であり、記載を依頼されたものだけをこちらで記入する。ここは何を書けばいいのかと問われても、自分で考えるか、わからない場合は受験先に問合せなさいという。願書が間に合わなければそれは本人の責任。自分でやらないと道は開けるはずもない。
 就職試験は推薦なので相手先もあることであり、責任をもって対処するが、編入学試験は、願書が届かなければ受ける意思がなかったと言うだけのことであり、気分的には気が楽である。
5月6日「GW」
 各務野自然遺産の森徘徊、さわやかウォーキングで中津川徘徊、土岐の美濃焼まつり、ヨーカド―までの往復歩き、で終了でした。幾つかの山々への挑戦を考えていたのでしたが、さえないGWになってしまいました。
 土岐の美濃焼まつりは初めて行ったのですが、多治見とは比較にならない規模で来年も行きたいと思いました。会場では、思いもかけず、岐阜高専を退職されたT竹ご夫妻に偶然会いました。毎年こられているとのこと。偶然に驚いています。
4月30日「パソコン」
 家のパソコンがバグる用になったので、とうとう、新しいパソコンに買い換えました。インターネットの接続が不安なので別のノートパソコンで練習しておいたのですが、LANケーブルをつないで起動したら知らないうちにつながっていた・・・。大丈夫だろうか・・・。いままで必ず固まってしまっていたホームページもあっという間に閲覧できる。別に光でなくても十分です。10年前のパソコンだったので回線よりも本体の方が問題だった。快適です。
4月28日「電話」
 教務主事をしている頃、主事室の電話が鳴るとドキッとしたものだ。今も、この時期の電話はドキッとする。受験先の企業からだと緊張し、言葉の使い方などから「だめなのか」「合格したのか」等そればかり気にしている。話の内容もあまり耳に入らず、生返事になる。
「合格です」と言われれば急に明るい返事になり、「残念ながら」と言われれば、落ち込んでしまう。全く体に悪い。子供の受験結果を見に行くのと同じ緊張感がある。どちらにしても刺激的な体験と前向きに受け取ることができるだけの人間ではない。寿命が縮まっているのか、刺激を受けて長くなっているのか。
4月27日「内々定」
 第一号が出ました。電話で連絡があったのですがやはり我が子のようにうれしい。昔は部屋にこさせたのですが今は携帯メールがありますので、真っ先に喜ばせたいので早速メールです。本人からの喜びの返信メール。これがあるから楽しんですが、落ちた場合は連絡するのも心労が重なる。
 ところで、企業からの連絡はメールがあるにもかかわらず、相変わらず電話連絡です。聞き間違えていたら大変なので、幾つかの会話で確認を取るのですが、一日たつと、本当だったのかと不安になります。このまま10月まで何もしないまま行ってしまうのですから、怖いと言えば怖い・・・。
等と書いていたら、突然の電話。I社。ちょうど昨日面接試験があり、女子学生が電話のちょっと前に来て、面接で失敗したから次の会社を探したいと言うので、いくつか紹介していました。結果は明日わかるとのことだったので、今日の電話ではだめだろうなあと思いながら、しょぼんとした声で応対していました。「合格です!」といわれて、思わず「本当ですか!!!」「やったあ!」と叫んでしまいました。向こうもびっくりしていたのではないかと思います。「とてもはきはきと受け答えされていました」と言われて、また興奮してしまい「ほんのちょっと前に彼女が来ていて駄目だったと言っていたのでがっくりしていたんです。いやあ、久しぶりに嬉しい知らせです。ありがとうございます。」とこちらから「ありがとうございます」を連発していました。涙腺が緩み、最後の方は涙声になってしまい、聞き苦しい電話になってしまいました。自分の子供たちが大学に合格した時と同じくらい感激しました。本人も、保護者さんも喜んでおられると思う。合格のうれしさを共有できることは素晴らしい。担任でよかったと思う瞬間です。彼女とは何度も面接の練習をしただけに努力が報われたのだと思います。よかったあ。今日の酒もうまいだろうなあ・・・。
4月26日「新聞報道」
 中日新聞の地域版に載せていただきました。予想以上のスペースでしかもカラーにしていただけました。少し上からの撮影でしたのでおなかのでぐあいも目立たず・・・。休みに体重計に乗ってびっくり、74kgになっちまった・・・。眼もかすむ・・・。これは歳のせいか。
4月23日「土日」
 さて、自分ひとりでこの休みをどう過ごすか。朝はゆっくり寝て、と思うのだが、きっとおなかがすいて起きてしまうだろう。天気がよさそうだし、久しぶりに山行もいい。冷え込んでいるので眺望もいいだろう。思い切って遠くの山に行ってみようか。しかし、熊鈴を亡くしたので、単独では危ないかなあ。そろそろ、出てくる頃だし。そんなことより、登山用のズボンをはくことができるかどうかの方が心配である。
4月22日「弁当」
 朝食を食べながら、同じおかずを弁当箱に入れていく。つまり、朝食と昼食は同じもの・・・。何となく目がかすむが、パソコンのせいか、老化のせいか。昼食後はバンドがきつい・・・。
4月21日「今日から独身2」
 いつもより若干帰りも遅い。夕食を作って(・・・といってもあるものだけですが・・・)、お酒を飲んで、「ゲゲゲ」の録画を見て、「野だめ」の録画を見て、いつものパターンです。違うのは、今まで絶対に神さんの前で食べなかった間食を、堂々と、しかも、制限なく食べている点です。ウィスキーはつまみと一緒に食べないと体に悪いと勝手に呟きながら、チーズを一枚、さらに一枚、・・・。焼酎に切り替えると、チーズは合わないと呟きながら、イカの塩辛を冷蔵庫から取り出す・・・。間違いなく太る。
4月20日「今日から独身」
 神さんが東京の子供たちのところへ出張して行きました。炊事、洗濯、掃除・・・。久しぶりに全部自分でやる必要があります。前回はこまめに弁当を作っていましたが、今回は果たして・・・。毎朝きちんと起きることができるだろうか。せっかく作った弁当を忘れたりして・・・。
4月19日「弁当箱」
 毎朝のルーチンワーク。出かけるとき、食卓の上の弁当箱を入れる。学校に着くと出勤簿に印鑑を押す。部屋の鍵をあけて蛍光灯のスイッチを押す。カバンを置いて弁当箱を取り出す。無い・・・。久しぶりにまたやってしまったか・・・。神さんが怒るだろうなあ・・・。しかし何らかの連絡があってもよさそうな・・・。そういえばカバンにいつものように入れた記憶がある。ひょっとしたら印鑑を取りだすときに弁当箱が邪魔になり出勤簿の上に置いたような記憶がある。出勤簿の上に弁当箱が置かれて誰のものかと話題になっていはしないか・・・。あわてて確かめに戻ろうとして、部屋を出たところで、ひょっとしてと思い家に電話をかけた。家に忘れてあるそうだ・・・。カバンの中に入れて記憶とは・・・、出勤簿の上に置いた記憶とは・・・。こんなんで就職進学指導が間違いなくできるのだろうか・・・。しょぼんとしながら部屋に戻ってきて、部屋の戸を開けて、蛍光灯のスイッチを押す。部屋の電気が消えた・・・。
4月17日「新聞報道」
 岐阜新聞の県内版に掲載されました。前に記事になったのは20年ほど前のレーザ真空計の話でした。あのときも学会賞をもらったのでした。賞を取るためや新聞に掲載されるために仕事をしているわけではないのですが、地道にやっていることが他から評価されることはありがたいことではあります。停年まであと五年?ですが、とりあえず、次にやることは決まっています。
4月16日「心配症2」
 中部電力の締め切りが金曜日なので、やはりこれも心配だったので確認のメールを入れました。無事着いていました。心配しすぎだとは思いますが、学生にとっては将来を作用する非常に重大なことですからミスは許されません。私のできることはすべてやりましたので後は学生に任すのみです。何人かの学生がすでに面接が終わり、報告に来ます。いよいよ、来週が最盛期でしょうか。内々定第一号は誰でしょうか。
4月14日「心配症」
 単位修得申請書は、結局、卒研の時間に各研究室を回り集めました。なおかつ、申請科目もチェックしました。開き直っていても、結局、余計に心配事が増えるだけなので、しっかりチェックして安心しました。
 就職の書類でも同じような心配ごとばかりです。こちらは早めに用意しているのですが、学生は締め切りの日から逆算している・・・。ある会社の締め切りが今日なので無性に心配になりました。かなり前に書類を全部処理して学生に出させたのですが、もしも届いていないと一生の問題になる。そう思うと不安で不安で、郵便事故ということもあるので簡易書留にするように指示をしておいたのですが、その指示を守ったかどうかも不安で・・・。今朝、早速メールを入れたらすぐに返信が来て、昨日届いたとのこと・・・。私が処理したのはかなり前のはずだが・・・。とりあえずは大丈夫のようです。郵便事故の話は別室で。
4月13日「単位修得申請書」
 明日が締め切りだが、今朝の時点で誰も持ってきていない。これを出さないとあるいは科目を間違えると四月の時点で留年が決定・・・。来年の2月に卒業判定をするのだが、実は、四月の段階で留年していたなんてことになったら・・・。
4月12日「一週間のリズム」
 長い間、月曜日の一時間目に授業が入っていた。前期は月曜日の座学の授業がない。本当に久しぶりだ。一週間の始まりが授業ではないので、生活パターンがくるってしまう。学期初めは用意はしていてもいろんなトラブルが起こる。まずはプリンタだった。感光体ユニットの交換が突然現れた。前回は予告があったのだが今回はなかった。あわてて注文しようと思ったが、注文の印刷自体ができない・・・。
4月9日「科研費獲得大作戦パートV」
 科研費の話が3日目になりましたが、それくらいうれしかったということで。
 教育系の科研費が長く続き、次の展開として、その路線でいくのか、それとも、専門の研究の方に戻るのかで迷いました。いつもであればかなり前から準備するのですが、今回は9月でもまだ迷っていました。10月頃に何とかものになりそうなアイディアが出てきて決断しました。高専祭の専門展の準備で学生たちが遅くまで残っていましたので、それに合わせて学校にいる時間が長くあり、このときに書き上げました。科研費が取れたのも学生たちのおかげかもしれません。努力しなければ報われない。大作戦としては、これまでとは異なった試みを幾つか取り入れましたが、それが有効であったかどうかは定かではありません。
4月7日「毎年1件採択」
 岐阜高専に勤めて35年目になった。これまで科研費は合計34件採択されてきたので、今年採択されなければ一年に一件の平均値がさがってしまう瀬戸際だった。11年連続2件採択されたこともあるが、最近の規程では2件とることはなかなか難しく、今年がだめだと記録が達成することは極めて困難になるところだった。勤め始めて停年までの間で、研究年数分の科研費を研究代表者として採択している教員は日本全国でどれくらいいるのだろう。日本記録ではもちろんないでしょう。上には上がいると思います。少なくとも高専ではいないのではないでしょうか。
4月6日「科研費の鬼」
 今回は無理かなあと思っていた。うまい文章にはなっているが、なんせ、ここしばらくは教育関係の科研費で、自分の専門分野では5年ぶりなのでいささか心配ではあった。いつも、四月ごろに読み直して、ふつふつと自信があふれて絶対取れると思っていたのだが、今回は、ちょっと無理かなと自信がなかった。今年駄目なら、当分(というか停年まで)駄目だろうと考えていました。
 昨日の段階で学校へは通知があった旨研究主事が報告していたので、昨日の歓迎会のお酒はいまいち楽しめなかった。・・・生殺し・・・。他の先生も結構気にしているようであった。研究主事がすぐ前にいたので、よっぽど聴くかとも思ったが、怖くて、止めた・・・。
 先ほど書類が入っていた。通っていた・・・。うれしい。今回も電気ではなく機械の方で申請し、しかも、今回初めて分担者を入れずに全く単独にした。自分の作文能力に驚いている。ここまで行くと、神は兄貴には絵の才能を与えたのだが、私には、申請書作製の能力を与えてくれたのではないかと思う。うれしい!今日の酒はきっとうまい。下記の表彰に加え、いいことが重なってきた。こんな時こそ浮かれずに自重せねば。
3月31日「業績賞3」
 電気のOBの先生からお祝いのメールを何通かいただいた。前祝いのお誘いもある。学科が表彰されることはめったにあることではないので、この際、学科の教育業績として大いに宣伝したい。表彰式で頂けるのは賞状だけだったか・・・。
3月30日「業績賞2」
 8月に仙台で開かれる学会の開会式で表彰を受ける。以前の開会式に出た時は、あんな壇上で表彰されることはないだろうと思っていたが、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。日本真空協会の技術賞をいただいた時は、ちょっとした間違いで表彰式に出そこなった。今年は間違えることなく出なくては・・・。
3月29日「業績賞」
 「電気情報工学科」が第19回日本工学教育協会賞・業績賞に選考された旨の通知がありました。表題は「エンジニアリングデザインに対する自主的・継続的な取り組みを促進する教育システム」です。賞をもらうために教育をしているわけではないのですが、それなりに活動を客観的に評価していただいて賞を頂けることは、それはそれで大変に嬉しい。代表は私ですが「岐阜工業高等専門学校電気情報工学科」の団体が表彰されるわけで、この十年余り全員で実施してきた教育業績を認めていただけることになり、喜ばしい限りです。もちろんこの間に定年退官された電気情報工学科の全教職員の努力の賜物であると思っています。
 業績内容としては科研費報告書(とても重いので、興味のある方だけ開いてください)に詳しく記載していますが、コース別教育課程と実践技術単位を絡めて電気情報工学科への改組を期に学科全体で取り組んできた教育システムです。
懐かしくなり、以前学科長をしていた頃のホームページ変わりゆく電気工学科を読み直しました。十年前に思い描いたことのひとつが実現しました。
「こいつあ春から縁起がいいやあ」年度の終わりに飛び込んできた朗報でした。
3月26日「推薦書」
 就職のための学校の推薦書は機構の規程で7月以降しか発行できないために、学級担任が作成することになります。久しぶりに書いていますが、間違いが多く、こんなんで大丈夫だろうか。学生には、どこか間違っているからそれを発見してくれと言うしかないような・・・。
朝、登校し、車のロックを忘れないようにドアの確認をして、数歩歩いたところでロックしたかが気になり、再度ロックの信号を飛ばしている自分がいる・・・。
3月19日「呼称」
 「目からうろこ」ついでに、メンタルヘルスの講演会終了後に講師に質問しました。
講師への質問「以前メンタルヘルスの講習会で「家内」「奥様」というのは女性に対して差別用語に当たると言われましたが、やはりそうなのでしょうか。」
講師「そうです。差別用語に当たります。」。
私「扶養関係の書類を事務に持って行った時の会話です。私「家内の辞令をもってきました。」、事務「奥様が学校を止められるのですね。」この会話はどうすればよろしいのでしょうか。」。講師「うーん・・・。・・・。「配偶者」ですね。これなら差別になりません。」。・・・
私、「配偶者の辞令をもってきました。」、「配偶者が学校を止められるのですね。」「こんな会話をしていたら、今まで普通にしていたのに、ぎすぎすした会話になってしまうのではありませんか。」
講師「・・・」
ますますストレスがたまってしまった。
今日は卒業式。式前の先生方との会話は「君」「さん」の区別で盛り上がった。私が毎朝の記事でチェックしている限りでは、新聞報道では児童、生徒は「君」「さん」の区別をはっきり使っている。それに対して大学生、社会人では「さん」で統一している。高専生は生徒ではなく学生だから、「さん」で統一すべきか?
授業初めに学生に「時間短縮のため、敬称は省略する」と宣言して呼び捨てにするか・・・
シラバスに授業中の敬称は省略すると記載しておくか・・・
講演で、T高専の学生が「君」と呼ばれて気分が悪かったと紹介されたのでは、無視するわけにもいかない。
悩むなあ・・・。夜も寝られない・・・。毎朝の新聞の日課に敬称チェックが入る。テレビでも気になる・・・
みのもんたさん「おーい、根本君」、「高畑君」・・・女性なのに「君」で呼びかけている。・・・こういう人にはストレスはたまらないのだろう・・・。いいなあ。
3月18日「メンタルヘルス講習会」
 毎年、教職員を対象に開催されています。目的は「業務の多様化、教育、研究等の業務量の増加により、教職員のストレスの増加が懸念されます。そこで、身体的な健康とともに、心の健康を維持するために、メンタルヘルスに関する正しい知識を修得し、メンタルヘルスの向上を図るため講習会を開催します。」とあります。いつもはおとなしく聴いているだけでしたが、今回は冒頭から質問がたくさん上がり、熱の入った講習会でした。私も、目からうろこ、時代に取り残されているなあと実感しました。
運命的人間関係(親子等切っても切れない関係)、選択的人間関係(友人、恋人、夫婦!分かれる可能性のある関係?)、偶然的人間関係(職場、学校等ある組織で偶然に出会った関係))の中で私たちがとりあえずハラスメントを気をつけるのは偶然的人間関係です。パワーハラスメント、アカデミックハラスメント、ジェンダーハラスメント、セクシュアルハラスメントに関しては、通常の概念で行動していれば問題になることはないと高をくくっていましたが、次の2点は反省?改善すべき?事柄なのでしょう。
@教職員同士はもちろん、対学生に対しても、身体的接触は同性においても問題である。
A教職員同士はもちろん、対学生に対しても呼称は「さん」とすべきであり、「君」と「さん」を使い分けるのは問題である。
@については先生方からも多くの質問が出ていました。私も、先日、S君が(Sさんと書かないといけないのか・・・)部屋に来て、何度も説明したことをまた質問に来たので「S君(さんでした)、この間はなしたとおり・・・。疲れがたまっているなあ」と言いながら肩をもみましたが、これも同性へのハラスメントになる・・・。気をつけなければ、と反省しておりました。
Aについては違和感がありました。教職員同士で「さん」づけで呼ぶことは何の抵抗もありません。そうすべきだと思います。しかし、教室では「君」と「さん」を併用してはいけないのか、と思い質問しました。駄目だそうです。小学校では「さん」で統一しているそうです。私が時代遅れなのでした・・・。四月からすべての学生を「さん」づけで教室でも呼ぶことになるのか・・・。
 朝刊を見ていたら、高校入試の合格発表の記事があった。「岐阜高校に合格した島中学の○○君(!)は・・・と語っていました。また羽島中央中学の××君は・・・と誓っていました。」
・・・学生や生徒の場合は君・さん併用の方がいいように思うのだが、駄目と言われれば直すしかない・・・
メンタルヘルス講習会に出て、余計にストレスがたまったような・・・。
3月17日「K先生」
 K先生とは同期着任だった。あれから35年、独身時代は官舎にお邪魔して、麻雀、酒、歌、将棋・・・ずいぶん濃い時代を過ごした。同期は5人いたのだが、最後まで残ったのは二人だけだった。そのK先生が退職の時を迎える・・・。
 岐阜高専では3月に送別会が行われている。着任以来、欠かさず出席してきた。多くの教職員が思い出深い挨拶をしていかれる。今年も出席の返事をしていたが、何と、数年ぶりに38度の熱が出てしまった。最も出席したい送別会だった。あくる日、午前中は学生と面談があり、また、午後1時から3時まで企業の採用面談がびっしり入っていた。薬で熱は抑えられているがなんとなくだるい。午後3時から教員会議があり、ここで退任のあいさつがあるはずだから、休むわけにはいかない。
 教員会議の報告のあと、その他に入り、議長が「今年度をもって退職される、K先生、W先生、E先生お立ちください」と発言する。いよいよ最後のあいさつか・・・。議長「それでは拍手をお願いします」・・・。挨拶なしで終わってしまった・・・。
二日連続で同じような話をしてもらっても仕方がないという判断が上層部であったのでしょうか。送別会に出席しなかった私が悪いんでしょうね・・・。続きは別室で。
3月12日「送別会」
 3月に行われる送別会の欠席ははじめてだった。今日も色々な人に欠席でしたね、といわれてしまった。申し訳ない。以下、顛末記。
 火曜日の朝、胃の上部がしくしく痛み、いやな予感。我慢ができず昼から年休を取り家で静養。こんなことは久しぶりだった。水曜日、進級や就職の面談ではずせず学校へ。なんとか薬で持たせて家へ帰り、体温を測ったら38.2度・・・。薬を飲んでひたすら寝るだけ。すごい寝汗。木曜日、インフルエンザかもしれないので医者に行かなければならないが、午前中に進級判定会議がある。学生への連絡もある。はずすことはできない。もしインフルエンザなら電気の先生に移ってしまうか・・・。熱は37.5度を推移しているのでインフルエンザではないだろうと勝手に推測・・・。夜、校医さんのところへ。インフルエンザではなかった。よかった。これでインフルエンザではみなさんに顔向けできなかった。本当は勝手に判断してはいけないんですが。薬をもらって、夜、また激しい寝汗。朝、体温は35.9度に下がっている。校医は名医だ・・・。若干病み上がりの感じでおかしいところもあるが何とか幾つかの懸案事項に対処できそうである。薬で持っているだけかもしれないが。
以下、今回の症状の特徴。
@毎晩のように飲んでいたお酒を全く飲む気が起きなかった。
A食欲だけはもりもりあった。
B体温計で一喜一憂し、自覚症状が変わる・・・。(今に始まったことではありませんが・・・)
3月11日「熱」
 あちこち痛み、寒気もするので、風邪薬を飲んで養生している。やはり今日の送別会は欠席するしかない。ここ数日、代理が聞かない仕事が入っているので、体と相談しながら対処するしかない。
3月10日「体調」
 みぞおちの左のあたりが痛む。昨日はとても我慢できず、午後から年休を取り家で寝ていた。今日は昨日ほどではないがやはり痛む。早退するか・・・。気弱な自分がいる・・・。とても明日の送別会は無理なような気がする。
3月8日「就職指導」
 38名中13名が就職ガイダンスに集まりました。そのうち5名が電力関係希望・・・。ずいぶん沢山の求人面談をしてきましたが企業の方には期待に添うことはほとんどできずに本当に申し訳ない。
3月5日「学級指導」
 久しぶりの年度末の学級指導。落ちの内容に気を配るのに精いっぱい。くわえて、待ったなしの就職指導。進級については首を洗って待つしかないが・・・。
3月3日「学年末」
 次々と終了して行く。卒研発表、工学基礎研究発表、フォローアップ点検、成績提出・・・。あとは送別会、卒業式、謝恩会。そして春休み。しかし、今年の春休みはそれほどのんびりできない。就職指導がすぐ始まる。
2月26日「存在意義」
 一体自分は何をするために生をうけたのだろう。何をしてきたのだろう、何もしていないのではないかと忸怩たる思いを抱いていた。 先日、就職希望の学生にできる限りの助言をするという温かい卒業生の申し出をもらった。ふと気がついた。私は多くの卒業生を育てるのに少しは寄与できたのではないか。それが一番大事なことではなかったのかと。
2月23日「体調」
 少し持ち直しました。ウィスキーをやめて麦焼酎に戻したのがよかったのかも・・・。
2月19日「期末試験」
 新しい進級判定基準のもとに学年末試験を迎える。どうもこのところ気分がすぐれない・・・。重苦しい・・・。
2月18日「地震警報」
 10時過ぎに「ビッビッビ」という大きな音が放送でかかる。火災報知機かと思ったが、いつもと音が違う。かなり長い間なり、教室もなんとなく騒がしくなる。とても授業をできるような音ではない。これはおかしいと思ったら、録音音声で「間もなく小さな地震があります」と放送された。以前話題になっていた地震警報システムが作動したらしい。しばらく同じメッセージが続けられた後、「5,4,3,2,1」とメッセージが流れ、学校中が静粛になった。私も廊下でかたずをのんで待っていた。何も感じなかった・・・。
 サハリン沖で起きた地震から警報システムが作動したのだが、最初の「ビッビッビ」という時間が長すぎるように思ったが、地震到達から逆算したシステムになっているのかもしれない。システムの中身をある程度周知してもらい、把握していないと、こちらも対応に困る。
2月17日「物忘れ」
 物覚えが悪いのは昔からだが、物忘れが本当にひどくなってきた。お昼の弁当を食べた後、歯を磨くのだが、磨いた後に、歯磨きをしたかどうかを覚えていない・・・。なんとなく口の中で歯磨き粉のにおいがするので、歯ブラシを確かめると濡れている。たぶん磨いたのだろう・・・。こんなことで進路指導できるのだろうか。大きな見落としがなければよいのだが・・・。
2月15日「ラグビー新人戦」
 日曜日、午前中は山へ、午後はラグビーの新人戦を見に出かけた。関グリーンフィールド中池は自宅から車で30分のところにあり、とても素晴らしいグランドだ。試合は残念ながら各務原高校に負けたが、昔を思えば素晴らしいものだ。昔は1・2年生でチームを作るなんて夢のような話だった・・・。このごろはスタンドで見ていてもすぐ下から見つかってしまう・・・。
2月12日「入試倍率」
 ホームページで最終入試倍率が公開されている。岐阜298名(1.49倍)、豊田356名(1.78倍)、鈴鹿638名(3.19倍)・・・
 豊田高専もかなり落ちたが、岐阜は昨年304名(1.52倍)、一昨年385名(1.93倍)と負のスパイラルに入りつつある。1.7倍を切るとかなり危ないことになるので抜本的なことを考えないと・・・と三年ほど前に言った覚えがあるのだが。教務で分析されると思うが、高校入試の特色化選抜の定員が20%から50%に上がったことは大きく響いている。5人に一人しか受からなかったものが二人に一人受けるわけであるから、志願者も増えるだろう。しかも、試験の時期が高専の学力検査の日よりかなり早い。
 入試倍率は入学生の質の高さに直結してくる。私の調査によれば現在の5年電気情報工学科は2.73倍(推薦を除けば学力検査の実質倍率は4倍を超す)であり、学生の能力は他の学年に比べて突出しているように思う。
目先でできることはいろいろあるだろうが、そろそろ抜本的に大改革をしないといけない時期に来ていると思う。
2月9日「チャイコフスキー」
 映画はあまり見なかったが、学生時代、この作品は評判が高く、名古屋の白川公園にあった中日シネラマで見た記憶がある。鬱々としたチャイコフスキーの精神状態が今もよみがえってくる。ワイセンベルグ、カラヤン、ベルリンフィルハーモニーのピアノコンチェルトのLPをすり減るほど聴いた記憶がある。我が家にあった巨大なスピーカのウーファの支えがボロボロになり今はもう聴くことができない。中古ショップも引き取らない。今や、日向ぼっこ用の庭のベンチ代りになってしまった・・・。
2月5日「入試倍率」
 豊田高専や鈴鹿高専も岐阜高専と同じように志願者数を毎日更新しています。最終結果はいかなることに・・・。
2月4日「W君」
 1月28日の日記で紹介したW君が、朝日新聞に載ったり、この前はCBCのイッポウにも出ていました。ちょうど今入試の願書出願期間なのですが、もう一カ月早ければよかった・・・。超大物になる予感がします。インターンシップで我がクラスのK君はW君の元で直接指導を受けたわけで、いい経験・思い出になるでしょう。
2月3日「学生係」
 学生係に懐かしい方が復帰された。これで係長以下全員が女性になったのではないだろうか。学生課長も学生主事も女性です。
 今日の求人の面談では女子学生を是非採用したいと言われた。ありがたいことです。求人の方の話だと、すこし、上向きになってきたとのことです。
2月2日「初給料」
 卒業生が企業説明に来る機会が増えている。学生のS君は質問でいつも「初めての給料は何に使いましたか?」と聞いている。親にプレゼントあるいは食事をごちそうするという答えもある。自分自身を振り返ってみるとなにもやらなかったような気がする。父親名義の車をそのまま使い、ガソリン代も父親が月末に精算払いをしていたような気がする・・・。孝行息子とはとても言えないが、家から通っていたことが最高の親孝行だっかもしれない。
2月1日「消えたメール」
 仕事の管理をメールでしているのですが、締め切りや面談の日にちをタイトルに入れ直して、フラグを付けて上にあげておきます。それほど重要ではないが覚えが必要なものはフラグを付けずに受信トレイに残しておきます。処理が終わったものは月別のフォルダに収めておきます。それが・・・。
気が付いたら受信トレイのフラグなしのメールがすべて消えてなくなっているのです・・・。スクリーンセーバーがかかっており、クリックをしてもなかなか復帰しないので、急いでいたこともあり、クリックを何回もしてしまったところ、パソコンがキキキと悲鳴をあげていました・・・。あのメールはどこへ行ってしまったのだろう。とりあえず、重要そうなものはフラグが付いて上にあげてあるので、何とかしのげるかもしれません。相手方から請求がそのうちあるでしょう・・・。まあ、いいかあ・・・。
1月29日「光陰矢のごとし」
あっという間に一月も終わってしまう。
少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声
いつの間にか、人生も秋となり、初老をむかえる・・・。まだやり残したことがたくさんある・・・。いや、残っているというよりも手もつけてないのかもしれない・・・。
1月28日「メール」
 卒業しても、大学院にいるときまではメールのやり取りができるのですが、就職してしまうとなかなかやり取りができません。就職したときに新しいアドレスあるいは自宅のパソコンのアドレスを送ってもらえると大変にありがたい。年賀状だけではなかなか情報がわからないので、近況を送ってもらえるとうれしいものです。学生たちにも照会できます。4・5年で担任したW君はiphoneのアプリでとても有名になってマスコミでもたくさん取り上げられてすごいですね。うれしい限りです。
 昔を思い出すようになったのは、歳をとったということでしょうね・・・。
1月27日「専攻科一期生」
 もう卒業して30代半ばになっています。思い出深い卒業生は一杯いますが、手塩にかけたという意味では四年生から四年間指導するわけですから、成果も出るし思い出深いものもあります。専攻科一年生は丁度わたくしが四・五年の担任をしましたのでさらに思い入れがあります。
 私の部屋のSさんは本当に長い付き合いでした。研究の一からたたきこみ、そのころ、研究も脂が乗った段階でしたので、連名の論文や研究会、学会発表はものすごい量になりました。私の自慢の学生で、珠玉中の珠玉中の珠玉でした。卒業後も大学院に進んだので時々部屋に来てくれました。今では、年賀状のやり取りになってしまいましたが元気でしょうか。できたらメールください。
このところ、表裏一対にしています。
1月26日「猿啄城」
 各務原と関市の境界に各務原アルプス(関の人たちは関南アルプスと呼びます・・・)と呼ばれる300m級(3000mではありません)の山が連なっています。これを縦走すると10時間程度かかる結構有名な山々です。その一番東は坂祝まで達しており、その頂上には猿啄城(さるばみじょう)がそびえたっており、国道からも結構目立っています。各務野自然遺産の森というところから登り、尾根道をたどって明王山を経由して猿啄城まで縦走しました。そして、そこで、偶然にも、Mさんにお会いしました。Mさんは岐阜高専の庶務課長からM高専の部長で転出され、さらにT高専の部長になられ、退職後は名古屋の私立大学に勤められています。大垣に住まわれており、野球部の試合に応援に行くとしょっちゅう顔を合わせた方です。こちらは単独、Mさんは奥さん?と想像される方とご一緒でした。たまたま坂祝側から登られたところだとのことで、思わぬ偶然にお互いに驚きました。ときどき、卒業生にもばったり会うことがありますが、保護者に目撃されてもこちらは気付かず、向こうにはしっかり行動をチェックされてしまうかもしれません。あまり、あかのれんあたりで安物買いをしているところは見られたくない・・・。酒屋で4Lの大きなウィスキーを抱えている時も気をつけないと・・・。しかもクレジットだし。偶然の出会いでもっとも驚いたのは日光でT先生夫妻?にばったり出会ったことです・・・。
1月25日「カップヌードル」
 山登りの楽しみは、苦労の末に登り終えた達成感と眺望に加え、山なみを見ながら食べる食事にあります。鉄板に鍋まで頂上に持ち上げて宴会するグループもいます。私の場合はいつもコンビニでカップヌードルと助六寿司を買ったり、日によってはソーセージや缶詰を加えることもあります。お湯はポットに入れて持っていきます。最近、いくらハードな山行をしても思うように体重が減らないのは、昼食が多すぎるのだと考え、日曜日は家に置いてあったカップヌードルだけにしました。頂上が近くなり、最後の急坂を登りながら、あと少しでカップヌードルが食べられる、山で食べるカップヌードルは格別だ、と頑張っていました。ふと、気がつきました。箸を入れたっけ・・・。どっと疲れがでてきました・・・。
1月22日「受信トレイ」
 仕事をメールで管理しています。依頼事項はほとんどメールで来ますし、自分の仕事については日付を入れて自分宛に送って、管理しています。受信トレイが空になることが仕事が完遂していることになります。順調であることのバロメータでもありますので、すべてなくなるとホッとするものです。ところが、最近は満杯状態。オーバーフローした場合の移動タブを消すことができない状態です。その原因は求人面談の予定です。まだ、12件の予約があり、受信トレイから移動させることができません。
 面談だけは日にちが来ないと消すことができないので、タブを消すことを目標に今日は締め切り前の仕事を四件、一気に終えました。JABEEや認証評価で自転車操業の毎日を送っていた身からは雲泥の違いです。
 1月19日の授業変更の日付を2月19日に間違えていました。事前に気がついたからよかったものの、いつか、取り返しのつかない間違いをしないかと不安になります。自転車操業であわてて仕事をするのも間違いのもとですが、早く済ませてそのままほかっておくのも心配な毎日です。すでに処理してしまっていることを忘れてしまって、締め切りの日に教員オールで請求されるとあわててしまうこともあります・・・。
1月21日「専攻科の授業」
 ホワイトボードに「エミッタ効率」と書こうとして「効」の字がどうしても書けない。思い出せない。がっくり。ワープロの弊害なのか、単なるボケなのか・・・。授業の最後に演習問題を学生に解かせた。電子走行時間=接合距離/ドリフト速度を最後に使うのだが、時間=速度/距離で提出してきた学生がいた。始めは笑ってすましていたが、三人目が出た時はさすがにあきれた。間違えた三人とも結構できのいい学生だった。「中学校にもどってこい!」と言いたかったが、言葉を飲み込んだ。効率の書きとりも中学校で覚えるんですよね・・・。
1月20日「鳳ーテブナンの定理」
 2年生で説明しました。テブナンの定理に伴う鳳教授の逸話は大学時代に初めての専門の講義で印象深く聴きました。同じ話をすることで、時代が受け継がれていくのでしょうか。といっても、聴いたことがある人たちだけですけど、それでも、何かの印象としては残ります。学生は与謝野晶子の兄だというと驚いていました。何で名前が違うんですかと聴かれてしまいましたが、与謝野鉄幹と結婚したからだと言いましたが、それでよかったのだろうか。そうすると鳳晶子が旧姓になりますが、晶子自体はペンネームかもしれません。この話をあと何回学生にすることができるのでしょうか。
1月18日「求人面会」
 企業の方から電話がかかってきます。面会日時を調整した後、「整理するためと、確認するために、メールをお送りいただけるとたすかります。私のアドレスは」というと、相手側から「今、ホームページを見ていますのでわかっています。面白いですね」!!!ゲッ!!!そうか。卒業生だけかと思っていたら、企業の人も見ている可能性があるんです。上のやり取りは結構たくさんありました。これはいい加減なことを書けません。
1月15日「推薦入学志願者数」
 ホームページのトップページから推薦入学の志願者数へのリンクが貼ってあるのですが、昨年よりも少ない状況です。ほんとうに何か抜本的なことを考えないとだめだと思います。原因はある程度推測している事柄があるのですが、それに対応していないところに問題があると思います。
  1月14日「血圧」
 家の血圧計で測り直したところ、66-120・・・。安心して酒が飲める・・・。締めのビールを飲みながらこたつに入って「相棒」を見る。眠くなってきた・・・。腰を思い切りこたつに入れ、あったかい・・・。気持ちいい・・・。ムニャムニャ。目が覚めたら12時過ぎている!絵にかいたような毎日同じパターン。家で仕事をしなくなって久しい。JABEEをやっていたころは毎日ナポレオン睡眠で目覚めてからが勝負ですが、今はベッドへ行けばそのまま深い眠りへ。再び目が覚めることはないのではないかと思うくらい深い眠りに入ります・・・。地震が起きても目は覚めないのではないだろうか。
1月13日「大雪+健康診断」
 一面銀世界。学校に来た時は7時前であったのでそれほど降っていなかったが、あっというまに真っ白。2階の渡り廊下にも吹き込んで圧雪状態になっている。時間給をとって昼休みに学外へ出る予定でしたが、とてもそのような状態ではありません。明日もこの調子だろうか。相当数の学生が渋滞に巻き込まれ遅刻をしてきました。どれだけ遅れてもいいからまずは安全運転です。早めに出るのがいいのですが、それでもすいているからととばすと危ない。スキーや冬山登山で雪道の運転の経験があるので、危ない状態は直感でわかりますが、時速30kmに死線があると思っています。
 健康診断で血圧を測ったら102−158!高い!校医さんに失格を申し渡されて、しょぼんとしてもう一度トライしてもほとんど変わらない。どちらかというと低血圧の方でいままで引っかかったことがなかったんだけど・・・。そばに学生課長がいて緊張したのかなあ。気をとり直して、となりの血圧計で測ったら、何と88−140!機械のせいということにして、そそくさと部屋に戻った・・・。それにしてもやはり高い。やはりリバウンドかそれともアルコールか・・・。人間ドックの結果から校医さんは肝機能は大丈夫と言っている。ということで大雪をさかなに今日も飲もう。
1月12日「気温」
 明日からまた大雪の予報。寒くなると暖房で灯油をたくさん使う。雪道でノロノロ運転になり燃費も悪くなる。除雪のためのブルドーザーの燃料もいる。融雪剤もいる。何よりも除雪のための地方自治体の予算が足りなくなる。少し温暖化した方が却って化石エネルギーを使わないで済むような気がするのは素人考えなんでしょうね・・・。
1月8日「求人」
 机にうず高く積まれた求人パンフレットを見てため息をついています。いくつか重要な事項をメモした記憶があるのだけれど、その記憶が戻ってこない。メモを読めばいいのですが、そのメモになんて書いてあるかが判読できない。記憶と記号によって記録された情報を呼び戻すのですが、それが、思い出せない。きっとそれほど切迫した情報ではないのだろうと推測しています。会社が来るたびに学生にメール配信するのが一番手っ取り早い気がしてきました。
1月7日「開講」
 今日から開講です。小学校も今日が始業式ですぐに授業が始まるところもあるようです。
 朝から雪が降り積もり、学校へ来た時は一面銀世界。一番乗りですので気持ちのいい車のシュプールが描けます。思い切って面白い絵柄を書いておけばよかったかも。
 今冬は例年になく雪が多いのですが、これも地球温暖化の影響なのでしょうか・・・。
1月6日「日記」
 湘南ベルマーレというサッカーのチームがJ2からJ1に昇格したのですが、その社長の日記が素晴らしい。こんな文章は私にはとても書けません。
1月5日「補講」
 時ならぬチャイムが鳴ってびっくり。そうです。インフルエンザによる学級閉鎖で5日から補講が始まっているクラスがあるんです・・・。
2010年1月4日「年賀」
 あけましておめでとうございます。今年の年賀状です。虚礼廃止、年賀状代の節約・・・。
12月25日「大掃除、今年を振り返る」
 今年は一度、徹底的な大掃除をしておりますので、年末は書類の整理程度にしております。
 授業はどの学年も順調にいきました。特に無線のパワーポイントコントローラを手に入れたのが大きく、教室中をうろうろしながら講義ができるのが便利です。2年生の電気回路だけは黒板を使っていますが、学生もよくわかっているようです。雑談をする時間がないのが残念なのですが・・・。
 研究は卒研生が少し頑張ってくれ、昨年よりは展開が早そうです。面白い方向になるような気もします。定年までに最後の華を咲かせたいと思います。
 10年ぶりくらいに担任になり、すっかり寂れ切った脳細胞線と神経線を使っています。物忘れなどがひどく、ミスが心配なのですが、早めの対応と経験でなんとか大過なく過ごしています。学生が「この担任ではあぶないぞ」と思って自主的にやってくれているのだと思います。学級通信も50回を超えましたが、資料等はポケットドライブを探すより、ホームページの方が私にとっては便利です。本当は試験の日程などは学校の方で載せたほうがいいように思いますが・・・。
 ロボ研はすごい活躍です。全国トップの技術力になったのではないかと思います。もう一人のI先生の力によるものです。2011年は岐阜であります。この時が一区切りの年になるのではないかと思います。ラグビー部の全国大会出場も懐かしい限りです。県協会が壮行会を開いてくれたのが25年ほど前のことで、思い出深いものでした。
 一年間なんとか健康で暮らすことができました。もちろん、目がかすんできたり、耳鳴りがしたり、手や唇や舌が痺れたり、言語不明瞭になったり、何をやろうとしていたのかさえも忘れてしまったり、急に前後不覚で寝入ってしまったり、ときどき肺が苦しくなったり、おなかが痛くなったり・・・、いろいろあるのですが、年をとればしかたのないこととあきらめることができるようになったことがいいのだと思います。もう、いつぽっくり逝ってもおかしくない年なのですから、それを意識して行こうと思っています。
 皆様のご健康を祈って本年を締めくくりたいと思います。よいお年をお迎えください。
  12月24日「研修旅行」
 ようやく2009年研修旅行顛末記をまとめることができました。
 本来ならば授業はないのですが、5Eの学級閉鎖で今日は補講です。
12月22日「忘年会」
 電気の忘年会・・・。初めての場所でした。岐阜に住んで60年近くになるのですが、まだ、知らない場所があるのですね。すっぽん料理でした・・・。
土曜日に車の定期点検でバッテリーなども交換になり、しめて2万円。ポイントがあるので1万円になった。よかったなあと思いながら、6月の点検でもポイントを使ったので、半年間で1万ポイントを集めたことになる・・・。エー!!!知らないっと・・・。
12月18日「高専部会」
 理事をしている東海工学教育協会の中に高専部会という部会があり、昨日は、その発表会でした。各高専の情報がわかりなかなか有意義なものでした。発表されたもの以外にも新たに原稿を募り、事例集を発行します。来年度からは岐阜が登板校になります。
12月16日「毎日更新」
 ネタも少ないのに毎日更新しているのは屋根裏部屋が毎日更新になっているためです。それもそろそろ終わりに近づいています。明日は授業後すぐに出張ですのでお昼寝している余裕はありません。ドラマが最終回になる前にこちらの屋根裏部屋も決着したいと思います。ちょうど一カ月かかりました。写真入りで改めて研修旅行の部分だけ公開するつもりです。
12月15日「毎日2回」
 日曜日に2回見て、月曜日も2回再生しました。新たな発見があるものです。他の番組は見る気がおきません。来週は乳がんの手術をして、見受けがなくなり、写真から消えてしまい未来がいなくなるという「残酷な結末」になるのでしょうか。咲は縁談をすっぽかし手術に駆けつけるのでしょう。ここから先は原作に戻ることができるのだと思います。胎児性腫瘍の謎、包帯男、竜馬の行方等の謎ときが最終回に行われるのでしょう。原作と異なる設定はすべてリセットしておかれるように感じられます。竜馬がいないとその後の歴史が変わるという人もあるのでしょうが、別のだれかが現れて同じような歴史になるかもしませんし、別の世界になっても何も問題は起きません。フィクションの世界なのですから。このドラマにはそんなことを受け入れることができる要素がふんだんにあると思うのです。
山登りよりも面白い・・・。山に行く時間があるならビデオをもう一回見る方が・・・。
12月14日「平熱」
 下記、終わってからすぐにビデオで再生して見直しました。いままで高熱でありましたが、少し熱が冷めてきました。仁、野風、咲この三人の役者は私は全く初めてで、それが魅力あるものにしていたのかもしれません。さすがに10話を平均3回は見直していると、飽きまではいきませんが、いつもいつも感激して涙を流していたのでは疲れてしまいます。今回は、展開が速すぎて、もうひとつの印象でした。江戸時代での制約のある中での画期的な医療行為への工夫が原作のモチーフの一つだと思うのですが、今回はそんなシーンもなく、全体をまとめるための前段階でした。
 仁がこの時代に残ったのであれば、映画化やシリーズ2も江戸時代の続きで原作に類似して作ることができるでしょう。現代に来た覆面男はこの時代から来たものである必要はなく、また、竜馬もこの時代からどこかへ行ってしまっても、それはそれでパラレルワールドになったということで了解です。ループを作って完全解明されるのかもしれませんが、別に、論理破綻していてもドラマのレベルの高さは落ちないと思います。もう一度見直します。まだ、平熱ではないですね。
12月11日「J型インフルエンザ」
 10月から新しいインフルエンザがはやっているようです。これはテレビやビデオを通じて感染するようです。その名は「J-INフルエンザ」といいます。症状は「初期は、ふとしたことで涙目になり、鼻水がたまるようになります。」「感染が確認されると、男性の場合は意識がもうろうとなり土佐弁で話し始めたり、メールを打ったりします。急に走り出すこともあります。女性の場合は花魁言葉になるケース、あるいは自分のことを咲と呼ぶことが多いようです。ときどき落ち込んだり、急に笑顔になったり、揚げだし豆腐が作りたくなったりするようです。」対処法は効果的なものはなく、最低あと2週間は猛威をふるうようです。その後下火にはなると予想されますが、完全に治ることはなく、また、免疫もできないため半年後や一年後に再発し、さらに中毒がひどくなると予想されます。感染年齢の特徴は幅広い年代にわたっていることです。もう、日本中に広がり手遅れではないかと思われます。さらに悪化すると、50歳以上でも恥ずかしくもなく本屋へ行って漫画のまとめ買いをするようになるようです。
 日曜日が楽しみ・・・。
12月11日「入試倍率」
 一昨年度までは何とか2倍前後で推移していたのですが、昨年度は突然急激にダウンしました。地元新聞社の模擬試験のデータによれば、今年度はさらに希望者が減っている・・・。これからが進路選択の重要な時期にかかってくるので、入試担当者が最後の追い込みをされることを期待しています。やはり、入り口で質の高い学生を確保するためには倍率をあげることが最も重要です。今年がさらに落ち込むと負のスパイラルに入っていきます。抜本的なことを考えないといけないように思うのですが・・・。
12月10日「朝令暮改」
 3月に内々定なんておかしい!とはいっても、現実問題として学生が不利になることは避けたいし・・・。しかし、自由応募ではなくて推薦だとすると現実問題として進級していないのに推薦をすることができるのだろうか。いくつかの矛盾を抱えながらも、現実的に対応することになりそうです。しかし、いくらなんでも期末試験をほかって採用試験等受けることができるはずもない。やはり、推薦ならいくら早くても3月になって進級の見込みがついてから。それ以外は自由応募。と心に誓う。
12月9日「進学ガイダンス2」
 岐阜高専になじみの深い四大学からの説明がありました。私は中学生相手の学校説明会で経験をしているのでよくわかっているのですが、残念ながら今回の説明はもう一つかなあと感じました。どの説明も熱心ではありましたが、時間を大幅に超過するのは一番まずいです。後の方に迷惑がかかりますし、学生にも印象は良くない。時間を守ってプレゼンをするのは技術者に限らず、プレゼンの基本中の基本のはずなんですが。また、時間をきちんと守られた大学も、やはり、エンジニアリングが専門ではない方や、ある学科の特定の分野だけに限定される説明では進学ガイダンスにならないように思いました。五年の学生の説明が一番良かったように思います。電気としては、現在の5年生や、卒業生の力を借りた企画を立てた方がいいかなあと考えています。
12月8日「進学ガイダンス」
 中間試験終了後に開催されます。求人も始まり、いよいよ高専の最終章の始まりです。
 今日の新聞に、日露戦争に関する新しい文章の発見と新説が掲載されていました。史実はどうなのでしょうか。
 研修旅行でアルバム用に撮ってもらった写真が届きました。デジカメ写真でよければ私が撮ったものをダウンロードしてもらってもいいのですが、しばらくは屋根裏で細々と公開していきます。
12月7日「学級通信」
 中間試験中で学級通信のネタもなく、研修旅行の集合写真を貼り付けました。もう一カ月になるのですね。学生いわく「小栗旬に似ている」という添乗員さんに撮影してもらいました。バスガイドさんが癖なのかそれとも、会社で決められているのでしょうか、二枚ともちょっと姿勢を傾けて映っています。
 JIN第9話を見て、すぐに再生して2度目を見て、さらに、3度目を見ようとしてさすがにやめました。今日の夜見ることにします。
12月4日「E2」
 電気情報工学科の2年生に電気回路を教えているのですが、なかなか雰囲気のいいクラスです。ちょうど記号法を教え終わるところで、いろいろな問題をやることができます。今年はとくに丁寧に教えていますので、学生たちも理解できているようです。一番の中心になるところですので、かなり回数をかけてでも演習問題をたくさんやります。いつもなら、授業の合間に、得意の?雑談をするのですが、このクラスでは雑談をしている時間があれば問題をやった方がよい・・・というより、雑談をしてもちっとも受けないので、やらなくなったのですが。それでも、授業アンケートの、「のこぎり波回答」には湧きました。そろそろ「フーピン」の話でもしますか。
12月3日「神は乗り越えられる試練しか与えない」
 JINで放映された台詞です。心に響く言葉です。日曜日がくるのが楽しみですが、あと三話で終わるそうです。原作は続いており、テレビドラマとしてのまとめかたが難しいと思いますが、なんとか次につなげていただきたいと思わせるドラマです。
12月2日「中間試験」
 今日から四年以下は中間試験です。試験期間の一番最初は担任の授業科目にするのが合理的でしょうね。机の落書き、学生証等のチェックをしました。
 そろそろ求人の来客が増えてきました。以前ははやくても2月か3月だったのですが、大学生や短大生のための就職フェアも始まっています。公募のケースは別として、私は進級が決まってから活動させたい。3月に内々定が出るなんて絶対におかしい。絶対に推薦しない。
研修旅行の顛末は屋根裏で毎日記載していますが、まだ二日目の別府の夜です。いろいろあったからなあ・・・。写真も入れようかと思っているのですが、300枚以上も取ったためなかなか写真の整理ができません。
12月1日「補講」
 専攻科の「半導体工学」は2回分、五年生の「光・量子エレクトロニクス」は3回分の補講をする必要が出てきました。研修旅行、暴風警報、インフルエンザ等による不足分です。学修単位ですので、他のやり方もあるような気がしますが、JABEE的にはシラバスに書いてある通りに実施というわけでしょうか。大英断で思い切った対処をと考えるのは、責任のないポストにいるから言えることなのでしょうか。
11月30日「JIN3」
 ホームページを見ていたK先生がDVDにダビングしてくださいました。おかげで、日曜日前に見ることができました。2度も・・・。
緒方洪庵との語らいは確かにいい場面でした。二人の役者の演技は台詞と表情だけでしたが素晴らしいものでした。
 土曜日は寮直明けで禁酒していましたが快調そのものでした。日曜日と合わせて2回、家の周りの諏訪山を周回してきました。2時間30分程度の尾根歩きなのですが、全山紅葉で今が一番いい時期です。
研修旅行記はやっと二日目の午前に入ったところです。
11月26日「ロボコン」
 岐阜高専のホームページのトップページの一番下にあるロボコンの写真は私が撮影したものです。写真の腕は別として、人型の二足歩行ロボットが一段高い所に登りきったところです。豊田高専や福井高専の指導教員もびっくりしていました。指導教員のI先生(私ではありません)と学生たちは大いに自慢してもいいのではないでしょうか。「アイディア賞」+「本田技研の特別賞」でしたが、限りなく「ロボコン大賞」に近かったのではないかと感じました。
11月26日「学級閉鎖」
 E5が二回目の学級閉鎖になっています。学級閉鎖中にも増えていますので、最終的には全員がかかるのではないでしょうか。前回の学級閉鎖があまり効果がなかったということでしょうか。学級閉鎖の条件をまた満たしたら、さらに学級閉鎖するのでしょうか。でも、クラスのほとんどが免疫があるから閉鎖する意味がないような・・・。学級閉鎖中でもすでに一度かかっている学生は免疫があるので、クラスターとして除外して卒研をやらしてもいいように思うのですが、医学的に別の理由があるのかもしれません。
11月25日「JIN2」
 すっかりはまっています。もう一度はじめから見直しています。しかもすでに3回目。午前1時まで起きて見直しました。新たな発見があるものです。それにしても今週分を録画できなかったのは残念でした。緒方洪庵との別れのシーンは大変な評判の様で残念至極。なんとか手に入る手段はないものだろうか。DVDの発売はいつになるのだろうか。
11月24日「JIN」
 東京から帰ってきて録画を見ようとしてがっくり。予約録画しておいたはずなのに、録画されていない。ブルーレイで簡単録画で今までミスはなかったのに・・・。結構ショックがおおきい。いつか再放送されるのを待つしかないようです。
 来週からは中間試験、それが終わればあっという間に年末年始。また一つ年をとる。
11月20日「ロボコン全国大会」
 年寄りには24時間勤務は無理だろうとのことで、応援バスの引率をはずしてもらえたのは助かりましたが、前日からの国技館入りを仰せつかり、休みが少なくなったのは複雑な心境です。しかも私の場合、東京宿泊費は出ませんので、宿泊場所はチームとは別になります。しかしながら、本当に久しぶりに前日の国技館を見ることができるので楽しみにしています。各校の前日試行をまじかに見ることができる機会はそうあるものではありません。
 研修旅行の顛末は屋根裏で細々と書いています・・・。
11月18日「学級指導」
 研修旅行後の初めての授業なのですが、選択科目の受講指導をする必要があり40分もかかってしまいました。授業変更で、中間試験前で今日が最後の授業でもあり、あわてて残りの時間で授業をやったのですが結局演習問題をやることができなかった。
 昔は選択科目の受講の手引きは印刷物として配布されていたのですが、今は教員だけに渡されているようで、PDFで電子ファイルにして学生にメールで配信すると同時に、教室でパソコンで説明しました。学級通信で公開する予定です。
11月16日「帰還」
 研修旅行から無事帰ってきました。やはり疲れが残っているようで、土日は微熱が出ていました。詳しいお話はおいおいするとして、昔のように無理が利かない体になったことだけは間違いないようです。ただ、紅葉や山容を楽しむことができる心境の変化に自分でも驚いています。山間は紅葉真っ盛りでした。
明太子やカステラなど土産をたくさん買いました。クレジットで・・・。現金だと二の足を踏むのですが、クレジットだと、贈る相手のうれしそうな顔を思い浮かべ、ひとランク上の明太子をついつい買ってしまいます。土産代、合計2万円を越えていた・・・。
 久しぶりにはまっているテレビ番組があります。JINです。医者がタイムスリップするところに斬新さがあります。また、スリップした時代(幕末)もなかなかいい設定です。原作はまだ継続中だとのことですが、どのように完結させるのか、あるいは継続させるのか、興味あるところです。最近のテレビ番組は底が浅くて面白くなかったのですが、久しぶりに見入っています。配役や音楽もすばらしい。
11月9日「明日から研修旅行」
 楽しみにしていた研修旅行ですが、すでに3名が不参加・・・。大変な状況になっています。5名になったら・・・。
11月4日「咳が止まらない」
 ずっとくしゃみがひどくて、鼻水が出て、寒気がするのですが、熱はないのでインフルエンザではない・・・。今度は咳が止まらなくなった。学生たちも心配そう?にしている。私が研修旅行に行けなくなったらだれが行くことになるのか、そちらの方に関心があるようだ。
10月からずっと不思議な勤務が続いていますが12月になればそれも定常状態になると思って頑張ります。
10月28日「高専祭W」
 第二体育館の前でみんなで写真を撮りました。おまけも追加して学級通信に載せました。
 個人懇談も終わり、ようやく定常状態に戻りました。
10月26日「高専祭V」
 見事、技術賞をとりました。五年から引き継いだバトンを三年に渡すことができます。何よりも素晴らしいのは学校の方針を最後まで守ってくれたことです。リーダのM君が泣くのをはじめてみました。
10月25日「高専祭U」
 懇談で、最近帰宅が遅いが何をやっているのか何も言ってくれない、と話される保護者さんが見えました。専門展の話をしたところでお互いにがてんが行きました。見に来られるのが恥ずかしいんだなと。しっかりと場所を教えました。本日最後の懇談の方もこれから見に行くとのことで、親の前でどのようにプレゼンするか興味津津。私も見に行きました。立派なもので全く動じません。お母さんいわく「すっかりおっさんだわ」
 私は学会で何百人の前で発表しても動ずることはありませんが、親の前で動ぜずに話すことができるか自信がありません。たいしたものだ。親との遭遇があったかとほかの学生に聞くと、しっかりとプレゼンする時間を聞かれ、狙ってこられたとのこと。卒研発表会も外部公開にしたろうかしらん。
10月24日「高専祭T」
 個人懇談とOBの訪問の連続で専門展を見に行く時間がとれませんでした。個人懇談に来られた保護者の方に聞くと、全部動いているとのことで、ホッとしていました。閉店30分前にやっと時間が取れましたので、電気情報だけ見ることができました。プレゼンもうまくやっているし、明日もこのまま故障なく動いてくれることを祈っています。
10月23日「やればできる」
 高専祭前日。朝から体調が変でした。指先が痺れ、舌も痺れ、体がだるい。朝一番の個人懇談は何とか乗り切りましたが、昼前は最悪の状況。
 今年は学校の方針で専門展の準備を計画的に行い、前日に徹夜作業にならないように努力してきました。大丈夫かなと心配していましたが、無事目標は達成できました。前日は徹夜が認められると考えていたら、安易な行動になってしまうに決まっています。せっかく、これまで目標を達成するために頑張ってきたのですから。やればできる。ルールを守って準備することは技術者の基本。いい経験になっていると思います。よく頑張りました。
 夜には私の体調も回復してきました。土曜日はびっしりと朝から晩まで個人懇談が入っています。とても専門展を見に行く時間はありません。
10月21日「蓄積疲労」
 高専祭の専門展の学生の居残りに合わせて学校にいます。このところ土日はすべて出勤です。平日は朝の7時半から夜の8時まで勤務・・・。その間に、授業のほかに、学生との面談、保護者との個人懇談が続いています。学生には過去の苦い経験から「注意力が散漫になるので交通事故に注意すること」「病気にならないように疲労回復をはかること」と言っていますが、私自身が帰りの車の運転が非常に危なっかしい状態です。老化で目も弱り、なんとなく眠たい。注意力散漫・・・。体がだるい。昔は大丈夫だったんですが、還暦が近い身には答えます。富士山登山のようなつらさはないのですが、ちょっと参っています。それ以外に抱えている仕事が幾つか平行しており、息抜の時間があまりとれない。労基法に触れないかしらん。先週までは元気もあったのですが、さすがにこたえています。
 学生を面談に呼んだら、「先生、この前やったばかりですよ」と言われてしまった。しかも二人も。単なる疲労なのか、ボケが始まっているのか、やはり後者のような気がする・・・。
10月18日「リバウンド」
 しばらく独身生活をしていたのですが、お風呂の後、体重を計ってびっくり。今のままでは背広を着ることができません。なんとかして研修旅行にいくまでに、減量しないと・・・。学生にはスーツ着用と言っているのに、本人がだめでは・・・。
 高専祭まであと一週間。この土日は私も学校でよく仕事ができました。何事も計画的に、です。与えられた時間、与えられた金額の中できちんと計画を立てて実行するのがエンジニアの基本中の基本なんですから。
10月14日「前期期末成績」
 前期期末成績は保護者の皆様との個人懇談の折にお渡しし、欠席される方には郵送されることになっています。個人懇談は10月末の方もあり、それでは対応が遅くなるので、印刷して全員に渡します。前期中間の成績はすでに渡してあるのですが、比較して指導するために中間成績と併せて渡すことにしました。(本当は、全員分を印刷してから、中間成績を印刷していたのに気づいて、あわてて、前期末を印刷し直したのです。せっかく、印刷したものをシュレッダーにかけるのはもったいないので渡すことにしました。)最近本当にミスが多い。取り返しのつかないことが起きなきゃいいんだけれど。
10月13日「ロボコン」
 神さんが東京に行っているので、朝、起きることができるか心配でしたが、15分前には学校に到着。誰もいません。北陸自動車道は久しぶりでしたが、何回も通っているのでバス休憩の時間など指示しながら、3時間半で到着しました。マスクを必ず着用すること等とかなり強い規制がありましたが、ふたを開けてみれば、各自の判断に任せることになりました。11時に食事11時30分には観覧席に一般客が入るのでそれまでに食事を終えるようにとのこと。11時になっても昼食が来ない。こんなことは初めてです。いつもかなり前にきていて、すぐに渡してくれたのに結局届いたのが11時30分過ぎ!観覧席で食べることができず、ロビーで座って食べる羽目に。閉会式が終わった後、バスが混雑するので離れた駐車場まで歩くように指示があった。歩いていくと他の高専のバスがどんどん入ってくるではないですか。われわれのバスがどこにあるかの指示もない。結局閉会式終了後30分もたってからようやく出発。しかし午後10時前には学校に順調につきました。
技術賞を受賞し全国大会に出場です。去年と同じように国技館まで応援バスの引率でしょうか。片道7時間。去年の記録を見ると、午前2時半に家をでて、帰ってきたのがあくる日の午前2時半・・・。アラカンの年寄りにとっては、ただただ座っているのは、山に登るよりもつらい・・・。その二週間前は3泊4日の研修旅行でこれもほとんどバスの中。これはかなり腰に負担がかかるので心してかからないと後遺症が残るかもしれません。
10月10日「なつかしい」
 土曜日、専門展の準備をするということで校舎の時間外使用のため出校しています。仕事にも疲れてきたので気分転換に外へ。野球部が試合をしている。陸上部が練習をしている。グランドではラグビー部が練習をしている。部員が通りかかったので、誰にコーチしてもらっていると聞けば、OBで一の宮のKさんと言う!なんと、私がラグビー部の顧問一年目の時のキャプテンではないですか。ちなみに電気工学科の卒業生です。卒業後も時々はあったことがあるのですが、コーチをしていたとは。最近本当にラグビー部が強くなったと思っていたのですが、彼のコーチングもあったのですね。何とも懐かしい。一の宮のクラブチームで選手兼コーチもしているとのこと。久しぶりに昔顧問をしていた頃を思い出しました。明日は岐阜で高専大会があるとのこと。残念!明日は朝からロボコンの応援バスの引率で金沢でした。10月31日は鈴鹿であるとのこと。こそっと応援に行ったろうかしらん。どらぷらで調べたら一時間ちょっと。ETCもあるし・・・。いろいろな話をしていると、学生が、同級生ですか、と声をかけてくる。同級生は電気のT先生です。一時間近く話し込んで、気がつけばグランドには二人だけだった。
 昨夜は家に帰ったのが遅く、3時間ほどの睡眠。明日の朝はきちんと間に合うように起きることができるだろうか。何となく、熱っぽいし、朝、体温が37度を越していたら、バスに乗れずに返されてしまうとのことで、そちらも心配。ロボコンは全員マスク着用とのことでテレビも別のニュースの種ができそうです。
10月8日「奇妙な図式」
 セブン・イレブンといって、暴風雨警報が7時に出ていれば午前中は休講、11時まで継続していれば午後も休講です。ただ、11時に解除されても、8日は球技大会なので、午後から球技大会を始めてもしようがないということで、全日休講になりました。学生が帰ったあとの放送でしたが、理解できる裁定なので学生に連絡しました。ただし、専攻科は通常の授業がありますのでセブンイレブンは適用されるとのことでした。
 寮生から質問があり「高専祭の準備を学校でしてよいか」と言われ「警報が出ていればだめだけど、解除されれば専攻科の授業があるくらいだからいいと思う」と返事をしました。
 午後7時に突然、明日はクラブ、高専祭の作業もすべて中止、との校内放送がかかりメールもきました。卒研でいた寮生に明日は卒研はできないことを伝え、担任してくるクラスの学生に再度、専門展の作業の中止を連絡しました。
 午前9時に警報は解除され、昼から専攻科生が特別研究をやり、卒研生は帰らせるという奇妙な図式になりました。質問してきた寮生は昼から何をしているのだろう。
10月6日「授業アンケート」
 昨年度から学生の学籍番号を記入させるシステムに変更しているのですが、E4のクラスで気が抜けるようなアンケート回答をした学生がいました。四年にもなってと思うのですが、担任している学生だけにがっかりします。詳しくは明日の学級通信で。
9月30日「前期終り」
 2・3日前のテレビで気候温暖化で日本も大型台風の脅威にさらされるという報道があった。しかし、ここ2・3年学校が休校になるような大型台風はきていない。ということは、日本付近は温暖化していないのだろうか。
 昔は大雪があって、車通勤も苦労した。しかし、ここ数年スタッドレスタイヤが役に立った時はどれだけあっただろう。やっぱり、日本は温暖化しているのだろうか。
 台風の大きな被害は昔ほどない、大雪で困るような冬もない。今の状態はそれほど深刻なのだろうか。今年の夏は異常気象であった。温暖化の影響だろうか。しかし、昨年の夏よりも暑くはなかった。
テレビでコメンテータが「異常気象です。温暖化の影響です。」というと、「その根拠は?」「それは誰が行っているの?」とおもわず呟いてしまう。科学的にきちんと整理されているのだろうか。今年の冷夏は地球温暖化の影響です、なんていわれると論理的に悩んでしまう。
 明日から後期、専門展、研修旅行、卒研中間発表・・・。充実の秋。
9月24日「寮直」
 連休の最後が寮直。コンビニで飲み物を買っているときに、いつも飲んでいるウィスキーの小瓶を発見。一瞬、衝動的に買おうかと迷いました。夜ぐっすり寝れるだろうなあと・・・。何とか思いとどまりました。ここで止めることができなければ完全にアルコール依存症だと。
 禁断症状も全く出ずに、気持ちよく寮直を過ごすことができました。まだ、まだ、大丈夫のようです。昔は、家でお酒を飲みながら、いろいろな文章を書きまくっていたものです。最近はお酒を飲むとすぐ寝てしまう癖がつき仕事もままならなかったのですが、さすがに追い込まれて、連休終盤は夜更かしをして何とか論文をまとめました。
9月11日「高専出身」
 「コンコン」9月9日(水)午後1時、ノックする音に「学生が質問に来たかな」とドアに歩み寄ると、そこには、みおぼえあるオジサンが二人、何と、卒業生のU君と、お連れは「先日の総選挙に立候補したH氏」ではありませんか。H氏は3年生で方向転換されましたので岐阜高専の卒業生ではないですが、岐阜高専出身とは言えるのではないでしょうか。高専出身の衆議院議員・・・。どこかの高専に昔いたとは聞いていますが、現役ではいないでしょうね。以前、お二人で来られた時は、まさか当選するとは思っておりませんでしたが、本当に真坂です。立場上、応援することはできませんが、岐阜高専のことをよく知っていている方が政界にいることは大変に心強い。とりあえず、近隣の豊田高専の地域手当12%と鈴鹿高専の8%に対して岐阜は0であること、住んでいるところではなく、勤めているところが違うことで1割も給料が違うのは同じ仕事をしている身としては納得できないことを理解してもらいました。「確かにそれはおかしな話」と言われていました。真っ暗なトンネルのはるか向こうで今にも消えそうな蝋燭がすこし輝いた様な気になりました。
9月7日「胸が痛む」
 物理的に痛みました。心筋梗塞の前触れかと思いました。
 土日と息の抜けない行事があり、朝から少し疲れていました。授業変更で午後一番の授業でした。昼休みに3年生が質問にきたので、オフィスアワーに来るように言えばよかったのですが、時間があったので解説をしていました。その時、4年の学生が別の相談に来て、容易ならざる事態であったので、3年生の解説を終えた後、担当の先生やら、学生課への確認等に走り回りました。4Eには携帯電話で少し遅れる旨連絡し、またもや、確認に走り回りました。ようやく担当の先生に後を託して、脱兎の如く教室までたどり着きました。時間の遅れを取り戻そうと、大きな声でPPで説明していたのですが、異変に気が付きました。胸が痛むのです。肺に穴があいたような感じで大きな声が出せないのです。何となく貧血気味でもありました。あわてて走ってきたために呼吸困難になったのか、心臓に負担がいってその後遺症なのか、ストレスなのか・・・。とりあえず、なんとか演習問題のできるところまでは説明し、学生には少し休ませてくれと言い、いつもの教室内学修を先にやらせました。回復次第、授業をするつもりでしたが、一向に良くなる気配がありません。これは救急車を呼ばなきゃいけないかとも思いました。学生も心配そうな顔をしていました。なまじ少しの遅れを取り戻そうとあせって走り回って迷惑をかけるよりも、多少遅れてもいいからゆっくり教室に来た方が良かったと学生に話しました。富士山や白山に登って体力には自信があるのですが、急激な運動に耐えられるだけの心臓や肺ではないと実感しました。
 一向に良くなる気配がないので明日は精密検査かなあと考えていました。試験の話だけはしておかないといけないので、PPでなんとか説明し終えたところで、走り回っていた関係の担当の先生が来ました。担当の先生に学生の前で話してもらいましたが、アーラ不思議。痛みがすっかり収まっているのです。元気回復。やっぱりストレスだったのでしょうか。
 油断は禁物だとは思いますが、とりあえず、明日は授業(2Eと4Eの二つ!)は迷惑をかけずに出来そうです。
 ・・・なんて日記が最後になったりして・・・。
9月2日「学級指導」
 毎週、授業初めに学級指導をするのですが、A4の紙に項目を羅列しておいて、それをもとに指導していました。例によってひどい字ですので、10分もすると何が書いてあるかわからなくなります。これまでは記録を記憶で補って説明していたのですが、これでは学生から「聞いていません」と言われても、言った記憶があるが疑心暗鬼になります。口頭説明による周知だけでは学生も私も忘れてしまいますので、これからは個人情報の所だけ変更して学級通信に残すことにしました。これで「聞いてません」と言われても「聞いていませんでした」と言いなさいと反撃できます。学級通信のネタにもなりますし、保護者のみなさまへの情報提供にもなり、一挙三得です・・・。
8月27日「開講」
 全員無事に出校してきました。この秋は四年生は行事が目白押しで、体力的にも精神的にも疲れる時期ですので、病気が心配ではあります。特に、最後が研修旅行ですので、なんとかインフルエンザにかかることなく全員で楽しく出かけたいものです。九州は楽しみだニャン。
 そのまえに、オープンキャンパス・・・。みんな完成するのかなあ。この二日間をそれほど時間をかけることなくできる能力があれば高専祭の専門展も、夜遅くまでやらなくても計画的にできそうな気がします。試金石です。
 山三昧。三つの味とはよく言ったもので、御嶽山、富士山、白山と霊峰三山に登ってきました。どれもハードな山でしたが、すべて快晴で大展望に満足しました。
8月21日「夏休み」
 8月27日(木)開講まで一週間を切りました。学生たちもそろそろ学校に出てきています。2週間で期末試験。その前に学会がありました。うちの専攻科生は大丈夫でしょうか。
 オープンキャンパス、期末試験、ロボコン、高専祭専門展、研修旅行、あっという間に年末・・・。合間を縫って、白山、立山に行き、年度内日本3名山・3霊山(御嶽山付き)と行きたいものです。なにか御利益があるでしょうか。敬虔な仏教徒が期待してはいけないですね。
携帯電話を新しくしました。買ってからテレビ電話の機能があることを知りました・・・。顛末は別のところで・・・。
8月16日「人事異動」
8月1日に職員の人事異動がありました。休みの日にぶつかり特に挨拶もできませんでしたが思いで深い人ばかりでした。
 財務係長のMさん。3人の課長に仕えて財務の改革を断行されました。発注システム、予算の計画的執行等に多くの業績を残されました。ある程度軌道に乗っていますので思い残すことはないと思いますが、新しい職場でも活躍されることと思います。
 総務係のKさん。A課長と一緒に認証評価に対応したのが思い出に残っています。自己点検書を提出後大幅に変更する必要があり、A課長と小会議室で液晶ディスプレイで点検書をスクリーンに映しながら検討し、Kさんに打ち直してもらったのが特に記憶に残っています。仕事は本当に迅速でした。新しい職場での活躍を祈っております。
 予定通り8月3日に日帰り富士山登頂を決行しました。前日まで雨で、大月あたりでも厚い雲が垂れこめていたのですが、河口湖五合目では快晴、頂上まではっきりと見ることができました。登り5時間半、降り3時間は神さんと一緒でしたがまあまあの登頂時間でした。疲労も昨年ほどはなく、天気にも恵まれいい思い出になりました。昨年は「もう二度と登らない」と思ったものでしたが、今年は「富士宮口からも登りたい」と思いました。さすがに、今年もう一度は無理ですが、毎年誕生日には富士山に登りたいと思っています。生きていたらですが・・・。
7月29日「更新」
 実習見回り、東海工学教育協会高専部会の幹事会、出張、健康診断、夏季休暇、その他もろもろで、学校から離れる期間が長く、更新できない状態になります。
 なにかあったらすぐ対処しなくてはならないんですが、すぐに戻ってくることができない場合(場所?)もあり、何もないことを祈っているしかありません。
梅雨が明けないまま、8月に突入しそうですが、暑中お見舞い申し上げます。お元気でお過ごしください。
7月27日「睡眠誘発CD」
 毎日あるCDを聴いているのですが、条件反射的にこれを聴き始めると眠くなります。暑くて眠れない夜にはぴったりのCDなんですが、車の中で聴くとやっぱりとたんに眠気がきて困ります。
7月23日「夏休みの目標」
 毎年立てるのですが、今年は締め切りのある論文を書き上げること、研究テーマを整理すること、そして・・能力を上げること。最後の目標はずっと前から考えていたことです。半年かかることを一ヶ月半でやろうとするところに無理があるような気もします。
7月21日「学級懇談会」
 久しぶりの学級懇談会でパワーポイントをつかって説明しました。授業と同じで、ついつい卒業生等の話題で脱線し、時間をオーバーしてしまいました。パワーポイントの内容は学級通信でWeb公開しています。前回の担任の時は私と同世代の保護者の皆様が多かったのですが、今回は一回り違うようです。学生に受けない冗談も保護者には多少受け入れていただけたのは年齢が多少近いためでしょう。
 学級懇談会の準備のため、教室に行きましたが、あまりにも教室が汚かった。水曜日に大掃除できれいにしたのですが、木曜日と金曜日であそこまで汚くなるとは・・・。教科書が床に散乱し、机の周りはごみだらけ、飲みかけのペットボトル・・・。あわてて散乱した教科書は一か所に集め、床に落ちたゴミを拾いましたが、そのうちにばかばかしくなってやめました。そのまま放置し、保護者の皆様に現状を見てもらい、同時に机列表を回覧し、どの場所に誰が座っているのかを確認してもらいました。
 夏休み前の大掃除で、「私物は持って帰る、それでも置いてある私物はいらないものだと解釈して処理する」と宣言しましたので、私は言ったことは守ることをみんなにしっかり示す必要があると思っています。
7月16日「工学基礎研究」
 オープンキャンパスで中学生に披露しますので、夏休み中に完成させる必要があります。ギターの自動演奏を作っていた頃は、お盆過ぎは連日夜9時過ぎまでやっていたものですが、最近ではPICNICを使いこなせるようになり、学生もそれほど負担には感じていないように思います。しかし、未完成は絶対に許されないものであると宣言しました。今年は四年生だけが実演しますので真価が問われています。
7月14日「リルレの法則」
 二年に一度今頃に必ず2Eでリルレの法則を話すことになる。今日もじっくりと下ごしらえをして披露しました。反応はもう一つでした。だんだんとうけなくなってきたようです。おとなしいクラスかなと思ったりもするのですが・・・。こちらに問題ありですか。
 授業を始める前に「今日はリルレの法則の話です。リルレの法則を聞いたことがある人は手を上げて。」といったら、二人ほどいた・・・。いったいどこで?
7月10日「地デジ」
 まだまだ、テレビの買い替えは先のことだと思っていた。しかし、エコポイントが付くとのこと。タイムリーにブラウン管式のテレビが壊れた。とりあえず、14インチの子供用のテレビデオで代用していたが、とうとう、40インチの液晶テレビを買ってしまった。この間の顛末は別のところに詳しく記載した。14インチから突然の40インチで見る位置も部屋の隅まで下がらないと違和感がある。部屋全体が高温になった気がする。どこがエコなんだろう・・・。
7月7日「東海環状自動車道」
 7月5日ETC千円を利用して豊田運動公園に高専大会の野球の応援に向かっていた。土岐JCまでは対面通行だが、そのあとは広い片側2車線になる。土岐から20分で豊田へ。東濃地方の入試倍率が苦戦するわけだ。
 気持ちよく飛ばす。4kmのトンネル。トンネルは知らないうちにスピードが出る。時速?km、前後になにも走っていない。と、後の方から単体のヘッドライト。かなりはやいスピードで迫ってくる。めちゃくちゃに速い、スピード違反もいいところだと思いながら、こちらも上げようと思った矢先、ふと、予感がして、スピードをゆっくりおとした。後ろにきたバイクはあっという間に右車線に出て追い越して行った。バイクの色は白かった・・・。
7月3日「健康」
 運命というのは変えることができないものか。心筋梗塞や脳梗塞等をできるだけ起こさないように気をつけてはいても、起きてしまうときには起きてしまう。これを避けるために節制や運動をすれば、それが適していればいいがストレスになれば別の病になる。
 303号線を走っているとこちらが青信号でも脇道から中学生が自転車で横断ではないが303に急に入り込んできてヒヤッとする。これを避けるために青信号でも減速すると、後の車が追突しそうになりクラクションを鳴らす。クラクションの音にこちらはびっくりする。この音で心臓がびっくりして止まったら、そして意識が無くなり前の人をはねたら・・・。
 それも運命か・・・。
 朝、元気に出て行った人の声が夜にはもう聞こえなくなる。それも運命なのか・・・。私に残された時間がどれほどあるかわからないが、明日はないかもしれないと思い毎日を充実して生きることしか思いつかない。
7月1日「黙祷」
 どうしても外せない校務があり、告別式には出ることができない。通夜に参列したが、倒れてから一週間での急逝。家族や親族の悲しみはいかばかりか。つい一週間前には元気で挨拶を交わしていたというのに。「ご浄土への旅立ち」とはいうものの、「これが運命だったのか」とは残されたものは割り切ることはできない。告別式のおこなわれる午後1時に斎場に向かい、学生たちと一緒に黙祷を捧げました。合掌。
6月30日「訃報」
 昨年本校を定年退官された先生が亡くなられた。空いた時間でいろいろな計画があったことと思うと、胸が痛む。これが定められた運命なのか。ご冥福をお祈りするしかない。
6月26日「自転車の事故」
 今年になって増えているとのこと。我がクラスでも今朝一件ありました。幸い軽傷でホッとしています。交通事故は加害者も被害者も生活が一変してしまうことを改めて教室で話しました。
6月24日「中間成績報告」
 個人別の中間成績を印刷して学生に渡しているのですが、みんなすごい勢いで部屋に殺到しました。しかし、二日目になるとぱったりと途絶えました。まだ、10人以上残っています。最後までとりに来なかったりして・・・。
6月19日「ビンゴ」
 歌手のアイザキシンヤといってピンと来るのは、我々の年代でも少ないでしょうね。卒業生で連絡が取れなくなっている学生もいますので、この際、近況報告もかねてメールを送ってくれると助かります。どんな仕事をしているのか、後輩たちにどんなアドバイスをしたいか等。授業中の気分転換に学生に紹介したいと思います。最近、授業中の雑談もうけなくなってしまって途絶えがちなんです。私の笑えない冗談よりも、卒業生の生の声の方が絶対いいと思います。初めてこの日記が役に立ちそうです。
 久しぶりにハードな山行をしようかと思っています。
6月17日「業務連絡」
 わが卒研室の優秀な卒業生であったI崎真也君(歌手のアイザキシンヤではありません)、メールで連絡していただけないでしょうか。携帯番号を変えたようなので連絡が取れません。日記を見ていてくれるとは思えませんが、思いつく手段がとりあえずこれしかありません。
 6月14日(日)久しぶりに岐阜公園まで歩き、金華山ドライブウェイを経由して岩戸公園から自宅まで6時間のウォーキングを観光しました。減量のため必死です。
6月12日「学級通信」
 保護者の皆様や学生諸君への連絡と同時に記録として残すために始めましたが、ネタが無くなり何となく個人的なストレス解消の場になってきた気がします。内容も文体もかなりな乱れ方であり、とても、小中学校では許可がおりないでしょう。もともと個人で勝手にやっていることで誰の検閲も受けていないため、書きたい放題、言いたい放題です。一応、新教務主事には学級通信をホームページで公開することについては了承をとってはいます。まだ、今のところ教育的指導やクレームは来ていません。着たらすぐに止めるつもりです。保護者の皆様への連絡は別の方法でもできますので、迷惑をかけてまでするほどのことではないでしょうから。
 最近山に行けないために、若干リバウンド気味です。上着を着ないために、おなかのぽっこりがよく目立つようになってきました。7月には保護者懇談会があり、若々しい保護者の皆様とお会いするので、それまでに、なんとか減量しておく必要を感じています。最悪の場合上着を着てごまかしますが・・・。上着を着ていた場合は減量失敗ということで。
6月10日「禁酒の日」
 4か月ぶりにアルコール依存症でないことを確認した日=寮直でした。前回と違って、今回は禁酒の心配はほとんどありませんでした。ウィスキーから焼酎に変え、酒量もかなり減り、なおかつ、ストレスのない日々だからだと思います。
 宿直室が変わって、A寮の点呼の様子を初めて見ました。寮直の経験は永いのですが、点呼の時間はB寮の宿直室で待機するのでA寮の点呼の様子は全く分からなかったのです。
 A寮改修も進み、トイレや洗面所もすごくきれいになりました。寮生の雰囲気も四月から何となくこれまでとは変わってきたように思います。挨拶は相変わらずですが・・・。寮務主事の地道な努力と寮父さんの人柄が浸透し始めているのでしょうか。岐阜高専の寮務主事の宿直回数は他高専に比べて圧倒的に多いと思います。頭が下がります。
6月6日「亀仙人W」
 研修旅行の工場見学先とインターンシップ先との折衝で結構油断のならない忙しい日々ですが、ストレスにはなりません。昔を思い出しながら折衝していますが、歳の功もあり、さっさと片付けています。
 久しぶりに平地を歩きました。朝、8時30分に家を出て、リュック背負って目標は各務原のイオン。目的は歩くことですが、平地歩きでは負荷にならないので、焼酎を買うことも目的で・・・。イオンで1.8リットル三本買ってリュックに詰めて・・・。甘く見ていました。結構きつい。前は、ウィスキーでしたので丸くてあたりもよかったのですが、今回は紙パックですので四角で背中が痛い・・・。途中でうどんを食べて、家に着いたのは13時過ぎ。足にダメージが残っています。
6月2日「日記」
 必要があって、週末に過去の手帳をひっくり返して、出張の記録を調べていました。しかし、そこに書かれた文字が判読できない。判読できないようなものを手帳に書いても意味をなさないのではないかと思われるかもしれませんが、一週間ぐらいのことであれば記憶と記録の相互作用で補うことができるんです。しかしながら、一年前ではもうどうしようもない。ふと、このホームページの記録をみると載っているのです。助かりました。何を調べているのかって?極秘事項です。なんていうほどのたいしたものではありません。
 BSで2006年に放送したつま恋の拓郎とかぐや姫のライブの縮小版(それでも5時間)が放送されていました。「22歳の別れ」で後のギタリストに石川鷹彦氏を発見。先日終了したのですが、教育テレビのギターを弾こうで、最終週がこの曲でした。楽しみにしていた番組でしたのでとても印象深い場面でした。井上陽水、さだまさし・・・。いつまでたっても思いで深い曲ばかり。
5月29日「光陰矢のごとし」
 一週間があっという間に立ってしまう。来週はもう夏。未だにスタッドレスタイヤ・・・。水曜日は授業がないのですが、一番忙しい曜日です。メール送信が水曜日30通ちかくなりました。
 電気通信大学が調布にあるのですが、国立大学で唯一、地名が入っていない学校だそうです。なるほど。全国に開かれた学校だということですね。そのわりに電気通信大学というと、その分野だけと思われがちですが、そうではないそうです。
 しばらく山歩きしていませんが先日は東海自然歩道を10kmぐらい歩きました。
5月22日「新型インフルエンザ」
 岐阜で感染者が現れるのは時間の問題でしょうか。大学や高専ではどれだけ欠席がいても学級閉鎖はないのですが、このインフルエンザについては大学や高専でも誰も感染していなくても休講にするところがあるようです。違いは何なのかいまいちわからないのですが、未知であることなのでしょうね。
 本校の対応も定まって学生には学級通信を見るように言ってはおきました。マニュアルができていても家に帰れば我々でさえもわからないので、とりあえず、学級通信から他の資料とともに外から閲覧できるようにしました。学外公開については学校の許可をとってあります。
5月19日「FD」
 月曜日に公開授業をやりました。この年になって研究授業とは、いじめではないかしらん。いまさら、教材にされて授業改善を要望されても時すでに遅し・・・。いつものようにやりましたが、今年は先に述べた大きな武器を手に入れましたので、メタボ解消の運動にはなりました。大学生は一般には高校を経ていますので、高校の教員免許を持った先生に3年間教わるわけですが、高専生の場合、中学を卒業後、いきなり一年生から教員免許のない先生に教わるわけで・・・大丈夫なんでしょうか。すでにその状態で40年以上、どこの高専も続いているわけですが。運転免許を持たない状態で車に乗らされるわけで、無免許でも運転がうまい人はいくらでもいるということなのでしょうが・・・。私は工業高校の一級免許と日工教の上級教育士の資格を持って入るのですが、それが意味をもっているとは思えません。
5月12日「球技大会・インターンシップ」
 デジカメをもって各会場を回りました。良い成績にこしたことはないのですが、気分転換になればと思います。開会式や閉会式に並んでいる様子を見ていると友達関係がよくわかります。
 そろそろインターンシップも佳境に入っていきます。まずは専攻科生の特別実習(必修単位!)を優先して決めていきます。5月末までの3週間以内にはめどを立てたいと思います。
5月8日「小公女セーラ」
 ゴールデンウィークでテレビ番組表を見ていたら、BSで再放送をやっているようです。民放の番組でしたが、NHKが買い取ったのでしょうか。珍しいこともあるものです。もう四半世紀前の番組の再放送をやるとは思ってもいませんでした。以前の日記を学級通信に再掲させていただきました。あいもかわらず精神年齢は若い・・・のではなく、幼い(幼稚)・・・のでしょう。
5月1日「強力な武器」
 パワーポイントの授業をしていますと、どうしてもマウス操作をしますのでパソコンのそばに限定されます。後の方で内職をしていたり、携帯をしていたり、居眠りをしていても目が届きにくい状況になります。しかし、とうとう私は大きな武器を手に入れたのです。今週はその武器を披露しました。最初は普通にパワーポイントの授業をしていたのですが、学生が眠気を感じた頃、「私は強力な武器を手に入れた」といって教室の真ん中あたりまで入っていきました。学生はびっくりです。スクリーンにグリーンレーザポインタを当てます。これには少し驚いたようですが、それほどではありません。レーザビームの形状をスポットからサークルやラインに変化させると少し驚きの声が上がりました。しかしながら、そんなことは大したことではないのです。この武器の優れているところは、無線でパワーポイント資料の送り戻しができるのです。学生の中に入って資料を進ませたときは「オー」と驚きの声が上がりました。別に私がすごいのではないんですけど。でも、これは効果的です。学生にはどのように映っているのか、見にくくはないのかを教室の後ろから確認しながら授業を進めることができるのです。どの範囲まで制御可能かを調べるために教室の端から端まで行って授業をしましたが、教室中どこでもOKです。これまで教室の片隅から細々と授業をしていましたが、一気に活動範囲が広がりました。これは結構大きなことです。居眠りをしている学生を起こすと、どうしても授業が止まってしまいます。起こされた学生もバツが悪いと思います。そんな時、パワーポイントを遠隔で進ませながら居眠りの近くに行き大きな声で授業をするのです。それでも起きなければそっと肩を叩きながら授業をするのです。携帯電話をやりそうな学生がいたらその近くへ行くことができます。これまで授業だけでは運動になりませんでしたが、授業時間中歩きまわれば万歩計も進み、メタボ解消にも役立ち、一挙両得です。
4月28日「傘がない」
 井上陽水の歌です。4月25日(土)にリサイクルショップへいき、店を出ようとしたら、傘がないんです。マジックでS.Inabaと大きく書いておいたのでもっていかれることはないと思ったのが甘かったんでしょうね。傘を取られた経験は初めてです。いちばん前に置いておいたのがいけなかったのでしょうか。はっきり名前が書いてあるので、すぐにどこかに捨てられるのでしょう。傘の一本や二本はどうってことありませんが、さもしい人間が近くにいたと思うと情けない限り。
4月24日「密度の濃い一週間」
 担任の業務だけでなくいろいろ忙しい一週間でした。2年生も3年生も3回目の授業が終わりましたが、回を重ねることに静かになっていきました。授業はやりやすいんでしょうが、冗談にもあまり反応してくれません。反応を期待するような冗談ではなかったんでしょうね。
 来週からはインターンシップの仕事が入ってきます。学生に直結しますので結構油断できないことがたくさんあり、教務主事をやっていた方が楽だったかと思うこのごろです。
 4月29日は富士見台高原の山開き。天気がよさそうだし、ETC割引で出かけようかと思っています。
4月17日「研修旅行」
 第四学年の最大の行事なんですがとりあえず行く先を決める必要があり、電子工学の授業の初めを使いました。同時に席換えもしたいというので、時間を使ったら授業時間が残り少なくなり、あわてました。なんとか、演習までこぎつけましたが、学生は理解できたでしょうか。わかりやすい説明をということでとりいれた話は早口で説明しましたが、大爆笑で、学生は、この話はよくわかったと言ってくれました。
4月15日「人格者」
 名古屋で懐かしい皆様にお会いしてきました。大先輩のT先生、少し酔われたのでしょうか、昔の頃を思い出されて、おっしゃられました。「思い出すと、いいすぎたなあ、あんなに厳しくすることはなかったなあと思うことばかり。なんでもっと優しくしてあげることができなかったのかなあ。」びっくりしました。頭が下がります。私が最も尊敬する大先輩にしてこの一言、大先輩ゆえの一言かもしれません。反省する必要のない人が反省し、反省すべき人は反省しない。わが身を振り返ってみれば忸怩たる思いです。
  4月14日「一週間」
 一通りの授業が終わり、学生も教員も定常状態に入りつつあります。4Eの電気電子工学コースの電気回路Uはコース別授業でパワーポイントを使って初めての授業でした。三相交流なのですが、かなり長いこと離れており、昔の資料を持ち出してきて教材や問題を作っています。ベクトル図を使わないとどうしようもないので、三相のベクトル図等はパワーポイント資料として配布していますので、ベクトルに赤や青で矢印を重ねて説明しました。学生は、書く手間が省けますので理解に集中でき、何回も戻したりして確認できる点で非常に良いと思いました。ただ、思いのほか時間があまりましたので、演習問題を多くして、学生に実際に解かせる時間をより多くする必要を感じました。電子工学の方はかなり使い込んでいますので、うまくいっていますので、回路も回数を重ねればよいパワーポイント資料になると思います。ただ、残り年数を考えると、何回使うことになるのか・・・。
 今晩は懐かしいOBの先生方(そうそうたる顔ぶれなんですが)と、名古屋で年一回お会いできる日です。楽しみです。
4月10日「3E授業」
 3Eも初対面でした。2Eとの違和感を感じ、何だろうかと思っていましたが、どうも教室の構造のようだと気づきました。2Eは横長、3Eは縦長の教室です。横長の方が授業がやりやすいと感じました。縦長はなかなか目が届きにくいように思います。3Eの電子工学もパワーポイントにしましたので、これで2Eの電気回路だけが黒板の授業になります。昔は電気回路もOHPでやっていました。回路図を黒板に書く手間が省けますので、配布資料を渡しておき、適宜パワーポイントで入力する方がいいかもしれません。
4月7日「2E授業」
 授業開始の一時間目が2Eの授業でした。学生も2年になって初めての授業が私で、とんでもない人にこれから持ち上がりで四年間習うとおびえたのではないでしょうか。毎年話している話なのですが、ちょっと変わったとっかかりなので、何だこの人は・・・という印象ではないでしょうか。人格も品格も感じることができない人物だと思ったのではないかと思います。自分でも、「私は下品な人間だ」と思っていますといったんですが・・・。学生もいろいろな人を見て目を肥やして人物評価ができるようになっていくと思いますから、私は悪い例ということでご勘弁願いたいものです。4年生に話したことと同じですが、「四年間、お互いに楽しく過ごしましょう」「僕と君たちは敵ではなく最大の味方なんだから」「そりゃ、時にはいやなことを言わなくちゃならないこともあるけど」「それも過ぎ去ってみれば楽しかった思い出になる」「ポジティブに考えましょう」等と話しました。学年はじめから緩めてどうするんだ。びしっと最初に厳しく格調高くやれと言われそうですが、私にはこれがあっています。
 電気回路の一番最初の話ですが、けっこう目からうろこで思いもかけない考え方を紹介して、面白く感じたのではないかと思っています。こちらも長いことやってますからポイントは良く抑えているつもりです。
4月6日「学級指導」
 やっぱり現場はおもしろいですね。10年ぶりの担任で浦島太郎状態ですが、学生とはすぐになじんで、健康診断、写真撮影等、ハードな日程でしたが、楽しかった。心地よい疲労感があります。今までストレスがたまりっぱなしでしたが、学生との交流でストレス発散できます。「お互い楽しく思い出になる二年間にしよう」といいました。つらいこともきっといい思い出になると思うんです。
4月5日「学級通信」
 十年ぶりに4年の担任ということで学級通信を書き出しました。学生向けと保護者向けと記録用に意識しています。こちらの日記と併用になりますが、日記と同じで更新がままならないことになるかもしれません。個人情報に注意することはもちろんですが、こちらの情報の流出に注意しなくてはいけないわけで、このあたりが難しいところです。
 私が最初に担任として送り出した卒業生のN君が部屋に訪ねてきてくれました。ご子息の入学式!とのこと。バリバリの企業戦士で、ホームページ公開にかかわる情報制御のノウハウを幾つか教えていただきました。持つべきものは卒業生ですね。
 学生と一緒に二年間楽しく過ごしたい。成長の助けに少しでもなりたい。学生の成長を見守ることができる幸せを味わいたい。どんなことでもポジティブに考えたい。今思うことはこんなところでしょうか。
 10年前の担任の時よりもはるかにロードがきつくなっています。なんでこんなに仕事が多いのかと思って天に向かって吐いた唾が自分にかかってきます。そうでした。みんな私が悪いのでした・・・。立場が変われば楽にすることを考えましょう。
3月31日「謝恩会、WBC,年度末」
 グランドホテルで謝恩会を開いてくれました。今年も楽しく過ごしました。いつもの年と同じアウトカムズを保証して卒業させることができた証でしょうか。電気の伝統は脈々と続いています。
 WBCは興奮しました。最後は層の厚さがものをいったように思います。日本の野球の伝統、小さいころからの育成、土壌といったものが勝利の要因だったのでしょう。監督は日本力と表現されていましたが、野球に関する国力のようなものなのでしょう。サッカーはまだ残念ながら、強化の歴史も浅く、やはり、南米や欧州に追いつくのは時間がかかるのでしょうが、あまり一喜一憂することなく長い目で見ればいいのでしょう。そうはいっても、どうしても力が入ってしまいます。アジアの別リーグの方は大接戦で、応援する方も応援しがいがあり、うらやましいなどと思ってしまいます。
 平成20年度の年度末を迎え、これまでと違った区切りを実感しています。学科長として学科の改組の道筋をつけ、稲葉プロジェクトと称して電気の入試倍率を上げることを画策していた頃、実践技術単位、コース別教育課程、5年間の一貫したエンジニアリングデザイン養成システム等、学科全体の教育システムを構築していた頃、JABEEプログラム責任者として、プログラムの学習・教育目標の設定から達成度の評価方法・評価基準の設定と実施、教育点検改善システムの構築等、JABEE全般にわたり責任をすべて負って審査を受けた頃、教務主事として学校全体の運営に責任を持ち、各学科の学習・教育目標の設定、教育改善システムの設定を行い、入試倍率の2倍維持に走り回っていた頃、認証評価やJABEE審査の最前線にいた事等、この十年の密度はすごいものだったと思います。多くの高専の先生方と知り合うことができた時代でもありました。失ったものも多いのですが、それなりに満足しています。ある程度の道筋はついていますので、岐阜高専全体としての伝統も構築されていくと思います。
 私自身は、一区切りをつけて自分を見つめ直してみたいと思っています。
3月10日「荘川桜」
 本来、温かい青を基調とした想像的な具象画が画風なので、兄の作品はすぐにわかりますが、昨年度日展に出品した荘川桜は青をほとんど使わない珍しい作品でした。昨日もニュースステーションの映像ででていました。
 私も元気を出して頑張ります。いったい私は何をしていたのでしょう。科研費は継続していたものの十年前の輝きはどこかに行ってしまいました。空白の10年間ですが充電期間と考えています。いくつかアイディアは出始めています。専攻科生と卒研生をフルに使った昔の生活にもどりたいと考えています。
3月5日「首相官邸」
 以前にも書きましたが私の兄はかなり名の知れた洋画家です。日展にはずっと入選しており、特選を2回とってからは審査等にも加わっているようです。岐阜県在住の洋画家で特選を2回取ったのは現在は兄一人だと思います。岐阜市の芸術部門で表彰されたり、中日新聞や岐阜新聞によく記事になったりしています。東京にいたらもっと世界は広がったと思います。
 兄の作品が首相官邸に飾られているようです。これからは総理大臣の会見の時は本人よりも後ろの壁が気になります。
 まったく異なった世界に進んでしまった兄弟ですが、兄の日展連続入選に対して私の連続科研費採択が唯一の誇りでしょうか。学会賞もいただきましたが、特選にはかないません。たった二人の兄弟で岐阜に住んでいるのですから、私も少しは岐阜のお役に立ちたいとは思っているのですが・・・。元気をもらって頑張ります。
2月26日「断酒」
 2か月に一回アルコール依存症でないことを確認する日=寮直だったのですが、ふと気になって調べてみました。この前は12月で日直、その前は10月でやはり日直、6月13日が宿直・・・。ということは6月14日以降は毎日お酒を(浴びるほど)飲んでいたことになります。この所の体の変調はそれが原因か。はたして、8か月ぶりの断酒ができるのだろうか。正念場だ?と思っていましたが、なんてことはありませんでした。別に飲まなくったってどうってことありません。今日は朝から快調。それなら、いっそやめればいいのにと思うのですが、断酒した後に飲むお酒のうまさは如何ほどかと期待してしまいます。
 研究の方の軌道修正を少しする必要を感じています。あと5年ほどですので最後のまとめと新しいことへのちょっとした挑戦をするつもりです。
2月10日「例の話」
 3年生でもやってしまいました。パワーポイントにしたため、このところ4年でやっていたのですが、3年でお別れになる学生がいるので、思い出?にやってしまいました。廊下から光が入るとスクリーンが見えにくくなります?ので、ドアの透明窓のスクリーンは引かさせていただきました。また、声も枯れ気味?なので、あまり大きな声にならないようにしましたが、ついつい大声に・・・。授業の最初の15分の小テスト、授業最後の30分の演習は確保しました。2年間にわたり、雑談も入れずに黙々と授業をし、休み時間も、昼休みも割いて教室にいたのですから45分くらい私の自由な時間が欲しいといったら、学生は快く許してくれました。たまたま、欠席した学生の席がいちばん前に開いていたのですが、わざわざ後ろからそこに移動してきた熱心な学生もいました。いつもの授業よりも学生の目が輝いていたように思ったのは私の自信過剰でしょうか。演じ終わったあとはパラパラと拍手が・・・。
 入学希望者の数が減ってきています。何が原因かを分析し、対策を練る必要がありますが、そんなに簡単に済む話ではありません。ノーベル賞をとったお二人がN大学や出身高校で講演されていますが、これは効果的でしょう。岐阜高専の卒業生が大活躍してくれればおおいに宣伝したいと思います。やっぱりアウトカムズで勝負するのが王道ですね。入学してきた学生を一生懸命教育する。これにつきるのでしょう。そのためには、雑談はやめて授業をしっかりやる・・・、自己矛盾してきました。
1月23日「ソニー」
 一宮と稲沢が合併するとのこと。両方とも岐阜高専の電気の学生がかなりいます。円高が大きいのでしょうか・・・。明るい話がないと冷え込む一方です。
 卒論も佳境(遅すぎ?)にはいり、そろそろ神様がほほ笑んでくれるでしょうか。昔は自筆で失敗のできない清書でしたので、1月終わりには完成していたのですが、今はこれからが追い込みです。
 両手のしびれに加えて舌もしびれが本格的になってきて、すこし心配な状況です・・・。耳鳴りは一向に止まらないし、物忘れはひどくなるし。先日、後輩(ある企業の所長)が部屋にきて、いろいろな話をしたのちにお互いに携帯番号を確認し、そのあと、もう一度携帯を使おうとしても見当たらないんです。置いた場所を忘れたんですが、途中で「今日は携帯を家に忘れてきたのかなあ・・・」といったら、後輩があきれ返っていました。
 1月17日(土)今年に入って初めての山行は天王山でした。雪で滑るし、登りと下りの時間が同じとは・・・。右膝と左踝の古傷も痛み出すし、あくる日大腿筋がバンバンに張って歩くのもつらい状況。富士山に備えて長期計画でなんとかしないと。
1月5日「リバウンド」
 初日の出を拝もうと、スポットを定めるために12月23日、27日、28日と三回も裏山に登って確かめました。1月1日の予報はあまりよくなく、昨年も雲の中だったので迷っていました。朝5時、どうしよう。外は真っ暗で分からない。迷っているうちに深い眠りに・・・。気づいたら6時半・・・。今から登っても間に合わない。どうせ天気も悪いだろうと思っていたら、回復している。裏山に登った人のホームページをあくる日確認したら、鮮やかな日の出・・・。一年前から期待していたのに、寝坊してがっくり。今年が思いやられます。
 お餅を食べ、お節料理を食べ、ビールをしこたま飲み、3日に恐る恐る体重計に乗ったら、何と72kg!4kgも太っている!!64kgまで落としたころから考えると8kgのリバウンド・・・。体の一割以上が増えた計算。右足一本分くらいか・・・。
 5日は学校で大掃除の残った所を片付けようと、積極的にゴミ捨て場との往復でなんとか体重を減らそうと・・・。専攻科生が来ていたので、研究の打ち合わせ。今年はがんばるぞ!と言っている折から、記念写真で階段を上がる時におもいっきり膝を打ちあざができてしまった。右膝も痛みが引かず、左足首も痛みが残り、先が思いやられる。でも今年は絶対にあらゆることに頑張ります。
12月26日「大掃除」
 3日間かかって整理しましたが、部屋の半分で終わってしまいました。2年間の埃がたまりにたまって、どうしょうもなかったので、書類はどんどんシュレッダーあるいはごみ出ししました。何となく重要そうな(期限は切れていそうなんですが・・・)書類だけは箱にしまって戸棚に入れて・・・とおもったら、戸棚にはすでに先客が・・・。二年前に整理しようと思っていた書類なんでしょうね。いまさら見るのも怖いし、かといってすてるのも・・・。ということで、その箱の上にさらに置きました。戸棚の上を見れば、改修のときに片づけた段ボールが未開のまま・・・。これは十年前くらいの箱・・・。日々の生活に追われ、そのままになっています。どうやら、この部屋を明け渡す頃にはじめて開くことになりそうです。
 年末年始は9連休ありますので、久しぶりに家に仕事をもってかえって、これからのことをじっくり考えようと思っています。
 寒波がようやくやってきて、揖斐や美濃の山も真っ白。養老山脈が美しい。車を運転していてもつい目が山に行き、危ない危ない。初日の出を諏訪山のいつもの場所に登って迎えるつもりです。T先生も山に引き込んだろうかしらん。
 今年は私的には充実した一年であったと思っています。来年はいよいよ正念場になりそうです。この十年の奇妙な生活?を一段落させ、昔の生活に戻りたいと思っています。
 今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。
12月22日「2008年授業終わり」
 元気がなくても授業へ行くと元気が出る。学生から若さをもらっているようです。授業初めはざわざわしていますが、いつも何も言わなくても、そのうちに静かになってくれます。時々、私語がありますが、ちょっと首をかしげるとすくに静かになります。気持ち悪いくらいに・・・。こちらが「どうしたの・・・」というくらい。担任がしっかりしきっているクラスだと思っています。
 20・21日とJABEEで知り合った全国の先生方と、奥様同伴で滋賀・京都方面に一泊旅行でした。白雲庵では昼食に普茶料理(精進料理)をいただきました。なかなかの味でした。
 23日の休みは久しぶりに山に出かけたい。白銀が私を呼んでいる。でも暖冬で雪がない・・・。
12月19日「ルビーレーザ」
 光・量子エレクトロニクスのルビーレーザではいつも話す雑談があります。1960年に発振に成功したルビーの人工結晶にフラッシュランプの強い光を当て発振させる原理をパワーポイントで説明した後、
 「実は古代ローマ帝国の時代から赤い宝石の結晶に太陽光が当たると強い光が出ることが知られていた。そのスケッチがこれです。(パワーポイントにはハート形の宝石の図)俗に「エイジャの赤石」と呼ばれ、20世紀初めにこの宝石をめぐって壮絶な戦いがあったのです。」「ワムウ、エシディシ、カーズ対シーザー、リサリサ、ジョジョのJPGです。(パワーポイントには6人の図)」
 卒業生には毎度おなじみの話でした。パワーポイントでやるとなかなかの迫力・・・。
 次回はQスイッチレーザの話です。すでにJPGはコミックから取り込んで準備完了しています。教材開発の一環です・・・。
12月16日「講演会」
 武田先生に講演をしていただきました。講演内容はもとより、説得力のある語りかけに学生たちばかりでなく、教員も感心したのではないでしょうか。すごいと思うのはテレビでも緊張感なくまったく同じように話されていることです。モンゴルの草原で馬上で携帯電話をかける写真が印象に残りました。
 学科の忘年会がその日にありましたが、なかなか美味な店でした。しかし、柳ヶ瀬界隈は本当にさみしい状況になっています。岐阜市はどのように生き残っていくのか・・・。
12月12日「例の話」
 12月12日12時12分にちょうど書き出します。今日の4Eの授業では試験を返却した後、時間をもらって「例の話」をしました。昨年完成させたパワーポイント36ページの力作?です。中間試験後の時間のゆとりがあるこの時期が一番いいと判断?しました。風邪気味で体長はいまいちでしたが、思いのたけはつくせました。いささか燃え尽きた感がありますが・・・。
 波紋で「九萬にかえてやる」との一節で、これまでにない反応がありました。「ジョルノ・ジョバーナ」までは知っていたのですが、第六部はおろか、第七部まであるとは・・・。五年生に話す予定のエイジャの赤石の前に知っておいてよかった・・・。
 先週は東京で、来週は京都・・・、間に酒宴が2回・・・。冬山が早く来いと呼んでいます。
11月28日「ロボコン」
 全国大会の技術賞は初めてのことで限りなくロボコン大賞に近づいていたのではないかと思います。大賞を取ったロボットの鉄棒大車輪と倒立からの地上回転にはたまげました。
 高専から応援バスを引率していったのですが、午前2時半に家をでて、帰ってきたのがあくる日の午前2時半・・・。まるっきり24時間のフル労働で、労働基準法に引っかかるのではないかと思いました。疲労の極致にありましたが、行きの中央高速から見た南アルプスの日の出、冠雪した千畳敷きカール、諏訪湖、まじかに見えた甲斐駒ケ岳、北からも富士山がくっきり見えたので行きはいやされました。また、首都高速から東京を見たのも久しぶりで、あれが都庁、これがオリンピックセンター、国立競技場、新宿御苑・・・、バスの中で説明にも力が入りました。
 土日は信州です。
11月20日「雪化粧」
 山沿いは雪になり、池田山も白くなっています。今まで確認できなかった山がくっきりと浮かんでいます。
 前回JABEE審査では二日間徹夜しましたが、今回は早く帰ることができ、あきらめていたシリア戦までしっかり見ることができました。新プログラム責任者がしっかりしていたからと思います。
 やはり、どんな場合も最善の努力をすべきであり、結果的には、ダメ押しと思って対処しておいたことに救われたところもあります。きちんと実施しているのに、説明不足、資料不足だけは避けたいものです。
 日曜日はロボコンで東京ですが、応援バスですので朝4時出発で帰宅が24時になります。はたして朝3時に起きることができるでしょうか。家に帰るのは月曜日の1時過ぎですが居眠り運転にならないでしょうか。スピード違反にならないようにしなくちゃならないし、体がもつでしょうか。心配の種は尽きませんが、バスから見る中央アルプス、南アルプス、富士山に期待しています。
最近の文章は自分でも面白くない文章だと思っています。究極のクレジットへそくりシステムは、その後改善され、第2段、第3まであるのですが、ここではさすがにかけません。
11月7日「JABEE」
 ちょうど5年前の今頃、あるところで意識を失いぱったりと倒れたのでした。その二週間後の本校のJABEE審査で、頓服薬を手元に置いて、真正面で審査長と向き合ったのでした。二日目はかなりの人が徹夜になりました。さて、今年はどんなことになるのやら。JABEE、認証評価と外部評価の真っただ中で丁々発止とやりあってきたことも今ではいい思い出になっているのですが、現場ではそうはいきません。今年は少しだけ後ろに下がり、後押しをすることになります。
 ETCをつけました・・・。
10月27日「科研費申請2」
 修正しては印刷し、チェックしては書き直し、結局12回印刷しました。とうとう昨日は夢にまで出てきてうなされました。ちょっと不安になりますが、8年ほど前から巻き始めた種がようやく実を結ぶ頃になるのですから、それが認められるかどうかを問われていると考えています。
 家のパソコンのモニターが壊れ、モニターだけ買うか、思い切ってパソコンを買うか、あちこち見に行っては悩み、リサイクルショップにブラウン管のモニターが2000円でおいてあるとの話で、見に行ったら、思ったほど汚くはない。いくらだと聞くと1000円だというので(一日前は2000円だった・・・)、速攻で買いました。何も問題なく接続でき、よかったと思っているのですが、思い切って買い換えた方が良かったかも・・・。何といってもミレニアムですから。
 明日は振替をいただいて紅葉の三方岩岳に行く予定ですが、右膝が疼いています。
10月25日「高専祭と科研費」
 高専祭の時には、空き時間を利用して科研費の申請書を書いていました。今年は締め切りが10月20日だったのでとりあえず形式を整えて事務に提出しましたが、いまいち、いつものような自信が出てきません。とりあえず、事務の方でのチェックは終わりましたので、数字の部分はいじらずに何度も何度も読み返してブラッシュアップしていきます。本当は日をおいた方がいいのでしょうが、そんな余裕もないので、毎日、2・3回は修正しています。最近は家に仕事を持ち帰らないのですが、ここのところ毎日家でも見直しています。27日までは納得のいくまで直して、直して、さらに直して登録の予定です。ひょっとしたら、ちょっとした文章表現で変わるかもしれないし、最善を尽くす真摯な態度が必要・・・と、自分で講演したのですから・・・。
10月15日「ロボコン」
 12日(日)に伊勢市でありました。もうあれから10年の月日が流れたんだ・・・。大歓声が悲鳴に変わった10年前。ことしも、似たような状況でしたが、技術力が高く評価されていました。この10年間のロボコンの技術の上がり方はすごいの一言。
 帰りのバスが渋滞にあい、学校到着が22時30分。家に帰って寝たのが24時。あくる日5時に西穂高独標へ出発。素晴らしい天気と絶景でした。これだから山登りはやめられない。独標から続く遥かなる稜線に心ひかれ、来年は危険な雰囲気になりそうです。
 自己点検書の質問に対する回答の点検(わかりにくい表現ですね)を終えました。なかなか忙しくて、科研の申請書を書く時間ができません。家のパソコンのモニターが壊れ、家での仕事もできなくなり、ちょっとしたピンチの状態ですが、忙しいときほど日記に書き込んで気分転換。もとはと言えば休日の仕事が山登りになったためにおろそかになったのが原因なんです。
10月8日「学生会行事」
 9日木曜日は学生会行事で授業がないので、出張する予定でしたが、昨日、専攻科は授業があることに気が付きました。授業に穴をあけてしまうところで危ないところでした。それ以外にもいくつか小さなミスがあり、ボケのはじまりかと不安な毎日です。
 自己点検書に対する質問書がきたのですが、今回は少し苦戦するかもしれないと思っています。私の分担のところはさっさと書き上げて提出したのですが、そんな時に限って大きな落とし穴があるんです。
 山や授業での雑談等を表で書くのはやめようかなとと思っています。
10月1日「後期始め」
 いよいよJABEE審査が待ったなしです。それまでに他の事はできるだけ済ましておく必要があります。授業アンケートの外部要員による処理は若干のトラブルがありましたが順調にすすんでいます。今日は科研費の説明会。いままで欠かしたことはありません。なにか参考になることはないかいつも新鮮な気持ちで聴いています。本年度、岐阜高専の採択件数が5位に落ちてしまった理由を分析し、それに対する対応をはかる必要があると思うのですが・・・。対応しているようには思えません。
9月26日「総務課長異動」
 総務課長の異動がきまり、送別会を高専の近くで開きました。事務職員の中ではよく飲み歩いた一人で、いつもなら二次会、三次会と歌いまわるのですが、今回はあくる日の出張があり断念しました。6時開宴で9時に終わり、どうやって帰ろうかと思いました。昔なら、間違いなくタクシーで、家まで8000円ぐらい払って帰っていたと思います。クレジットで落とせますし・・・。少しそんな気もわきましたが、山登りで性格が変わり、とりあえず岐阜までバスで帰ろうと思いました。バス停の方に歩いていると岐阜行のバスが追い越していきます。あわてて手をふりながら猛ダッシュ。何とか乗せてもらったのが9時5分。ビールを飲んだので一気に汗が出てきました。9時25分に徹明町で降りて、交差点に来たら諏訪山行きのバスが右折しかかっています。またしても手をふりながら猛ダッシュ。何とか間に合いましたが、すっかり酔いも醒めてしまいました。いつも降りる終着駅のひとつ前で降り、自販機でビールを買いました・・・。
 25日の講演は思い切り熱意を込めて話しました。拙い講演だとは思いますが、少しでもお役にたてればと思っています。また、改めて自分の科研費採択の実績を評価していただいたことに感激しています。22年連続34件の採択は、たしかに、自分でもよくやったと思います。
9月24日「科研費特別講演会」
 明日は某高専で「私の科研費獲得大作戦パートU」の講演です。2001年に本校で話した内容をさらに経験を積んでバージョンアップしたものにしました。自分なりに満足の行く内容にはなっています。これが参考になって成果が上がるかはわかりませんが・・・。90分の予定ですが、学生には練習を何回もせよというのですが、さすがにこれは時間が長く余りする気にならない。新幹線の中で少し見て、申請書のコピーのところで時間調整するつもりです。1時について、1時30分から講演、終わったらすぐに新幹線という弾丸出張・・・。近くの高専からも聴きに来るそうです・・・。この地方の来年度の採択状況が楽しみです。
 9月23日は8月に行った乗鞍がガスの中だったので、再度、行きました。天気予報は晴れだったのですが、高山市内では雲が厚く、雨も降り出すありさま。がっかりして駐車場までともかく行ったのですが、乗鞍は突然の晴天。剣が峰からみた高山方面には厚い雲があり、どうやら高山だけ曇っていたようです。素晴らしい天気、素晴らしい眺望でした。穂高連峰、焼岳、槍、笠ヶ岳、南アルプス中央アルプス、御嶽山が大迫力でした。
 実は9月初めに木曾駒にも行き、千畳敷カールから木曾駒ケ岳にも登りました。このときも、高速道路から見た中央アルプスは雲がかかっていたのですが、到着するころには快晴になりました。初めて見る千畳敷カール、宝剣山、駒ケ岳からの南アルプス越しの富士山、まじかに迫る御嶽山、北アルプス・・・圧巻でした。こんな景色も知らずに一生を終えるところでした。次は西穂高独標でしょうか
 週末は広島です。クレジットの請求がすごい額になっているのでは・・・
9月3日「開講」
 いつの間にか9月で授業は始まっています。8月28日(木)開講でちょうど一週間。開講日は騒がしかった3Eも今日は気持ち悪いくらい静か。寝てるんではないかと思うくらいだったが、目はあいているし、演習問題もできている。期末試験が近付いているからですかね。
 あと一カ月もしたらJABEEの一次審査点検書がきますので忙殺されるようになります。9月末には他の高専で科研の講演会を頼まれていますので、その準備も多少する必要があります。ライバル高専にアドバイスしてどうするつもりだといわれそうですが、私の講演にそれほど影響力があるとは思えません。昔、岐阜で話した話を上積みして話すつもりですが、話すからには全力投球します。
 8月29日(水)つまり授業開始前日に、乗鞍岳に登ってきました。高山まで高速が伸び、朴の木平駐車場まで2時間20分でついてしまいました。バスで乗鞍スカイラインをあがり畳平まで行くのですが、バスの中から穂高連峰、槍、笠がくっきりと見え期待は膨らみます。畳平についたら乗鞍の主峰の剣が峰はガスの中。頂上まで登りましたが、ガスと風。結局、バスの中の景色が一番良かった・・・。今年は御嶽山、富士山、乗鞍岳と3000m級に登ることができたので満足満足。これまでは大日ヶ岳の1700mが最大でしたから。しかし、すべて眺望は良くなかった。今シーズンは3000m級は終わりかなとは思っていますが、上高地で見た穂高連峰が気になっています。せめて西穂高の独標には登っておきたい・・・。あと、中央アルプスの木曾駒ケ岳や宝剣岳にも・・・。
8月8日「夏季休暇」
 今年は8月9日から17日まで9日間の夏季一斉休業に学校全体が入ります。休みを利用して毎年、大きな荷物を抱え宿題をやっていたのですが、今年は、秋に備えてゆっくりするつもりです。ゆっくりと言っても静養ではなくそれなりに体力は使いますが、精神の静養という意味です。
 念願の富士山登山を終え、脚の痛みもまだとれないのですが、この休みをじっとしているのももったいない。何となく乗鞍がちらつき始めています。また、いままでまったく無理と考えもしなかった穂高や槍が気になります。とりあえず、下見に上高地へ・・・。一昨年の10月に金華山に登ってからまだ二年にならないのに、ここまでのめり込んでしまうとは・・・。あぶないあぶない。
 7月に人間ドッグで検査をしたのですが、その結果が出ました。肝臓の超音波診断と肝機能の結果を心配していましたが、γーGTPが少し高いだけで、他は大丈夫でした。γーGTPはアルコールによるもので、休肝日を作ればすぐ下がるそうです。そういえば、人間ドッグの指示にはアルコールの前日飲酒を控えるようにとあったのですが、前日は、昼には東京駅でビールを飲み、新幹線でも飲み、家についても普通に飲みましたので、いつもよりトータルではたくさん飲んでいました・・・。
8月6日「富士山登山」
 できるだけ公的な報告に付け加える形で、近況報告を心がけるつもりですが、今回は近況報告のみです。
 57歳になった記念に「断固たる決意!」で富士山登山を目指しました。調布の始発に乗り9時半河口湖五合目出発、19時までに五合目下山の予定を立てました。
 五合目では下山してきた人々であふれ、どの顔も疲労困憊、満足そうな表情の方はだれ一人いません。すれ違う人たちも生死の境をさまよっているような表情で、これから先が心配になりました。馬に乗って帰ってくる人もかなりおり、本当に使わざるを得ない状況があることがわかりました。
 天気の良いことも幸いし、快調なペースでとばしました。時間制限がありましたので、大きな休憩は取らず、写真を撮って、飲料水を飲んで、すぐスタートを繰り返しました。八合目半ば3400mあたり、あと300m、金華山に登るくらい、1時間はかからないと思いましたが、足が止まってしまいました。50歩登って20秒休む、これの繰り返し。頂上は見えているのですが、足が動かない、めまいもしてくる。ここで断念するわけにはいかない。精神と肉体の葛藤、いままで経験のしたことのない状況でした。富士山登山は「断固たる決意」がないと、私のような体力に自信のないものにはだめだと改めて思いました。たくさんの人たちが途中で倒れこんでいるのを抜いていきましたが、とうとう自分がその状況になりました。
頂上からは下の様子が見え、多くの人たちの声が聞こえてきます。初めはなにを言っているのかわかりませんでしたが、高度を上げるにつれはっきりしてきました。「がんばれ!」「あと五分!」「ファイト!」「マンセー!」韓国人のグループでしたか。頂上直下の鳥居の下までたどり着きましたが、ここで、3400mから感じ始めていためまいが、ひどいものになり、意識が無くなり始めました。いかん。これは尋常ならざる事態だ。手足がしびれ、昔、ある審査員の面談で意識が無くなり倒れた状況に近くなりました。ここで、倒れたらどうなる。ヘリコプターで運ばれるのだろうか。ヘリコプターは頂上に降りるだろうから、そこまでは救急隊に運んでもらうことになるが、それで、私は富士山に登頂したことになるのだろうか・・・。あと少しなのに・・・。等と思いめぐらしていましたが、座り込んだら絶対にだめだと思い、ダブルストックで踏ん張って立っていました。ふるえる手で酸素飴を取り出し口の中に放り込み、意識を強く持ち深呼吸を繰り返しました。「断固たる決意!」ここで意識をなくすわけにはいかない、唇を噛みしめ、意識を強く持ちました。少し余裕ができ、おもむろにデジカメを取り出し、鳥居や下の登山状況等を撮影している余裕をみせ、時間を稼ぎました。その後、体調が元に戻ったのを確認し一気に頂上に登り詰めました。登り4時間30分でした。
 登っている最中は、とても無理で、断念することもちらつき、9合目ではとてもこれ以上は無理で下山が非常に現実的なものになってきてはいました。本当に富士山登山は大変で、私よりも体力のない人には絶対に勧めないと思いました。もう二度と登らないと思いましたが、きっとまた登りたいと思うのではないかと思います。
 山頂でバッジに日付を印字してもらい、写真をとってすぐに下山にかかりました。予定よりも早かったので時間があったのですが、天気が下り坂なのでダブルストックでスキーのように砂走りを脱兎の如く下って行きました。下りは2時間でした。途中から雨が降り始め雨具を着ました。以前から欲しかったゴアテックの雨具なのですが、とても高くて躊躇していたのですが、富士山登山では必需品なので思い切って購入しました。(もちろんクレジットで!)これは本当に役立ちました。五合目近くではご来光目当てに登る団体と多数すれ違いました。下山は跳ぶ様に降りてきましたが、疲れはほとんどなく、富士山登頂に成功した満足感でいっぱいでしたので、満面の笑みだったと思います。
 4時半の河口湖行きのバスに間に合うようでしたが、1時間遅らせ、レストハウスでくつろぎ、食事とビールを飲みました。後から思うと、この選択が間違っていました。5時半のバスに乗り6時12分発の大月行きの富士急行に滑り込みセーフで、なんとスムーズな登山、あとはゆっくり帰るだけとおもっていましたが、電車が出発しません。そういえば雷も雨も激しい。富士急は全面ストップ、復旧の見込みも全く分からないとのこと。なんてこったい。あの時ビールなんて後にしてバスに飛び乗っていれば・・・。河口湖でまつこと3時間。それでも、9時12分に発車し、なんとか最終電車で調布に帰ることができると思っていたら、中央線もダイヤ混乱・・・。結局、高雄で京王線の最終にのることができず、三鷹で降りてタクシーで調布に帰ることに・・・。調布についたのは12時30分。富士山登山よりも、そのあとの方が疲れてしまいましたが、それでも、永かった57歳1日目を振り返りビールを飲んで寝ました。
 あくる日に東京駅を出たとたんに雨が降り始め、池袋で大きな災害があったことを知りました。のんびりとした一日を過ごし、本日、学校へ来たのですが、足全体に筋肉疲労がのこり、歩行もままならない状態です。階段の上がり降りは手すりをつかまないとダメな状況です。もうしばらく山登りはいいやという状況ですが、きっと、またどこかに登りたくなるのでしょうね。
7月30日「自己点検書」
 JABEE自己点検書もようやく完成。プログラム責任者と論文査読なみに精査していきました。液晶プロジェクタを使って、そのつど直せるところは直し、資料が必要なところは改めて依頼する等、ブラッシュアップをはかりました。前回と同じで、提出後に改めて見直すのは怖い。一次点検書がくるまで頭を切り替えて別の仕事に没頭します。やることはたくさんありますから。
 右膝の痛みが消えないので、とうとう、整形外科に行ってきました。カルテでは6年前に左膝の痛みで来たことになっています。その時は4か月痛みが引かないので来たらしく、今回は2か月引かないので来たことになります。前回もそうだったのですが、膝に注射を打って、嘘のように痛みが引いていきました。調子に乗ってあくる日に待望の御嶽山3000mに登りました。初めての3000m級で不安がありましたが、膝も快調で、一気に2時間半で山頂に立ちました。楽勝だと思いましたが、下りが大変でした。心臓はえらくないのですが、足ががたがた、膝はがくがくふるえ、もうだめかと思いました。結局、下りは1時間半かかりました。帰りの車は、家まで高速をつかっても3時間かかり、疲労と眠気で疲れ切りました。単独登山はつかれます。高速料金、ガソリン代も高く(でも高速代もクレジットで落ちることを知りました!)、あくる日からは大腿筋が痛く、階段を降りるのがつらい状態になりました。富士山はとても駄目だと思いました。しかし、もうすぐ8月3日(57歳の誕生日)が近付くにつれ、断固たる決意!がふつふつとわいてきます。
7月4日「歯磨き粉」
 寮直の日、夕御飯を食べてアメニティーグッズをいれたバッグから歯ブラシと歯磨き粉(ホテルに泊まった時に余ったものを持ってきているのです)を取り出し、歯磨きをしてびっくり、妙な味がするのです。歯磨き粉のチューブを見てびっくりシェービングクリームでした。バッグの中に二つのチューブがあったので間違えたのかと確かめたら、二つともシェービングクリームでした。
 梅雨でなかなか出かけることができず、足も痛いので明王山あたりで訓練しています。
6月13日「お昼寝」
 最近忙しくて、お昼は目を休めているのですが、いつのまにか前後不覚、死んだように眠ってしまうことがたびたびです。気がついたときは、これが死後の世界かと間違えるほど、眠っていたことに気付くのにしばらく時間がかかります。夜もマッサージ機に腰かけてテレビを見ているともうだめ。気がついたら12時過ぎということがしばしばです。
 先週末は土曜日が大垣の松尾芭蕉通りの散策(2時間)、日曜日は多治見駅、オリベストリート、永保寺への周回(3時間)しました。今週末は犬山城、小牧城、日曜日は大高緑地の予定。山に行きたいのですが膝がもう一つで、リハビリを兼ねて平地を歩いています。今日は、2か月に一回のアルコール依存症でないことを確認する日。昨年はちょうど今頃、寮直あけに池田山に行ったのでした。
6月2日「夏」
 もう夏。5月末までにJABEE自己点検書本文編の分担を書き上げました。昨年度に実施した点検に若干の追加をするだけです。また、授業アンケートのマークシートへの移行も立ち上げ、あとは実践あるのみ。これはいろいろなトラブルが出てくるものと思います。
 膝はまだ痛く、山は無理。JRのさわやかウオーキングに参加する程度です。今週は中間テストが始まります。
5月20日「認証評価」
 22日木曜日が認証評価の関係で東京出張があり、授業変更して3E電子工学を月曜日のU限に実施。3Eの教室に入って行ったら、3Eの学生がびっくり。授業変更の話はしてあったのですが忘れていたようで・・・。疲れた顔をしていたら、「先生、元気なさそうですね」、「授業変更ということは例のクレジット駆動システムですか!」等、いろいろ言ってくれる楽しいクラスだ。和気あいあいと授業ができ、最後の方にはすっかり元気が出てきていました。例によって授業終了後も演習問題の面倒で12時30分ごろまでいるわけですが、食堂で昼食を済ませて帰ってきた学生やら、弁当を食べている学生がいて、「おいしそうだな」「僕は相変わらず、ダイエット食品」「クラブはどう?」等と雑談をしながら、演習問題をほとんどの学生が提出するのを待って、それから部屋に戻り食事です。3Eとは週二回あいますが、授業に行くのが楽しみ。雑談も楽しみ。今回は「困った顔の白熊君」でした。
 5月18日は足も痛いので山は無理だし、日帰り旅行もお金がかかるので、高校県将棋選手権に高専が出ているので(昔、囲碁将棋部の顧問だったんです)、午前中見学に行き、午後からは、ラグビーの高校県総体の一回戦(昔、ラグビー部の顧問だったんです)を見に行きました。ラグビー部はすごくレベルが上がっており、大垣工業相手に24対0で圧勝しました。昔は、高校生でチームを組むのは精一杯だったんですが、大したものです。また、きれいな芝生のグランドで、隔世の感があります。
 肝心の現在の顧問であるロボ研はどうなっているんだ、といわれると返す言葉がありません。主顧問の先生にお任せしております。申し訳ありません。
5月16日「ウィルス」
 昨日の朝から、突如メールが爆弾のように届き始めました。送ってもいない送信に失敗したとのメールで、こちらから正式に出しているメールは添付ファイルが削除されてしまう状況になりました。絶え間ないメールの嵐にこれはどうなる事かと思い、とりあえずウィルスチェックを1時間かけて実行しました。今までひっかかったことはないのですが、今回は11匹も潜んでいました。駆除後、今日は全く不明メールはこなくなりました。静かすぎて何となく寂しい気も・・・。
 今年の目標であった、雪の伊吹山、春の大日ヶ岳はクリアしました。2000m級の恵那山、白山、そして3000m級の御嶽山、富士山が次の目標。その前にケーブルを使った駒ケ根、新穂高、乗鞍、立山にも行ってみたい。その間に、熊野古道も歩いてみたいし、安芸の宮島も行きたい。カルスト台地も見たい。四国はまだ行っていないところがたくさんあるし・・・。時間もお金も全く足りない。とりあえず、JRを乗り継いで清水市の三保の松原に日帰りで行ってこようかな。
5月12日「マークシートリーダ」
 授業アンケートにOCRをつかっていたのですが、世話が結構大変なのと、レンタルが切れたのを機に、マークシートリーダに変更することにしました。マークだけなのでこちらの方が手間がかからないと思っています。ただ、機械を使いこなすのに少し手間がかかり、ここ数日時間を取られていましたが、何とかなりそうなので、本格的に導入することにしました。
 授業アンケート以外にもいろいろなデータ処理に使えそうです。
 大日ヶ岳登山とそれに続く馬篭・妻篭12kmウォークラリーで右膝を痛めていたのですが、11日(日)には高山線・東海道線・奈良線を乗り継いで宇治の平等院まで行ってきました。中学校の修学旅行で行ったとは思いますが、全く記憶になく、かねてから行ってみたいところでした。いつも新幹線か車を使う方が多く、JRを乗り継ぐなんてことは昔の私では考えられないことですが、やっぱり性格が変わってきたのでしょうか。神さんたちは宇治の街でアンパンを買っていましたが、家でそのアンパンをもってびっくり。薄いパンの皮の中にずっしりとあんこ。まるで、砲丸投げの球のようにずっしりとしていました。
5月7日「自己点検書」
 今年の2月にJABEEの認定期間が変わり、5年から6年の認定審査になりました。2013年の審査を想定し、次の次の審査用に教育課程の変更をしていたのですが、5年から6年に変更になったため、平成19年度準学士課程入学者が2008年の審査対象になるため、学習教育目標の達成度評価に関する科目分類をする必要が出てきてしまったのです。まったく、突然に6年審査にかわり、これがもっと早くわかっていたら、平成20年度入学生から教育課程を変更すればよかったと悔やんでみても後の祭り。2倍の労力がかかることになりました。
 GWは念願の大日ヶ岳に登り、白山をまじかに見ることができました。昭和村に出かけた後、馬篭・妻篭12kmウォークラリーを体験しました。高山線、太多線、中央本線を乗りついで行ったのですが貴重な経験でした。おかげで、右足の膝が痛い。
4月28日「GW」
 今年はカレンダー通りなのですが5月7日(水)が開校記念日で学生は5連休になります。我々が休む場合は当然年休を取る必要があります。前回と同様にJABEEの自己点検書を書くことになると思います。
 新幹線の車窓から富士山
をとりました。雪がかなり下の方まで降りています。日本の象徴、日本を代表する自然美・・・、今年は登ることができるでしょうか。
4月25日「渡辺祐策」
 親しくさせていただいているT先生のホームページの内容です。石炭採掘で得た巨万の冨を石炭枯渇を予測し、新しい技術開発に積み込む。舞台となった宇部市のホームページを見てみると、たしかに、人口から考えると、大きく発展していることがうかがえます。税金を化石燃料節約のための補助として使うのではなく、新しい技術開発の方に積極的に投資すべきであるとのT先生の意見だと思います。たしかに、化石燃料は地球が残してくれたものですが原子力発電は人間が新しい技術を開発して生み出したものですから、安全性を高めると同時にさらに新しいエネルギー源を開発することに力を注ぐべきでしょう。
 3年生にこの話をしましたが、シーンとしてしまいました。前日のクレジットシステムの話では大いに沸いたのですが・・・。今週は3Eの授業が3回ありましたが、授業に行くのがとても楽しみでした。学生はうっとおしいと思っていたのかもしれんが・・・。
 4月20日(日)郡上市和良町にある大洞山1034mに登りました。途中で道を間違え、谷沿いにすすみ、急な尾根道に四つん這いになりながら必死に登りましたが、どうやら後で調べてみると隣の山に登ったようです。藪こぎをして尾根伝いに大洞山山頂にたどりつきましたが、遭難の二文字が頭から離れませんでした。幸い天気がよかったので何とかなりましたが、ガスがでていたら危なかったと思います。真新しい熊のフンや木についた爪の痕も恐怖でした。帰りはなんとか正規の道を発見したのですが、間違えた場所を確認したところ、非常にわかりにくいものでした。
 GWはいよいよ奥美濃の大日ヶ岳に登ろうと思っています。熊情報も出始めていますので心配ですが、山登りの魅力には勝てません。
4月18日「科研費」
 22年連続34回目になりました。他高専の先生方と比べてもそん色ない記録だとは思っています。数少ない私の誇り(埃?)のひとつです。これだけ続くと、途絶えた時のショックは如何ほどか・・・。
 昨日は日工教の委員会が東京であり、懐かしい皆様に再開しました。
 富士山は全部は見えませんでしたが、かなりふもとの方まで白くなっていました。
 雪の名残がある春山に登りたいのですが、単独行になるため、人気の高い山に行かないと危ない。週末は荒れ模様だし、悩むところです。
4月8日「小公女セーラ」
セーラムーンの話ではありません。
   生きていくことがつらくなった時、いやなことがあった時、理不尽なことが起きた時、一生懸命やっているのに分かってもらえない時、心が折れそうになった時、その他ともかく疲れきった時にいつも見るホームページがあります。
 「小公女セーラ」日曜日の夜7時半からテレビ放映されていました。幼稚園児であった長男と次男そして家内と私でいつも見ていました。四人とも目に一杯の涙をためて。四人とも涙をためていることに気付いてはいても気付かないふりをしていました。すくすくと育っていった子ども達、楽しく過ごすことができた家内との生活、番組が終わって、さあ一週間頑張るぞという勇気をくれたのはこの番組だったと思います。
 オープニング曲の「花のささやき」ですでに涙し、エンディングの「ひまわり」では放心状態、カラオケでも今も歌います。
 あの感動を呼び起こしてくれる次のホームページでは、いつも涙してしまいます。30代のあの頃を思い出し、感激でいつも涙してしまいます。少し長くなりますが、その頃の番組を紹介するあるホームページの感動的な文章を紹介します。
第44話 おお、この子だ!
 朝起きたセーラはテーブルの上に置いたはずの手紙がなくなっているのに気付きました。やはり魔法使いさんが持って行ってくれたのです。その頃、隣の家ではラムダスがセーラの書いた手紙をクリスフォードさんに手渡していました。その手紙にはこう書かれていました。「このようなお手紙を差し上げることはご自身の深いお恵みを秘密になさって来られたあなた様にはきっとご迷惑な事かもしれません。でも今の私は心からお礼を申さずにはいられないのです。長い間いつも心傷つき寒さに震えお腹を空かせてきた私とベッキーに素晴らしい幸せを届けて下さったあなた様にせめて感謝の一言を申し上げる事をお許し下さい。ありがとうございました。そしてお体を大切にと… 屋根裏の少女より、まだ見ぬ親切な魔法のお友達へ」それを読んだクリスフォードさんはしばらく感激にひたっていました。素晴らしい手紙だと… しかしクリスフォードさんには悩み事がありました。カーマイケル弁護士に探してもらっているラルフの娘が、もし自分の心に描いているような優しい娘でなかったとしたら、それでも自分は親切な魔法使いでいられるだろうかと。そう考えるとクリスフォードさんはカーマイケル弁護士がパリから連れて来る娘に会うのが恐かったのでした。さらに心の一部ではその娘が見つからなかった方がいいとさえ思っているのかもしれないのでした。クリスフォードさんは屋根裏に住む優しく気の毒な少女にラルフの娘のイメージを勝手に重ねてしまっていたのです。そして2人が同じ1人の少女だったらどんなに嬉しい事だろうと馬鹿げた幻想を抱き続けてきたのです。しかしその幻想もまもなくカーマイケル弁護士が連れて来るラルフの娘が打ち壊してくれる事だろうと言って嘆くのでした。  カーマイケル弁護士の奥さんと息子のドナルド、姉のジャネットがクリスフォードさんの家を訪れました。そして奥さんとラムダスが馬車で港までカーマイケル弁護士を迎えに行きます。ドナルドはクリスフォードさんにラルフの娘はどんな人かを尋ねます。しかしクリスフォードさんには答える事はできませんでした。するとドナルドは「あのマッチ売りの少女のような優しい人ならいいなぁ」と言うのでした。そしてドナルドは可哀想なマッチ売りの少女についてクリスフォードさんに語ります。お父さんもお母さんもいない事、昔は育ちが良かった事など。しかしドナルドはその少女が何という名前なのか、そしてどこに住んでいるのかも知らなかったのでした。  セーラは屋根裏部屋で勉強しているとベッキーが暖炉に石炭を補充しにやって来ました。ベッキーは笑いながら「モーリーさんもジェームスさんも院長先生に言われたとかで、お嬢様のこのお部屋には石炭を十分に焚くようにですって。みんなお天気でも変わるみたいに急にお嬢様に対する態度が変わってしまって、きっとあの魔法使いさんからの小包のおかげですわ」と言います。その時セーラは屋根の上に何かいるのを見つけました。窓を開けるとそれはサルのスーリャでした。セーラは屋根裏部屋からお隣に声をかけますが誰も出て来る気配はありません。セーラとベッキーは暖炉の火でスーリャを温めると、セーラはスーリャをバスケットに入れて隣の家に返しに行く事にしました。  隣の家にカーマイケル弁護士が来ました。ところがカーマイケル弁護士は見つけたはずのラルフの娘は実は人違いで、結局パリ中探しても見つからなかったと言うのです。それを聞いたクリスフォードさんはショックでがっくりしてしまいました。しかしカーマイケル弁護士はラルフの娘が母親の生まれ故郷のパリではなく父親の生まれ故郷であるこのロンドンにいるのではないかと提案します。そしてこの家の隣にも寄宿学院があるとクリスフォードさんを励まします。クリスフォードさんは「そうだ、隣には私の心を大きく占めている少女がいる。だがその少女は生徒ではない、貧しいかげりのあるメイドの少女だ。あのラルフの娘などではとうていあり得ない子なのだ、残念な事だがねぇ〜」と言うのでした。そこへセーラがスーリャを連れてクリスフォードさんを訪れたのです。応対に出たインド人の召し使いにセーラは説明しますが言葉が通じません。そこでセーラはインドの言葉で挨拶をします。そこへドナルドがやって来てマッチ売りの少女がやって来たと言います。ラムダスもやって来ると屋根裏の少女がやって来たと言います。セーラはラムダスにスーリャが逃げて来たと言ってスーリャを手渡すとクリスフォードさんにお礼が言いたいと言うのでした。ドナルドは自分の好きなマッチ売りの少女とクリスフォードさんの好きな屋根裏の少女が同一人物だったとクリスフォードさんに報告し、おまけにその少女はインド語を知っていると言うのです。ラムダスはクリスフォードさんに屋根裏の少女がぜひとも今までのお礼がしたいと言って面会に来ている事を報告すると、クリスフォードさんはすぐにお隣の少女を中に通します。そしてセーラが部屋の中に入って来ました。「はじめましてクリスフォード様。あれほど御親切を頂きながらこんな形で突然お伺いした事をお許し下さい」「私の方こそ丁寧な手紙を頂いたお礼を申さねばなるまい。ところで君はインドの言葉を知っているそうだが」「はい、挨拶だけは。ずっとインドに住んでおりましたから…」「い、インドに!」クリスフォードはセーラをそばに呼んで手を取るとセーラの顔を見つめ続けました。そしてこう言ったのです。「カーマイケル君、私には聞けん、君が聞いてくれたまえ、この子の名前をだ」「君の名前は?」「セーラ、セーラ・クルーです」「こ、この子だ! この子がラルフ・クルーの娘だったのだ!」

 ああ!なんて感動的な放送だったのでしょうか。純真な心を失ってしまった私も童心にもどり、あのシーンを思い出し涙を禁じえない。条件反射のように必ず大粒の涙が出てきます。最悪の精神状態にある時はいつもこのホームページを見て、あの感動を思い出し、あの頃の我が家の子ども達との生活を思い出し、なんとか頑張ってみようと思うのです。
 もう一度、感激に打ち震える文書を下記に記します。こんな年になって少女趣味と言われるかもしれませんが、これほど感激を呼び起こしてくれる一文、そしてそこから思いうかべる感動的シーン、家内と子ども達とのその頃の生活、こんな感動を呼び起こすものは私の人生ではありません。

「い、インドに!」クリスフォードはセーラをそばに呼んで手を取るとセーラの顔を見つめ続けました。そしてこう言ったのです。「カーマイケル君、私には聞けん、君が聞いてくれたまえ、この子の名前をだ」「君の名前は?」「セーラ、セーラ・クルーです」「こ、この子だ! この子がラルフ・クルーの娘だったのだ!」

 この番組を見たことがある人は多いと思います。また、とてもつらい状況にある人もあると思います。この一文が私の救いになり、なんとか立ち直って生きていけるきっかけになっているように、同じような状況にある人たちを勇気づけるものになってくれればと思い紹介しました。
4月6日「入学式」
 今年から日曜日に入学式を実施することになりました。新入生歓迎会(クラブ紹介)も初めて保護者の前で学生がすることになりました。保護者の反応は良かったと思います。
 歓送迎会で車を都ホテルに置いてきたので、土曜日に取りに行きました。徒歩で・・・。2時間くらいでいけると思いましたので、山歩きより時間は短いし、平地だから楽だと思い、酒抜きと花見がてら出発しました。千鳥橋、鵜飼大橋、長良橋と花見を楽しみながら、金華山、百々ガ峰、伊吹山をときおりデジカメで撮りながら、ぴったり2時間で到着。しかし、結構疲労感が残り、そのあと予定していた山行は中止。待ちに待ったガソリンを満タン給油(122円)して、自宅でマッサージ機に乗ること1時間。休むとまた歩きたくなり、眺望が期待できないので山はやめて、花見に2時間ほど歩きました。東京から帰ってきた時も、普通ならタクシーを使うのですが、那加駅から境川堤の桜を楽しみながら1時間歩いて帰りました。性格が変わってしまったと思うのですが、皆さんに言わせると、何も変わっていないそうです。
3月26日「シルビィバルダン」
 来日していますね。「アイドルを探せ」であまりにも有名。私より上の団塊の世代にはたまらないのではないかと思います。T社のステレオの宣伝でこの曲を聴いたときは10歳ぐらいだったのですが、衝撃的でした。そんな時代もあったの・・・。LPも持っています・・・。渋谷でコンサートとか・・・。明日から応物学会で東京に行くんだけど・・・。まさか、渋谷に行くわけにもいかず、同じ東京にいると思うだけでよしとしますか。
 自己点検・評価報告書は関係機関に発送しましたので、今週末にはウェッブでも公開する予定になっています。
3月24日「春季大会」
 連日の延長戦勝利。プレッシャーのかかる中、本当に精神的にたくましい。とくに、23日の岐山戦は九回表で3−6で、追いつくのはむずかしいなあと思っていましたが、I君のタイムリーで同点に!スタンドは大歓声。私と言えば、こっそり観戦するつもりだったのですが、I君の父親に見つかって、いつのまにやらメガホンを叩いていました。延長に入ってからはサヨナラ負けのプレッシャーがかかる中、本当によく勝ち越しました。
 四人の子供たちの試合を毎週のように見に行っていたのですが、全員、高校を卒業してしまい、観戦の楽しみもなくなりさみしく思っていたので、久しぶりの感激でした。試合後、応援団から「子供たちから元気をもらった」との声に思わず涙でした。試合を重ねるたびに、大きな舞台で、声援の中で精神的にたくましくなっていく。教育の見本があったように思います。
 公式戦の実施要項、トーナメント表などの資料をホームページで公開してもらうと応援団もふえるのではないでしょうかねえ。皆が見ている前でプレーをすることは、技術を磨く上でも、精神力を付ける上でもとても重要だと思っています。試合結果なども入れて広報すれば、保護者への情報公開と同時に、中学生にも宣伝効果はあると思います。合格が決まった中学生が高専のクラブの試合を実際に見に行ったり、あるいは、新三年生がそれで受験を考えてくれたり、悪いことはなにもないように思います。ただ、ホームページへ載せる手間は要りますが。
 22日午前中は中濃林道を歩いてきました。1000mの林道歩きからは恵那山、南アルプス、中央アルプス、御嶽、乗鞍、穂高、北アルプスそして白山まで一望ができ大パノラマでした。アイゼンも役に立ちました。野球のアルプス席での感動も味わえましたし、二日間、大満足でした。
3月21日「謝恩会」
 大垣のホテルで実施してくれました。駅から近く、雰囲気も良く、楽しい時を過ごしました。二日間限定でPPを載せる約束をしてその作業をしているのですが、とても重くて難しいようです。PP36ページでいっぱい図があるのでちょっと掲載はむりのようです。文書だけのものはアクセス方法は学生も知っているようなので、それで、勘弁してもらうことにしようっと。下記の、健康の話でも見てください。少し前の「高専を訪れた珍客たち」も昔あったページからのリンクでした。
 明日は美濃か揖斐の山に登った後、高校野球の春季大会が大野レインボウであるので、見に行こうかなあと思っています。
3月19日「卒業式」
 41回卒業式が挙行されました。ということは41期生の卒業なんですが、10年伝説はどうなったのでしょうか。たまたまこの学年だけは私の授業を全く受けずに卒業していく学生もいることになり、よくわからないのですが、卒業研究の発表会を聴いている限りでは、電気情報の学生らしい立ち振る舞いでしたので、伝統は受け継がれているようです。ということは、私の存在はあまり意味のないものかもしれません・・・。
 話は変わりますが、昔「健康にかかわる話」を書いていました。10年以上も前の話で、食べたいだけ食べて太っていたころの話です。あの頃の文章を読むとずいぶん懐かしく感じます。日記も読み返してみると、もう忘れてしまったこともかなりあり、保存しておいてよかったと思っています。多少なりとも、学校や学科の記録として役に立つことあるのではないかと言い訳しています。
3月17日「伊吹山」
 自己点検・評価報告書を完成させました。印刷は学校でやり、製本は業者に依頼します。科研費と全く同じ方式で、3万円ぐらいで出来上がります。以前のことを思うと本当に安上がりになりました。5年前は、印刷も活字をひろっていたのですし、校正も大変だったと思います。時間的にも余裕がないと思います。今回は、本当にぎりぎりでも気分的には楽でした。発送する頃をまって、ホームページに公開する予定です。
 毎朝、高専に向かう車の中から、伊吹山を見るのが楽しみになっています。池田山の後方に見えるのですが、まだ、真っ白です。3月16日で冬期ゴンドラが終了との情報を得ていましたが、単独で行くしかなく、迷っていました。荷物をまとめて家を出でからも迷っていましたが、ガソリンスタンドで満タンにしたところで覚悟を決めました。とうとう念願の伊吹雪山登山です。夏にはさざれ石公園からの北側ルートで上りましたが、やはり南から雪のあるうちに登りたいと思っていました。九十九折りの登山ルートではなく、雪のある時期だけのショートカットをくりかえしながら、どんどん登って行きました。久しぶりの単独行でしたので、自分の思ったペースで登ることができ、1時間30分で頂上に着きました。頂上は銀世界。土産物屋も屋根まで雪がきています。風も穏やかで至福の時を過ごしました。最近、山にはフリーズされた味噌汁を持っていくのですが、これが本当に便利でおいしい。実は、ダイエットおからクッキーを昼食にして1年半になるのですが、さすがに味に飽きてきたのでやめています。調べてみると、カロリーをおとしたダイエットぞうすいのフリーズ製品があるようなので、これにしてみようかなと思っています。クッキーをやめてからのリバウンドを心配していたのですが、増減なく、適度な運動がいいのでしょうか。
3月10日「電気情報工学科退職者送別会」
 今年度で退職されるM先生とN先生の送別会が長良川河畔の旅館に一泊で行われる。K先生のときの登別温泉一泊旅行もあわただしかったが、今回は平日の一泊なのでさらにあわただしい。会議終了後勤務時間を終えてから出発し、明日は勤務時間前に帰ってくることになります。全校生の前でのM先生の退職の紹介では「世界の山々を登頂するために早期退職・・・」では学生から大きな拍手が湧き起こりました。4Eの学生の何人かは後ろにいる私の方を振り返っていました。PPの授業の最中に、息抜きで、登った山の写真をだし、毎度のように「山はいいなあ}で締めくくっていましたから。それとも、私も早くやめた方がいいという、意思表示だったのかなあ・・・。
 養老山は雪道で、踏み外すと、ひざ上までズボっと入ってしまいました。帰り道は滑って恐怖の道でした。上っている人たちは、スノーシューや最低アイゼンは装着していましたが、私は何もなし。ノーマルタイヤで雪道を降りるようなものです。早速、アイゼンを購入しました。もちろんクレジットで・・・。(先月はクレジットの支払いが20万円を越していた・・・)なんとしても、今シーズンでアイゼンデビューを果たしたいが、3月中は単独になるので心配。
 9日(日)10時頃、自宅の裏の北山に登り、いつもの場所(御嶽、乗鞍、中央アルプス、恵那山、白山、能郷白山、伊吹等が一望できる)で早い昼食をとりながらゆっくりくつろいでいたところ、にぎやかな(けたたましい?)女性の声を含んだ一団が現れ、北山の頂上で話し込んでいる。幸い?こちらは死角となって見えないようだった。その後、岐阜権現山へ下りていく迂回ルートの方に行ったようだが、一人だけ(とても上品な方)だけ、私の方のルート(急坂ルートがあるんです)をとられ、挨拶をされていった。その後、山の関係のホームページを見たら、いつも、私が山登りを参照している管理人たちのグループの登山だったようだ。世の中、本当に狭い。
2月29日「自己点検・評価報告書」
 外部評価委員による評価も終了し、いよいよ最後の冊子の制作にとりかかっています。けっこう、この冊子が認証評価の際には重要な役割を果たしています。各種アンケート結果、分析および対応策が第二部、前回の外部評価委員の指摘事項に対する、この五年間の対応を第三部に記述する予定です。外部評価をこれだけ受けていると、この学校教育法で定められた自己点検評価もそろそろ考えるべきだと思いますが・・・。
 3月2日は雪で真白な養老山脈に行く予定です。大丈夫でしょうか・・・。高度計、温度計、方位計のついた腕時計を買ってしまいました。もちろんクレジットで・・・。
 山へ行くときはホームページで下調べをしていくのですが、その管理者に高専生の保護者がけっこういらっしゃる事がわかってびっくり仰天。
2月21日「寮直」
 2か月に一度の禁酒の日(アルコール依存症でないことを確認する日)、いや寮直の日です。寮食堂で夕食を済ませ外へ出たところで、Y先生に会う。Y先生「そんなところから出てきてどうしたんですか}稲葉「今日は寮直なんです」Y先生「??私が寮直のはずですが・・・」
 調べてみたら、一週間間違えていました。「どうしましょう。もう食べちゃいました・・・」心やさしいY先生のご厚意で、急遽、交替していただけることになりました。こんなチョンボは初めてです。手帳を確認したのですが、手帳の記入そのものが間違っていました。
 歳とともに、忘れやすくなりますので、手帳に書き込むようにしているのですが、それが間違っていては話になりません。そのうち、手帳そのものをどこに置いたか忘れるようになるのでしょうね・・・
 禁酒の結果、今日は手足や舌のしびれもあまりないようです。やっぱり酒を控えた方がいいのかなあ。
 期末試験も終わりに近づいているが、今年の2年生も3年生も5年生もすごく点数が高い。4年はどうなるのだろうか。
恵那の大檜駐車場を起点にして3月は雪の富士見台へ、4月には横川山、5月にはいよいよ恵那山に登る中期計画を立てています。また、夏休みは河口湖に2泊して、富士山日帰り登山をいよいよ敢行するつもりです。
2月7日「外部評価」
 意見交換会も無事終了しました。これも一つのエビデンスになるのですが、ちょっと頭の痛いこともあります。JABEEも次のサイクルあたりで少し考えた方がいいかもしれません。
 居酒屋ではいつもは麦焼酎なのですが、ウィスキーにしたためにいつもの調子でさらにのみ、ちょっと体が変調です。手指のしびれ(まひではありません)だけでなく、唇や舌のしびれを強く感じ、まだ治りません。いつもはすぐ引くのですが今回は・・・。ちょっと危ないかもしれません。ストレス→酒の負のスパイラルに入っているようです。痩せすぎたので酒を吸収してくれなくなったのでしょうか。お昼のビスケットももう1年以上続けているので、栄養素がひょっとしたら偏っているかも・・・
 3月初めは東京の研究会、3月終わりは船橋の応用物理学会。
 連休は釜ガ谷山の予定。雪はあるのではないかと思っています。
1月18日「九蓮宝燈への道」
 例の話ですが、表でははばかりますので、詳細は裏で。
 外部評価委員との意見交換会が近づいているのですが、社会の要望の反映が問題となるようです。でも、外部評価委員の点検と意見交換そのものが、社会の要望であり、それを反映するシステムになっているんです。あとは、この意見をとりいれ、エビデンスをこれから作ればいいだけです。
 1月6日に相戸岳671mに登ってきました。麓から雪道で頂上は40cmぐらいでした。足跡(人間の)が一つだけあり、それを目印に、道を確かめながら登りましたが、今から思うと、非常に危ない道であったと思います。降りは雪で滑って二度転びましたが、登りだったら滑落していたかもしれません。週末は笠置山1100mに登る予定です。恵那の山なんですが、だいじょうぶかなあ。
 1月の中旬に、家内と鬼怒川温泉と日光へ出かけ、帰りに東京にもよりました。日光は初冠雪だとのことで、素晴らしい光景でした。山登りで性格が変わり、日光の素晴らしさもわかり、絶対に一度は行こうと計画していました。年末の松島に加え、旅行も趣味になってきました。次は、宮島、京都奈良、飛鳥、熊野古道、秋吉台、指宿、知床、いきたいところがいっぱいあります。お金はクレジットで・・・。クレジット地獄にはまりつつあります。
12月25日「今年も終わり」
 毎年、大掃除をしているのですが、今年はできそうもありません。掃除をしようという気力がわいてこないのです。整理しても余計わからなくなるだけということがわかりました。
 体形が変わり、性格も変わってしまったようです。来年の目標は、とりあえず、科研費の連続獲得という小さな目標にしました。さすがに、これだけ続いていると、途切れた時のショックは大きいと思うのです。私の高専における唯一の心の支え、拠り所、なんです。
 二ツ森山には小雪が舞い、御嶽山も1時間ほど頂上で待っていましたが、結局、雲の中で見ることができませんでした。三連休は、東北と東京に行っていたのですが、歩いていても、新幹線に乗っていても、見るのは山ばかり。
 本年はお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。
    12月3日「寮直」
 東京出張を終え、昨日は2か月に一回の寮直でした。私にとっては、2か月に一回の断酒の日、というよりも、アルコール依存症でないことを確認できる日です。1日断酒できれば、アルコール依存症ではないと勝手に思い込んでいます。昔、煙草を一日60本吸っていたころ、ニコチン中毒の症状らしいものを実感していましたが、同じようにアルコール依存症の症状らしきものを感じ、心配していましたが、とりあえず、断酒できましたのでほっとしています。体も少し快調に感じますし、このままやめてしまえばいいのでしょうが、やめた方がストレスがかかる気もします。
11月25日に今淵ヶ岳に登り始めたのですが、途中でコースを間違え、隣の山に登ってしまいました。途中から崖の脇をする抜けてコースを降りはじめて、おかしいなと思いながらも、かなり降りてしまいました。やっと気付いて戻る道は、大変に疲れ、危ない思いもしました。天気がよかったので、遭難はしませんでしたが、天候がかわっていたらかなり危なかったのではないかと思います。間違えた所はかなり麓に近く、午後をまわっていましたので、断念しました。次は二ツ森山を予定していますが、1300mあり、雪が心配ではあります。一度雪を経験すると、警戒感がなくなり危ないのでしょうね。だんだんと、はまり始めました。
11月28日「紅葉・雪」
 JABEE仕様の自己点検評価報告書が完成し、外部評価委員に送りました。年末までに点検評価をしていただき、1月末に回答等の面談をして、最終結果を冊子にまとめる予定です。
 瓢ヶ岳1162mに登りました。白山がようやく見えたぐらいでしたが、紅葉は真っ盛りで感激しました。母袋烏帽子岳1340mにも上りましたが、こちらは登山口からすでに雪道でした。誰も歩いていない尾根道を歩くことは初めてで、滑落の危険もありましたが貴重な体験になりました。誰も歩いていないとは言っても、人間の足跡がないだけで、動物の足跡が明瞭に残っていました。しかも、人間の歩幅より広いのでかなりの大型の動物のようです。小ピークで別の道に行ったようです。全く誰もいない頂上で至福の時を過ごしました。麓では、赤や黄色の紅葉も残り、空の青さ、ゲレンデの真っ白な雪、針葉樹の緑等、鮮やかなコントラストを描いていました。伊吹山も真っ白でドライブウェイも閉鎖だそうです。もう1000m級は春まで無理なようです。
11月16日「北海道」
 先週の北海道は紅葉も終わっていましたが、快晴無風の日ばかりで、久しぶりに満喫しました。何度も北海道には行っていますが、自分の学会発表が終わるとすぐ帰ってしまい、観光した記憶があまりありませんでした。今週は東京出張と、名古屋出張があり、さすがに疲れは隠せませんが、JABEE仕様の自己点検書も最終段階に入りました。11月末に外部評価委員に送り、点検評価を待って1月に面談実施の予定です。JABEEの基準は変わってはいないのですが、相場のようなものがあって、毎年、スパイラルアップしているのでしょうか。たとえば、意見箱の開封等は1か月に1回でしたが、本校では昨年度から2回に増やしています。TOEICスコアも2008年度修了予定者からは400から425にあげたのですが、少しづつ無理なくスパイラルアップしたいものです。いろんなことがあり大変ではありますが、起動さえしてしまえばあとは慣性で、多少の摩擦はあるもののスムーズに進行して行ってくれていると感じています。どこのプログラムでも代変わりがあると思いますが、それをうまくできるかどうかもJABEEが要求していることだと考えています。
 里山が紅葉シーズンに入りました。11月4日に舟伏山の登ってきたのですが、3月に登った時と比べて、あまりのえらさに愕然としました。あの頃は毎日歩いていましたので、鍛えられていたのですが、今は全く駄目です。これではだめと、土日で時間があくと、2時間ほどの家の周囲の山の尾根歩きで足慣らしをしています。次は1000〜1500m級を考えています。
10月16日「授業参観週間」
 授業参観週間に強引にこじつけて「25年前に授業を見にきた犬がいた。最近では犬も携帯電話を使う時代だから珍しくもないかもしれないが、当時、授業参観する犬はあまりいなかった。」などと例の話を3年と5年でしました。これで、電気情報の2年以上はこの一週間で全員聴くことになりました。かなり前にホームページに載せていましたが、リンクを切っていましたので、久しぶりに「高専を訪れた珍客たち」と題して他の逸話も入れてリンクさせます。かなり前のファイルです。
卒業生にはときどき思い出したように話したことがありますが、今回は「本当の話ですか」とあとから何人かの学生に訊かれました。犬と女性の件は同じクラスだったので、印象は強烈だったようで、高専祭か田苑のクラス紹介で、この話が記載されていた記憶があります。
 大岩展望台で足慣らしをしたあと、夜叉が池に行ってきました。何物をも寄せ付けない夜叉が壁と昇竜の滝、神秘な夜叉が池、久しぶりのトレッキングに満足でしたが、車の運転は狭い道で大変でした。
10月11日「高専を訪れた珍客たち」
 最近では携帯電話を使う犬も現れたので珍しくもないが、25年ほど前、私の授業を聴講にきた犬がいました。昔を思い出して2年生と4年生に同じ話をしたのですが、いまいち4年生には受けなかった。チョコレートを配る女性の話は両方ともうけましたが・・・。同じ話を来週、3年生と5年生にしてみます。でも、授業参観週間なのでちょっと・・・。
 10月は富山、11月は北海道、12月は東北、その間に、東京に何度か出張。年末まで行事が目白押しです。
9月26日「信州大学」
 明日から信州大学で学会。私の部屋の二人の専攻科生と連名になっているもう一人の専攻科生の発表は金曜日の午後からなのですが、午前中に座長が入っているので、明日出発です。岐阜駅を経由する「しなの」が一本あるので、それを予約しましたが、長野まで3時間かかります。車窓から御嶽、中央アルプス、北アルプス等を楽しんでいこうと思いますが、現実はパソコンと格闘の3時間になりそうです。
 百々ガ峰に2回登り10月からの山行にそなえました。体力的なスタミナはなかなか戻りませんが、精神的なスタミナは戻ったようです。
8月30日「夏も終わり」
 8月27日に石川高専で学修単位関係の講演をしてきました。金沢で一泊して、28日には岐阜へ戻って教員会議に出席しました。金沢の街は岐阜より元気がいいようです。ただ、電車の便が若干悪いように感じます。新幹線の誘致の看板が目立ちました。今週末は高専見学会、来週末は東京出張、9月末には専攻科生たちの学会発表があり、学会の仕事もあって私も長野に行きます。帰りに土日を利用して中央アルプスか北アルプスに行ってみたい気もしますが、一人では・・・。
8月2日「台風」
 明日から三日間の予定で東京です。台風が来ていますが、だいじょうぶでしょうか。台風名はUSAGIだそうです。なんとなく身近な気がしますが、名前はアメリカとアジア各国で構成された台風委員会で決定されるそうです。しかし、日本以外にはこの名前はわからない。
7月27日「研究会」
 2年のうちにかなり内容が変わってきて、びっくりしました。しかし、いろいろ面白いことが浮かんできます。夏休み中に整理して、秋に備えたいと思います。また、新たな挑戦になると思います。
週末に、長男と二男が富士山に登ると言っていました。ついていこうかなと思いましたが、今の状態では無理と考え、今年は断念します。その代りに、土曜日は伊吹山に登ろうと考えています。
7月23日「夏休み」
 学会の予稿もなんとか見通しが立ち、水曜日は研究会で早稲田へ。ようやく、自分の時間がもてるようになってきました。8月3日(誕生日です)からは別の学会発表で東京で過ごすことになります。去年の誕生日は高専の教員研究集会の司会をしていたんでした。梅雨も明けたようで快晴です。先週金華山の馬の背コースに久しぶりにいってきたのですが、途中でへろへろの状態で、脚力の衰えを感じました。一か月のブランクは大きいようです。取りつかれたように登っていたころは、カモシカの足と思っていたのですが・・・
7月12日「怒涛の四日間」
 月曜日、授業、工学基礎研究、会議、火曜日、授業2科目、水曜日、授業、会議二つ、木曜日、授業、この間に会議資料として、JABEEプログラムの学習・教育目標達成度等に基づく点検改善案、中期計画の点検評価改善案、アンケートにもとづく改善案を作る必要があり、連日、朝7時の出勤が続いておりました。その間に専攻科生の学会発表の予稿の修正が2件あり、体がもつのか心配しておりました。若干、右目の疲労と霞、めまい、偏頭痛、手足のしびれ、舌のもつれを感じておりますが、命に別条はなさそうです。来週早々の会議資料もつくり終わり一段落。金曜日は幕張です。
7月2日「リルレの法則」
 今年度から久しぶりに電気回路の授業を担当しています。岐阜高専の電気で私の電気回路の授業を受けた学生は、他の事は忘れても「リルレの法則」だけは覚えていると思います。「九蓮宝灯の話」とならんで私の十八番のひとつですが、先週2年生に披露しました。本当に久しぶりでしたが、昔を思い出して燃えつきました。多少、学生には受けたようです。これで分かってくれると教員冥利に尽きるのですが。
 以前から気になっていた、JABEE基準6.1と6.2の関係、基準1への受け渡しについて、点検評価・フォローアップ委員会からスパイラルアップ会議への提言の形で7月中に実施しておく予定です。
6月20日「自己点検評価」
 5年に一度の自己点検評価の年ですが、昨年、認証評価で自己点検し、基準を満たしていることが認証評価されたばかりであり、次の年に自己点検といっても・・・。設置基準から学校教育法と学校教育法施行令に移っても、認証評価やJABEEを受けていても、やらなければならないようで。いっそのことJABEEをそれに変えるという手もあるかなと考えるんですが、残念ながら施行令の方で来年度では年限が合わない。思い切ってウルトラシーを考えるしかないですが・・・。
 寮の宿直が終わった土曜日の朝、快晴でしたので、高専から近場の池田山に登りましたが、暑さでへろへろ、蛇と出くわしてびっくり、頂上でゆっくり昼食と思ったらアブの猛襲を受けて、急いで退散。夏はもう無理でしょうか。アルプスに行くまでの自信はないし。紅葉シーズンまでがまんするしかないでしょうか。
6月5日「もう夏」
 総コレステロールが基準値より多いので薬を飲むことになったのですが、どうも体に合わないようでふらふらするのでやめました。血液検査をしたら240に下がっており、悪玉コレステロールを測ったところ基準値以下であることがわかりました。今年から総コレステロールでは評価することは止めになったそうで、それでは、この前の薬はなんだったんだということに・・・。善玉は増え、中性脂肪は激減し、悪玉は基準値以下。減量成功ということで、急に気分がよくなりました。アルコールの多さと、眼がかすむのは気になりますが。
JABEEでしりあったT先生が日曜日のテレビ(関西系・・・そこまでいって・・・)にでておられびっくりしました。私たちと話しているのとまったく同じ口調で堂々とウィットにとんだ話され方をしておられびっくりしました。学生に話したら、あんな有名な先生と知り合いなんですかといわれた。本当に、私の名前を覚えていてくださる?先生の中では一番の有名人だと思います。
 山は近場の山に登っていますが、これから暑くなり、登る山の選択が難しくなります。皆さん、夏山に行かれているようですが、まだアルプスに行くまでの自信はないですし・・・。
5月15日「忙しい日々」
 JABEEの頃に匹敵するほど忙しい日々をこの一週間は送っていました。授業がかなりあることと、工学基礎研究の準備、新しいいくつかの仕事の準備等、眼が霞んできます。朝も7時半前に学校にきて仕事をしないと間に合わない羽目になりました。それもこれも、休みの日の山登りのため仕事ができなくなったからですが・・・。
 12日は環状自動車道東周りと中央高速を使って、富士見台1736mに登ってきました。白草山と雰囲気は似て樹木がなく低い笹でおおわれていますが、はるかに広い頂上です。360度さえぎるものなし。北西に御嶽、乗鞍、穂高、槍、北アルプスがくっきりと見えます。北には中央アルプスがどんと控え、東には南アルプスの山々が雲の中に浮かぶように青い山脈の上に白くつながり、素晴らしい光景です。このような景色は今まで見たことがありませんでしたので大感激でした。西には白山が見え、南には恵那山が巨大に控えています。妻にもぜひ見せたいと思っています。山はいいなあ。
 期待していた健康診断の結果が届きましたが、がっくり。中性脂肪など、かなりの項目で劇的に改善されているのですが、総コレステロールが全く変わっていません。善玉コレステロールが30増えているので、悪玉はその分減っているのではないかと思えるのですが、今回ばかりは医者へ行って精密検査を受けてくるつもりです。この忙しいのに、時間を何とか見つけなければならない。でも、体が最優先です。今まで、無理(無視?)をしすぎていたように思いました。
5月9日「学修単位」
 学修単位が二コマ、専攻科が一コマ、唯一の履修単位も電気回路で毎回小テストと演習問題。一週間に四回の提出物があり、確認印を押すだけでも結構な労力になります。なにもなければ教務主事が一番暇だったかもしれません。なにもなければね・・・。4年後に岐阜高専がロボコンの担当校だそうです。
4月29日に蕪山1068mに登ってきました。株杉にはびっくりしました。古代を偲ばせる光景でした。山頂は360度大展望で、白山が大きく見えました。御嶽、乗鞍、穂高、槍ヶ岳まで見え、山の良さを痛感しました。
5月3日は高速を突っ走り、朝の7時に母袋烏帽子岳1341mに登り始めました。白山がまじかに見えました。帰りも高速を使い、10時30分には家に着きましたが、反対側の下りの高速は大渋滞でお気の毒としか言えない状況でした。5月4日は白草山1614mに登りました。さすがに二日連続では疲れるかなと思いましたが、頂上の素晴らしい雰囲気、御嶽の大きさ、このような世界があったことに驚きました。声も出ない感激を味わいました。山はいいなあ。
4月27日「連休」
 授業に関しては浦島太郎の状態で、授業準備に追われて自分の時間がなかなかとれません。学会の予稿と論文の修正があるのですが、止まってしまっています。連休にやるしかないのですが、山には行きたいし、次男と三男が帰ってくるし・・・。蕪山、母袋烏帽子岳、白草山、伊吹山、簗谷山、小津権現山、行きたい山がいっぱい。連休中にこれだけ登ることができるでしょうか。
 2008年のJABEEの審査も油断のならないものになるような気がしています。目標についてはスパイラルアップしているので大きな心配はしていませんが、気になるところもすこしあります。
4月19日「本調子」
 そろそろ新しいことにとりかかったり、昔のこと(JABEE)を思い出したりしないといけないのですが、なかなか、ペースがつかめません。授業資料の準備がけっこう大変なのです。それに加えてパソコンを変えたので、関連のソフトが微妙に改善されているのですが、慣れていないためにかえってストレスがたまります。教務主事の時のストレスとは比べようもありませんが。
 東京のほうはマンションを移ることになり、連休は引っ越しのようです。思い切って私も行こうかな。
4月17日「復帰」
 4月になったというのに更新もできずにいました。パソコンを新しくしたためにwindows vistaでのホームページ接続やメール設定がなかなかわからなかったことと、FTPの接続がうまくいっていなかったのです。ようやく、何とかなったようです。授業もひとまわり終わりました。一気に授業が4コマふえて授業準備もなかなか大変です。パワーポイントの授業に切り替えつつありますが、学生の反応を見つつ授業しないと逆効果になってしまいそうです。学修単位が3科目ですので、毎回、課題用の資料を印刷しています。
 科研費はおかげさまで続いております。21年連続33件目となりました。
 山登りも相変わらずで、舟伏山、高賀山と1200mクラスに登っています。御岳や乗鞍が見えて感激でした。次は蕪山や母袋烏帽子岳あたりです。
3月30日「年度末」
 最後まで楽をさせてはいただけませんでしたが、ようやく教務主事の2年の任期が終わります。教務以外のところで疲弊しきった毎日でした。多くのことを学ぶ経験にはなりましたが、失ったものも多いように感じています。
皆様のご協力に感謝いたします。
 古城山にのぼり、とうとう瓢ヶ岳(1163m)にも挑戦しました。車でふもとまで行ったのですが舗装道路を猿の集団が堂々と横断しているのにはびびりました。前の靴はつぶれかけていましたので、思い切ってもう一ランク上の靴を買いましたが、本当に楽になりました。かなり思い切った歩きができ瓢ヶ岳を楽々クリアできました。1000mクラスで経験を積んで次ぎの挑戦を考えています。どんどんエスカレートしていますが、単独行なので不安です。
3月22日「風邪」
土曜日のワークショップの講演も無事終わり、ホッと一息したところに、東京を襲った寒気(かんき)。日曜日には寒気(さむけ)がして、体温計で久しぶりにはかったら38度。久しぶりに風邪をひいてしまいました。風邪などひいている暇がなく、気力で治すものだと思っていましたが、どうやら心の緩みがあったようです。四年前にひいたのもJABEEの試行審査が終わった2月でした。
 月曜日は久しぶりに年休を取ってゆっくり睡眠をむさぼっていました。水曜日は春分の日で休日でしたので、落ちた体力を戻すために4時間の山歩きをしました。疲労感はないのですが、今日はまたしてもなんとなく寒気(さむけ)がする・・・。
3月16日「卒業式」
 第40回の卒業式もおわり、ほとんど仕事は終了しました。
 土曜日は各務原権現山、岐阜権現山、各務原権現山のピストン往復で3時間、日曜日は天王山の大矢田神社側から登り、Aコースで降りて3時間の山歩きでした。途中何人かの人と楽しいときを過ごし、眺望もよく満足の行く週末でした。
 明日はワークショップの講演を頼まれていますので東京に行き、一泊して日曜日に帰ってきます。帰ってきてから3時間は山歩きをするつもりです。
3月10日「東京」
 成績のチェックも終わり、いよいよ来週の進級判定・卒業判定、オリエンテーション、卒業式で一区切りです。
 我が家の一番下の三男の大学入試も無事終わりこれで入試とは縁を切ることができます。長男の高校受験からですので、10年になります。ホッとしますが懐かしくもあります。三男も東京ですので、また、どこかに引越しをする必要が出てきました。
 休みは古城山と天王山の予定です。舟伏山を考えていましたが、1000m以上あり、雪がふったようなのでさすがに私単独では危険です。
3月5日「主事訓話」
 何事もなく終わりました。行事としてはオリエンテーションがあるのみです。
 3月3日はM先生のご推薦で上麻生の納古山に登ってきました。登山口には熊注意!とあり、びびりながら登っていきました。途中で降りてくる人に会うとドキッとします。もっとも、向こうの方がビックリしているのではないかと思います。何しろ、私の服装は全身黒ずくめでしたから。熊の被り物をしてこればよかったかな。しかし、狩猟に注意とも書いてあったので、間違って撃たれてはかないません。標高630mで最近では最も高い山で時間がかかるかなと思いましたが、健脚になってきましたので、50分で頂上へ。さすがにすばらしい眺望でした。いままでで一番良かったと思います。M先生、ありがとうございます。
 3月4日はまたしても各務野自然遺産の森から金毘羅山、明王山、坂祝の猿啄城往復、迫間山、大岩見晴台と5時間の周回を実行しました。さすがに疲れましたが、満足感でいっぱいです。
3月2日「いよいよ終わり」
 入試も無事終わり、あとは卒業判定と進級判定です。入試倍率はなんとか昨年より上げることができ、ホッと一息ついています。あと一月で解放されると思うと、JABEEが終わったときのような雰囲気が漂いつつあります。四月からはまた新しい仕事が待っていますし、研究も新たな展開、最後の仕事になると思います。
 山歩きはすっかりはまってしまいました。諏訪山では物足りなくなり、百々が峰周辺を四時間探索したり、各務原の金毘羅山、明王山、迫間山を四時間かけて周回しています。靴と杖も購入しちゃいました。300から400m程度の里山ですが、四時間かけて歩くことができれば1000mクラスでもいけそうな気がしてきました。特に、夏場は暑いのでより高い山に登りたくなります。明日は六時間かけて縦走し、明後日は新たな山に挑戦しようと思っています。全て単独ですので、途中で脳梗塞や心筋梗塞あるいはくも膜下出血にでもなったらと不安に思いますが、それでも頂上からの眺望の魅力には勝てません。本当に山にはまってしまいそうです。
1月30日「論文」
 1月30日締切りの依頼論文を猛烈な勢いで書いていました。JABEEの本審査の頃のような時間との戦いで、やっと先ほど速達で郵送し終わりました。こんなことになったのも山歩きがエスカレートしてしまったからです。土日に仕事をしないつけが回ってきて、さすがに今週の日曜日は断念しました。天気がとてもよかったのに。
 以前、諏訪山の北側の登り道を探していたら、鉄塔巡視路を発見しました。中腹の鉄塔まで登っていくと山の頂上の鉄塔との間に、強大な岩があり、登り道も急なので怖くなって断念しました。先週の土曜日に再挑戦し、足もがくがく振るえるような状態(疲れではなく恐怖です)岩の横を通っているときに、携帯がなりました。妻からです。家のベランダから双眼鏡で私の歩みを見ていたようです。上から3人降りてくるとのこと。怖くなったのでもう降りると返事をしました。上の道がどのようになっているかを聞きたくてしばらく待っていたら、上から子供の楽しそうな声が聞こえてきます。現われたのは小学校低学年と思える子供とおじいさんとおばあさん!!ここはハイキングコースなのか!!!頂上までいけるとのことで上り始めましたが、いよいよ急になり怖くて断念しました。下山していった3人の楽しげな会話が聞こえなくなるまで、山の中腹で座り込んで時間をつぶしていました。
1月16日「山歩き」
 13日(土)に諏訪山の南側の六所神社から白山神社に登り尾根を縦走し、各務原権現山から北山まで行きました。諏訪山を取り囲む南、東、北の山を縦走したことになります。途中で北側に降りる道をみのがし、どんどん西に行くと、尾根道がなくなってしまいました。北側の山では誰にも会わなかったので、思わず、遭難、の二文字が思い浮かびました。今きた道を帰ればいいのですが、既に3時間が経過し、歩いてきた尾根尾根を振り返ると、途方もなく遠く感じます。しかも結構険しい山々でした。仕方なく帰り始めると運良く、見逃した北側の芥見権現山への道を発見し、なんとか帰ることができました。4時間半の山歩きでしたが、景色もよく、これまで見たことがない世界を楽しむことが出来ました。諏訪山に住んで30年くらいになりますが、こんな別の世界がすぐそばにあったとは・・・。
 14日(日)は疲れていたのですが、矢も立てもたまらず、近くの尾崎団地の三峰山に登りました。ここも尾根づたいに2時間半くらいかかりましたが、見晴らしも、雰囲気もよく、楽しむことができました。
 頂上ではいろいろな人と話すことができ、自分の性格が変わっていくのがわかります。新年早々、こんなことを書いていていいのでしょうか。そろそろ、本来の情報発信をしなければ。参与会が無事修了しました。指摘事項の多くは既に実施済みのことなのですが、実施していることを広く広報していないところが問題なのでしょう。
1月10日「仕事始め」
 あけましておめでとうございます。年末年始にいろいろなことがありました。ウオーキングがエスカレートしてハイキングから山歩きになってしまいました。そのうちに山登りになるのではないかと思います。とりあえず、私の住んでる諏訪山団地の三方を取り囲む山々の尾根を縦走する道を発見しました。そこには待ったく別の世界があります。
12月28日「仕事納め」
 1月から12月まで色々なことが起こりました。高専に着任して30年を越えましたが、これまで全く経験のしたことのないことがいくつかありました。教務主事の仕事で得た最大のものはいろいろな先生方と知り合うことができたことです。JABEEでも、多くの出会いがありましたが、中学校の先生方と接する機会をもてたことは貴重でした。あと、三ヶ月、入試、卒業・進級判定、学修単位の規程制定が大きな仕事になりますが、ラストスパートです。
 それでは、よいお年をお迎えください。
12月26日「金華山登頂」
 23日土曜日に行者道を登ろうと出かけました。岩戸公園から東坂登山道から分岐して達目洞に向かって歩き始めましたが、どんどん下ってしまいます。せっかく登ってきたのにと思いながらも誰もこない寂しい道を歩き続けました。途中で真新しい柵があり通行止めになっていました。行者道はだめのようです。さらに歩をすすめると、踏み固められた道があり、修験者の道と思われます。少し登ってみましたが、道が分からなくなり不安を感じたので元に戻り、さらに北に向かって歩きました。岐阜城方面とかかれた分岐点があり、鼻高ハイキングコースと呼ばれている登山道です。ハイキングコースとは呼べないような恐怖を味わいながら峠まで登ると、岐阜城が見えます。せっかく登ったのにまた下り。次ぎの峠でまたお城が見えたときはさすがにぐったり。また下るのかと。瞑想の小径に合流してやっと岐阜城に到着。帰りは七曲から唐釜ハイキングコース経由で岩戸公園へ、合計2時間の行程でした。10月からこれで6回別々のコースで登り、通行が認められている登山道はこれで終わりのようです。もう満足のはずなのに、日曜日にまた岩戸公園に出かけました。
 研究はどうなっている?1月末までに依頼を受けている論文があるんですけど、正月に書くしかないようです。
12月18日「忘年会」
 12月1日に高岡から帰ってきて2日に金華山の東坂登山道を登りました。東側からは初めてで、景色が全く異なり、感動しました。3日の朝、急にもう一度登りたくなり、今度は最難関の馬の背コースを登ることにしました。四つんばいになりながら、途中で雨はふってくるし、落ち葉で滑りやすくなっているし、誰も登っている人もいない早朝なので、ここで滑り落ちて頭を打ったら、誰も助けにこないだろうなと不安になりました。まだ、登っていない道では、行者道、修験者の道、忍者道等があるそうです。
 一週間に4回の忘年会をこなしていましたが、痩せてきたためにアルコールの回りも早く、アルコール依存症の兆候を感じたので、家での飲酒は止めております。耐えることができるのか心配でしたが、3日間は飲まずに過ごしております。かわりに梅昆布茶を飲んでいます。
11月20日「最終目標達成」
 ペースを落としていましたが、18日(土)に久しぶりに時間が空いたので、紅葉を楽しみながら1時間くらいまで歩けるところまで歩こうと決め、境川沿いに南下しました。21号線でちょうど1時間でしたが、さらに南に山があり、頂上に何かあるように見えます。ふもとまで歩くと三井山登山道、頂上まで460mとあります。これは手頃と登ることにしました。頂上には古墳跡や祠があり、結構、眺望も良かったです。往復3時間でしたが、体重計にのったらとうとう65kgを切りました。
11月14日「背広」
 認証評価も無事終わり、11月3日は金華山を再度登頂、4日は高山で地区懇前に2時間ほど散策、5日は金華山を再再度登頂。最近は平日は30分の運動にしていますが、体重は66kgをきりました。4ヶ月で18kgの減量で、このまま減り続けたら、やっぱり病気だったかということになってしまいそうです。
 お腹の脂肪もほとんどなくなりそうなので、ご褒美に、背広を買っていただきました。ニュージーランド産のメリノ種という由緒正しい羊から採れたもので、明らかに感触が違います。これが無駄にならないように努力せよということでしょうか。65kgをきったところで一区切りにしたいと思っています。
10月17日「亀仙人V」
 もうハードなことは止めようと思っていたのですが、休みになると歩きたくなります。ちょうどウィスキーもなくなったので(本当は予想どうり、週の途中でなくなったのですが、K先生が最近の私の深い悩み?に気付かれてブランディーを差し入れてくださいました)、リュックとビスケットをもって出かけました。前回は1本でしたが、リュックの中で斜めになってしまうので、二本買うことにしました。4リットルを2本背中に背負って帰りましたが、さすがにきつかったです。リュックを下ろすと、舞空術でもできそうです。往復4時間の旅でした。でも、リュックを背負って、運動靴とスポーツウェアで汗をかきかき、酒屋で4リットルのウイスキーをレジに出すのを見て、店員はどう思ったことでしょうかね。店の外でリュックに詰めているのも見られていたし・・・。
10月10日「55歳の冒険」
 体重の目標も達成し、さてこれから、と考えていた矢先、「豆乳ビスケット」が到着しました。なかなか体重が落ちなかったとき、点検・改善で注文していたものです。おからが主成分で7枚食べてお茶や水を飲むと、胃の中でドカンと膨れて満腹感があり、栄養満点、カロリーが少ない等多くの利点があります。早速、昼食はこれにしました。奥様が大変に喜びました。弁当をつくらなくてもいいんですから。食べたときは物足りない気がしますが、すぐにお腹がいっぱいになりバンドもきつくなります。たしかに、体重は減ります。
 もう午前と午後の運動も減らしてもよさそうなので、最後の記念にと連休を利用して「55歳の冒険」を計画しました。
 朝、奥様に「青年(老人?)は荒野をめざす」と宣言して、家を出発しました。ビスケット7枚を持って・・・。
 計画は家から3時間かけて岐阜公園に行き、自販機でお茶を買って昼食(ビスケット)をとり、また、3時間かけて別経路で帰るというものです。自分の脚力を確かめるためと、最後の記念にと冒険に出かけました。
 想いのほか健脚で1時間半で岐阜公園についてしまい、これで帰路に着いたのではせっかくの冒険が・・・と、考えていたら、何人かの集団がアキレス腱を伸ばす運動をしている。ふと上を見上げると、そこには私が昔住んでいたお城!があるではありませんか。ずいぶんご無沙汰しているので登ってみてこようと思いたち、集団について登り始めました。10分ほどで後悔しました。集団は皆、車できて、山を登り始めている。登山靴だし、弁当やお茶も持っている。私はここまで1時間半かけて歩いてきて、休まずそのままのぼり始めている。弁当はビスケットだし、お茶も!頂上に自販機なんてあったかな!お金は150円しかないし・・・。ジョギング用の靴に岩がガツガツ刺さるのを感じながら、ここでこけて頭でも打ったら洒落にならないなと考えたり、喉も渇き、よっぽど誰かにお茶を分けてもらおうと考えたりしながら、青色吐息で最後は四つん這いになって頂上に到着しました。石の上にへたり込みながら、息も絶え絶えでしたが、ようやく回りを見渡せる余裕もできました。みんなおにぎりを食べている。お茶を飲んでいる。そうだ、自販機は・・・。ありました!でも500mlで170円!頂上は高いんです。ポケットには150円。喉も乾くし、ビスケットが膨れないし・・・と思ったら、隣に250CCで150円のボトルが売っていました。これで我慢するしかありません。
 登っている時に降りてくる人とすれ違うと、必ず、降りてくる人が「こんにちは!」と声をかけてくれます。こちらも返答します。なかなか自分から先に声をかけることはできませんでした。おりる時はこちらも元気が出て、積極的に「あと10mですよ」、「もう少しですよ」などと激励するようになりました。全ての人に「こんにちは」と積極的に挨拶すると、返答もしそうでない人たちも照れくさそうに返してくれます。日本の教育もこのようなところからかわるのではないかと思いながら、ふもとに下りて、そのままの勢いで挨拶をしたら、無視されました。
 別経路で2時間半かけて家に帰り、「55歳の冒険」は終わりました。全工程7時間半、万歩計は4万歩を越え、体重計も68kgをきっていました。これで一区切りで、これからは1日30分程度に留めておこうと思います。サプリメントとビスケットは継続です。
 あくる日、便器が真っ赤に染まりました。冒険も過ぎたようです。
10月2日「やりました!」
 最後の2kgがなかなか落ちませんでしたが、とうとう、日曜日に70kgを切りました。平日の運動を1時間30分に増やし、土日はそれぞれ午前3時間、午後3時間、夜1時間歩き、さらに、腹筋を100回から200回に増やしました。体重計が69.8kgを示したときの爽快感はJABEEが終わったときに匹敵するものでした。
今週は一日入学が二日間、東濃地区の学校説明会、会議が三つ。10月は空いた日が全くない上に、認証評価が月末にあります。怒涛の10月に突入します。
9月25日「亀仙人U」
 どんどんエスカレートしています。2週間前の酒屋からさらに遠い所で、ウィスキーの安売りがやっているチラシを発見し、1.5時間かけて歩いていきました。しかも、4リットル入りです。前回よりもさらにずっしりと重い亀の甲羅を背負い、1.5時間かけて帰宅しました。途中ですれ違うウォーキング仲間も、まさか、リュックの中身がウィスキーとは思わないでしょうね。
 さて、私の現在の悩みは次に行くのが2週間後か、3週間後になるか、ということです。2.9リットルはちょうど2週間で飲みましたので(200ml/日!飲みすぎ)、3週間では二日ほど足りないし、2週間後では明らかに怒られそうだし・・・。
 体重は現在71,6kgです。2kg落とすのに3週間かかっており、悪戦苦闘しています。亀の甲羅を背負った日も、午後からさらに2時間歩きました。しかも、このところ腹筋も毎日100回やっているんです。何かにとりつかれたように、減量しています。
9月11日「亀仙人」
 月曜日に教務係関係の飲み会(二次会付き)、水曜日にK先生のお祝い会(三次会付き)、土曜日に家族で潜龍でロースステーキコース、運動できない日が続き、ビールも肉も寿司も食べて恐る恐る体重計にのってビックリ。1.6kgもリバウンドしている。
 日曜日に、午前中畑を耕し、昼から1時間かけて歩いてウィスキー(2.9リットル)を買いに行き、帰りはリュックサックに入れて持ち帰りました。亀の甲羅を背負った亀仙人みたいなものです。やっと一週間前の体重に戻すことができました。
9月4日「課題達成、おまけつき」
@体重は73.8kgと10kg以上へりました。高専見学会で昼食抜きで11時半から13時半まで学校説明して、疲れ果てて帰宅しても、それから1時間歩きました。
A高専見学会は昨年より100名近く参加者が増えました。
B達成
なんだか、燃え尽きて力が出てきません。脂肪と同時にやる気も燃えてしまったのでしょうか。10kg減ったのに、肝心のところはまだでっぱったままです。70kg切るところまで続けないとお腹の脂肪はなくならないように思います。
8月28日「夏休みの宿題」
 夏休みを終わるまでに、研究以外で三つの課題を上げました。
@体重を84kgから75kgを切るところまで9kgの減量をすること
A高専見学会の参加者を昨年より増やすこと
Bいまは内緒
@は自力でできること、Aは自力だけではできないこと、Bは今は明らかにできませんが完全に他力本願です。
@は75.6kgまで減量しましたので、あと、一息です。苦闘の歴史は達成次第、その手法も含めて別に報告します。Aは達成できました。Bはあっけなく達成できそうです。
8月7日「東海環状自動車道」
 日曜日に明智町で進路説明会があったので、東海環状自動車道を使いました。本当に便利になっていますが、問題はそのまま愛知県の方に生徒が流れていってしまうことです。一刻も早く西側ルートを完成してもらいたいのですが、できた頃には私はどうなっていることやら・・・。
キャベツダイエットではなかなか体重が落ちないので、帰宅後30分間歩いています。これでも目標にたどり着かない場合は、思い切った手を打つしかない。こんなことになる前に、何とかしておけばよかったのですが、ついつい、ズルズルと・・・。どこにでもある話しです。
8月1日「ダイエット」
 気分が重く、階段を上がっていても気がめいる。重いのは気分ではなくて体重だった。背広を脱ぐことが多く、鏡で己の姿をみてびっくり。久しぶりに体重計に乗ったら84kg!5月・6月の外食(中学校訪問)がよくなかったようです。以前84kgからキャベツダイエット(+JABEE)により69kgまで落としたので、9月の高専見学会までに75kgまで落とすことを決意しました。ただ、8月に外で酒を飲む機会が数回あるので、運動もいれて落とさないと目標が達成できない。今年の夏は体重減プロジェクトのPDCAループをまわすことになります。劇痩せしてきても、悪い病気だとは思わないでほしい。


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